星を見る人

わたなべ りえ

第1話


 今夜もつきあわされる羽目になった……と、ハイネはため息をついた。


 行き先は、オタル・シティ郊外の原っぱである。

 車に詰め込む望遠鏡は、老人が運び込むには充分の重さがあったが、ハイネは手伝う気にもなれない。

 そのかわり、携帯用のゲーム機に新しいゲームを差し込んだ。何も考えずにサクサク遊べる古風で単純なシューティングだ。

 出かける寸前に、はっと気がついて、テレビの録画予約をした。見逃し配信はまだ有料なので、母には許可されない。


 そして、しぶしぶ外に出る。


 ハイネは、おじいさんの趣味につきあうよりも、友人との対戦ゲームで遊ぶことのほうが好きだし、新しいアニメも見たい。

 なのに、忙しい両親ときたら、七歳のハイネにかまうこともしないうえに、邪魔なおじいさんを押し付ける。

 手間のかかる者同士、仲良くやれ……とはあんまりである。



 原っぱに着くと、おじいさんは目を輝かせながら、古臭くてごちゃごちゃした機械を組み立てて、そこに重たい望遠鏡を乗せた。


「ほら、ハイネや。見てごらん。これはオリオン大星雲といってなぁ」


 ゲームは、ちょうどひとつめの命を消化してしまい、一段落ついたところだった。

 ハイネは、ふうっと大きな息をはいて、やれやれと立ち上がった。


「じいちゃん、違うよぉ。あれはねぇ、向こうに住む人たちの映画館の明かりなの!」


「子供にかかれば動物も会話をするし、花も笑い出すもんさ。あげくのはてに、夜空の星もそんなものかねぇ」


 おじいさんは微笑んだ。

 その言葉に答えることなく、ハイネは方向と気分を変えて、再びゲームにチャレンジした。


 原っぱの向こうで虫が鳴く。

 向こうの池では蛙がゲコゲコいっている。

 ほんの少し車で走ると都会だというのに、ここには自然がいっぱいだった。夜空を見るのにはちょうどいい。

 しかし、ハイネにはつまらない。

 自然だって、望遠鏡だって、夜空だって、全然興味がないのだから。

 楽しいのはゲームだ。

 たぶん、ゲーム機の液晶の光は、望遠鏡を見るおじいさんにとっては迷惑な明るさだろう。

 でも、おじいさんはハイネに注意することもなく、再び望遠鏡を覗き込んだ。


 おじいさんの名前は、トロゥ・プリウス。

 かつては宇宙開発の仕事に携わったエリートである。リタイヤしてからは、このオタル・シティの田舎に引きこもり、少年時代のように夜な夜な星を見て過ごす日々が続いていた。

 望遠鏡は、今となっては骨董品物の屈折式。ものすごい価値がある品物だ。とはいえ、接眼部分が老人の目にはやや辛いサイズである。

 覗き疲れたのだろう、トロゥは望遠鏡から目を離し、ふと空を見上げて、腰を伸ばした。


 その瞬間——。


「おお! 見たかい? ハイネや。今、流れ星が流れたよ」


 孫のハイネは、空を見上げることもしない。


「じいちゃん、それはねぇ。向こうの人たちの乗り物のライトなんだ」


 ハイネがため息交じりに返事をするのは、今のトロゥの悲鳴にも似た声で、ゲームをミスったからである。


「わしもおまえと同じ年齢の時はな、あの星には誰かが住んでいるのかと思ったこともあった。昔の人は星を線で結んでな、神様の姿を思い浮かべたものさ。だがな、星というのは、実はガスが燃えているものなんだよ」


 そんなことなんか知っているさ……と言いたかった。

 が、ハイネは言葉を飲み込んで、ゲームの中であとひとつ残った命を失わないように意識を集中させた。



 ここの自然は、トロゥが子供だったころと寸分たがわない姿をしている。

 かすかに風が頬を撫でてゆく。

 夜露が望遠鏡のレンズを濡らし、トロゥを少し困らせる。


「ちぇっちぇっ、少しリアルに作りすぎだよ! これ!」


 ゲームのキーを激しく叩きながら、ハイネはひとり叫んでいた。

 レンズにカイロを当て露を払いながらも、困らせる自然現象すらもうれしそうにトロゥは言った。


「リアルっていうのはいいことだよ。リアルに出来ているから、そうやっておまえも騙されて、ゲームに没頭できるんだ。だがな、たまには本物の自然とかに触れることもいいぞぉ。どうだい? ハイネや。ちょっと覗いてみないかい?」


 つきあいさえすれば何も文句は言わないトロゥだったが、こうして一度はハイネに望遠鏡を見ることを勧めるのだ。

 ハイネが一番嫌な瞬間だった。


「やだよ、そんなもの」


「そんな、ものかぁ……」


 そう呟いて、トロゥは少しだけ寂しそうにする。

 それがハイネには嫌なのだ。

 トロゥがものすごく惨めな年寄りに見えてしまう。

 トロゥは、もう少しという仕草をして、再び望遠鏡に目を近づけた。


 とたん——。


「おおお! あれはなんだ? もしかしたら彗星かも知れんぞ!」


 望遠鏡を覗き込みながら、トロゥは叫んだ。


「向こうではカーニバルかなんか、やっているんじゃないのぉ?」


 ちょっぴりひねた声で、ハイネは吐き捨てるようにして言った。


 ——これでちょうど、ゲームオーバーだ。




 それから数年が経った。

 トロゥじいさんは亡くなった。


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