思考の欠片

水城しほ

ショートショート

ノック・ノック・ノック

 中学三年生のとき、同じクラスに田端くんという男の子がいた。

 成績優秀でスポーツ万能、くっきり二重にサラサラ栗毛のイケメンという、少女マンガの王子様を抜き出したような人だった。

 ただ、彼には一つだけ問題があった。

 大して親しくないうちは人当たりが良いのだが、一度自分より格下だと認定した相手には、彼はどこまでも冷たかった。


 何がキッカケだったのかは知らない。

 私が単に、クラスに友達がいなかったせいかもしれない。

 彼と同じ班になった二学期、私は彼の標的になった。


 彼は私の席の後ろを通る時、机に伏せて寝ている私の背中を必ず叩いていった。ご丁寧に握りこぶしの中指だけ尖らせる念の入れよう。叩かれる度に文句を言っても、笑いながら「んー?」と言って逃げて行くだけだった。

 クラスの男子は面白がり、女子は「田端くんに構われている」というだけで私を敵だと認定し、いよいよ私はクラスで孤立してしまった。

 学校行くの億劫だなぁ、とは思っていた。だけど「休んだら負けだ」という謎の理論で、私は毎日欠かさず登校していた。


 その日も私は、全力で一人ぼっちだった。

 教室に入って自分の机に荷物を置くと、一人の男子が駆け寄ってきた。田端くんと仲の良い村松くんだった。もちろん私とは欠片も親しくなんてない、むしろすれ違いざまに罵ってくるような男だ。私は当然身構えたが、同じレベルに落ちたくないとも常々思っていた。

「おはよう」

 普通に挨拶してやると、彼は変な顔をした。当然だ。クラスの皆は、何事かと遠巻きに私たちを見ている。何も言わないので、私は着席して鞄の中身を引き出しに詰め始めた。

「……お前さぁ」

「何ですか」

「ちょっと田端に好かれてるからって、調子のんなよ!」

「は?」

 何を言われているのか、全く理解できなかった。ただ彼は本気で言っているらしく、心の底から鬱陶しいと言わんばかりの顔で私を見つめていた。

 クラス全員の視線が集中している。田端くんはまだ来ていない。私は混乱して、そしてようやく搾り出した結論は「ここで田端くんの株を下げても良い事はない」だった。

「あのさ、それ、田端くんに失礼なのでは? 私なんかを好きだなんて、あるわけないじゃないですか、ねぇ、あはは」

 そう言って周囲を見回したものの、同調してくれる人などいるはずもなく。睨み付けてくる女子の視線に耐えかねて、私はもう一つ、ダメ押しをした。

「田端くんの目が腐っているとでも言いたくて、わざわざそれを朝っぱらから?」

 彼は、何かを言いかけて黙った。クラスのみんなも、私じゃない何かを見ていた。


 振り返ると、教室の入口で、田端くんが固まっていた。

 明らかにショックを受けています、と言わんばかりの表情で。

 そんな彼の顔を見たのは、初めてだった。


 私は、彼に同情した。そりゃ田端くんのノック(と、彼が言った)には恨み辛みもあったのだが、だからと言ってこんな公開処刑はあんまりというものだ。女子に「王子様」とまで言われている彼が、クラスで孤立している女を好きだなんて噂、そりゃあショックだろう。

「ほら、田端が変なちょっかいかけるから、妙な誤解されてるじゃん。二度としないでよね」

「あ、ああ……わかった、もう、しない」

 彼は腑抜けた顔でそう言って席に着き、駆け寄った村松くんの頭をすぱん、と盛大な音を立てて叩いた。クラスの女子は、私を見ながらヒソヒソと何かを話している。

 いたたまれなかった。

「ほ、保健室行ってくる、なんか気分悪いし」

 隣の席の坂本さんにそう告げて、私は教室から飛び出した。


 ――本当は好きだったのだ、私だって。

 休み時間が来るたびに、一人ぼっちで机に伏して寝たふりをするよりも、彼に背中を叩かれて「やめてよねえ」なんて怒っている方が、楽しかった。

 彼としか会話をせずに帰る日だって、珍しくなかった。

 私が本当に具合の悪い時には、彼は絶対に何もしてこなかった。何より彼は、いつだって笑っていた。

 きっと、彼は、私を一人にしないようにしていた。

 きっと、彼は、本当にわたしのことが――。

 今更気付いても、遅かった。私の背中がノックされる事は、二度となかった。


 心をノックされたのはそれから五年後だけど、それはまた別の話。

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