第13話
屋上に向かう階段の踊り場。ここはわたしが見つけた秘密の隠れ家だ。今日の文化祭、クラスで合唱に出なければいけないがそれ以外は自由行動を確約されている。ならばわたしのやることはひとつ。サボりだ。
埃臭い空間でぼんやりとしていたら、携帯が鳴った。着信は玲さんからだった。
「……もしもし」
「あ、もしもし、真依ちゃん?今どこにいる?」
美術部に関する呼び出しだろうか。雑用に駆り出されるのは面倒だけど、流石にそんな用事で電話を掛けてきたりはしないだろう。
「今は学校内にいますよ。もしかして部活についての呼び出しですか?」
「いや、違うよ? 単に気になっただけ。どこにいるか当ててあげよっか」
「え? それってどういう……」
そこまで言って、階段を上ってくる足音に気がついた。電話から聞こえてくるのか、それとも普通に聞こえてくるのか。
どうやら両方だったらしい。
「やっぱりここだった。やっほー、久しぶり」
玲さんは電話を切ってそんな風に話しかけてくれた。顔を合わせたのは、実に1年ぶりだ。
「玲さん。お久しぶりです」
本当はもっと取り乱してぎこちない挨拶をするのかと思っていたけど全くそんなことはなく、昔のように声をかけることができた。不思議だ。
「いいんですか、部長がこんなところで油売ってて」
「澪ちゃんがうまいことやってくれてるし、大丈夫でしょ。隣、いい?」
「構いませんけど、この場所知ってたんですか?」
「真依ちゃんのことならなんでも知ってるよー、っていうのは冗談で、去年の冬に澪ちゃんから聞いたの。彼女もたまたま見つけたんだって。知らなかったんだ」
「柴田さんですか……あの人、本当にいろんなこと知ってますよね」
「真依ちゃんはいろんなことに興味無さすぎ。まぁ、それがいいんだけどね」
玲さんはわたしの横に座って、どこか遠くの方に目を向けた。何となく、彼女に視線を合わせる。
「絵、見たよ。なっちゃんとの合作扱いで展示するんだね」
「はい、おかげさまで。まだまだわたしにとっては小さな一歩ですが」
「私、嬉しいよ。あの時、真依ちゃんの歩みは完全に止まっちゃってたんだから」
わたしは去年のことを思い出す。きっと玲さんも、同じことを考えているんだろう。
「あの時私がショックを受けたのは、真依ちゃんが私の絵を勝手に描いたからって訳じゃないんだ。私の思っていた以上の完成度だった。あれ以来ね、実は私も怖かったの。自分の絵を完成させることが。だって、あんなの見せられちゃったんだもん」
えへへ、と笑う玲さんはどこか哀しげだった。そうだったのか。わたしはそんなことにも気づかずに、自分のことだけ考えて、逃げ出してしまったのか。
「いいんだよ。あの時、真依ちゃんの退部届を見た時思ったんだ。今は距離を置くべきだって。お互いに、いろんなものから」
「確かに、そうだったのかもしれませんね。わたしはまだ自立できてないんですけどね」
「うん。でも、少しずつ真依ちゃんは進めてるよ。真依ちゃんの絵を見たらわかる。私の絵は見た?」
「いえ、すみません……後で見に行きます」
「私はね、去年の天使の絵を最初から最後まで描ききった。それで気づいたんだ。あの天使の涙を浮かべた表情、あれは私が描きたかったものじゃない。真依ちゃんの気持ちでしょ?」
わたしはハッとした。絵を描くとき、わたしは何も考えていなかった。ただ目の前の絵から感じ取ったビジョンを実現させるだけ、そう思っていたけれど、違ったのか。
「それに、今回のなっちゃんとの合作。私にはあれ、私へのメッセージに思えた。描かれているのは真依ちゃんだけど、その後ろの空間。あれ私なのかな?」
「それは……秘密です」
もう完全にバレてるんだけど、わたしは何となくごまかしてしまった。“描かない”ことでモチーフを表現するテクニック。あれは佐藤さんの絵を見て思い付いて、彼女に何も言わず使ってしまった。背景の雲を描くときにそれを意識していたから、もしかしたら彼女も気づいているのかもしれない。それでいて黙ってくれているなら、なんてできた後輩だろうか。
「……全部、佐藤さんのおかげですよ。彼女がいなければ、わたしは気持ちの整理がつかなかった」
「ねぇ、もしかしてさ、真依ちゃんってなっちゃんみたいな子がタイプだったりする?」
突然何を言い出すんだこの人は。予想外すぎて噎せてしまった。そんなわたしの様子を見て、玲さんはクスクス笑った。
「冗談だって。私は今日で美術部卒業するけど、大学でも絵は続けるつもりだし、来年の文化祭も絶対遊びに来るから、ちゃんと楽しませてね。あと、今日は美術室に必ず来ること。素敵なプレゼントを用意してあげたからね」
それじゃ、と言って玲さんは階段を降りていった。時間を確認したら合唱の時間が近づいていることに気がついた。わたしも教室に戻った方がいいだろう。
◇
待ちに待った文化祭当日。私は合作の展示で、1人1作品を守れなかったけど、それでもこの絵は最高の作品だと胸を張って言える。肝心の私のパートナーはまだ見当たらない。ついでに玲先輩も見当たらない。どこをほっつき歩いてるんだろう。
他の人の展示はというと、やっぱり目を引くのは玲さんの絵だ。天使の絵。『救済』というタイトルがついている。私が春に見た絵とは違う絵だけど、これが先輩が言っていた“決着”なんだろう。そういう経緯を知っているからこそ、私はこの絵の本当の凄さがわかる。あの2人には勝てないな。私はまだまだ素人だけど、いつかはあんな絵が描けるんだろうか。
他には大小様々な木彫りの熊。たまに猫とかうさぎとかが混じっていてかわいい。これはえーちゃんの作品だ。
大きな紙に印刷された女の子の絵がある。コンピューターで描かれただけあって光やガラス面の反射の丁寧さが素晴らしい。これは柴田先輩の作品。他にもみんなが思い思いの絵を展示している。今日、いろんな人に私たちの絵を見てもらえるんだ。少しでも見た人の心に残ってくれればと強く思う。私のように。
「こんにちは。佐藤さん……あぁ、いた」
お昼になろうかというタイミングで真依先輩が来た。私にとっての本日の主役だ。
「先輩。何やってたんですか」
「悪いね。クラスの方で合唱があって」
「あっそういえば……すみません、聞きにいけなくて」
「いいよ、歌にはあんまり自信がないから」
そんな話を軽くして、私たちは展示品を見て回ることにした。回るといっても教室を一周だけだけど。先輩はやっぱり、玲先輩の絵の前で足を止めた。
「……そうか、これが……」
そんな風に言って真依先輩はまじまじと玲先輩の絵を見ていた。真依先輩は絵を集中して見るとき右手の指が動く癖があったはずだけど、今日はそれをしていない。心境の変化があったからだろうか。
「……わたしたちもうかうかしてられないね。次はお互い、オリジナルを描ききろう。玲さんの絵に見合うように」
「……はい!」
この前までならこんな台詞、絶対に真依先輩から聞けなかっただろう。とても嬉しい。それと同時に、もっと絵を描きたくなった。来年は真依先輩とそれぞれの絵を並べられるんだ。
それから、私たちの絵の前に来た。この絵については全部わかっているから今話すことはないだろうと思ってたけど、先輩は何か考えているようだった。
「佐藤さん。この絵のタイトル、これは佐藤さんがつけたのかな?」
「え?いえ、違います……てっきり真依先輩がつけたんだと思ってたんですけど、違うんですか」
「うん、このタイトルは…………なるほどね。これが素敵なプレゼントか。粋なことをしてくれるね」
そう言って先輩はにこやかな笑みを浮かべた。私は先輩がなぜ微笑んでいるのか分からず、首を傾げてそのタイトルについて考えていた。
油彩の天使 @ksc
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます