正解

佐宮 綾

正解

 親友とふたりで、「正解ってなんだろうね」と話した。わたしたちもいつの間にか27歳になった。残暑が厳しい中、スーツを着て湿った空気の満員電車に毎日揺られているのだから、おかしいと思う。

 残暑で苦しむたび、わたしたちは平成最後の夏を思い出さざるを得ない。


 彼女が自殺したと彼女の母親から連絡が来たのは、大学最後の夏休みも終わる頃の、残暑が厳しい日だった。彼女は一人暮らしのバスルームで自ら頸動脈を切って死んだという。

 記憶の中の彼女――リカ、は、頭がよくて聡明な子だったと思う。美大生だった彼女はいつも繊細で美しい絵を描いていた。おまけに彼女は美人で、人当たりもよかったし、かわいらしい笑顔でよく笑う子だった。

 だからこそ、リカが自殺した、なんて聞いたとき、わたしたちはそれを受け入れられなかった。

 彼女がどうして自殺を選んだか、理解できなかったから。

 遺書には、『あたしが間違っていました。ごめんなさい』とだけ書かれていたらしい。

 せめて最後にお別れがしたかったが、残念ながら立ち会えなかった。自殺、という事情もあり、葬儀は近親者のみで済ませたという。連絡を受けたあと、エミリと二人でリカの実家を訪ねることができた頃には四十九日も終わっていて、わたしたちが会ったリカはカルシウムの塊と戒名の碑と写真の中の自然な笑顔だった。



 わたしと親友のエミリとリカは、同じマンションで育った、いわゆる幼馴染だった。

 幼少期はよく誰かの家で女の子らしい遊びに興じたものだった――最も、リカは可愛いものが大好きな女の子らしい遊びを好んだし、エミリもそれは同じだった。わたしは男の子が好むような戦隊ヒーローの類が好きだったのだけれど。

 わたしたちが中学生になる頃、リカは引っ越しをした。家庭の事情だった。お父さんが事業に失敗し、借金を抱えた結果、リカの家は借金取りから追われるようにマンションを、地元を出て隣県に行った。引っ越してもわたしたちはメールで連絡を取りあっていたから、仲違いすることはなかったし、長期休みのときはリカに会いにエミリと隣県へ行っていた。純粋に、3人でいるのは楽しかった。


 最後にわたしがリカに会ったとき、わたしたちは大学4年生で、就活や卒論で忙しい時期だった。相談がある、とリカは言っていて、何かに悩んでいる様子だったけど、やはりリカはよく笑う子で、かわいらしい笑顔でわたしをリカの家に招き入れた。


 引っ込み思案のわたしだけど、2人といるときは、本当の自分でいられる気がした。

 ずっとずっと、大人になっても、3人で仲良くやっていくものだと妄信していた。

 一緒に育っても、結局わたしたちは性格も見た目も考え方もバラバラだった。リカは自分を持っていたし、エミリは何があってもへこたれない強いひとで。互いの価値観が食い違うこともしばしばだったし、お互いのことが理解できなくて言い争いになったこともあった。でもだからこそ、わたしたち3人は噛み合ったのかもしれなかった。でも、わたしたちはそれが理解できるほど、大人ではなかった。

 理解できなかったからこそ、続いた関係だったかもしれなかったと、今なら思う。



 わたしたちふたりは新しいアパートに荷物を運び入れていた。わたしがエミリの住む場所に転勤したタイミングでエミリの住んでいたワンルームの契約が切れたので、どうせならと2LDKのアパートを借りてルームシェアすることにしたのだ。


「やっぱ動くと暑いね」

「あ、私のそばにリモコンある、クーラー入れるね?」

 エミリはクーラーのスイッチに手を伸ばしながら呟いた。


「……リカが死んだ時期も、同じように暑かったんだろうね」

 続けて、

「正解ってなんだろうね」

 と、今度ははっきりした声で言った。

「なにが正しかったんだろうね」

 わたしはただ苦笑する他なかった。



 エミリにはひとつだけ、どうしても言えないことがある。

 最後にリカと会ったときのことだ。


「どうしたの? 人のいるところじゃ話せないって」

「ああ……それは」

 リカは一呼吸おいて、笑った。


「ミチは、エミリのことどう思ってるの?」


 背筋が、凍った。


「いや、ミチがほんとうは女の子なのわかってるよ? 小さい頃と好み、変わったもんね。中性的な服と髪型をしてるのも、そういうことなんでしょ? あれ、違った?」


 リカの言葉が、わたしを、侵食していくのが、わかった。


 その通りだったから。自分の体は紛れもなく男性のもので、幸い体つきこそがっしりはしていないものの、身長はそれなりに高かったし、男とみなされて男性ばかりの空間に放り込まれるのが苦痛で苦痛で仕方なかった。わたしの心は、女性のものかはわからないけれど、少なくとも、男性のそれでは、ないと確信していたから。

 それでもリカとエミリはどっちつかずのわたしと仲良くしてくれた。性別を超えて、一人の人間として、大切に扱ってくれた。その中で、わたしはいつからか、エミリへの恋心を自覚した。その関係を壊したくないと願って、必死に男性のフリをしてきた、気持ちを押し込めて男性として振舞ってきたつもりだった。MtFの自分が、女性を好きになったことが、怖くて。知られたら、すべてが壊れると思って。


 わたしは、どこで間違えた?


「なんでそんなこと聞くの?」

 やっと絞り出した言葉に笑ったリカの言葉が、かわいらしいと思っていたはずのリカの恐ろしい笑顔が、忘れられない。

「だって、好きな人のこと見てたらわからない? こんな性格の人なんだな、とか、この人のことを好きなんだな、とか、いろんなこと」

 ぞっとした。

「あ、図星? あたし、ミチのこと好きだよ? ね、あたしのものになってよ。そうしたらミチのこと誰にも言わない。これまで通り3人で仲良くしようよ。それでたまにあたしとデートしてくれたらいいよ」

 リカは、わたしに背伸びして、唇が触れるだけのキスをした。そのまま、わたしの履いていたズボンのベルトに手をかけた。リカとは小さい頃から一緒にいたはずなのに、心底気持ち悪い、と思った。

「あたしのパパが事業に失敗しなかったら、ずっとあたしたち一緒にいたら、ミチはきっと、あたしのこと好きになってくれたよね、だってあたしがエミリに負けるわけがない!!」

 力で抵抗すれば、きっと振り切れた。わたしの体は男だから。それができなかったのは、何も知らないエミリに嫌われたらどうしよう、という、みっともない感情だった。

「……こんなの、絶対、絶対間違ってる!! もういいよ! そうだよ! 全部合ってる! エミリのことが好きだし、自分は男でもない! でもお願いだから、頼むから、リカ、おれの……わたしの、大切なものを、もう壊さないでくれないかな!!」


 そのまま、わたしはリカの家を飛び出した。

 あとあと彼女の母親から聞いたことだけど、リカは精神的に病んでいたそうだ。そして、リカが死んだ日はわたしがリカの家を訪ねた次の日だったらしい。


 きっと、リカは追い詰められて限界だったのだと思う。そして、わたしの言葉が、リカを殺した。

 そのことを、エミリは知らない。知らないままでいい。



「なにが正しかったんだろうね」

 わたしは苦笑する他なかった。

「今となってはわからないよ。リカが何を間違ってたと思って、何に詫びて逝っちゃったのか、もうわからないから」

 エミリの言葉に、それはきっとわたしに対してだ、とは、言えなかった。

「そうだね」

 

「でも、ミチ、本当によかったの? その姿で、暮らすことを選んだこと」

「……いいの。この姿の方が、きっとエミリといるには自然だし、なんだかんだ今の仕事は男社会だから都合がいいこともあるしさ」

 エミリは、わたしの心の性別を知っても、わたしを受け入れてくれた。

 だから、あの日リカと何があったかは、墓まで持っていこうと思う。

 今のささやかな幸せを壊さないために。3人でいた日々が、美しい思い出のままであるように。


「……リカの絵、ここに飾るよ?」

 わたしはリカの描いた絵を持って脚立に登る。

「うん。私じゃ届かないから助かる」

 わたしの体の性別は間違ったままだ。でも、エミリといる日々が、わたしの正解だから。

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正解 佐宮 綾 @ryo_samiya

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