隠したものの、あるがまま。

アーモンドゼリー。

第1話

草の裏に、私はいた。


私を探している者がいるが、どうやら気付いていないらしい。


まあ、致し方ない。

私は、幼少期から隠れることには長けていた。

隠れ鬼では、必ず一番最期まで残っていたのだ。

草の影に同化するなど、極めて容易い。


「……おォい、どこだァ?」


私を呼ぶ男の声が聞こえる。

我が親愛なる友人だろう。


彼なら見つけてくれるのではないか。

期待が胸の辺りで躍動するのを感じた。


草を踏みしめる音が、波のように聞こえてくる。

彼は、私のすぐ近くまで来たようである。


ようやく見つかるのか……と、満足と断念の織り混ざった何とも形容しきれない思いが、私を包みこむように感じた。


もう待つ必要はなくなった…………。



と思ったが、しかし……彼は直前で遠のいて行った。


「ここにもいないのか……」


いや、いるではないか。

たしかに私の陰は薄いであろうが、草との違いくらいは分かってほしいものである。



……私は、少しカタカタと笑った。


そのときには既に、草を踏み抜く音は聞こえていない。


彼はもう、ここに来ることはないのだろうか。

来るとしても、ずいぶんと待ちそうである。



すでに、私は隠れることに飽きていた。

ここにいるだけで、何をすることもできないのだ。


影の色もまた嫌いであった。


面白いことといえば、自然の色と、虫の運動だけだろうか。


青空や緑草、または白雲が美しくそびえているのを見ると、私の気分は濾過ろかされる。


また、ダンゴムシの軽やかな脚運び、統率とうそつの取れているであろうアリの軍隊……。


普段は虫螻むしけら卑下ひげする存在であるが、このときばかりは、その小さな生命の輝きが眩しく感じられた。


傾きゆく太陽の光は、等しく彼らを照らすのである。


草の影で佇むしかない私は、彼らを妬まざるを得なかった。



……ちょうど、そのときである。


「ここら辺じゃあない?」


「この辺りはさっき探してみたが、この奥は見てなかったな……」


先刻の友人と、また別の、私と親しかった者の声が届く。

この奥……ということは、ようやく見つかりそうである。

期待ではなく、むしろ確信とまで言えるものであった。


彼らはゆっくりと、また草を踏みしめて来る。

虫たちは、その振動を感じて逃げ去ってゆく。



さて……数えるほどもなく、その距離はもう顔が視認できるほどまで近い。

息は凄まじく速くなっているように見える。

彼らの頬には、雫がビッシリと浮かび上がっており……。


「…………は」


ようやく見つかってしまったようだ……。


「待てよ……なんなんだ…………」


彼らの顔には、絶望が色濃く塗られていた。

瞳は極端に小さく、小刻みに震えるほどに。

さきほどまで滴っていた汗は、もはやそこにない。


その頬は、限りなく道化師の化粧に近いと言えるほど、白く変化していた。


さて、彼らは膝から力が放散したらしい。

力なく、手のひらを地面につけて、項垂れている。

アリやダンゴムシは、その下で、足掻く隙もないまま生を奪われたかもしれない。


さて……隠れ鬼は終わってしまった。


彼らの目に、私の死体はどう映ったのだろうか?


月日が経ちすぎたゆえに、もはや白骨死体と化してしまっただろうか?


どうあれ、私の身体を見つけ出してくれたことはとても嬉しい。

彼らが、どれだけ衝撃に打ちひしがれるとしても、私の死を認識してもらいたかった。


私は、私の陰の薄さゆえに、モノクロームな人生しか知らなかった。

日差しなど浴びることなく、白か黒かの影の世界である。

そんな世界を十数年も生きれば、飽きるのは自明の理というものだ。


私は、毒物を手に入れ、この森の奥で静かに死ぬことを決意したのであった。


この森に来たとき、身体を駆け巡る黒い血が、生涯で最も色付いたと言えるだろう。

私はここで、一人虚しく死に行った。



……しかし、死んでからというもの、私の魂はここに留まり続けた。

何故だか、当時、私はそれについて想定さえしなかった。

それもまた、モノクロームの副作用かと思える。



……だが、死んでからというもの、詳しく色を知ることとなった。

生きているときも、色は知っていたはずであった。


何故であろうか、ここまで鮮やかなものであったことを、初めて知覚したのであった。

私がここに留まり続けた理由とは、色を知るためなのであろうか。


そこで初めて、想定が生まれたのである。

私は、色が知りたかったのであろう。


世界に溢れる些細な幸せ、色とはつまり幸福なのだと。

身近にあったその幸福を、見ないフリをしていた私は無意識的に追い求めていたのだろうと。


そして、幸福に集う小さな世界の営みを、羨んでいたのだとも思う。

息吹ある生命の色を。

光に照らされてひたむきに生きる、小動物の努力を。


だからこそ、見つかるまでは留まり続けようと、むしろ見つかるまでは昇天などできないであろうと思った。


もはやこの世に悔いはない。

来世があるのならば、私は決して諦めない。

こんなにも美しい世界なのだから……。



…………私は号泣し続ける友人たちを見る。

感謝を伝えたいが、その術を私は知らない。

それを考える時間もない。


隠れ鬼の終結とともに、私の未練もまた終結した。

まもなく、上が私を呼びに来てもおかしくはないだろう。



……ならば、せめて最期に、伝えられるか否かなんてどうだっていいから、やっておきたいことがある。

それができたならば、本当に未練などない。


私は、自分の霊体をできる限り彼らへ近づけた。


私の試したかったことは成功であった。

私の霊体は、どうやら亡骸と強固に結びついているらしく、遠くへ行くことはできぬらしい。


私と友人との距離でさえ、危ういところであった。

……が、なんとか手が触れられるところまで容易に近づくことができた。


私は、その嬉しさに羞恥心を忘れた。


……女として、最期にできることはこのくらいである。



私は、彼と唇を重ねた。


ないはずの心臓が、規則的な舞踏で私を酔わせている。

愛の酩酊めいていによって、どれほどの時間を忘れたのだろう。


だが……天は私に、満足できる以上の時を与えはしなかった。

いや、そもそも満足なんてないのだ。


こうしていられる時点で満足しているわけであるし、愛の酩酊に、満足の臨界点など定められはしないのだから……。



体が薄れゆく中で、私は彼の顔を見た。

それはどこか、少し笑っているようにも見えた。


隣の彼女とお幸せに、などと母親じみたことを内心で言う。


そして、目の前の友人たちは、私より輝いているのだなぁ……と……………。

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隠したものの、あるがまま。 アーモンドゼリー。 @Almond_Jelly

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