土用の丑の『う』
芹意堂 糸由
土用の丑の日
ふわりとワンピースの裾が風に舞って、少女は汗を拭う。暑い夏のお昼頃、少女は学校から家に帰ってきた。
「お母さん、ただいま」
「おかえりー」
少女はダイニングチェアにランドセルをかけると、ランドセルの中から一枚の紙切れを取り出して、キッチンの母親に苦笑する。
「……成績表かえってきた」
「あら」
「ここにおいとくね」
ひらひら紙切れを振って、小さなテーブルにそおっとおく少女は、含み笑いをしながらリビングから離れようとする。
「あら、どうだったの」
そんな少女を制するように、母親は少女に言問う。少女はぎくり、といった風に体をのけぞらせた。
「まあまあよ、まあまあ」
「三角(もう少しがんばりましょう)はなかったでしょうね」
再び少女は、ぎくり。
母親は刹那だけ表情が消えたけれど、少女はなにもなかったかのようににやけた。
「まあ、人間、ミスもあるもの」
「何度もすると、それはミスではなくなりますよ」
「まだミスだよ、ミス」
「もう、心構えが悪いんじゃないかしら」
少女は唸って、ごろんと寝転ぶ。その表情はまるでゴーヤを食べた後のよう。母親は容赦なく少女に言葉を投げる。
「お父さんにも、それを“ミスです”って胸を張って言えるのかしら」
「うぅ……」
呻く少女を一瞥して、母親は表情を和らげる。まあ次頑張りなさい、お父さんにも報告してきなさい、と母親は微笑んだ。
「はーい」
少女はリビングから離れた仏壇に寄り、その紙切れを向ける。
「お父さん、このざまです」
「物騒な言葉つかわないのー」
「お父さん、これです」
少女は言い直して、鈴を鳴らした。母親からは、鳴らす必要はないと言い聞かされているけれど、その音が好きな少女はよく鳴らす。母親がその風景を眺めて目を細めた。
少女が母親のもとに戻ってから、少女は話を切り出す。
「お母さん、そういえば今日、土用の丑の日なんだって」
「あぁ、そういえばそうだったわね」
少女は一拍おいて、母親に告げる。
「『う』のつくものを食べると、夏負けしないんだってさ」
「そう言うよねぇ……」
母親は口をすぼめる。
「鰻とか、でしょう」
「そうそう」
「でも、高いのよね……」
今年は例年より漁獲高が減少しているらしいのよ、と少女には些か難しい言葉をつかう母親に、少女は顔をしかめる。
「うどんとか、どう」
提案する母親に少女は、
「いいね」
と棒読みで応える。
どうやら鰻が食べたいらしい娘に、母親は肩をすくめた。でも、鰻は少し、高い。どうしようか、と母親は考えこむ。
少し沈黙が続いて、少女が笑って、口を開いた。
「でも、お母さんの料理はうまいから、なんでも、『う』がついてるよね」
「…………」
母親はわが子に微笑みで返して、今日の晩御飯はちょっとでも鰻を入れることを決めた。
天国のお父さんも、きっとふたりを笑顔で見守っていることだろう。
土用の丑の『う』 芹意堂 糸由 @taroshin
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