海空雲、そして本と音楽
空知音
掌編
私の住む町は海沿いにある。
お椀のような地形は海からの風を受け、潮騒を響かせる。
漁業と繊維業で成り立つ、小さな町だ。
青春時代を海外放浪で過ごした私は、二年前ここへ帰って来た。
小売業を営む母親を手伝い、日々を過ごしている。
彼女は親戚から勧められ店をコンビニにすることを考えているが、一人息子の私がそれに反対しているから、まだ踏み切れずにいる。
店は祖父の代からのもので、週に二回休みがある。月曜日と火曜日だ。
祖父がなぜそのようなことを決めたか、亡くなるまで聞かずじまいだったが、もしかすると趣味の釣りをする時間を捻出するためでなかったかと後に気づいた。
この町と隣町との境には小さな峠があるが、その下は砂浜が広がっており、県内では名の知れた海水浴場となっている。
白い砂浜は弓のような形に伸びており、その脇にさびれたホテルが建っている。
夏になると、週末は広い駐車場に車を停めきれぬほど人が集まる。海の家が三軒開かれる。
ただし、月曜日や火曜日は比較的人出が少なく、朝方や夕方は砂浜にほとんど人影が無いこともある。
長い海外放浪から帰って来て間もなくは、働きもせず実家でぼんやりと過ごしていた。ある時、地元のテレビ局が放映した番組を見て、この海水浴場のことを思い出した。
少年の頃、夏になると毎日泳いでいた砂浜の映像は、強い郷愁を思い起こさせた。
実家にいるのに郷愁と言うのもおかしいが、少なくともあの時、心に浮かんだものは、それに限りなく近いものだった。
次の日、私は配達用のカブに乗り、海水浴場に行ってみた。
まだ早い時間だったこともあり、海岸には人がまばらで、テレビでここを目にしたときの郷愁が再び体に満ちた。
Tシャツとジーンズのまま、靴だけ脱いで砂浜に横たわってみる。空の青さが目に染みた。
それからは、実家の店が休みの度、朝夕の人出が少ない時間に砂浜を訪れるようになった。
日によっては、朝夕二回砂浜で横になる。
海岸沿いに住む友人の家にビーチパラソルを置かせてもらっているから、それを砂浜に差し、バスタオルを敷いて仰向けになる。
目を傷めないよう、サングラスをかける。
古いプレイヤーは、周囲の迷惑にならないよう頭の横に置く。
ボリュームを調節し音を流す。
曲は決まってボブ・マーリィだ。
今日は人も少なく、白い積乱雲が空に立ち上がり、ほどよい風が吹いている。
気が向けば、枕元に置いたジョージ・ミケシュを手に取り読む。
波の音、潮の香、肌を撫でる風。
体が宙に浮き、たゆたっているような感覚こそ、夏の砂浜で横になる醍醐味かもしれない。
膝に何か触れて目を開ける。
ビーチボールが転がっていた。
「すみません」
麦藁帽を被った色白の女性が、私を見下ろしていた。
ワンピースの青い水着の彼女は、お腹に子供がいるようだ。
色白のつやつやした頬は、高校時代のままだった。
「久しぶりだね」
俺がサングラスを上げると、彼女は驚いた声を上げた。
「ヤスオ君!?
うわー!
懐かしいなあ」
「元気そうだね」
「ええ、とっても」
自分のおへその下にそっと手で触れ、彼女は鮮やかに笑った。
高校時代、私が彼女と付き合っていたとき、一度も目にした事のない笑顔だった。
「そして、幸せそうだ」
「ふふふ、それはもう」
こちらに駆けてくるのは、彼女の息子だろう。
彼は母親の足を抱えると、甘えた声をだした。
「ねえねえ、お母さん、アイス食べてもいいでしょ?」
「そうねえ、一つだけよ。
それと、ゆっくり食べないと、この前みたいにお腹が痛くなるんだから」
「うん、分かってる!」
男の子は、元気よく走り去った。
そちらには、クーラーボックスを開けるがっしりした背の高い男性がいた。
彼女が結婚したという警察関係の夫に違いない。
「ああ、そうか。
今日はもう八月十三日か」
「そうよ。
ウチの旦那は、こんな時でもないと、まとまった休みが取れないから」
アイスを食べる夫と息子の姿を、彼女は微笑みを浮かべ見つめていた。
「同窓会があったら、次は来てね」
「ああ、そうするよ」
「じゃ、さようなら」
彼女は綺麗な背中の線を見せ、家族の元にゆっくり歩いていった。
耳元では、ボブ・マーリィが「I Shot the Sheriff」を叫んでいる。
私は少し笑い、夏の雲を眺めるのだった。
――――――――――――――――――――
テーマ曲:サザンオールスターズ 「海」
エンディング曲:ボブ・マーリィ「I Shot the Sheriff」
海空雲、そして本と音楽 空知音 @tenchan115
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