大草原と小さな林檎
木沢 真流
第1話 大草原と小さな林檎
見渡す限りの大草原。
そのど真ん中に彼はいた。
360度、どこを見回しても同じ風景。そんな果てしない空間の中心に、一人の少年は立っていた。
生え尽くす草たちは、少年の肩ほどの高さはある。それらは吹き付ける風に身を任せるようにダンスを踊る、とても楽しげに。揺れるたびにその顔色が緑から黄緑へ、時には光を反射して眩しい白にすら変貌を遂げる、まるでにこりとするように。
風が吹く。
その度に草たちは狂気乱舞し、くねくねと踊る。その、さあさあ、と
天を仰ぐ。
そのだだっ広い空の青は薄い橙へと見事なグラデーションを見せていた、もう夕暮れなのだろうか。
少年はそのキャンバスを見上げながら沈黙を放つ。そして大きく口を開けると、その生暖かい風を思いっきり胸の中に吸い込んだ。
「…………」
その草むらに埋もれそうな背丈で、少年は必死に背伸びをした。そして遠くを見つめる。すると見えた、一本の大木が。
その大木はどっしりとした幹を携え、活き活きとした深緑の葉をその枝に散りばめる。
少年はその姿をはっきりと確認すると、それに向かって歩き始めた。
右手で草をかき分け、左手で藪を避ける。右足で強く茎を踏みつけ、左足で踏み出す先は、その未来。ほんの数メートル進むのに少年は並々ならぬ労力を要した。
それでも少年の表情に曇りはない。疲労のひの字も彷彿させないその面持ちで、ずんずん進んでいく。
やがて少年は大木の元へたどり着いた。
大木の周りは綺麗な円形に草むらが切り取られていて、その赤茶けた大地が顔を出した。その土に一歩踏み出すと、少年は大木を見上げた。首を直角に曲げてもその視界に収まりきらない無数の枝と葉。
まるで一つの宇宙——そんな大木の前では少年はただの葦となんら変わらないほど、ちっぽけな存在だった。
少年が視線を落とすと、大木の前に一人の少女が立っていた。
少女は腰まで届く、2つに分けた三つ編みの髪を揺らし、その大木を背景に白のワンピースを輝かせていた。そして少年を懐かしむように笑顔を見せる。
少年が少女の前に立つと、少女の笑顔はますます大きくなった。その親しみを込めた笑顔はずっと前から彼を知っているかのようだった。
そして優しい声でこう呟く。
「やっと会えたね」
その笑顔を崩さぬまま、さっと白のワンピースについているポケットに手を突っ込んだ。しばらくそこをまさぐると何かをつかんだようだ。それを少年の前に差し出す。
その白く細長い少女の手。吹けば飛んでしまいそうなその手のひらに乗っていたもの、それは小さな林檎だった。皮は青黒いが、どこか艶のあるその球体。少年には優しい白の上に乗るその青が、まるで宇宙に浮かぶ地球に見えた。
少年はそれを受け取るとしばらく見つめてから、自分のポケットにつっこんだ。
「ありがとう」
その小さな囁きに、少女はにこりと微笑んだ。
少年は少女に背を向けると一歩ずつ歩き出した。
一歩、一歩、草原に向かって歩くにつれ、大木が遠ざかる。
あるところで振り返ると、もうそこに少女の姿はなかった。
……そっか、あの子もこうやってここまでやってきたんだね……
少年は草むらの中に再び足を入れる。
右手で草をかき分け、左手で藪を避ける。途方もない労力を惜しみなく注ぎ続ける。
前へ、前へ——。
気づけば少年は大草原の真ん中に立っていた。
見渡す限りの大草原。
そのど真ん中に彼はいた。
360度、どこを見回しても同じ風景。そんな果てしない空間の中心で空を見上げると、そこはもう既に一面が藍色で満たされていた。白く光る三日月の眩しさに思わず目を細める。
だが少年は先ほどとは何か違うことを感じていた。それはポケットにある林檎。これのお陰で前へ進める気がした。
少年はポケットにあるその感触を確かめてから、また一歩ずつ前へ進んでいくのだった。
大草原のその先へ。
大草原と小さな林檎 木沢 真流 @k1sh
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