2章 雌バチ、はたらく 2


 宇宙船の廊下は、どこも腕を上げれば天井に手のひらをつけられるし、両手を広げようとすれば両ヒジが壁に当たり、ごつりと音を立てる。

 操縦室から格納庫へ。

 ドア一枚先は空間が膨張したように一気に広がる。

 まだ条件反射的に目と首が空間を寄り道する。

 5メートル近くあるハード・トイを吊り上げるほどのスペースは、船内で一番開放感がある場所だった。そんな部屋の中央には、両肩と頭部をなくしたハード・トイがうなだれるような姿勢で宙づりにされていた。そのまわりを何台もの、つぶれたラグビーボールのようなロボットが、プロペラ飛行で飛び回っては帯状のレーザーを当てたり、針の先から火花を飛ばしたりしていた。

 すこしだけ焦げた匂いが漂っていた。

 ルックはニジミの姿を探す。

 彼女はパイプ椅子に腰掛けて、眉根を寄せ上げて、不安そうに吊られた相棒を見上げている。


「アレは、何をしているんだ?」


 ルックはニジミに声をかけた。

 振りかえる少女の目のまわりは赤みが残っていた。

 泣き疲れた彼女はクラウディアに抱きかかえられて自室に運ばれ、そのまま少し寝入っていた。操縦室にいちど顔を出して、クラウディアに愛機の状態を訊ねて、解析中という言葉を聞いて格納庫に移動していた。

 ニジミはすーっと手を上げて楕円形のロボットを指さす。


「……赤のライトはね、外側のキズをみてるの。それで黄色は電気系の配線と回路の状態チェック。青はメインフレームを含めた断面検査。内部のひび割れクラックとかをみてるの」

「そうか」


 声からはつらつとしたもの消えていた。

 スパークリングジュースからガスが抜けて、ただのぬるい砂糖水のようだった。

 ルックはニジミの横で、同じように吊られたハード・トイを見上る。


「クラウディア女史は直すと言った。だがどうも資金不足のようだ」

「……ヴェスパー君は、けっこう古い子なんだ」

「そうなのか?」

「うん。だからパーツが高いの」


 彼女の操縦のせいか、とても古いタイプの機体には見えなかった。

 先刻の街に配備されていたハード・トイは機構の最新型で、理論上の出力やら走行やらエネルギー効率は最高値のものだと聞いていた。

 ――赤く大きなやつを除いて――だが。


「ヴェスパー君はね、私がガラクタ置き場の動かなくなったハード・トイから直して使ってたんだ。もっともっと小さい頃、クラウと会う前から私はヴェスパーくんと一緒にいたんだ。そこから私はクラウと出会って、クラウが少しずつヴェスパー君を改良して。クラウは骨格を昔のままで改造してくれたんだ」

「となれば外側も特注品ばかりか」


 深い歴史は分からないが、愛着の理由に触れた気がした。


「もっともっと、私が強かったら」

「……」


 答えられる言葉がなかった。


 候補回答①:機体の性能差だ。関係ないだろう。

 ――だめだ、ヴェスパーが弱いせいだと捉えられかねない。


 候補回答②:よし、ならば特訓だ。

 ――俺が彼女に何を教えられるというのだ。


 候補回答③:(選択肢はありません)

 ――くそう、交渉術はともかくカウンセリングは未履修なのだっ。


「……な、直る」

「へ?」


 無言のままでいるのがつらくて、思わず出した言葉はなんとも稚拙だった。

 非論理的で、無責任で、子どもでも言える言葉じゃないか。アホか俺は!

 ルックは自分の言葉に、体は火が出るように熱くなるのを覚える。毛穴が開く感じがした。しかし言ってしまった言葉は戻せない。 


「お、俺が言いたいのは、つまり」


 ルックは背中に汗をためながら、頭をフル回転させて、出した言葉の理由を後付けしていく。


「だいたい、ニジミはそう思わないのか? 俺はそう思うぞ。この宇宙船だって俺の想像の枠を超えて、地上から宇宙に出るわ、機構の検問が整う前に太陽系を飛び出てしまうわ、そもそも、そんな型遅れのハード・トイで機構の最新機を秒殺するとか、君らの能力も常識もむちゃくちゃだ」

「ルック?」

「だ、だったら、君たちは彼を直すことくらいはどうってことない二人じゃないのか? それとも俺の考えをニジミは変だと思うか? そうだ俺は腕力も戦闘の知識も君らには勝てそうにないが、ディベートなら負けないぞ? つまり、俺が多角的に見た上で分析・判断して導いた答えというのは常に本質を捉えてどんな反論にも耐えうる、いわば真理なのだ。つまり俺の口にすることはすべて正しいのだ」


 ああもうむちゃくちゃだ。

 こちらを見上げるニジミの大きな目も半開きの口も、力が抜けてぽかーんとしていた。

 

「は、反論があるなら言えっ。なければ俺の勝ちだ。すなわち彼は直る。どうだっ」


 こんな感情的で穴だらけなディベートをするヤツがどこにいる。

 毛穴という毛穴からの微細な汗が止まらなかった。

 ニジミの口元がゆがむ。

 白い八重歯がにゅっと顔を出す。


「うん、私の負け☆」


 えへへ、と


「私、レンパイしちゃった」

「弱いな」

「そうだねっ」


 ニジミは椅子から立ち上がった。

 正面の大きな相棒を、光の宿った目で見上げる。

 一呼吸。

 そして、腕で目元を払うように拭った。


「でもっ、こっちの負けならぜんぜんヘーキっ☆ うん、ヴェスパーくんは直るもん。ちょっとだけ、お休みするんだ」

「そうだ」

 

 ルックは肯定する。

 そして幼いころに言われた父親の言葉を思い出した。


 ――ヒーローも一度は負ける。そして強くなる――、……と。


 負けは悪いことではない。

 そう伝えようとして、「こんな言葉もある――」と口を開き――


 

 ぐぎゅるるるるるるっ!



 ニジミの腹が割り込んできた。

「あははっ、おなかが先に元気になっちゃった☆」


 ……こ、こいつはっ。


「君というヤツは……」

「なんかおなかすいたねーっ! お土産も全部ダメになっちゃったし、あーあ、またルックに買ってもらわなきゃー! そいやルック、さっきなんか言った?」


 ルックは力の抜け落ちそうになった肩で答える。


「なんでもない。……そういえば調理室はどこだ?」

「ルック、ご飯作れるの!?」

「やれることくらいはやってやる」

「う゛ぉぉぉっ! すげぇー!! ルックがコックでビックリだぁ」


 そして案内された調理室にルックは卒倒しそうになる。

 使ったら洗ええええええ!!!!! という叫びが船に響いた。

 その状況は、この叫び声で察して欲しい。

 そんな惨状であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Disrupting Bee =でぃすらぷてぃんぐ・びぃ= 明石多朗 @T-Akashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ