異世界に転生して60年がたった。

湫川 仰角

私たちの道標


「そろそろ始めよう」

 尖った帽子を目深に被った老婆が告げる。


「うん」

 鬱蒼とした森の中。私と老婆の前に、電話ボックス程のガラス張りの箱が鎮座していた。


「電話ボックスってまだあるのかな」

「またお前の世界の話? 何年経ってもまだ知らない単語が出るとはね」

「詳しく話そうか」

「今更いらないよ」


 私が箱の中に入ると、老婆の声が響いた。

「聞こえるか?」

「良好」

 外部の影響を減らすための隔離。少し息苦しいが、問題はない。

「この歳でこんな大掛かりなことをやるとはね。もっと若い頃にやりたかったよ」

「若い頃は未熟で出来なかったよ」

「うるさいね」

 今や大魔術師の彼女も、出会った時は魔道書片手に初級魔術を試し撃ちする見習いだった。


 通学路で車に轢かれ、気付くと私はこの世界にいた。それから60年。17歳だった私は、77歳になった。


 長い時間をかけ、私と彼女がやっと導き出した帰還方法。

 それは、この世界に来る前に私自身を巻き戻すこと。若返りを繰り返し、そのままこと。


「この世界に来た17歳より前に戻れば、お前はこの世界から弾き出され、元の世界に引き戻される」

「上手くいくかな」

「駄目なら戻ってくるだけさ」

「その時は17歳からやり直しか」

「かもね。いいだろ、誰もが憧れる不老の端緒だ」

「冗談じゃない。若返りきるまでどれくらい?」

「指折り5回ってとこかね」

「……5分くらいか」


「じゃあ始めるけど、いいかね」

 準備を終えた老婆が私に問いかけた。

「何が」

「伴侶との最後の別れだよ」

「とっくに済ませた」

「……すまないね」

「今更」


 隣国との戦争、武装蜂起、内戦。この世界は争いの連続で、その全てに私は関わった。

 あの人と出会ったのは、最初の争いに首を突っ込んだ時。5つ年上でいつも先輩風を吹かせてきた。最初は煙たかったけど、死線を潜り背中を預け合ううちに、惹かれあった。


 健脚を誇り、雷光なんて呼ばれて照れる顔。遊撃隊の指揮官として勇壮を誇った背中。

 楽しい日々だった。異界に投げ出され、ひとりぼっちの私がやってこられたのは、あの人がいたからだ。

 

 その最愛の人も4年前、78歳で亡くなった。


 全てが懐かしくて、遠い。


 箱が眩い光に包まれ始め、足元からは轟音が響く。

 私はそれに負けぬ声で叫んだ。

「あのさ!」

「何!」

「ペンダント! 向こうに持っていけるかなぁ!」

「懐かしいね! まだ持ってたのか!」

「幸運をくれるから!」

 初めて会った時に貰ったペンダント。

 幸運が付与されたこれを巡って、私と見習い魔術師、そしてあの人の物語は始まった。


「おい!」

 今度は老婆の怒号が轟いた。

「なに!」

「もし戻ってきたら、私の所に来な!」

 激しい閃光で姿は見えないが、その声は微笑んでいた。

「そうさせてもらう!」


 60年かけて馴染んだ私の存在が、たった5分で再び異物へ。


 視界が白く埋め尽くされる中、ペンダントを持つ手は暖かい。


 その心地よいぬくもりが、私たちの道標だった。

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異世界に転生して60年がたった。 湫川 仰角 @gyoukaku37do

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