353話 高月マコトは、女神サマに怒られる

「ね~、マコト?」

「は、はい。ノア様……」

 ジトッとした蒼く透き通った瞳が俺を見下ろす。


 ここは海底神殿の最奥。

 女神ノア様の私室だ。


 俺はノア様の正面で正座をしている。

 白く美しい足が眼の前で組まれている。

 ちらりと見える太ももが眩しい。


「どこみてんの?」

「ノア様の足です」

「あら、そう」

 というとわざとらしくノア様が足を組み替えた。


「で、マコト」

「は、はい」

 ノア様の声からは、これ以上ないほど「機嫌悪いんですけど」という感情がこもっている。


「私に会いに来るのが遅くない?」

「いえ、これには色々と事情があってですね……」

「知ってるわよ。視てたんだから」

「視られてましたか」


 封印が解けたノア様の神力は、全宇宙の支配者である太陽の女神アルテナ様に匹敵する(らしい)。

 今のノア様の神眼は全宇宙のどこに隠れていても見つかるとか。


 というわけで、俺がどこで何をしているのかは、全てノア様に『まるっとお見通し』されている。


「ヤキモチ焼くくらいなら、ずっと側に居させればいいのに」

 少し離れた位置から呆れたような声と、カリカリというペンが走る音が聞こえる。


運命の女神イラ様、海底神殿にいらっしゃったんですね」

「自分の部屋でずっと仕事していると息が詰まるのよ。たまには息抜きしないと」

「なんでこっちにくるのよ」

 ノア様が小さくため息を吐く。


「海底神殿は、ノアを怖がって口うるさい太陽の女神アルテナ姉様の天使たちが寄り付かないもの」

「ノア様って天使から怖がられてるんですか?」

「ん~、というより天使と精霊は仲が悪いから、精霊たちを面倒みてる女神わたしとは相性が悪いってところかしら」


「へぇ。でも、イラ様の部屋でも天使って見たことないですよ?」

「うぐ……、それは……」

「イラの職場がブラックすぎて、巻き込まれたくないから天使が寄り付かないの」

「聞こえないー! 聞こえませんー!」

 イラ様が自分の耳を塞いでイヤイヤしている。

 そういえば、以前そんなことを言っていた気がする。


 じゃあ、別に海底神殿に来なくていいんじゃん、と思ったがイラ様的には気分転換がしたいらしい。

 常に忙しそうだからなー、運命の女神様。


「イラ様、何かお手伝いしましょうか?」

「えっ? いいの!? じゃあ、あっちの書類の山とこっちの書類を分類して……」

「ちょっと、何を勝手に話を進めてるのよ、マコト」

 ノア様の説教を逃れようと、イラ様の手伝いを申し出てたらノア様もこっちにきた。


 あまり興味なさそうだったノア様が、ぴらりと一枚の書類を手に取る。


「ふーん……、時空間の歪みの対処方針について、ねぇ~。こんなの直接見に行けば早いんじゃないの? イラ」

「直接って……私たち女神が地上に降りるわけにいかないでしょ。現地調査は天使の役目なんだから」

「でも、天使からの報告書でよくわからないから悩んでるんでしょ?」

「まぁ、それは、そうなんだけど」

「まどろっこしいわねー、こんなのすぐ終わるのに」

 ノア様とイラ様の言葉を聞いていた俺は尋ねた。


「ノア様も手伝ってくださるんですか?」

「いいわよ、暇だし」

「ありがとうございます」

「えっ!? ノアが!?」

 俺はお礼を言い、イラ様はびっくりしたのか眼を丸くする。


「よーし! じゃあ、さっそく現場を見に行きましょうか☆」

 ノア様がすくっと立ち上がり、いつの間にか俺の手を取っていた。

 柔らかな手に掴まれ、ドキッとする。


 俺たちを見て、イラ様が慌てて近づいてきた。


「ちょっと、ノア!? あんたまさか本気で地上に降臨する気? 許可とってないでしょ!?」

「へーきよ、バレないようにすれば」

「絶対にバレるわよ。アルテナ姉様のところの天使が、常にこの星に異常が無いか見張ってるんだから!」

「余裕余裕」

 ノア様は俺の手を掴んでいるのと、反対の手でイラ様の手を取る。


「じゃあ、しゅっぱーつ☆」

「ちょっ!? なんで、わたしまで!?」


 次の瞬間――目の前の景色がぼやけ、俺たちは空間転移テレポートした。




 ◇




 眼下には、一面に大きな森が広がっている。

 その上空に、俺とノア様とイラ様は浮いていた。


 ぱっと見は、木の国の大森林のように思えた。


「ここは一体どこです? ノア様」

「んー、時空の歪みが発生している場所らしいけど……どこかしら?」

「うそー! ちょっと、何をやってるのよノア! なんで運命の女神わたしまで地上に連れてくるの!?」


 俺は一枚の書類を眺めているノア様に尋ねた。

 イラ様は手足をバタバタさせて騒いでいる。


「別に騒がなくても、私たちの周囲の時間は止めてあるから」

 ノア様が言う通り、周りの時間は止まっていた。


 ――風がない。

 ――生き物の音がしない。

 ――全てが静止していた。


(どうやったらこんなことが……)

 神族になったはずなのに、未だにノア様の奇跡まほうについては何も理解できない。

 俺がノア様のほうに視線を向けると。



「ねぇ、ここってどこかしら?」

「         」


 ノア様が『誰か』に話しかけている。


 そこには誰の姿もない。



 けど、――居る。



 気配も、声も、息遣いもないが、確かに何者かが。


「ふーん、ちょっと時間が違うみたいね」

 パチン、とノア様が指を弾くとふたたび目の前の景色がぼやけた。




 ◇




「ここが原因みたいね」

「え?」

「ここって……」

 景色がはっきりした場所をみて、俺とイラ様が顔を見合わせる。


「ありがとうね~」

「       」

 ノア様はやはり、俺には視えない誰かと話をしている。


 そこには大きな湖が広がっている。

 そして、崩れた大きなお城。


 見覚えがある。


 というより、忘れようがない場所だった。


 魔王と戦った地。


 不死の王ビフロンスの居城跡だった。


 だが、それは現在にはもう無いはずだ。

 千年後において、そこは『魔の森』や『魔王の墓』と呼ばれていた。

 そして、不死の王の城があるということは……


「の、ノア~!! あんた時間転移タイムジャンプしたの!?」

「さあ? 時の大精霊ちゃんに、時空の歪みが大きい場所を教えてもらっただけだから」

 二柱の女神様の言葉で確信する。


「ノア様、もしかしてここは千年前なんですか?」

「みたいね」

 ノア様がこともなげに言う。


(じゃあ、ここにはいまアンナさんが……)


 すぐ近くにいるはずはない。

 けど、思わず周りを見回した。



 その時、コン、と指でノア様に額をつつかれた。



「ダメよ、マコト」

「ノア様……」

「千年前に行って、聖女ちゃんに再会する それは自力で達成することが運命の女神との約束なんでしょ?」

「そう……です」

 俺は頷いた。


 千年前に戻ってアンナさんと再会する。

 そのために、運命の女神様といくつかの約束がある。



 1)自力で時間転移をすること

 2)過去の歴史に一切の干渉をしないこと

 3)他の神々にバレないようにこっそり行くこと



 ということなのだが、今のところ目処は全く立っていない。

 水の精霊の時は、少しずつ成長できている実感があった。


 けど時の精霊は、とにかく扱いが難しい。

 それでつい、焦りが出てしまった。


「気長にやりなさい」

「はい、ノア様。ありがとうございます」

「ちょっと、何を呑気に話してるのよ! さっさと戻るわよ! こんなところを太陽の女神姉様に見つかったら大変!」

 イラ様がノア様と俺の腕を引っ張る。


 ノア様はそれを意に介さず、キョロキョロと周りを見る。

 そして、何かを見つけてにっ、と笑った。


 ぱちん、と指を弾く。


 一瞬で景色が切り替わる。


 今度は空間転移だ。


 さっきより地面が遠い。


 崩れた魔王城が、足元に小さく見える。


 どうやら、さっきのはるか上空へ転移したらしい。


「ほら、みなさい。マコト」

 ノア様が眼の前を指差す。


「これは……」

「時空の歪! こんな大きなっ!」

 俺とイラ様が驚く。


 それは空に浮かぶ、大きな黒い穴だった。


 全てを吸い込む、光すら通さない黒い大穴。



「そんな……一体どうして……」

 イラ様が呆然としている。


「これって普通は無いんですか?」

「そうよ! こんな巨大な時空の歪が自然発生することはあり得ないわ! この規模なら誤って別の世界の者を引き寄せてしまうかもしれない。すぐに塞がないと」

「その前に原因を調べたら? 過去視をすればすぐわかるでしょ? イラ」

「そ、そうね。ノアの言う通りだわ」


 イラ様がじぃーっと、黒い穴を見つめる。

 それだけで過去視れるんだ……。

 もちろん、俺はできない。


「原因わかりました? イラ様」

「ちょっと、待ちなさい…………げ」

「どうしました?」

「………………」

「イラ様?」

 過去を視ているはずのイラ様が固まった。


「どうだったの~、イラ」

 ノア様がなぜかニヤニヤした顔で聞く。


「……高月マコト」

「はい」

 イラ様が真剣な表情でこちらを見た。

 そしてゆっくりと口を開く。


「ここにある巨大な時空の歪みの原因だけど……原因は運命の女神わたしと『とある人間あんた』の同調よ」

「げ」

 思いっきり自分ごとだった。


 不死の王と戦った時の、イラ様が降臨した運命の巫女さんとの同調。

 それが原因だった。


「ふむふむ、天使からの調査報告書によると『このような巨大な時空に歪みができたのは自然現象ではありえないため、歪を修正する前に原因調査が必要と考え運命の女神様に対処方針を相談いたします。ご指示をお願いします』だってさ。原因がわかってよかったわね☆イラちゃん」


「うっさいわよ、ノア! この件は極秘で内々に処理したのにー!」

「できてないじゃない」

「ううー」

 運命の女神様があたまを抱えている。

 俺にも責任の一端、というか半分以上は俺のせいな気がする。


「ど、どうします? イラ様?」

「えっとぉ、なんとかしないといけないんだけど、この場で奇跡まほうを使っちゃうと天使に観測されるし……う~、どうしよぉー」

 イラ様が腕組みをして難しい顔をしていると。


「なんとかしてあげよっか?」

 ノア様が悪い顔をして言った。


「で、できるの?」

「まあね☆」

「………………」

「やっちゃっていい?」

 ノア様の言葉に、イラ様が眉間にしわをよせる。

 悩んでいるようだったが。


「お、お願いします」

 最後は折れた。



「じゃ、貸し一つね☆」

「う……、ノアに借りかぁー、怖いなー」

 イラ様の顔が引きつっている。



 ノア様はそんなイラ様を気にせず、優しい笑顔で周囲を見回す。




 ――星の精霊ちゃん、時の精霊ちゃん、太陽の精霊ちゃんたち、お願いがあるの




 歌うようなノア様の声が響く。


 魔力マナ霊気エーテルは感じない。


 女神であるノア様は、神気を使うのだから当然だ。


 だが、俺にはノア様の神気アニマも感じられなかった。


 蟻が象の背に乗っていてもそこが地面なのか区別はつかない、それと同じなのだろう。


 巨大過ぎる女神様の神気アニマは、きっとこの星全てを覆っている。


 ふと隣を見ると、運命の女神様が青くなっていた。




 ――お願い……この世界の記憶を




 ノア様の言葉を聞いた瞬間、意識が混濁して俺は気を失った。




 ◇




「……あれ?」


 気がつくと海底神殿だった。


 どうやら眠っていたらしい。


 さっきまで外に居たはずだけど。


「たく、女神の前で優雅に昼寝とはいい身分ね。高月マコト」

「イラ様……俺っていつの間に寝てました?」

「ええ、さっき海底神殿に来てノアに説教されたあとに、昼寝してたわよ。図太いわね」

「……そうですか」


 ダメだ思い出せない。

 いつの間にか、寝てしまっていたらしい。


 しかも、どこにもでかけてないと。

 じゃあ、ノア様とイラ様と一緒に時空の歪みを見たのは夢だったのだろうか。


 にしては随分とリアリティのある夢だったが。


「あー! もう全然仕事が片付かないんだけどー!」

 イラ様が書類の束に囲まれている。


「なんでこっちにくるのよ」

 ノア様が小さくため息を吐く。


「海底神殿は、ノアを怖がって口うるさい天使たちが寄り付かないもの」


 ……なんだか、この会話に既視感が。


「あー、高月マコト! 起きたなら、珈琲入れなさいよ、有り有りね!」

「ねぇーマコトー、私も紅茶淹れてねー」

「わかりました、女神様」

 俺は二柱の女神様の命令に従う。


 ノア様が愛用しているティ◯ァールの電気ポットのスイッチを入れた。

 湯を沸かしている間に、珈琲と紅茶の準備をする。


 イラ様には濃いめ。

 ノア様は一杯目は薄めが好みだ。

 準備ができて、それを二柱の女神様のところへ持っていった時。


「あー、なによこれ」

 イラ様が一枚の書類を見て、文句を言っている。


「どうしたんですか?」

「ほら、見てよ。『時空の歪みにおける報告書の』だって」

「…………え?」

 俺はその言葉に、危うくカップを落としそうになった。


「先日報告した『時空の歪みは、誤観測でした。もうしわけありませんでした』だって。まったくしっかりしてよねー。あ、珈琲淹れてくれたのね。ありがとうー、高月マコト」

 イラ様は俺の動揺を気にすること無く、カップを受け取って美味しそうに珈琲を飲んでいる。


「マコト、紅茶ありがと」

 ノア様は意味ありげな笑みを浮かべ、カップを受け取った。


 その笑顔で確信した。


 さっきのは夢ではなかった。


 ノア様の言葉を思い出す。




 ――この世界の記憶を上書きして




 ノア様は言った。

 この星を監視しているという天使の目すら誤魔化せると


 それどころか、運命の女神様の記憶からさきほどの件が消えている。


 しかし、だったら……


「どうして、マコトは覚えているのかしらねー」

 ノア様の言葉に、びくりと震えた。

 心が読まれている。


「ん? どういう意味、ノア?」

「別に何でもないわよー。それより水の女神エイルからもらったお菓子があるから分けましょ」

「いいわね! 休憩よ、休憩!」

 イラ様はあっさりと流された。


 俺はお茶会をする女神ノア様たちを眺めながら思った。


(……世界を上書きする奇跡まほう


 我が主神あるじながら恐ろしい。


 この女神様ひとが味方でよかった。


 心底そう思いながら、俺は自分用に入れた薄めの珈琲をすすった。

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信者ゼロの女神サマと始める異世界攻略 クラスメイト最弱の魔法使い 大崎 アイル @osaki_ail

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