第6話 少年は幽霊にからかわれる

 次の日太一が学校に行くと、宣言通り玲二は教室で待っていた。


「お、やっぱりこの教室であってたか」


 太一は一度玲二と目を合わせると、何も見ていないといった顔で自分の席へと向かう。


「なんだよ、そんな塩対応じゃなくてもいいだろ」


 玲二が不満を垂らしながらそれについていく。

 太一は席についてから、玲二にだけ聞こえるような小さい声で言った。


「教室では返事しないって言っただろ」


 太一は図書室で初めて玲二と会った時のことを思い出していた。太一が玲二の言動に驚いて大きな声を上げたところ、花房に一人で大きな声を上げていると思われたことだ。

 あの時は、太一の下手なごまかしでも花房は信じたが、そう何回もごまかせるものではないだろう。

 そんなことを繰り返していたら、太一が一人で喋っている奴だと噂になるかもしれない。太一はそれを危惧していた。


「ちぇっ、分かったよ。じゃあまあノートの端にでも返事書いてくれ」


 なるほど、と太一は思った。筆談なら、誰にも怪しまれずに玲二と話すことができる。


 しかし実際に授業が始まってみると、他の問題が発生した。

 玲二がずっと話しかけてくるので、それにいちいち文字で返事していて授業のノートが取れないのである。

 後ろの席の人から見たら、太一がものすごく熱心に授業のメモを取っているように見えているかもしれないが、全くそんなことはない。

 むしろ普段より取れていないくらいだった。


 玲二が太一に話しかける内容としてはクラスの誰と仲がいいのかとか誰がクラスの中心人物なのかとかそんな他愛もないもので、それでも玲二はずっと話していたので、おそらく玲二はお喋りな性格なのだろう。


 事件が起こったのは三限目の数学の時間のことである。

 一、二限の間話し続けて、それでも玲二の喋りは止まらなかった。三限目に入ってから玲二は、髪は長い方が好きとか美人系が好きとか自分の好きな女子のタイプについて語り続け、それに対して太一は授業内容に耳を傾けながら、片手間に『へえ』とか『ふうん』とかそんな返事をノートに並べていた。


「というかさ、太一は好きなやつとかいねえの? 気になってるやつとかさ」


 チョークが黒板を叩く音とシャーペンがノートを走る音だけが響く静かな教室で、玲二はいつもと変わらない声量で話す。それでも誰も気にも留めないのは、もちろんその声が太一にしか聞こえていないからである。


『いない』


 太一は板書を写す合間を縫ってノートの端にペンを動かす。


「そっか。でもこのクラスにも可愛い子結構いると思うけどな。ほら、あのちょっと髪短めの目大きい子。健康的美少女って感じ」


 玲二がそう言いながらまひるを指さす。

 太一は全面的に同意だったが、あえてなにも反応しなかった。


「俺のタイプとはちょっと違うけどな。キスするならああいう子がいいよなあ」


 玲二とまひるがキスしているところを想像して、太一は思わず声を出してしまった。


「ちょ、それは駄目――、っ!」


 授業中であることを思い出して慌てて口を手で覆う。

 幸いそこまで大きい声ではなかったらしく、黒板に板書している先生は気付いていなかった。が、太一の周りの生徒は不思議そうに太一の方を見ていた。

 太一は斜め前の方に座っていたまひると目が合って、咄嗟に目線を下げる。


(片桐に見られた……!)


 周りの生徒が黒板に視線を戻したのを確認してから、太一はノートを一枚めくって大きな文字で『だから嫌だったんだ!』と書きなぐった。そのまま非難の視線を玲二に向けると、玲二は同情とからかいが混ざったような顔で笑っていた。


「ごめんごめん、別に俺は悪くないような気もするけど」


 そう言いながら笑い続ける玲二を太一はさらに睨みつける。


「ごめんって」


 玲二はやはり反省はしていないようだったが、太一は気を取り直して授業に集中することにした。

 そんな太一に向かって、玲二はからかい口調で言う。


「というか、やっぱいたんじゃん。好きな人」


 その後、その日の授業中、太一が玲二に対して口を利くことはなかった。



***



 夜の学校は、まるでこの世界から切り離されたみたいに静かだ。

 誰もいない長い廊下、広い体育館、屋上から見下ろす景色だって昼に見せていたものとはまるで違う顔を見せる。


 屋上に寝転んで空を見ながら、まるで本当に死後の世界に来ているみたいだと玲二は思った。事実、玲二は此処にいるが、決して生きてはいなかった。息はしないし心臓は動かないし、熱いも寒いも痛いも感じない。

 しかし外的な刺激は何も感じないが、楽しいとか悲しいとか感情は湧き上がってくる。身体は死んでるけど心は生きているような、玲二はそんな状態だった。

 玲二は今日の放課後、太一に言われたことについて考えていた。


『玲二って物を触ろうとしてもすり抜けるんだよな。床とかはどうなってるんだ? 地面は踏めるのか?』


 玲二にとっては意識したこともなかった指摘だった。

 確かに何も触れられないのだから脚が地面に触れることもできないだろうし、ということは床に立つこともできないだろう。

 しかし、玲二は普通に地面を歩いているし階段だって昇っている、つもりだ。自分でそう思っているだけで、実は少し浮いているのかもしれないが。


 玲二の格好は死んだときのそのままの姿なので、足には黒のローファーを履いている。今となってはそれを脱ぐことすらできない。なので、厳密に足が地面と付いているのかどうかはよく分からないのだ。

 玲二は生きている時と同じように足を上げて前に進んでいるつもりだった。


 玲二はそう言ったのだが、太一は浮いてるんじゃないかと言っていた。

 本当がどっちかは分からないが、もし本当に浮けるのなら練習してみようと玲二は密かに思っている。


 それにしても太一は、どうすれば玲二が他の人にも見えるようになるかとか、なんだかんだ玲二のことをよく考えてくれていた。それは玲二にも伝わっていた。

 初めに本を開いたのが男だということを知った時は絶望したが、今となっては太一でよかったかもしれないと玲二は思っている。

 自分の好みのタイプとはかけ離れているような女の子が本を開いていたら、と考えると玲二は少しぞっとする。

 きっと未練のことも話せずに、もしかしたらその子とも関りがなくなって誰にも気づかれない世界でずっと生きていくことになっていたかもしれない。


 それに比べたら、太一の方がずっといい。今日だって、授業中はあれほど玲二のことを怒っていたが放課後にはちゃんと口をきいて話に付き合ってくれた。

 太一は玲二にもう教室には来るなと言ったが、きっとそれも冗談で本気ではなかっただろう。


(何というか、からかい甲斐のある奴だよな)


 本を読むのが趣味でおとなしいのかと思いきやあれで脳内は結構浮かれているし、根は真面目っぽいがどこか抜けていて決してつまらない人間ではない。

 もし同じクラスにいたら、きっと仲良くなっていただろうと玲二は思っていた。出会ってまだ三日だが、素直にそう思えた。



(それに)


 玲二は目をつぶる。


(確かに俺は失った青春を取り戻したくて幽霊になったんだろうけど)


 太一にもそう説明したし、それは間違いではないと玲二は思っていた。

 玲二は高校生はみんなキラキラした青春を送る物だと思っていたし、それができずに死んだのはすごく悔やまれることだった。


(だけど)


 おそらく玲二が幽霊になった原因はそれだけではない。


(俺が青春を謳歌したかったのは――)


 玲二が目をひらくと、夜空に散らばる星の中で最も明るいそれが、一度きらりと瞬いた。

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図書室の幽霊だって青春したい 神崎涼 @kitto410

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