第8話【完】
人々の嬌声と爆音が建物を取り囲んだ。「切り替えろコハク」ミツに身体を揺さぶられてようやく立ち上がる。屋上から見おろすと、ブラント死亡の一部始終をラジオで聴いていたらしい武装した民衆が、バリケードを突破して集まっていた。地上で待機していた機甲中隊めがけ、政府の治安部隊が方々からこちらへ突進している。民間人とはいえ武器を持っているので脅威はリーブルに劣らない。
「本部に連絡をとれ、トラックが破壊されていなければそのまま逃げられる」アスペル元帥がトランシーバーに叫ぶ。「総員戦闘配備、総員戦闘配備! 暴動に備えろ! 油断するな、彼らはテロリストとだって渡りあえる!」
ブラントとの交渉のようすを全国中継することははじめから戦略に組みこんでいた。そして同時に両派の過激派とその離反者、テロリスト、一般民衆などが暴力的な手段に出ることも予想していた。だがまさかのブラント自害により状況が若干変わった。ブラント信者の反ユウ派、アンチ反ユウ派や人民軍に抗議する反シラ派、正義感あふれる民衆たちが武器を持って集った。調子に乗って便乗しただけの連中もいる。ブラントを失ったリーブルをここぞとばかり狙う装甲車と人民軍に抗議する団体とがぶつかりあい、そこに地上の隊員たちが割って入る。ブラント死亡の中継は国民を揺さぶった。銃声と破壊音に、人々の悲鳴が混ざる。
「とりあえず、当初の目的は達成されたから」
ミツがサチコの肩を叩いて言う。「ここを突破するのがまず最優先事項だ」
道路を封鎖したラインに停めたままの車で脱出できれば、あとは本部まで逃げられる。このようすだと国民評議会の拠点周辺でも暴動が起こっていることは想像に難くない。ただの民衆でも集まれば軍隊になる。それを改めて思い出させる。
局内にはまだ侵入を許していないという連絡が入り、屋上に集まった二十人余りの隊員は内部の階段を降りて脱出を試みた。古い非常階段は立てつけが悪く、大勢が一斉に駆けおりたりリペリングしたりすると事故につながると判断した。僕は色紙を持ったまま死んでいるブラントの前で立ちつくすカイの手を引き「大丈夫」と声をかけた。何が大丈夫なのか、分からない。
階段で二階までは無事に降りた。が、一階で武装した軍勢に行く手を塞がれる。「なぜブラントの自害を止めなかった!」悲痛な叫びがフロアを満たす。それどころじゃないんだよ、と僕らは突破を試みた。突入時と同じように、彼らの手足を撃って拘束する。迷わなかった。ベレッタのマガジンを何度も入れかえて、撃った。耳になじんだ銃声と硝煙が、もう痛くない。
床にバタバタと伏してゆく死体と永遠に残りそうな血しぶき。ずっと見てきた惨状とはいえ、この状況が決して非日常の映画や小説ではなく、現実なんだと思い知る。重戦車に轢かれてビスケットのように粉々に砕けた頭部や、左手を切り落とされながらも右手でナイフを持って暴れる青年。シラアイの一般家庭で命の心配をせず平和に暮らしていた中学生が実際の戦争を目の当たりにし、今現在も世界でつづいている紛争が決してフィクションじゃないことを思い知った。
だから僕は今もここにいる。ここで戦う僕だけが僕の知っている僕だ。そう思いながら僕は痛む腕をおさえ、敵から奪ったアサルトライフルを乱射した。リーブル軍勢の足元に次々被弾し、血しぶきを吹いて大の男が何人も床に這いつくばる。傷つかないわけでも、心のどこかが痛まないわけでもない。だけど僕は守りたいものがたくさんある。守れなかったもののために生きる人たちを救いたい。泣くのはこの戦争が終わってからにしよう。国同士が和解し、平和な未来のために世界が一歩でも進めるようになったら、いつか両親に会いに行こう。そして、こんなことをしてごめんなさい、だけど、せいいっぱい生きていたよ、と伝えよう。
今も世界のあちこちから聴こえる子どもたちの悲鳴と銃声を抱いて。
ラジオ局周辺で起こった暴動はほとんど全面戦争だった。各思想の過激派もアンチも一堂に会し、ありったけの武器を持って敵をつぶしにかかる。ラジオ局が攻撃の対象になったのは当然の帰結だったとて、予想だにしない規模に銃を持つ手が震えた。民衆の暴動とはかくも手に負えない。何百人もの市民が武装して人民軍の波に突撃し、サブマシンガンやライフルを暴れさせ、砂塵の中で血まみれになりなお戦おうとする。鉈を振りまわして、ガラス片の入った袋や火炎瓶を投げつける。これが戦争の縮図だ、と思った。三年間、変わらない光景だ。
僕とミツはサチコとカイの前に立ち、「抜けるぞ」と声をはりあげた。僕はフロント前に放置していたグレネードランチャーを構え、無線に「総員、閃光ゴーグル着用!」と叫ぶ。エントランスを抜けてすぐの道路の手前でランチャーを撃つ。群衆の頭上へ飛んでいったフラッシュバンが炸裂すると、数百万カンデラの閃光が人々の目を蹂躙する。呻き声をあげる民衆。その隙に彼らの脇を抜けて、突破を試みる。僕はカイの手を引いて走りながら、やみくもに銃を乱射する武装した暴徒たちを次々に撃つ。殴る。蹴る。ピックアップトラックに積んだミサイルが火を噴く。周辺の建物を火柱に変える。人種なんか関係ない。ただそこで戦っている。
僕ら四人は路地裏に逃げこみ、区外へ近道をしようとした。だがその細い路地裏の出口を、急ブレーキしたジープがふさぎ、反ユウ派らしき若い男たちが発砲した。とっさに地面に伏せてやり過ごし、その隙にサチコがライフルを連射する。いくつかは命中するも反撃を食らい、僕はカイを隠すように立ってベレッタを撃った。「橋さえあればいいんだよ!」男は車に乗せた重機関銃を暴れさせながら、確かにそう叫んだ。
そのとき、ウィンチェスターを撃っていたミツの身体がくの字に折れ曲がり、口から血を吹いて倒れた。マシンガンの銃弾が防弾チョッキを貫通したらしく、腹から血を流している。「ミツ!」僕は彼の身体を支えて建物の影に転がりこみ、地面にあおむけに寝かせた。なおも銃弾が背後を飛びかう。僕は舌打ちしてミツのウィンチェスターを手に取ると、その大きなレバーを引いてジープのエンジンルームを狙った。派手に爆発する車。炎上する車体を見届けて、僕は銃を投げ捨てるとミツの防弾チョッキを脱がせた。
「悪い、僕がちゃんと援護していれば」
焦って声が上ずる。だがミツの腹筋をやすやすと貫いた銃弾は、彼の服をどす黒く染めていた。全身が一気に凍りついた。「嫌よ、駄目、死なないで」サチコが悲鳴をあげながらミツの腹を手で押さえるが出血が止まらない。カイが声をあげて泣いている。「嘘だろ」僕のつぶやきはカイの声にかき消される。
「うるさい、傷に響く」そう言ったミツの口から血がこぼれた。僕は「いいから喋るな」と言う。ジャケットを脱いでミツの腹に巻くと、きつく締めあげた。だが血は布地にどんどん染みこんでゆく。僕は涙声になるのをおさえられなかった。
「もういい、君に反ユウ派を無理に愛せなんて言わないよ。君が愛するべき人はたくさんいるんだ。だからもう戦うな。このまま病院に搬送してもらう。完治したらTPCは解散しよう。戦争は終わるんだ。民族同士の軋轢から離れて、静かにしあわせに暮らそう」
「俺、TPCの由来、言ったっけ」
ミツの声はちいさく、遠くからの銃声に消えてしまいそうだった。僕はちいさく首を振った。ミツは笑って、「Team“Peace Children”」とうつくしい発音で言った。
――平和の子どもたちの軍。
それが、何もかもの、ぜんぶだった。
「おっさんと酒を飲む約束、してるから」ミツの呼吸が浅くなり、四肢が痙攣をはじめる。「家族のこと、もっと、話したい。おっさんと、奥さんと娘さんと、俺の親父と母さんと、で、楽しく、思い出、話し、て」
ミサイルが空を切る音がして、爆音と共に近くの建物の上部が吹き飛んだ。僕らは一斉に身を伏せる。砂埃が舞い、瓦礫が落下する。振動が襲う。崩落がおさまったとき、僕は顔をあげずに地面を指で掻いた。爪のあいだに土が入る。女の子ふたりのすすり泣く声が響く。砂埃がやまないうちに僕は立ちあがり、サチコとカイの手を引いた。『嫌、ミツ!』泣き叫ぶカイを抱いて、広い道路に出た。砂塵がミツの顔を覆っていた。冷たい路地裏にあおむけに倒れ、ただひとり沈黙する彼に、僕はふりかえりざま敬礼をした。
歴史は何度も、平和のために生きた人々を殺した。暗殺された偉人が大勢いた。世界が穏やかであるようにと願った平和の伝道師たちがいて、戦った人たちがいて。走りながら僕は願った。どうか子どもたちに優しい音楽を、しあわせを、神の祝福を。
少し離れた場所で廃ビルの影に逃げ込む。トランシーバーを持つ手が震えた。目をあけていられない。
「こちらTPC副司令官、コハク・ベンディクス」僕はできるだけ落ちついた声で言った。「シラアイ国民評議会人民軍総員に告ぐ。ミツ・ベリクヴィスト司令官の殉死に伴い、これより私がTPCの陣頭指揮を執る。現在はレクザ西海岸、J13ブロックへ退避中。海兵隊員、負傷兵の回収をお願いします」
「ベンディクス副司令官、聴こえるか。こちら海兵隊第二中隊長。了解した。今そちらへ向かっている。なんてことだ。ミツは偉大な指揮官だった。我々は彼と連携できたことを誇りに思う」
「コハク、こちら突撃中隊、人民軍元帥アスペル。ラジオ局前の暴動はまだおさまりそうにない。手隙の者を見つけ次第応援に向かわせる。くそったれ、どうしてこう世界にとって必要な人ばかり死ぬんだ!」
元帥の怒声にイヤフォンの音が割れる。「コハク、ミツは勇敢な少年だった。俺はあいつと組めて嬉しかった。俺がTPCを見こんだことは間違いじゃなかったんだ。あいつは俺の誇りだ。彼のように優秀な上官を持てたお前は幸運だ。死ぬまで誇れ! 何を言われても胸を張れ! お前が生きて後世の子供たちに伝えつづける限り、ミツがこの世界のためにと流した血も涙も決して墓石を汚すばかりではなくなる! 必ずこの無駄な戦争を終わらせろ! そのために生きるのならどんな屈辱や汚泥を背中に塗りたくられてもお前は世界中の子供たちのしあわせをつなぐかけ橋のひとつになれる! お前はまだ十六年しか生きていないんだ、あと五十年以上も時間が残されている。そのあいだにこの戦争のために死んだ大勢の民衆の願いを、声が枯れ喉が潰れても命ある限り次世代に伝えつづけろ! ミツは神に祝福された子だ。あの子が命をかけて救おうとした世界が未来で今以上に凄惨なものになっただなんて、あんなにも傷ついて後悔しながら戦ったミツの墓の前でそんな醜態を晒せるわけがないだろう!」
アスペル元帥は一気に話した。鼻をすする音が聴こえた。僕は泣いていた。涙を手の甲で拭い、嗚咽を漏らした。二年前、無差別殺傷事件から救い出してくれた特殊部隊兵のミツ。彼に告げられた「平和のために他人の血を浴びる覚悟」を、僕は今も完全には持ちあわせていないかも知れない。この世界が平和に成り難いことを知っていて、だけどミツはTPCを作った。その副司令官に民間人の僕を呼び、重いライフル銃を持たせた、上官であり親友でもある大切な存在。僕はふりかえらなかった。なぜ僕を選んだのか、なんて訊けなかった。彼の中には理由があったのだろう。だけど、もうどうでもよかった。彼の傍にいられたことが名誉だった。震災と戦争で帰る場所を失った暴徒化寸前の子供に、家族をくれた。生きる目的をくれた。自分の信じたものや願いを決して手放さない生き方を、優しさを学んだ。彼と共に過ごした二年間を、僕は流した涙と一緒に永久に守りつづける。憎しみでその宝物が擦りきれないように、僕は生き延びる。
元帥は僕の声に気づかないふりをして、「TPC総司令官に告ぐ」と静かな声で言った。
「命令だ。生きろ。そのまま逃げきれ。評議会本部で必ず再会しよう」
「アスペル元帥、こちらベンディクス副司令官。了解しました。武運と天佑を」
僕はトランシーバーを切った。それを捨てた手で冷たいライフルを抱える。未だ涙の止まらないサチコとカイの手を引き、ビルの影から外へ出た。砂埃の舞う道路を走り抜け、海岸線へ向かう。すり減った靴底が地面の感触を如実に伝える。
どうか、もう終わってくれ。戦争なんて人が無駄に死ぬだけだ。何も生みやしない。いずれ人の流した涙が足元を崩してしまうだけだ。母と一緒に暮らして、学校で勉強していた自分はもうはっきりとは思い出せない。それをなつかしいと思うこともあった。だけど。
二度と戻れない。戻るわけにはいかない。あの崩れかけの廃ホテルで、僕は素晴らしい友人たちとめいっぱい笑い、枯れるほど泣き、ただ一途にしあわせだけを祈った。戦火の踊るこの理不尽な世界で、僕たちは現実に何度も絶望しながら、それでも。みんなが一緒にいて、笑っていた。家族を失った子供たちが、確かにあの場所で、家族になった。
今もこうして、生きている。
――こんなに大事なことをどうして僕たちは簡単に忘れてしまうのだろう。
ラジオ局から少し離れた瓦礫だらけの郊外をひたすら走り抜けた。放送を聴いて集まった暴徒たちが何人もいた。僕とサチコは彼らを撃ちながら走った。もう嫌だった。これ以上血を流したくなかった。戦争を終わらせたかった。このまま走りつづけていれば戦争のない平和な国に、遠い内陸の土地へ逃げられるのかと思った。だけどこの国を捨てられなかった。僕はシラアイに生まれ育った。だから最後のひとりになってもシラアイ人でいる。この理不尽な世界で、何度でも立ちあがるために。
忘れたくない。終わらせたい。刻みつけたい。伝えたくない。伝えたい。
郊外を走り浅い林を抜けてゆくと、急に視界がひらけた。海だ。貿易港から少し離れた海岸線につき出た岬にいた。慌てて急ブレーキをかけるが、カイとサチコを欲しがる民間人が背後から大勢追ってきている。まだ海兵隊員のボートが来ていない。政府軍の戦闘機が上空を飛びさる。空爆がはじまった。暴動が町じゅうに広がり、武装した民衆がひたすらに『橋』を探している。轟音と地響きが爆撃の規模を伝える。どこまでつづくのだろう。どこまでつづければいいのだろう。
「逃げよう、サチコ、カイ」僕は岬の上から海を見おろして立ちつくすふたりに声をかけた。「ここにいたら、人民軍の人が来る前に見つかってしまう。とにかく飛びこむんだ」
「無茶よ、こんな高さからなんて」
サチコの悲痛な声とカイの泣き声が背後からの銃声に消される。もう間に合わない。ふたりの手をつかみ、「大丈夫」と言った。
「もうすぐこの戦争は終わるから」
僕は両手をいっぱいに広げ、サチコとカイをまとめて強く抱きしめた。少女たちの細い体は、『橋』なんて大層なものを知るにはちいさすぎた。だけど、おそらく、僕よりたくさんのことを知っている。
そのままふたりの手をつなぎ、一気に岬から飛びおりた。それは数日前、ホテルの窓から飛んだ感覚に似ていた。ただ自由に、あの大きな海に抱かれてみたかった。髪や服が風にあおられ、そのまままっさかさまに落ちてゆく。一瞬の衝撃と痛みと水の音。全身を泡につつまれ、口や鼻腔に海水が入る。絶対に手を離さなかった。目をあけると、ふたりとも僕の手をしっかりつかんで――場違いなほど嬉しそうに笑っていた。
本当に、嬉しそうに。
その瞬間、強くにぎっていたはずのふたりの手が急に質量をなくした。泡になってはじけ、僕の手は水をつかむ。真っ白な泡が、ふたりの少女を飲みこんでゆく。嘘だ、とふたりの身体を抱こうとすると、ふわり、と泡が舞って消える。僕の腕は、誰もつかめなかった。あちこちを見わたしても、そこにあるのは水と水面から差しこむ光だけだった。
どうして、サチコ、カイ。とまどう僕は水中で呆け、波に揺られた。太陽の光がきらきらとかがやいて、暗い海中を細く照らす。海はどこまでもつづいていた。僕には全部が見えなかったけれど、光が教えてくれている気がした。この光の届く場所、どこにでも海が広がっているのだと。異国へつづく水の道。強い波が、海流が、巡る。
間違いない。
すべての人間が、すべての生物が、この海で生まれたんだ。
世界とつながる、この海で。
僕は水面に顔を出し、「サチコ! カイ!」と叫んだ。
だけど僕に見えたのは、青空と雲と太陽と、雨が降ったわけでもないのに地平線から地平線へ大きなアーチを描いて伸びる、色彩ゆたかな虹だけだった。
やあ、はじめまして! 僕はコハク。君の名前を教えてくれないかい。
あの戦争を生きのびた兄弟たちに訊きたいんだ。
元気だった? 今はどうしてる? しあわせだと思うことはなんだい?
大切な家族と友だちのことを話しておくれよ。
僕らはここに今も生きているんだ。
完
廃墟に咲く一輪の花とありったけの幸せを贈る 真朝 一 @marthamydear
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