脳内彼女

雪瀬ひうろ

第1話

「彼女ができたんだ」

 その告白はあまりにも唐突なもので、私は何も言えなくなる。

「え? うそでしょ? あんたに?」

「本当だよ」

「信じられない……」

 こいつはいつも一緒の居る幼馴染だ。こいつに彼女ができたら、私が気が付かないはずがないのに……。

「どこの誰? 会わせてよ」

 私は動揺を抑えて尋ねる。まずは情報を集めないと。

 すると彼は飄々とした様子で答えた。

「それは無理」

「なんで? 幼馴染の私にも紹介できないの?」

「うん。だって――」

 そして、奴はとんでもない一言を言い放った。

「だって、彼女、僕の脳の中に居るから」

「……は?」

 私は再びあっけにとられる。きっと、私は今、間抜けな顔をしていることだろう。

「えっと、どういう意味?」

「そのまんまの意味だよ」

 さも当たり前のような口調で返してくるが、こいつが言っていることは相当おかしい。前々からぼうっとした奴はだとは思っていたけれど、ついに頭のねじがおかしくなってしまったのだろうか。

「僕の彼女は脳内に居るから。君に会わせるのは無理」

「そ、そう」

 やばい、こいつは本格的におかしくなっている。

 リアルで彼女が出来ないと、人はここまでおかしくなってしまうものなのか。あまりに哀れすぎる。

 とりあえず、情報を集めよう。

 そう考える。

 こいつの妄想を覚まさせるためにも、まずは話を聞かなくては……。

「えっと、彼女ってどんな子なの?」

「そうだな」

 彼は頭のあたりをさすりながら答える。

「すごく情熱的かな。初めて会った瞬間に、『あなたが欲しい』なんて言ってコンタクトを取ってきたんだ」

「……すごく積極的なのね」

 初対面で言う言葉ではないと思うのだけれど。

「それであなたはそれを受け入れたわけ?」

「まあ……そうなるかな? あまり記憶はないのだけれど」

 肝心なところが記憶がないって……。

 まあ、つまり、脳内設定がまだ曖昧なのだろう。逆に言えば、こういう細かな矛盾を突いていけば、こいつの目を覚まさせることはまだ可能かもしれない。

「なんで彼女はあんたを選んだの?」

 すると、彼はまたも平然とこんなことを言い出す。

「僕の身体に興味があったんだって」

「………………」

 ……本格的におかしくなっているようだ。

 男は誰でもそんなビッチみたいな女が好きなのだろうか。逆に脳内設定なのならば、もう少しましな設定にはできなかったのだろうか。

「……あんたの身体のどこに興味があったって?」

「うーんと……」

 彼はまるで脳内に居る彼女と会話をするようなそぶりを見せる。

「頭だってさ」

「頭って……」

 変な言い方だ。要は髪型のことなのだろうけど……。

 私は大きくため息をついてから、言う。

「ああ、もう埒が空かないわ!」

 もうこれ以上、話を聞いていても無駄だろう。

 私は単刀直入に切り込むことにする。

「あなたの彼女は脳内にしかいないの!」

「だから、最初からそう言ってるじゃないか」

「おかしいとは思わないわけ!」

「愛のカタチなんて様々だからさ」

 こいつは本気で言っているのだろうか。

 現実に存在する女性なんかよりも、妄想の彼女の方がいいと本当に思っているのだろうか。

 そんなことを考えていると――

「なんで泣いてるんだよ……」

 いつの間にか、私の頬を熱いものが伝っていた。

「だって……」

 幼馴染に彼女が出来る。そんなこと、今まで一度も想像したこもなかったから。

 こいつの隣に居るのは、ずっと私だけだって思っていたから……。 

 たとえ、妄想の存在であったとしても「彼女ができた」なんてこいつに言われたら、なぜか、なぜか、悲しくなってしまったんだ。

「そんな妄想の彼女なんかよりも、私と一緒に居てよ……」

 私はいつの間にか泣きついて、彼の胸に顔をうずめていた。

「私はあなたのことが好きなんだから」

 言ってしまった……。

 勢いという奴だ。

 こんなこと言うつもりじゃなかったのに……。

 私の顔は今、とんでもなく熱くなっている。顔を上げられない。彼がどんな顔をしているのか、見るのが怖い。

 ああ、神様。もう時間を止めてしまってください。

 彼の答えを聞くのが、怖いから……。

 永遠にも思える時間の後で、彼は呟いた。

「僕も好きだ」

 私はゆっくりと顔を上げる。

「本当に?」

「ああ」

 彼はにっこりと笑って私を見る。

「まさか、君がそんな風に思ってくれていたなんて」

 彼が柔らかく微笑んでいたから、私の固くなった表情も少しずつ緩んでいく。

「……ていうか、あんなに一緒に居たのに気が付かなかったわけ?」

「気が付かなかった」

「……鈍感」

 そう言って、私たち二人は笑いあった。


「で? 答えは?」

 余裕を取り戻した私は彼に言う。

「私たち、付き合うってことでいいの?」

 それでも、その言葉を言うときには、また少し緊張したのだけれど。

 私は彼が素直に「うん」と言うのだろうと思っていた。

 だけど、彼の答えは予想外のものだった。

「あー、ちょっと待ってくれないか」

「待つ?」

「ほら、僕、脳内に彼女居るじゃん……その子と別れてからじゃないと二股になっちゃうからさ……」

 そんなことを真剣に言う彼の言葉に私は思わず吹き出した。

「何それ? 珍しく面白いジョークじゃん」

 私は腹を抱えて笑ってしまう。

「いや、やっぱ筋は通さないとまずいだろ」

「わかったわよ。さっさとしなさい別れ話。脳内でね」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 そう言って彼は頭に手を当てて、まるで見えない誰かと会話するようなしぐさを見せる。

 最初はテレパシーを飛ばしているみたいに黙って脳内の誰かと会話していた彼だったけれど、その表情に徐々に焦りのようなものが浮かびだす。まるで別れ話がこじれているカップルのようだ。これが彼なりのジョークなのだとしたら、少々、真に入り過ぎている。そして、彼は興奮したような調子で言った。

「悪いとは思っている! だけど、もう決めたんだ!」

 ついに脳内の彼女との別れ話の内容を口にし出す。

 いや、さすがにおかしくないか……?

 私は思わず、彼の肩に手をかける。

「いや、もう冗談はいいからさ……」

「――冗談なんかじゃないわよ」

 その声は確かに彼の口から発せられた。だけれど、それは私がよく知る彼の声ではなかった。

「どうして邪魔するのよ……」

 彼は目をぎろりと見開き、まるで親の仇を見るかのような表情で私を見ている。

 こいつは誰だ……?

 見慣れたはずの幼馴染に抱くはずのない考えだった。

「せっかく、彼の脳内に住み着いて彼女にしてもらったのに……」

「何を言ってるの……?」

「あなたという邪魔が入らなければ、私はずっと彼の脳内で彼女で居られたのに……」

「ねえ、何を……?」

 私は思わず後ずさりするも、すぐに壁にぶつかる。逃げ場がない……。

 そのときだった。彼の表情が再び変化したのは。

 にたり、と。

 確かに彼は笑った。

「あ、そっか……別に一人にこだわる必要なかったんだ」

「い、嫌……」

 怖い。

「私が分裂して、彼だけでなくて、あなたの脳内にも寄生させてもらえばいいのよね」

「嫌、嫌……」

 怖い、怖い。

「その場合は、『彼氏』という奴になるのかしら。この星の文化では確かそう言うのよね」

「いやあああああああああっ!」

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖――


「大丈夫、すぐに『脳内彼氏』になってやるよ」


 私の意識はそこで途切れた。

〈了〉

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脳内彼女 雪瀬ひうろ @hiuro

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