第2話


 ——宇宙に浮かぶ空き缶。


 それが若かりし頃、トロゥがたとえたスペース・コロニーの姿だった。

 現在は、そんな『空き缶』が七個ほど、地球の周りを回っている。

『空き缶』は、中央に貫かれた軸を中心に回転することで重力を生み出している。

 人々は、そんな『空き缶』の内側にへばりついて暮らしているのだ。


 オタル・シティは、この『空き缶』……いや、スペース・コロニーのS極に近い位置にある。

 つまり、宇宙に飛び出すには一番近い場所にあるのだが、他のコロニーとの交易ステーションがあるN極の表玄関とは違って、科学省の小さな施設だけがある、いわば裏玄関だった。

 対岸の地には華やいだリゾート地もあるのだが、ここは寂れた田舎都市である。


 宇宙開発関係者以外の要人がこの地に集まるのは、コロニー・オープニング・セレモニー以来のことだろう。

 オタル・シティの一番大きなミーテング・ホールに、コロニー中の名ある人々が集まった。

 もちろん、コロニー対岸の人たちも多数出席している。

 若かりし頃のトロゥの功績を称え、大統領が演説をする。静かな空間に、もったいぶった咳払いがこだました。


「トロゥ・プリウス氏は、宇宙開発に多大な功績を残し、このコロニー建設にも携わった偉大なる人物です。そして、ふるさと地球を知る最後の人でもあったわけです。彼の死は、我ら人類の大いなる損失であり……」


 黒い衣装に身を包み、トロゥじいさんの遺影を抱えながら、ハイネは苦笑する。


 ——その偉大な人も歳をとり、すっかりもうろくしてしまったら、誰も見向きもしなかったくせに。よく言うよなぁ。



 トロゥを最後に世話していたのは、ハイネの母だった。

 すっかりボケてしまって、誰もが引き取りたがらなかったので、母が仕方がなくこのオタル・シティに連れてきたのだ。


 若き日のトロゥ・プリウスを知っている人はいても、もうろくじいさんが彼だと知る人はいなかった。

 いや、知らないふりをしていたのかも知れない。

 多くの宇宙開発者が住む街で、かつての英雄は見て見ぬふりをされていたのではないだろうか?


 オートで走る車は、コロニーの小さな原っぱに、大人に相手にされない小さな子供とボケた老人を運んでゆく。

 耳をすませば、人工的に作られた虫や蛙の声がする。

 土も衛生的に作られた人工物だ。

 植物だけは地球から運び込まれた。光合成の仕組みは、人工的に作り出すにはコストが高過ぎるのだ。

 だが、自然の原っぱなどではない。

 人工虫や人工蛙がこの植物を管理している。


 そこは、まさしくリアルに作られた地球だった。

 そこで、トロゥは星を見ていた。


「まだ見知らぬ世界を冒険してみたいと、わしはよく思ったものだけどね。おまえはそうは思わないのかい? ゲームが好きだから、世界を作るほうが向いてるかもなぁ」


 そう言ったトロゥは、自分が作った世界を忘れていた。

 覚えていたのは、子供の頃の夢だけだった。


 コロニーからは、一般人は本当の宇宙を見ることはない。

 筒状の形をしたコロニーは、その内壁を地上として作られている。だから、みんな空き缶の中しか見れないのだ。

 中心に青い空を映し出す仕組みがあるが、夜は対岸の夜景の光のほうが強く、街灯りを星のように見せる。

 いつも、あの時も、そして今夜も、オタル・シティの郊外の夜空には、まるで星が降るように対岸のリゾート街の営みが映っていた。


 嘘のゲームをする子供と、嘘の星を見る老人。

 それが、ハイネとトロゥじいさんの姿だった。



 トロゥの棺は、コロニー吹奏楽部の葬送行進曲に送られて、宇宙の闇を旅立ってゆく。

 宇宙葬は、トロゥという偉人に与えられた特別な葬儀である。

 家族も見送るために、普段は立ち入り禁止のコロニーの外側を向くスペースにいる。

 長い間、認知症であったとはいえ、トロゥの顔は穏やかだった。ハイネは棺の中に花を添えた。


 幼い頃、知ったかぶりなどせずに、トロゥの話を聞いてやればよかったと思う。

 世界なんて知らないふりをすればよかった。

 あれは、星だと嘘をつけばよかった。


 トロゥの棺がコロニーから吐き出された時、ハイネは初めて宇宙空間を見た。底の無い深い闇の向こうに、青白いオリオンの姿が見えた。


 ——ああ、きれいだ。


 ハイネはそう思った。トロゥが憧れたものをはじめて知った。


 ——本物を望遠鏡で見せてもらいたかったなぁ。



「父さんはね……。仕事が忙しくて、私が子供の頃は、ほとんど家にいなかったのよ。なのに老後はこんな……」


 と、母が横で呟き、涙を拭いた。

 ハイネは母の肩を抱き寄せた。もう、母よりも背が高い。


「でも、僕、おじいさんは幸せだったと思うよ」


 真実の闇に光るカプセルは宇宙船だ。散らばせた宝石のような星の海に船出して、今、見えなくなる。

 宇宙に漂ってゆく白い棺を見送りながら、ハイネは思った。


 やはり、トロゥは幸せな人生を送ったのだ。

 あの晩年ですら——

 少年時代の夢を叶え、宇宙に人生を費やしたトロゥ。


 ——おじいさんは、老いて少年時代の憧れを取り戻したんだ。



=星を見る人/終わり=

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星を見る人 わたなべ りえ @riehime

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