第二話 一人百物語 4

 辺り一面に、一筋の光も無い漆黒の闇が広がっている。

 右も左も、上も下も分からない。なんで、何でこんな事になっちゃったんだ⁉

 まるで夜の海にでも放り込まれたような冷たい不安だけが襲ってくる。


「お姉さん!お姉さんどこ――⁉」


 たまらなくなって叫んだけど、声は闇に吸い込まれていくばかり。俺、いったいどうなっちゃったんだろう?

 恐怖に憑りつかれて膝をつく。もう一生この闇の中から出られないのだろうか。そう思っていると……


「安心して良いわ、これは夢の中だから」

「お姉さん!」


 聞き覚えのある声に顔を上げる。見ると暗闇は相変わらずだったけど、目の前には見慣れたセーラー服姿のお姉さんが立っていた。


「お姉さん!」


 思わずその体を抱きしめる。不思議な事に、こんな暗闇の中でもお姉さんの姿はハッキリとみえる。その色白な肌も、真っ白な制服も、まるでそれ自体が発行しているかのように、ぼうっと光って見えた。


「夢の中ってどういう事?お姉さんはいったい何なの?」


 涙交じりの声で問い詰める。するとお姉さんはいつもと変わらない笑顔のまま答えてくれた。


「夢は夢よ。私の見せている夢。目が覚めれば、君は元の神社にいるわ。それと、私が何なのかって聞いたけど、何だと思う?ヒントはもう出しているわよ」

「ヒントって……」


 記憶をたどってみると、出来ればあまり考えたくない仮説が生まれてしまった。

 怖い話をすると、良くない気が生まれる。人ならざるモノは、その良くない気を食べるという。お姉さんは良くない気を食べたって言っていた。ということはこのお姉さんって……


「……人ならざるモノ?」

「……正解よ」


 そうか、正解したのか。できれば間違いであってほしかった。でも、お姉さんが人じゃないって。いったい俺をどうするつもりなんだ?


「お、お願いだから、命だけは助けて」


 頭を下げて、精一杯懇願する。こんな俺を、情けないと思うなら笑えばいい。なんと言われようと殺されるよりはマシだ。


「ふふふっ、どうやら君は勘違いをしているようね。私、これでも君に感謝しているのよ。おかげでようやく、本来の力を取り戻せたんだもの」

「本来の力?」

「そう。私はね、死んだ人間の魂を食べる存在なの。妖とも悪魔とも呼ばれたことがあるけど、本当のところはどうなのか、私にだって分からないわ。ハッキリしているのはしばらく前に弱体化してしまうような出来事があって、以来ずっと力を取り戻す方法を探していたわ。あの神社を根城にして、ずっとチャンスを待っていたの。そして、そこに君が現れたってわけ」


 お姉さんの言葉に、俺は愕然とした。それじゃあ今日まで怖い話をさせていたのは、自分の力を取り戻すためだったの?


「さ、さっき死んだ人の魂を食べるって言ってたけど、お姉さんは人を殺して魂を食べるの?お、俺も殺すの?」


 震える声でそう言ったけど、お姉さんは首を横に振る。


「さっきこうも言ったでしょ、君には感謝してるって。だから殺さないわ。君以外の人間は……殺すこともあるわね。力を取り戻した私なら、造作も無い事だし」


 物騒な事を楽しげに語っている。本当にこの人が、俺に優しく語りかけて来てくれたお姉さんなのだろうか?


「ああ、勘違いしないでよ。別に君を騙していたわけじゃ無いから。私、嘘は嫌いだもの。嘘をつく奴なんて、死んでしまえばいいって思ってる。君が『どうして怖い話を聞きたいの』って聞いてくれさえすれば、本当の事を話していたわ。聞かれなかったから黙っていただけ」


 たぶん、嘘は言っていないと思う。何故かそんな気がする。さっき嘘は嫌いって言った時のお姉さんの目、何だか怖かったし。きっと本当に嘘を嫌っているのだろう。

 にもかかわらずお姉さんを疑ったりしたら、逆鱗に触れて何をされるか分からない。ここは黙って頷いておこう。俺、まだ死にたくないもの。


「そ、それでお姉さんは。魂を食べるためにこれから人を殺すのですか?町の人を」


 死体の山が転がっている町の様子を想像して、背筋が凍るような気持ちになる。だけどお姉さんは、これにも首を横に振った。


「しないわよ。だって私が手を下さなくても、近いうちにこの町では、多くの人が亡くなるもの。その人たちの魂を食べれば良いだけだから」

「えっ?多くの人が亡くなるって、それってどういう……」

「言葉通りの意味よ。そういう災いが起きるの。近いうちにね。ふふふっ、本来これは言っちゃいけない事なんだけど、君には特別に教えてあげてるんだからね」

「そ、それはどうも」


 正直全然ぴんと来ないけど。でも、嘘を言っているとも思えない。災いって何?大きな台風が直撃するとか、大地震が起きてたくさんの人が亡くなったりしちゃうの?


「いいこと?せっかく教えてあげたんだから、早くこの町を出ることね。でないと、せっかく教えてあげたのが無駄になっちゃうもの。それは、私に対する裏切りと同じだから……」


 『裏切り』と言った時、いつも笑っていたはずのお姉さんの目は笑っていなかった。姿は相変わらず綺麗なままなのに、もうこの人からは恐怖しか感じない……いや、まだちょっとだけ、綺麗だなって思ったりはするけど。


「もし逃げてなくて、これから起こる災いで死んじゃったりしたら、その時は君の魂は遠慮なく頂くから。その時はアッサリ食べられるなんて思わないでね。たっぷりと裏切った罪を償わさせるんだから。あらあら、そんな泣きそうな顔をしなくても大丈夫よ、もしもの話なんだから。君が裏切りさえしなければ良いんだし」


 そんなこと言われても……これで泣くなと言う方が無茶だよ。

 目に涙を溜めて固まっていると、お姉さんはそっと近づいて来て、両手で僕の両頬を抱え込んだ。


「ありがとうね、力を取り戻させてくれて。君の語る怖い話、本当に好きだったわ」

「あっ、ああっ……」

「じゃあね。くれぐれも、裏切らないでね」


 そう言い終わった瞬間、いきなり唇を奪われた。

 キスされた⁉何で⁉あまりの事態に頭が追い付いていけず、目を白黒させる。だけど何度目かの瞬きが終わった時、今まで広がっていた闇が唐突に消え去った。


「―――ッ⁉」


 さっきとは打って変わって、日の光の眩しさに再度目を瞑る。その後恐る恐る目を開けてみると、そこは元いた神社だった。


 闇に飛ばされる前と何も変わらない、見慣れた社が目に飛び込んでくる。さっきまでと大きく違う所と言えば、隣にいたはずのお姉さんがいなくなっているということ。

 お姉さん、消えてしまったの?


『くれぐれも、裏切らないでね』


 最後の言葉を思い出し、恐怖で身を震わせる。もしかして俺は、とんでもない人に力を与えてしまったのかもしれない。一人で語った、百物語によって。


「……帰ろう」


 色々と思う事はあるけれど、このままここにいても仕方が無い。力の無い足取りで、神社を後にする。

 なんだかドッと疲れた。そう言えば、夏休みの宿題がまだ少し残っていたんだ。明日は始業式だけど、こんなんでちゃんと起きれるかなあ。 色々と頭を悩ませることはあるけれど、目下最大の関心事はそんな事では無い。


 お姉さんは近々この町を災いが襲うと言っていたけど、いったいいつ、何が起きるのか?そしてそれまでに、どうやってこの町を脱出するか。

 もし町に残っていて運悪く死んじゃったら、きっとお姉さんは許してはくれないだろう。もしかしたら、魂を食べられた方がマシってくらい、酷い目に遭わされるかもしれない。最後に見せたお姉さんの目を思い出すと、十分あり得るから怖い。


 とりあえず今夜にでも、お父さんとお母さんに遠くへ引っ越したいとお願いしよう。聞いてもらえるだなんてとても思えないけど、俺の命と魂が掛かっているんだ。絶対に何とかしないと。


 ああ、こんな事になるなら、怖い話なんてするんじゃなかった。そう後悔しながら、俺は一人家へと帰って行くのであった。




 ※麗子さんのコメント


 綺麗な女の人の元に毎日通っていたら、実はそれが人ならざるモノだった。昔から使われている手法ね。いつの時代にも、男は美人に弱いものなのね。

 けど、案外良い人……いえ、いいオバケだったのかもしれないわね。命を奪わずに、危険が迫っている事を教えてくれたのですもの。

 この後、男の子は無事逃げられたのかしら?それはまた別のお話、ね。

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鹿島麗子の百物語 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi

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