予言者は騙る

九十九 那月

予言者は騙る

「突然ですけど先輩、あと五分で世界が終わるみたいですよ」


 長袖の制服の上からでも肌寒さを感じるような、秋めくとある日の夕方、たまたま居合わせて一緒に帰ることになった後輩にそんなことを言われて、俺が最初に思ったことは「いよいよ頭がおかしくなったか」だった。


「……なんの冗談だ?」

「ひどい、本気ですよぅ。……あ、猫ちゃん発見」

「おい」


 本気だと言っておきながら、道端の三毛猫にすり寄っていくその様子には、一切の緊張感が見られない。

 そろりと彼女はその繊細な指先で猫に触れようとするけれど、猫の方も慣れたもので、するりとその手を避けて生垣の方に消えていって、彼女は露骨にしゅんとした様子を見せる。


「……で。お前が予言者だって話も聞かないし、太陽は地平線の彼方、降ってくる彗星なんかも見えない、こんな状況で一体どうやって世界が終わるってんだよ」

「そんなの、わかるわけないじゃないですか」


 拗ねたようにそう言う彼女の首根っこを掴んでぶら下げてやりたい衝動に駆られる。

 けれど彼女は自分に向けられた怒気になど全く構うこともなく。


「それより先輩、時間がないですよ、五分なんですから、五分。……あ、そろそろ四分切りますね」


 などと、腕時計に目をやって白々しく口にする。

 そんなことを言われても、あとわずか数分で、俺の十年ちょっとの人生が終わってしまうらしい、などと俺は欠片も思っていないわけで。


「時間がない、なんて言われてもなぁ」

「ほら、最後の瞬間には何をしたい、みたいなのあるじゃないですか。家族と過ごすとか、好きなものを食べるとか、好きな場所に行くとか」

「……とりあえず、あと四分でできることじゃないだろ、それ」


 そう文句を言うと、彼女は待ってましたとばかりに瞳を輝かせて。


「じゃぁ、逆に考えましょうよ、先輩。あと四分ちょっとでできることを考えるんです」


 ふむ。


「そうだな、さっきの猫でも追いかけるか?」

「あ、それも面白そう。……でも猫ちゃん、あの奥に入って行っちゃいましたし、捕まえるのちょっと大変そうですね」


 そう言って彼女は生垣を指さす。確かにそこは植木が茂っていて、人が入るのはちょっと難しそうではある。とはいえども。


「あと数分で死ぬっていうなら、制服が汚れるとか気にしてもしょうがないだろ。……で、どうする。行くか?」

「ちょっと遅すぎます。今から行っても追いつけませんよ。……それより先輩、そんなバカなことを話しているうちに、もうあと二分くらいですよ」


 ほらほら早く、他に他に、と、彼女が俺を急かす。


「二分か。ま、今から何を思いついたって実行できる時間はないな」

「そう、ですかね」


 諦めたように肩をすくめる俺に、しかし彼女は常ならぬ弱々しい声でそう返す。


「例えば」


 そう言って、彼女はゆっくりと、指先を自分の唇に寄せていく。俺の視線もついついそれに釣られてしまって、どきりとする。こいつもこれで見た目だけはかなり可愛い方なので、いつもの鬱陶しい言動がないとなんだか妙に意識してしまう。


 そのまま沈黙が少し続いて。


「——なーんて、冗談ですよ」


 不意にそう言って、彼女は愉快そうな笑みを浮かべた。


「……だろうな」


 口だけでそう見栄を張るけど、意識してしまった時点で俺の負けだ。彼女にも俺の動揺は伝わってしまっていたようで、むしろ俺の強がりに対して悪戯っぽい表情を浮かべていた。


「ほんとですか?……まぁ、意気地なしのセンパイは私にキスする度胸なんてないでしょうし、そもそもさせてあげませんけど」


 完全に余計なお世話だった。

 いい加減彼女に揶揄われるのに耐えられず、視線を逸らしてため息をつく。




 そうして、正面を向いたとき、ふと気づくと、彼女の顔がすぐそばにあって。


 不意をつかれて動けないでいる俺の前で、彼女の瞳が閉じられて、長い睫毛の一本一本が妙に鮮明に目に映って。


 そして、更にもう少しだけ、彼女の顔が近づいて――そして、離れていった。




 はっと我に返る。さっきよりは離れた位置に彼女がいて、反射的に手を当てた自分の唇は、少しだけ湿っていた。


「——なので、私からします」


 そう言われて、遅れて状況を理解して、今度こそ抑えきれず顔が茹で上がるように熱くなるのを感じる。それを憎たらしい後輩がやたらと楽しそうに眺めていた。

 その姿をまともに直視できなくて、俺は目を背けて――あぁ、今だけは切に願う。こいつのバカげた『予言』が本当であってくれたら、と。

 そんな願いを込めて。


「……五分、とっくに経ったんじゃないのか」


 そう漏らした声は自分でわかるくらいには上ずっていて、そして前方からは楽しそうな笑い声。

 そうして。


「ねぇ先輩、知ってますか?」


 その彼女の声に、俺が振り返ると――彼女は、したり顔で。


「予言、なんて、そうそう当たるものじゃないんですよ」


 やられた――と、思わず額に手を当てて天を仰ぐ。

 そんな俺を置いて、彼女はそのまま足早に先に進んでいって。


「ほら、先輩、早く来ないと置いて行っちゃいますよ」


 と、振り返らないまま俺を急かす。その耳が微かに赤くなっているように見えるのは、果たして寒さのせいか、それとも。

 あーもう、と俺はヤケクソになって。


「……少しは、待ってくれよ」


 そう言って、走って彼女の背中を目指す。

 視界の端に映った赤い空には、微かに月が出かかっていて。


 それを見て、ふと――どうやら、俺の忙しくも楽しい日々は、もうしばらく続いていくようだと、そう思った。

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