春夏秋冬の

宇部 松清

第1話

「暑い……」


 暑い時に「暑い」と言うのは禁句なんだそうだ。けれども、朝起きてから現在に至るまで、もうとにかくそればかりである。


 私はもうはっきりいって暑さに弱い。

 だが、弱い弱いと言いながらも、


「25℃以上になったら動かない」

 

 と豪語してたのが、


「28℃までなら善処する」


 になったのだから、これでもだいぶ強くなった方だ。これが自分史上、最高最強に暑さに慣れた結果である。


 しかしかといって、太陽さんの方でも


「そうかそうか。それじゃ今年の夏は最高気温28℃にしとくね」


 とはならないわけで。


 だから私は畳の上にぬべぇと寝転がって、人間もやっぱり溶けるんだな、などと馬鹿なことを考えながら「暑い、暑い」とほざいている。


 ただ、そればかりではせっかくここまで読んでくださっている貴重な読者様がブラウザバックしちゃうので、もう少し素敵な……何かこう……清涼感のある話が出来れば、と思う。


 私はもともと北海道の出身だ。ほぅら、『北海道』。もうこれだけで清涼感。でしょ?


 ウソウソ、ごめんなさい。真面目にやります、真面目に。


 これは、私と、少々変わり者の幼馴染みの男の子のお話だ。


 

 彼とは保育園時代からの付き合いで――とはいっても、この『付き合い』っていうのはいわゆる男女のそれではない。


 いまの子はませてるっていうけれども、私達の代でもご多分に漏れず、年中組辺りから『好きな男の子』なんていうのは当たり前のようにいた。中には婚約まで済ませる子までいた。

 私も負けてはならないと、無理矢理「僕も好き」と棒読みで言わせて、強引に婚約へとこぎ着けたものである。


 しかし、所詮は園児。

 小学校に上がればターゲットも変わるし、そもそも学区が違って離ればなれになり、自然消滅のパターンも多かった。

 そんな中、私の場合はたまたま家も近所だったために自然消滅することなく、うんと薄めた水彩絵の具のような淡すぎる恋心を徐々に濃くしていったのである。


 田舎のためクラス数も多いわけではなく、小学校生活のほとんどを同じ教室で過ごし、私達は当たり前のように同じ中学に入った。

 やっぱりクラスも3年間同じだった。


「こんにちは、おばさん」

「あら、ひろ花ちゃん」

「もうユキ帰って来てます?」


 帰宅途中でユキ――雪都ゆきとのおばさんと会った。買い物帰りらしい。


「たぶん。あの子、寄り道なんかしないからね」


 おばさんはケラケラと笑った。


「ひろ花ちゃん、寄ってく?」


 そう言いながら、おばさんは買い物袋からラムネの瓶を取り出した。


「飲んでいきなよ、今日も暑いし」

「やったぁ、ありがとうございますっ!」


 確かに暑い日だった。

 でも、いまに比べたらぜんぜんだけど。でも当時は暑かったのだ。


「ただいまー、ユキー」

「ユキー、来たよー」


 玄関で叫ぶ。

 靴はきちんと揃えて置いてあった。確実にいる。けれども大抵の場合、ユキからの返事はない。


「まぁ、いつものことだけどね」

「ですよねー」

「たぶん、よ。集中したら何にも聞こえないんだから。ひろ花ちゃん、悪いけど、ユキにも1本持っていってくれる? それと、これ。お菓子も」

「はぁい」


 私はラムネを2本と、ユキの好物らしい個包装の煎餅が詰まった袋を持って2階にある彼の部屋へと向かった。聞こえていないかもしれないけど、一応、「ユキー、ラームネー」と言いながら。


 ドアは開けっ放しだった。

 窓も開いていて、心地よい風が抜けていく。


「ユーキ、来ったよん」


 部屋に足を踏み入れ、煎餅の袋をガサガサと振ると、やっと私の存在に気付いたのか、ユキはちらりと私を見て「うん」とだけ言った。そしてまた作業に戻る。彼は学習机に姿勢を正して座り、黙々と絵を描いていたのである。


「ユキ、一緒に飲もうよ。お煎餅もあるよ」

「うん」

「ねぇ」


 部屋の真ん中にあるローテーブルに座して、私はまた煎餅の袋を振った。好物だからなのか、ユキはまたもちらりとこちらを見た。


「ラムネは」

「え?」

「ラムネは困るなぁ。開ける時にこぼれちゃうから」

「あぁー、そっか。開けてくるよ、そしたら。だったら飲むでしょ?」

「ありがとう」

 

 結局ユキは煎餅の音以外でこちらを見ることはなかった。

 私は2人分のラムネを持って下に降り、「そういえばそうよね。ごめんごめん! 普通にサイダーにすれば良かったわぁ」とやはりケラケラ笑うおばさんと一緒にそれを開けた。

 確かに、ラムネといえば、うだるような暑さの中、外で飲むものと相場が決まっている。蓋の役割を果たしているビー玉が勢いよく中へと潜り、その代わりにと中のラムネがしゅわしゅわと噴き出す。それが道路に染みを作るのだ。ラムネの染み込んだ道路はそこだけきっと冷えているだろう、溶けそうなくらいに暑い日、道路に対して、私は少しだけ良いことをしたような気になったものだ。


「ユキー、開けてきたよー」


 2本のラムネを持って部屋に戻ると、ユキはローテーブルにきちんと正座をして、煎餅をかじっていた。


「お帰り」

「ただいまー。ていうか、先に食べないでよ。一緒に食べようよ」

「良いよ」


 そこでやっとユキと目が合う。


 おばさんによく似た二重瞼のその目は、切れ長で、みかんの葉っぱみたいな形をしている。

 何度夏をくぐっても一向に黒くならない白肌は、女子生徒が羨ましさから陰口を叩くほどだ。

 血色のよい唇は、「口紅でも塗ってるのか?」と色んな人からからかわれてしまうくらい、きれいな紅色である。もちろんそれについても一部の女子からは不評なのだが。


 つまり、ユキの顔というのは、完全に女顔で、それを「可愛い」と言う女子は少数派であり、大多数の評価は「女々しい、キモい」である。


 私はもちろんその少数派の方に属している。


「ひろ花ちゃん、何」


 まじまじと顔を見つめていると、さすがのユキも気になったらしい。少しだけ顔をしかめてそう言った。


 ちなみにユキは、背が高くて痩せ型なので、


「宇宙人みたい」

「ガリヒョロもやし」


 そんなことを面と向かって言ってくる子もいる。

 本人は全く気にしている素振りはないが。

 私はモデルみたいで良いと思うんだけど。


「別に何も。ねぇ、ユキは高校どこ行くの?」


 煎餅の袋を破りながら聞く。


「家から近いところにする」

「選ぶポイントそこなの?」

「うん。早く帰れるから」

「早く帰って何するの?」

「絵を描く」

「だと思った」


 ユキは保育園の頃から絵が上手かった。上手いといってもそりゃもちろん園児レベルでだし、ユキ以外にも上手な子はいっぱいいた。だけど、ユキが他の子と違うのは、上手くなるスピードだった。


 年少組の頃はドングリの背比べだったはずなのに、年長組になる頃には、もう誰もユキには勝てなかった。

 

 それは進学してからも続いた。

 小学校の時には「これは親御さんが描いたのかな」と先生達に言われていた。

 中学になると、もう誰もそんなことは言わなくなったけれど。


 何せ昔から描く量が尋常じゃないのだ。

 おばさん曰く、


「冗談抜きに、一年365日、1日も欠かさずに絵を描いてるのよ、あの子」


 らしい。


 100均に売っているお絵描き帳は、1日でなくなる。というか、なくなるから仕方なく描くのを止めるのだそうだ。

 ユキは紙を与えれば与えるだけ描き続ける。とうとうおばさんはコピー用紙を箱買いした。それでも「1日○枚まで!」という制限はつけたらしいが。


 そんな生活を3歳から11年間続けている。飽きもせず、毎日毎日絵を描いているのだ。中学でも、ほとんど活動のない理科部に入っていて、適当に活動日誌だけを書き、さっさと帰宅する。


 年頃の女子はバスケ部やらサッカー部やら、何かしら派手な動きのある部活動に所属している男子が好きだから、ユキがモテることはない。そのことに私は安心する。ライバルなんていない方が良いのだ。


「ひろ花ちゃんは」

「私? そうだなぁ、ユキと同じところにしようかな。ここから一番近いところだと、北高だよね?」

「うん」

「じゃ、北高にする。進学校だし。勉強もこのままキープすれば行けるっしょ」

「そっか」

「ユキはさ、高校出たらどうするの? 北高なら大学?」

「わかんない」

「美大とか行けば良いじゃん」

「美大かぁ」

「ずっと絵描けるよ」

「そっか」

「ユキならきっと行けるよ。美大っていうか、芸大? 確か東京に国立のやつあるし」

「そっか。じゃあ、僕、そこに行くよ」


 軽い気持ちでそう言った。

 絵が好きなら美大だろう。ユキだったら芸大も受かっちゃうだろう。そんな軽い感じで。かなり狭き門らしいということも知らなかったのだ。


 けれど――、


 まさか本当に受かるとは。


 数年後、ユキはそれが当たり前のような顔をして、さらりと東京の芸大に合格した。


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