文学少女、襲来
白猫亭なぽり
文学少女、襲来
アキラはいつも、執筆に煮詰まると僕の部屋にやってくる。
理由はよくわからない。「風が気持ちいい」「ここから見える海が綺麗」とか、適当にはぐらかされてしまうのがオチだ。
確かに、僕の部屋は風通しも眺めもいい。夏を堪能するには悪くない場所だが、それにしても今年の暑さは酷い。
元気なのは外で遊ぶ子どもたちくらいで、蝉の声もどこか力がない。風も日差しも爽やかとはほど遠い。サイダーのペットボトルにも彼女の額にも、汗の玉が浮かんでいる。
小さな頭に不釣り合いな大きなヘッドホンをかけ、行儀の悪い姿勢で彼女はペンを走らせる。文芸誌の端から彼女を見つめる、僕の視線にも気づく様子はない。
普段のアキラは物静かで、あまり感情を表に出さない。
眼鏡の奥の眼差しは、いつも少し眠たげ。クラスでも積極的に発言することなく、輪の外でつまらなそうに頬杖をついているタイプ。「地味なやつ」と言われることも多い。
でもそれは、本当の彼女じゃない。
小説を書いているアキラは、実に表情豊かだ。唇を尖らせてペンを走らせていたかと思ったら、次の瞬間には少し疲れたように虚空を見上げている。まるで僕には見えない、小説の神様とでも交信しているように。
そんな短い『対話』のあとには良いフレーズが浮かぶのか、口角をあげ、いつもより少しだけ目を見開いて、先程以上の勢いでページを埋めてゆくのだ。
蝉しぐれも、風の音も、子供の声も、夏の日差しも、いつしか遠くなってゆく。
僕の耳に響くのは、サイダーの泡が弾ける音と、アキラの静かな息遣いだけ。
僕の目に映るのは、一心不乱にペンを振るうアキラだけ。
君がこの部屋にいてくれれば、他には何もいらない、なんて錯覚してしまう――。
「ハル、起きてる?」
いつの間にか僕の顔を覗き込むアキラに気づいて、我に返った。
思った以上に近い、彼女の整った顔。
僕のものともこの部屋のものとも違う、ほのかな香りが漂ってきて、思わずしどろもどろになってしまう。
「顔赤いけど、大丈夫? 熱中症じゃないよね?」
体を起こした僕に、彼女は紙束を突き出した。そこでは少し崩れた文字が所狭しと踊っている。
「できあがったから、読んで。……体調良くないなら、後でもいいけど」
「平気だ、何もない。読むよ。大丈夫……大丈夫だ」
「変なハル」
歌うようにそういってサイダーを口にした彼女は、僕の慌てぶりがおかしかったのか、クスリと笑う。
滅多なことでは表情を変えない彼女が、僕の部屋で原稿を書いた後に浮かべる素敵な微笑み。それこそが、「ハルの部屋で、小説書かせて?」というおねだりを断らなかった僕への、最高のご褒美。
いつからそうなのかなんて覚えていないけど、彼女が小説を書くのに夢中であるように、僕は小説を書く彼女と、その笑顔に首ったけなのだ。
文学少女、襲来 白猫亭なぽり @Napoli_SNT
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