一話目 「邂逅」
特に語ることもない受験生活を経て入学することとなった高校において、私は第二学年としての最初の日を迎えた。
そんな日くらいは気持ちよく迎えたいところだったが、太陽に負けじと流れだした汗が学校へと歩む私の背中とシャツの接着を始めており不快でしかない。春でこの調子では夏は暗晦な気分になりかねない。いや待て、去年の記憶はどこへいったと思い返してみるも、不思議なことに暑さに呻いた覚えなどなかった。それもそのはず、昨年度末までは最寄りの駅から学校までバスに乗れていたのだから、太陽に照らされ制服をしっぽり濡らしたりしなかった。そんなバスの定期券も今年度からは失われ快適な通学は最寄り駅までとなり、これから二年間の可能性を秘めた朝のウォーキングを継続していかなければならないのかと思うと、血流促進による本業の効率化などの利点以外は気分を更に重くするだけだった。
そうして、新しくホームルームを行う教室、もとい既に休業を返上しての春期講習の最終日に使った教室の空気調和が施されていると信じて辿り着くも、校長の指示なしで空調機が稼働しているわけもなく、疲労感だけを募らせ私は着席するのだった。しばらくすれば新しい担任が足音を響かせ着席を促しながつつ入ってくるわけだが、教室同様に春期講習から始まっている付き合いなので期待する要素は何一つとしてない。強いてあるとしても、講習最終日に言い残した『学年主任の意向で急遽変更することもある』という言葉だが確率としては無視すべき数字しか無いだろう。結果は一週間前、先程の言葉で期待を煽った中年の数学教師なわけで、来るや否や始業式に向かわせるのだった。
* * *
教室に戻ってきてからの数学教師が始業式での校長さながら、ありきたりな話を終え、クラスメート全員の自己紹介という決まりきった流れが済んだところで下校を告げるチャイムが鳴った。当たり障りのない自己紹介をしたことで安堵を覚えた私は、去年に続き同じクラスとなった小勝の姿を確認しようと立ち上がったところに、一人の見知らぬ女子が近づいてきた。
「君が肴倉くん? 聞いていた話とは全然違うね」
黒髪でミディアムと呼ばれる長さだろうか、顔立ちは中々に整っていると一個人としては感じる。整っていると断言できる。好みかどうかはさておく。背は女性の平均的な身長より少し低い。そのせいか少し見上げて話しかけてきているので、私の中で何かが揺らぎかける。
そんな彼女は、私について一体何と聞いていたのか、と疑問に感じつつも、
「はい、そうです。人違いもあり得ますが」
と、咄嗟のことに敬語で答える。
おかしく感じるだろう、と内心焦ったが初対面のはずなので問題はないと己に言い聞かせた。
「堅い感じは聞いた通りだから合っているよ。あとはね、面白い人だってことも。あ、もしかして僕のこと知らなかった? 夏目だよ。前に数学を教えてもらった時に知り合いに聞いたんだ。どんな人なのかな、って」
彼女は明るく笑みを浮かべて答えてくれた。
まず敬語で話す人間だと思っていたらしい。現に間違いではないが、友人にまで使っている覚えはないので少しばかり知り合いの教えとやらを訂正したかったが、話を円滑に進めるために後回しとした。面白いと感じるのも人それぞれなので今はどうでもいい。
それより、初対面ではないらしいのだ。確かに数学の特別補習に偶に出席してはいたが、彼女に教えた覚えはない。彼女と話し始めてから疑問が増えていく。
「そうでしたか。実はよく覚えていなくて。申し訳ないです」
記憶がない以上、迂闊に合わせて当時の話を続けられることを避けなければならず正直に答える。
ほんの一瞬、彼女の顔が曇りかけた気がしたが、
「仕方ないよ。そこしか接点なかったし。これから覚えて仲良くしてくれればいいよ」
と、また笑顔で返してくれた。
「こちらこそ宜しくお願いします」
「もう堅いな。ま、いっか。またね」
さり気なく手を振りながら教室を出ていくと、どこかへ向かうべく廊下を走っていった。『廊下は走るな』の張り紙がなびく。
さて、状況整理。
数学を教えたらしい私に彼女は名前だけでも知ろうとリサーチをかけ、今回クラスメートとなったので話のタネとして挨拶に来た。おおむね、前にも会ったねこれから一年宜しくね程度の意味合いだろう。考察終了。
「将さん、あの夏目さんと話してから悩みっぱなしすよ?」
無意識に眉間が寄っていたのか。小勝の方から窺うように声をかけてきた。
「いや、悩みは何も。それより彼女を前から知っていたのか」
「美人なんで有名っすよ」
知らなかった。
「そんな人が話しかけてくるなんて、何だったんすか?」
「どうやら私は以前、彼女に数学を教えたらしい」
「それは、将さん自身は覚えてないってことすか。あんな美人を相手にして覚えていないんすか、勿体ない」
言われてみれば、おかしなことだ。印象の一つくらい残っているはず。
「教えたような気はするが定かな記憶がない、と言った方が正しい。あと、チンピラみたいだから止めてくれないか、それ」
「まぁまぁ、言葉一つで変わるような仲じゃないってことで。気にしたら負けっすよ」
上手くまとめられる気がしたが、拘っても仕方ないので、
「そうだね」
適当に同意し敗北を受け入れることにした。
「それより帰らないんすか」
「え?」
驚きつつ周りを見渡すと、教室の中に残っているのは談笑をしている女子数人と私達だけだった。
夏目さんもいつの間にか鞄を回収し消えていた。
「さき帰るっすよ」
急かされ、鞄を取り教室を後にする。
* * *
それから彼女が話しかけてくることは一度もなく、二週間が過ぎた。昼になる度に小勝は「あの後どうなんすか」と聞いてきたが、ついに今日は彼女に触れなかった。
特に何を期待をしていたわけではないが、互いに顔と名前を一致させたところで、ただのクラスメートでしかない。それ以上それ以下でもない。
と、至極当然の結論を立て始めていた日の放課後。靴を履き替えようと昇降口に向かうと、彼女が待っていたかのように立っていた。待っているのは友人だろう、と気に留めることなく過ぎ去ろうとした時、
「一緒に帰ろう?」
と、少し不安げな声が私を呼び止める。
急に帰路を共にすることを誘われ固まりかける。
断る理由も必要もないが、これだけは言っておかねばならない。
「私、駅までは徒歩ですよ」
事実なので。
「いいよ、僕もだから」
そう言って丁寧に定期入れを見せる。確かにバスの定期券は入っていなかった。律儀な人だ。
「なら、良かったです」
などと宣って、微笑んで見せながら歩き始めた。
きっと持っていたとしても彼女は歩くことを厭わなかったのだろう、と感じながら校門を通り過ぎ、右へと曲がる。そこから彼女は間を空けることなく話し続けている。クラスメートのことだったり、授業で出された問題について聞かれたりもした。駅までの道は畑と電柱くらいしかない。だからこそ、大多数がバスを利用するか自転車で移動しているわけだが。そんな道の風景に駅舎も姿を見せた頃、彼女はしばらく黙ってから切り出すかのように、
「僕ね、いつも一人だから。今日こうして一緒に帰れて嬉しい」
「ご友人と帰らないのですか」
「皆バスに乗るから……」
たまに歩く子も居るんだけど、と彼女が付け足した。
「それに部活に出ると、遅くなる日もあるし」
つまり、今日は無かったということか。
「ねぇねぇ、何部だと思う?」
先程までの空気を一転させるかのように聞いてくる。ついでに、絶対分からないよ、と感じさせる笑みが出ている。
実際に分からないから困った。ここは家庭的な雰囲気を感じさせたからという言い訳を残せる、
「家庭科……とかですかねぇ」
我ながら適当過ぎるか。
「違うよー。ま、中学の時はそうだったから惜しいかな。今は空手道、意外でしょ?」
世界で二番目になったのなら。(仮題) 志斉 駿 @pokesuma2011-10-30
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。世界で二番目になったのなら。(仮題)の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます