第7話

 助手席のドアを勢いよくあけると、よほど古いのか車体全体が揺れた。カイの脇に手を差して座席から降ろす。左側の運転席から降りたミツが「ブレーキの効きが悪すぎる」と文句を言った。人質回収のために軍事委員がひっぱってきた野戦用トラックは、アメリカ軍のセカンド・ハンドだ。いくつの戦争を乗りこえてきたのかと思うほどずだぼろで、運転するミツが何度も舌打ちしていた。ドアを閉めるとまたぐらりと揺れる。

 シラアイの首都レクザは他市に比べて都市化が進み、ビル群や鉄道、自動車などが目立っていた。三年前の大震災で町の大半が崩壊したが、現在は一部の国家機関や行政の施設、各国の領事館、空港、貿易港、そしてマスメディアであるラジオ局や新聞社などの再建がなされている。民間人が避難したあとでも首都機能は通常営業だ。倒壊したビルや割れたコンクリートの地面が目立つゴーストシティには、過激派団体たちが拠点をかまえることが多く、激戦区になったことも多々あった。

 最高議長と軍事委員に談判したアスペル元帥の功労あって、元帥本人が現場で指揮をとることを条件に、リーブル軍と戦闘経験がある一個中隊が召集された。当初、子どもでどうにかなる相手じゃない、危険だ、あくまで文面で抗議すべきと言って直接の交戦を避けつづけた総司令官も、今回ばかりは折れた。それでも評議会本部への襲撃を警戒し、それ以上の人員を動かすことはできなかった。ミツと僕は現場で元帥を補佐することになった。

 出発前、廃ホテルで愛用の銃を手入れし、残弾を確認しているところへ、ミツがカラシニコフを差しだした。そして「セミオートにしておけ」と言う。僕は使いなれたそのアサルトライフルとミツとを交互に見た。TPCに入りたてのころから使っている、政府軍の武器庫から奪ったAK47を少し改造したものだ。引き金を引いているあいだ連続で銃弾が発射されるフルオート射撃と違い、セミオートは引き金を引くごとに一発ずつ発射するショットモードである。ミツの考えは読めた。僕が彼よりはるかに武器を持つことに抵抗があり、最小限のさらに限界まで犠牲者を抑えたいという意図を汲んでいるのだろう。僕が殺傷を目的とした銃よりも、催涙ガス弾や閃光弾の撃てるグレネードランチャーを愛用している理由ももちろん気づいているはずだ。だが、僕はライフルを受けとり、軽く首を横に振った。ミツは腰に手を当てて目を伏せ、ため息をついた。そしてすれ違いざま僕の肩を二度叩いて部屋から出ていく。彼の手には、愛銃のウィンチェスターM1887ショットガンがにぎられていた。突入時、敵の手足を撃って拘束する作戦だが、それはあくまで戦略のベースだ。危害が及べば頭を撃っても誰もとがめない。それが戦争だ。どんな目的を掲げていようとも、どうしても止められないこと。戦わずには終わらない戦い。それを最初にはじめたのは、まぎれもなく僕たち人間だ。

 僕はAK47にマガジンを叩きこみ、コッキングレバーを勢いよく引いた。ガシャン、と小気味良い音を鳴らしたそれを素早く構える。肩にかける革製のストラップが揺れる。スコープを覗きこんで狙うは壁に貼られた世界地図。大陸から突きだした半島の西にぽつんと放り出されたシラアイ、その北のユウオウ。東には中国や日本が、北西にはもともとシラアイを支配していたイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国がある。南西のアフリカ大陸はここよりさらに深刻な紛争や飢餓で子供たちが苦しんでいることだろう。地図で見るとあらゆるものがずいぶんと近い。僕は両手でライフルのバレルをつかみ、顔の前にひきよせた。手袋越しに伝わる銃の冷たさ。唇が震え、頬を涙が伝う。もう二度と、これまでのように、命の心配をせずに安寧と暮らす十六歳の男子学生には戻れない。それと同時に、何もかもの終焉を覚悟し、そして願った。

 自分にできることを、なんて言っている場合ではない。目標さえ定まっていれば、やるべきことも、やりたいこともおのずと見えてくる。

 国営ラジオ局は国会議事堂から北へ二マイル地点にあり、交戦にそなえて朝のうちに周囲一マイル圏内の道路をすべて封鎖した。屋外で銃撃戦になる可能性もある。それが僕には恐ろしかった。これまで直接顔を合わせたことのない頑固じじいと銃を交わすことになるのだ。テロリストと組んだ彼らと離反軍人たちが本気でぶつかりあえばどれだけの被害が及ぶのか、想像もつかない。だからできるだけラジオ局ビルから外へ組織のメンバーを逃がさない。作戦は民間人救出を優先しつつ、敵を建物の内部へと追いこむ。間取り図は頭に入っている。おっさんが脱出ルートを探すとすれば下より上だ。震災の爪痕が残るラジオ局周辺の建物はほとんど捨てられ、屋上は他の連立する廃ビルと背丈が変わらずさほど離れていない。その気になればロープ一本で渡ってゆける。まさか本気で無事に身柄を返還してくれるなんて思っちゃいない、こちらははじめから談判なしでサチコを奪還するつもりだ。多少強引だが相手も強引なので応じたくないというのが本音だった。

 自分より十歳近くも大人の軍人たちが、アスペル元帥の威を借っているとはいえ自分たちの背後についているというのは不思議な感覚だ。TPCの隊員はなんだかんだ言いつつ未熟な子どもで、人民軍の隊員たちからは年下の友人扱いをされている。それでも自分は彼ら大人と同じ防弾服と戦闘用ヘルメットとゴーグルを身につけ、背中にアサルトライフルを背負って、体や服のあちこちにナイフや拳銃を隠し持っている。不思議などと今更言えた話ではない。自分たちは既に、大人と同じ目線からこの戦争に加わっている。

 めちゃくちゃに割れたコンクリートの道路をラジオ局に向かって走りながら、僕は空を仰いだ。抜けるような晴天。あきれるほどの、青。

 局の西側は港である。震災で倒壊したコンテナの影に突撃部隊全員が集まり、輪になって銃を空にかかげた。

「民衆に力を!」

 声をそろえる。それはTPCの合言葉と同じだった。僕の背後にあいかわらずカイが隠れていた。まさか彼女を前線へ駆りだすわけにもいかず、内部を制圧しブラントを追いつめ、人質全員を回収したところで、別の分隊が彼女を連れてくることになっている。要求には応じないが、彼らにとって担保であるカイの存在は目に入れるだけでいい。

 打ちっぱなしのコンクリートからなるラジオ局ビル。その正面エントランスと裏口にはそれぞれ武装したリーブルの隊員がふたりずつ、ライフルを片手に配備されていた。二手に分かれ、僕は正面の警備をしている男の背後から彼の口を手でふさいだ。ひるんだ隙に首に腕を回し、つま先で背骨を蹴りあげた。気絶した彼の銃を奪い、両手足を縛る。反対側の男も同様に別の隊員が拘束した。裏口突破の合図が無線で飛んでくる。

 壁にはりついて顔を出し、ドア越しに一階フロントのようすをうかがう。目視で十人もいない。ずいぶん手薄だな、と思う間もなかった。僕はグレネードランチャーに弾を込めると、ドアを足で蹴り開けた。すぐに全員の銃口がこちらへ向けられるが、遅い。僕は床に伏せてランチャーを放った。目を両腕で覆うと同時に炸裂する閃光弾。絶叫とうめき声。光がやむと隊員たちが一斉に突入した。暴れまわるカラシニコフの銃声。僕もベレッタ二丁を抜いて両手に持った。見えないなりにやみくもに反撃するリーブル軍の手足を狙う。はじけ飛ぶ血しぶき。警報装置が作動し、耳障りなトーンのアラームが鳴り響く。できるだけ犠牲は出さない、というのがミツからの要望だった。前方隊が敵の手足を撃って動きを止め、後方隊が彼らの武器を奪って拘束する。監視カメラももちろん破壊してまわる。

 被弾しながらも一階フロントを突破し、二階から応援にきた別の隊員をエレベーターホールで迎え撃つ。だが敵はサブマシンガンを持っていた。雨あられと飛んでくるフルオート射撃の連続音と銃弾。前転でフロントの影に転がりこんでカラシニコフに切り替え、角から顔を出して撃つ。だが敵の9ミリパラベラム弾に追いつかない。頬を弾がかすめる。僕は銃のマガジンを床へ落とした。硬質の音。敵から奪ったアサルトライフルを撃つ味方の声と薬莢の音。それらすべてに被さる銃声。硝煙の匂い。これがすべてだと思った。何もかも無関心ではいられないのだ。

 新しいマガジンを手のひらでたたきこむとすぐさま攻勢に転じる。すべるように床に伏せて手を伸ばし、足元を撃った。数人の隊員に命中して倒れこむ。頭上を飛ぶライフルの銃弾。首に被弾して即死らしい男がいた。最後に残ったひとりを別の味方がグリップで目尻を殴って床にたたきつける。彼の右手に握られたライフルを僕のほうへ蹴り飛ばし、足の甲を拳銃で撃つ。悲鳴をあげて悶絶する彼の持っていたライフルは、ビニールテープでマガジンが連結してあった。アスペル元帥はそれを抱えて「第三班は敵を一ヶ所へ拘束し、民間人がいないか各部屋をあらためろ、それ以外は二階へ」と叫んだ。

 敵は二百人前後だろうと目星をつけていたが実際はそれ以下だった。二階の警備も一階と同じほどであっけにとられる。僕らが来ることは分かっていたはずだ。専守防衛主義でも人命がからむと武力行使に出るということも。だとすればこの配備は、僕らがほぼ無傷でブラントと対面することになっても準備があるということか、もしくは最初からそれが目的で誘導されているのか、よほど離脱者が多かったのか。そんなことを一次元的に展開して考えながら、ライフルを暴れさせる。

 ラジオ局はそう広くない。一般見学者向けの歴史資料館などがある一階から上はスタジオや控室だ。ここでも数人の敵兵が待ちかまえていて、廊下でいきなり銃撃戦になる。人民軍隊員やミツに比べて、視力に恵まれたぶん体力的に劣る僕は、応戦しながらもミキサー室や収録部屋のドアノブをすべてあけ、民間人がいないか確かめていった。

 レコーディングスタジオのドアを蹴やぶると、悲鳴が聴こえてとっさに銃を向けた。ミキサーテーブルの下に数名の男女が固まっていて、『撃たないでくれ』とユウオウ語で叫んでいる。僕は銃をおろして廊下の状況を確認し『早く外へ』とうながした。

『シラアイ国民評議会です。外で救護班が待機していますので、負傷者は手当てを受けてください。軍委で身柄を保護します』

『なぜ』目尻に涙を浮かべて女性が飛び出してきた。『私たちはユウオウ人なのに』

『評議会は中立組織です。人種は関係なく、人質を奪還しに来たんです』

 女性は泣き出してしまった。他の人たちがテーブルの下から這い出て彼女を慰める。どうしてこんなことに、とうわごとのように呟く彼女を見て、僕は目をそらした。銃声がやみ、二階を制圧したことが無線で告げられる。早い。僕らTPCとは格段に違う。

 他の部屋から救出した人質の民間人が、隊員に誘導され廊下に集まっていた。『さあ早く』彼女たちの背中を押して外へ連れだす。別の班の隊員へ引き渡そうとすると、一緒にいた四十代ほどの男性が『申しわけない』と僕に頭をさげた。

『我々ユウオウ人が、情けないことを』

 それは大統領暗殺を讃えたユウオウ政府のことか、シラアイ在住ユウオウ人による猟奇殺人や犯罪のことか、そもそもなんのことで謝られているのか。僕には分からなかった。だから『あなたは誰も殺してないし、ただ必死で生きているだけだ』とこたえた。

『あなたたちを愛しているシラアイ人が必ずいます。どうかそれを忘れずに』

 笑うことは、できなかった。始終無表情だったと思う。僕らシラアイ人に笑う資格はないはずだ。隊員たちに出口へ誘導される彼がふりかえり、涙目で『私たちを見捨てないでくれ』と叫んだときは、なんとなく力が抜けて立ちつくしてしまった。

 シラアイとユウオウ。諍いの絶えない両国。どれだけの血が流れたかと被害者ぶりを主張するのは楽で簡単すぎるから、彼のように自分の側から謝罪することは難しい。それは国辱扱いとなり自国民から糾弾される。

 人民軍なんて、ネーミングがすでに中立ではない。もしかしたら僕もユウオウ人の共存派に出会ったら謝ってしまうかも知れない。心の底からというよりは、反射的に。

「ぼさっとするな、走れコハク!」

 ミツに頭を叩かれて我にかえる。どんどん上階へ攻めゆく隊員たちのあとに走ってついていきながら、やっぱり戦争なんて嫌だ、と思った。

 そうでなければ今の僕がここにいないことも承知の上で。

 拘束されていた人質は五十人ほどだった。民間人の死者はゼロだ。リーブル軍も想定していた人数かと思えば裏切られ、重火器類が充実していること以外は人民軍が優勢だった。

 もちろん負傷者も出た。被弾し戦闘不能になった隊員はそのまま救護班が回収していった。僕だって無傷じゃいられない、もうすでに傷だらけで血まみれだ。左手を撃たれ激痛のあまりライフルを拳銃に変えざるをえなくなった。銃弾が頭に直撃した敵兵は、脳の破片をまきちらしながら倒れた。真っ黒に染まった服と生肉の臭い。重なる死体。見なれたと言いたくはないが、開戦当初ほどうろたえない自分が嫌だった。生きることに必死で、必死すぎて、路上の死体を見るたび吐いていた。死を間近に感じる今、僕はその屍を生みだす側になっている。

 あれこれと美しい理由をつけても、それは変わらない事実。

 上階に行くにつれ軍勢が厚みを増した。こちらの負傷者も多い。一刻も早くブラントを捕らえなければ、と焦るほど銃身がぶれた。ライフルを抱えて廊下を走り、いくつかの事務室のドアを破って確かめる。が、どこにもブラントはいない。まさかフェイクだったなんてことは、と一瞬嫌な想像が頭をよぎったが、それを打ち破ったのは元帥の声だった。

「非常階段がある、先に行け!」

 片手で銃を撃ちながらもう一方の手の親指で廊下の奥のドアを示す。リーブル隊員は人民軍にまかせて、僕とミツは目で合図しドアの外へ出た。ビルの西側に鉄筋の階段がたてつけてあった。手が届きそうなほど隣の廃ビルが近い。僕らはそのまま上へ駆けあがった。機甲部隊がラジオ局周辺を取り囲んでいる中、地上へ逃げたとは考えにくい。ジグザグに伸びる階段をあがりきると、急に高い建物がなくなって強い風が吹きつけ、目を強く瞑る。だが、そこにいた人物を目の当たりにし、僕はすぐに銃を向けた。

 何もない屋上の真ん中に、車椅子に座った男がいた。リュー・ブラント。直接会うのは初めてだったが、ミツが話していたとおりのイメージだった。年齢より少し老けて見える口ひげ。電話で聴いた彼の声を思いだす。ワイシャツに仕立ての良さそうなスラックスで、ネクタイを風にはためかせたその姿は、裕福な家の出身であり決して馬鹿ではないことをうかがわせる。背後にこちらへライフルを向けたふたりの護衛隊員を従え、ひとりがサチコの両腕をつなぐ鎖を持っていた。二日前と違うワンピースで、目隠しをされているサチコは僕らに気づかない。ヘリのキャビンで撃たれたらしい左腕には包帯がていねいに巻いてあった。彼女の服と黒髪が、風にあおられて舞う。

「ジェネラル・ブラント、いつの間に足を」

 ミツは僕の隣で同じように銃を向けながら、わずかに目を見ひらいていた。ブラントは膝の上で手を組み、切なげに目を細めた。「本当に久しぶりだな」と彼が言うと、電話の声とぴったり重なった。

「大きくなったじゃないか。もう子どもの軍隊だなんて言えないな。四十七人の少年少女たちを大人顔負けの兵士に育て、私たちリーブルにとっても脅威となったその政治手腕、どう形容すればいいやら」

「今は四十八人です。しかし生存者は四人。もう軍隊ではなくただの残党ですよ」

「ミツ、そこにいるのはミツなの?」

 サチコが僕らに気づいて声をあげる。兵士が「大人しくしていろ」と押さえつけようとするが、サチコは怒れる猫のように「うるさい」と叫ぶ。怪我をしたり、精神的苦痛を受けていたらと若干不安だったので、なんだあいかわらずか、と僕は安心してしまった。

「ミツの隣にいる君は、初めてお目にかかるな」

「TPC副指揮官」僕はゆっくりと名乗った。「コハク・ベンディクス」

「よろしく、ミスター・ベンディクス。本当に素晴らしい軍だ。君たちのような若者が一人前に主張を掲げ、茶の間で文句を言うだけでなく行動に移して統治機構に訴えかけた。例え無駄に終わったとしても、その行動力は評価されるべきだ。ベクトルが違うが、私の若いころは経済成長の真っただ中でね、己の出世と保身しか考えられなかった」

「世間話なら戦争が終わったあとに酒を飲みながらしましょうよ」ミツがじれったそうに銃を振って言う。「まして反ユウ派に褒められてもちっとも嬉しくない。交渉に移ります」

「そう焦るな。年上の話には耳をかたむけなさい、子どもたち」

「同じ民族同士で争っている暇はないんです。階下の人質は全員回収した。今は人民軍があなたの部下を拘束している。早く終わらせてお互い家に帰って、クリスマスのシャンペンをあけましょう。時間稼ぎをするなら今ここでサチコを奪還します」

「ひとつ知りたいんだが」

 ブラントは少し、錯覚かも知れないけれど、少しだけ悲しそうな目で、足元にかけたブランケットを引きあげて言った。「なぜミツはTPCを作った?」

 何を今さら、と僕は思ったがミツは違うらしい。急に苦味のにじむ表情になった彼は、持った銃を降ろさないまま視線を落とした。悔しいのか、悩んでいるのか、怒っているのか、分からなかった。

「TPCとは」代わりに僕が紋切り型の返答をする。「震災や戦争で家族を失った孤児たちが国籍血族に関係なく集まり、ユウオウの解放と両国共存を目的とし、過激派による暴動や銃撃戦での被害を最小限に阻止し、民間人の安全を保障し、現政権と両派に抗議する非公認無所属の武装集団です。この戦争の最終解脱は両国共存のみと信じ、それを目指しています」

「世間に名を流していないTPCは、存在が露呈したとき、おそらくそれだけでは批判されるぞ。未来ある子どもたちに銃を与え危険な戦場へ連れてゆくテロリストだと」

「彼らは全員志願兵です。誰も離反しなかった。ひとりとして逃げださず、最後までこの世界の平和を実現させようと戦った」

「恣意的な戦争ごっこで結成されたものではないと。しかし世間はそう見ないだろうな。人の偏った思想と肥大した危機感は、正しいものですら仮想敵であるように見せてしまう。非公表にしていて正解だったな」

 ブラントは眉をひそめてうなる。挙げ足をとって笑うためでなく、純粋にTPCの存在理由を知りたかったことが分かる。が、僕は核心を突かれるのが怖かった。

 結局は人を殺しているじゃないか、と。

「世界の平和なんて、どうすれば実現できるんだ?」

 ブラントが二番目に言われたくないことを言う。全館制圧の合図が無線で飛んできた。ひとりずつ階段をあがり、僕らの背後で銃を構える人民軍の隊員たち。徐々に増える彼らに、ブラントは恐れるようすもない。

「私はどうしても、この状況下で両国共存を掲げることはさらに火種を悪化させ、ユウオウの侵略を許すことになると思うんだがな。甘さにつけこんでくると予測できていて、あえて自国の傷口を広げて何になる」

「当たり前だわ」サチコが噛みついた。「ユウオウの民衆が武装蜂起するほどの怒りをシラアイは買ったもの。大統領は気の毒だったけど、二十年のツケは大きいわ。あれが民族ごと殲滅させる理由にはならないわよ」

「『それが理由にはならない』は、多面的に考えることを放棄した者の常套句だ」

 唇を噛むサチコ。ブラントはゆっくりと車椅子を転がして近づいてきた。両者の隊員たちが一斉に銃を構えなおす。だが丸腰のブラントは僕とミツの二フィートほど手前で車椅子を止め、ため息をついた。彼の座高は低く、銃を持った手が胸のあたりまでさがる。

「私が探しているのは、ただ『橋』だけだ」

 ブラントは淡々と口にした。「橋が見つかれば、いつだってリーブルを解散できる」

「何を」ミツが慌てて言うがブラントはそれを手で遮った。

 そして彼はちいさな声でつぶやく。――君たちだって、家族を失った身だろう。

 ズン、と地面を震わせる低い音があたり一帯を満たした。地上の鳥が一斉に羽ばたく。屋上よりもずっと高い空を目指して。たくさんの拍手がこだまするような銃声。どこかでまた争いがはじまった。何かを求めて。何かを探して。血を流してでも。

「私とて」

 ブラントは一旦地獄へ落ちて帰ってきたような顔で、僕らふたりを見あげた。「ただ理由もなくこんなことをしているわけじゃない!」

 その叫び声と憤怒の表情に驚いて僕は肩を震わせた。一歩後退した足。響きわたるブラントの怒声。

「仕事から帰ってくると自宅が血の海になっていた。愛する妻と三歳になる娘が八つ裂きにされて死んでいた。地獄はさぞ楽園だろうと思うほどの惨劇だった。家族の身体の破片を集めて、集めて、だけどどうしても妻の右手と娘の頭だけが見つからなかった。私がつないだ愛する手は、私が撫でてやったちいさな頭は、もう二度と触れられない! ふたりを殺したのはユウオウ人だった。快楽殺人鬼だ。誰でもよかったと言っていた。いくら妻と娘が悲しむと善人が言っても、だからといって私は愛する家族を無残に殺した奴を生みだした国を見過ごせない。妻も娘も戻ってこないから殺しても無駄だろうが、それは奴が生きていても同じだ。ならば贖罪のために息の根を止めてやりたい。止めろとお前たちが言うのなら、この憎しみと家族を失った絶望をどうしてくれよう? 妻と娘の将来をかえしてくれるのか。私は妻を愛しつづけ生涯を添い遂げるはずだった。娘は学校に入って友達を作り、大人になるはずだった。誰も恨まず、殺人鬼を祝福し、すぐにでも妻子に会いたい気持ちをこらえて寿命まで生きながらえろと!? 私はユウオウがシラアイに対して長年つづけた暴虐を謝罪すると言えば、妻と娘に会いに行くつもりだ。もう一度、幼い我が子を抱きしめ妻にキスをしてやりたい。襲われたとき、どんなにか怖かっただろう。逃げ場を失った絶望の声が今も聴こえてきそうだ。私があの場にいれば命を賭けてでも守ってやったのに、なぜ私はここに生きている! なぜユウオウ人がこの国にのさばる! もう二度と、同じことをくりかえさせない!」

 ブラントは車椅子から身を乗りだしてミツの胸倉をつかんだ。ライフルが床に落ちる。

「私のような人間が大勢いるシラアイで平和を祈る理由こそ問いたい。それは中立と言い張りながら犠牲者を出す共存派の残酷な仕打ちか! 占領していたのだから諦めろなどと言うつもりか? 口を半開きにしたまま死を享受するのか? 君は平和という清潔な免罪符の元に人情と命の重みを葬り、不都合な現実から目をそむける偽善者ではないのか!」

 ミツが首を絞められて顔をしかめる。僕は銃のグリップで彼の右腕を打ち、手首をひねろうとつかんだところ、突然脇腹を殴られたような衝撃があった。腰を曲げてその場に倒れこむ。呼吸が止まり、内臓を無造作にかきまわされているような感覚に吐き気がした。ミツが僕の名を呼んでしゃがむ。そこでようやくブラントの護衛兵に腹を撃たれたのだと分かった。防弾チョッキを貫通こそしなかったものの、拳銃一発の衝撃は大きく、激痛が走る。心臓が早鐘を打ち、血圧が一気に上がって身体が熱くなる。口の端から唾が垂れる。

 呼吸が徐々に戻ってきて咳きこむ僕に、右腕をおさえたブラントが頭上から「悪循環だと批判するか」と言い放った。「だが、主観が基準の善意で人の痛みを駆逐できると思いこんだ傲慢な人間は、いずれ淘汰されて然るべきだろう」

 ブラントの背後にいたサチコが音だけで状況を把握したのか、鎖を持っている男の股間を裸足で強く蹴った。よろけるサチコに銃口を向けようとする別の護衛ふたりを、構えていた人民軍の隊員たちの数人が撃つ。弾は両者の足に命中し、隊員たちによって銃を奪われ拘束される。駆け寄ったミツがサチコの目隠しをはずし、安全を確認するように抱きしめた。鎖を解かれ自由になったサチコは、脇腹を押さえて立ちあがる僕を見て「コハクは体力がないんだから」と場違いなことを叫ぶ。苦笑いをするしかない。

 隊員たちが地上の機甲部隊に無線で連絡をいれる。これでラジオ局内に残ったリーブル軍はブラントだけになった。その状況に接してなお彼は車椅子の上で整然としている。全隊員に銃を向けられても武器を出す気配すらない。

「橋を見つけよう」

 ミツがつぶやいた。「そうすれば、平和な未来だって夢物語じゃなくなるんだ」

 たった十二歳の女の子が、傷つくことを恐れず願いつづけたことが。

 共存派だろうが過激派だろうが、ユウオウ人だろうがシラアイ人だろうが、誰しもがしあわせに生きることを渇望している。誰も祈らなくなってしまえば、希望や平和の存在そのものがいずれ失われてしまう。

「詭弁だ」ブラントが呆れたように一蹴する。「ただ願うこと以上にすべきことが山ほどあるだろう。自分の人々のしあわせと今の平穏を維持すること、そのための行動」

「願いを欠いた行動なんて成果を得られない。最も悲しいのは、希望を捨てることや、誰かの希望を踏みにじることと同等に、『くだらない』と人を鼻で笑い、はじめから諦める理由を探して絶望することが正しいと思うことじゃないか」

 だから僕らは祈りつづけてきた。僕は心の中でミツの言葉に付け加える。何よりも忘れていなかった、死んだ者たちの墓標。

 正義をかかえて散った子どもたちに捧げる鎮魂歌だ。

 今ここにいるんだと、神の世界へ聴こえるほど大きな声で、高らかに。

「僕はあまりにも幸運でした」

 銃をおろし、僕は言った。もう僕はいっさいの武器を捨ててもよかった。ミツが、サチコが、泣きだしそうな目で僕をじっと見ている。車椅子の上のブラントは俯きつづけ、僕に目を合わそうとしない。

「あなたは反シラ派にとって、大統領の支持者にとって、正義の味方だ。僕らは国家に危険を及ぼす売国奴だと言われてる。正義の形は、違わないほうがおかしいんです」

 また、爆発。どこかで黒煙があがり、暴動の声が屋上へ届く。大陸のどこかで、あるいは世界の裏側で、レコードの針が折れてしまう。

「あなたの願いをなかったことにはしたくない」

 だからもう、やめよう。あなたが守りつづけてきたことは間違っていない。

 その言葉が喉の奥につっかえた。奥歯が鳴る。僕は彼の家族のことを何も知らない。政府や諸外国の支持を集め、テロリストと組み、これだけの死者を出した彼に、武装蜂起した一民衆の僕が言えるのか。逡巡しているあいだにサチコが立ちあがり、白いチュニックをはためかせながら叫んだ。

「私たちができる追悼は、ただ『忘れない』ことなの」

 ブラントは頭を垂れたまま振りかえらない。彼が泣いたらどうしようと思った。サチコはひたひたと屋上を横ぎりながら言葉を、ひとつひとつ大切に、いつくしむように紡ぐ。

「あなたにそれほど愛された奥さんとお嬢さんが、とってもうらやましい」

 僕の隣に立って、撃たれた箇所に防弾チョッキの上からそっと触れる。まだ少し痛んだ。

「こんなことをしてもふたりは喜ばない、なんて言わない。でも、あなたが自分を追いこんで苦しんでいることをきっと悲しむわ。その痛みをとにかく忘れたかったのでしょう? そうしないと耐えられないほど、ふたりに大きな愛を捧げていたのでしょう?」

 間違ってない。間違ってないんだ。しあわせでありたいとみんなが願うから。

 ブラントはゆっくりと顔をあげてサチコを見た。ぼろぼろに傷ついた父親、そして夫。昨日、僕に噛みついたときのミツと同じ目をしていた。

 違う違うと言いながら、それでも最後にはひとつに結びついた。世界じゅうのあらゆる人が同じ痛みを持っていた。同じ願いを持っていた。僕もそのひとりだ。もっと時間があれば、些細な違いを埋めることができたら、こんなふうに銃を向けることだってなかったのかも知れない。僕は無力だ。

 ―――どうか、しあわせを祈りつづけて。

 サチコはそう言うと背後にいる人民軍隊員の列のあいだに割りこみ、非常階段からあがってきたカイの手を引いた。カイと一緒にいた隊員は大きな機材を脇にかかえていた。上部に取りつけられたマイクを見て、ブラントが目を見ひらいた。それはラジオ放送に使う製作用無線機だった。

「会話の内容はすべて全国中継されました」機材を持った隊員が言う。「おそらくどこかが回収して、世界じゅうに放送されるでしょう。ジェネラル・ブラントの家族のことも含めて」

 ブラントはしばらくそのまま硬直していたが、やがて放心したように車椅子に背中をあずけた。自嘲的な笑みを浮かべている。彼の目はまっすぐに、青空へ向かっていた。何を見ているのだろう。そこにかかっている大きな架け橋が、妻と娘の笑顔が、彼には見えているのだろうか。空へ飛んでゆく鳥たちと爆撃の音。つながるようにこだまする銃声。ミサイルの軌跡。雲の上を走り抜けるように、地平線の向こうまで、音が、飛ぶ。

 サチコの手を離れて、カイがゆっくりとブラントの足元へ歩いていった。彼女の手にはTPCの色紙がにぎられていた。子どもたちの名前と血判が、結成当時と同じままに残っている。カイはそれをブラントの膝に乗せた。破壊され、人々が死に、銃弾が飛び交う町にも咲く強い花を、彼女はいくつも知っていた。ブラントが呆然と色紙を見ている。突如与えられたちいさく儚いものに、どう触れたらいいか分からないようだった。

『ごめんなさい』

 カイの声がうわずった。大きな目から信じられない量の涙がこぼれた。彼女は泥まみれの手でそれを拭いた。何度も、何度も。

『ごめんなさい』

 悲痛な叫びが屋上に響く。いちばんちいさな彼女だけが、他のあらゆるものと比較にならないほど大きかった。末代まで忘れられそうになかった。声のひとつひとつが、優しいはずなのに、痛い。彼女は何度も謝った。僕らよりもたくさんのことを知っているから、謝った。ピアノの蓋を叩きつける音を思いだした。すべての悲痛な音をさらってしまう、音。カイは顔をぐしゃぐしゃにゆがめて、ちいさな声でつぶやいた。

 ――もう、私とおじさんは、仲良しになれないんだね。

 じゃれあいながら、ころがりながら世界へ放たれた言葉がある。当たり前のようにそこにあって、だから少し口にするのをためらうような、それでも誰しもに見えている祈りの言葉。この世界はあまりにも汚いものが多すぎて、後ろむきな言葉が多すぎて。居づらくなってしまったその言葉たちを、僕らはうつくしい音楽に変えて慰めてあげないといけない。痛みを苦笑いで上塗りして歩きつづける必要はない。蔑まれようが貶められようが、最後には死のうが、僕らがあの白いグランド・ピアノの音を覚えているかぎり、笑っていられる。組曲は世界をめぐる。レコードはまわりつづける。何百もの鐘の音が、はじまりの合図だ。

 何も恐れることはない。僕らは必ずここにかえってくるから。

 気がつけばブラントも泣いていた。悲しみを幾重にも上塗りしつづけた頬に、カイと同じほど透明な雫が伝った。顎から落ち、ブランケットに染みこむ。僕はもう、動けなかった。ふたつの国をかつてつないでいた指先は、もう二度と触れられることがないと思っていた。だけどブラントが手を伸ばし、カイの頭を優しく撫でたとき、ああ、これだ、と思った。本当は誰も追いつけない早さだから見えなかっただけなんだと。雨粒が落ちるようなメロディーを、神が与えた音楽を浴びながら走っていたんだ。天使の梯子から舞いおりる音のかけらが世界のあちこちに散らばって、いくつもの種を瓦礫の隙間に埋めた。その花を咲かせるために雨が降り、太陽がかがやき、地球が巡る。誰かの笑顔を覚えている。

 民衆は確かに銃を選んだ。その手に友人と家族と子どもたちの写真をにぎりしめて。親を亡くした子供たちが、自分のような子どもを二度と増やさないために戦い、笑って天国で家族と再会するためにTPCがあったのだとしたら。

 忘れないでいよう。何もかもを。

 カイの頭を撫でていたブラントの手が、彼女の頬の涙を拭った。乾燥してひび割れ、痛々しいほどに傷だらけの彼の指。カイはその手をつかんで額に押しつけた。祈るように、願うように。僕らが持ちえない力でもって。

「胸を張れるだけの強さが、私にもあればよかったんだがな」

 ブラントはそうつぶやくと彼女の手から逃れ、そのまま腰にさしていた拳銃をとった。僕はあわててカイを後ろから抱きベレッタを向けたが、ブラントの銃は僕の予想に反しゆっくりと、彼の目尻を示した。

「よせ!」

 僕がブラントの腕をつかむより一瞬早く、トリガーが引かれた。耳を壊しにかかる爆音と血しぶき。体液と硝煙の臭い。ぐらりと傾いだ彼の痩躯は前のめりになり、膝に頭をつく寸前で動きを止めた。ブランケットが黒く染まってゆく。僕は糸が切れたように泣きだしたカイの目を手で覆った。ミツが悔しそうに舌打ちして目をそらし、サチコは膝から崩れ落ちて顔を両手で覆いすすり泣く。人民軍隊員たちが息を詰め、銃をおろす。ブラントの左手には、しっかりと色紙がにぎられていた。

 幼いカイが泣き叫ぶ声が、美しい青空を串刺しにした。世界はこんなことのためにあるわけじゃない。もっと何かが、どこかが。もっと、もっとたくさんのものが、間違っていなかったんだ。正しいことがたくさんあったはずなんだ。だけどどうして、僕らは今も誰かの血を浴び、涙を流し、子どもたちの悲痛な叫びを止められずにいるんだろう。戦争が一体何を生んだというのだろう。僕らにとって戦争は何のためにあったのだろう。家族を奪われた僕らにできることと言ってせいいっぱい生きてるつもりで、僕らは一体どんな高尚なことをしたのだろう。子どもたちが笑っていられるようにと願っていたはずなのに、うまくいかないように神様が最初からはからったように、不条理にまわりつづける。そうじゃなかった。最初はそうじゃなかった。誰かがそうじゃなくしてしまったんだ。悔みつづけることが無意味だと分かっていても、僕は泣きたかった。だけど死ぬ気でこらえた。代わりに叫んだ。嗄れるほど叫んだ。ブラントの声はラジオを通してこの国に、未来に何を残すのかと思った。何か意味のあるものだったのかと思った。そうであって欲しいと願った。だって僕は一瞬でも、確かにブラントと同じ願いを共有していたから。僕らはうまく生きられない。友達も家族もみんな一緒になって、ただ屈託なく笑える世界が勝手にそこにあるわけがない。だから願った。求めた。夢見た。実現させようとした。屍の上に生きた。血にまみれた手ではもう誰も抱けないと諦めた。そのかわりに死ぬつもりで戦った。戦っている自分だけが真実だった。こうでない自分の姿は想像できなかった。銃を片手に廃墟に立ちつくして、馬鹿のひとつ覚えのようにしあわせを祈った。世界がなんのためにまわりつづけるかって、僕らが自分の笑顔に誇りを持っていられるようにだろう?

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