第5話 少年は妄想に耽る

 放課後、太一は玲二に会うために図書室へと向かった。玲二は昨日から一日、何をしていたのだろうか。

 図書室に入る。玲二と出会う原因となった『少女の初恋』のある本棚へと向かったが、玲二の姿は見当たらなかった。

 今日も会う約束をしたが、確かにどこで会うかは決めてなかった。


「ここにいないってことは屋上かな……」


 太一は一人で呟きながら、『少女の初恋』を手に取った。昨日と違って、その本はあっさりと開く。ぺらぺらと数枚めくって、太一はその本を本棚へと戻した。



 屋上のドアを開く。太一はぐるっと見回して、端の方で寝転がっている少年の姿を見つけた。


「玲二」


 声をかけながら近づいていく。昨日ぶりにその姿を見たが、やはりどう見ても生きている少年にしか見えない。

 玲二が太一の呼ぶ声に気付いて、がばっと起き上がった。


「おお、太一。やっと来てくれたか。もう暇すぎて死ぬかと思ったぜ」


 お前もう死んでるだろ、というつっこみを太一は心の中でとどめる。


「屋上にいたんだな」

「授業中はけっこう校内をうろうろしてたんだけどな。放課後になったから屋上でお前のことを待ってたんだ」


 うろうろしていたということは自分のクラスの前にも来ていたかもしれないが、太一は全く気が付かなかった。


「昨日はあれからどうしてたんだ?」

「特に何をしてたわけでもないんだが、結局思った通り夜も寝れなかったんだよな。だからいろいろ調べて考えてみた。まず、やっぱり俺はこの学校から出られないらしい」

「出られないって?」

「俺さ、壁とかすり抜けられるじゃん。でも逆に、学校の周りに現実には何もない場所でも見えない壁みたいのがあんの。だから学校の外には指一本出せない状態になってる」

「玲二にだけ感じる壁みたいなのが学校の周りに張り巡らされてるてことか……」


 まるで結界である。そんなことが本当にあるのだろうか。


「まあもう今更驚かねえよ。家に帰りたかった気持ちもあるが、どうせ母さんとかは俺のこと見えないんだろうしな」


 とりあえず座れよ、と玲二に勧められるので太一は玲二の隣に腰を下ろした。


「それよりさ、今後俺はどうすればいいかについて考えてたんだ。女の子と何かをするにしても俺の姿を見えるのが太一だけっていう状況じゃあ話にならねえし」


 それに対して太一はうんうんと頷く。太一も昨日あれから考えたが、まずそれをどうにかしないと何も始まらないと思っていた。


「さっき授業やってる教室に入ってみて教壇の上とか立ってみたけど、やっぱり誰も俺のことは見えてなかった。ただ、何か違和感を感じてるような反応をする奴もいたんだよな」

「玲二のことに気付いてるってことか?」

「いや、気付いてるって程ではないと思う。なんとなく気配を感じるみたいな、そんな反応だった」

「人によってはうっすらと気配を感じれる、ってこと?」

「なんかなあ」


 そんなことがあるのだろうか。

 しかし、もし本当にうっすらとでも気配を感じれる人がいるのだとしたら、太一以外にも玲二のことを見える人がいたり見えるようになったりする可能性があるかもしれない。


「なにはともあれ、玲二のことを他の人からも見れるようにする方法を考えないとな」



 その日の帰り際、昨日と同様に部活終了のチャイムの音を合図にして太一が屋上から出ようとした時に、玲二が太一に告げた。


「あ、明日は授業の時間、太一の教室行くから」

「え、教室来るのか?」

「うん。だって暇すぎるし。授業中に堂々と学校中を歩き回れるってのも新鮮だったけど、もう飽きた」


 太一は、玲二が自分の教室にいる様子を想像する。


「なんでそんな嫌そうな顔してんだよ」

「嫌ってわけじゃないけど……。教室では話しかけられても返事返せないからな」


 周りからは玲二の姿が見えないわけだから、玲二と話していたら傍から見れば太一が一人で話している変な奴になってしまう。


「わあってるって。無暗には話しかけねえよ」


 太一はあまり安心できなかったが、かといって玲二に来るなとも言えなかった。本当に暇を持て余しているのであろうことは想像できたからである。


「分かった。じゃあ、また明日な」


 太一は玲二に見送られながら、屋上をあとにした。




 その日の晩、太一は自分の部屋でベッドに寝転がりながら『図書室の幽霊』を読んでいた。


 阿川コウは、読みやすい文章と爽やかなストーリーの作品が多いのが特徴的な若者に人気の作家である。太一は重めのミステリーなども読むには読むが、こういう作品の方が好みだった。 

 今回の作品『図書室の幽霊』は、何の記憶も持たないまま幽霊として図書室に現れた少女が、学校のいろんな生徒との関わりの中で自分の記憶を見つけていくという笑いあり涙ありの青春物語、であるらしい。


 まだ冒頭しか読んでいないので詳しい内容はまだ分からないが、ページをめくる手が止まらなくなるくらいに太一はのめりこんでいた。


「本の中ではうまくいくけど、現実はそうはいかないよな……」


 太一は現実での図書室の幽霊を思い浮かべる。当然、玲二のことである。

 女の子とキスがしたいという不純な動機(否応なしではあるが)で幽霊となった玲二は、女の子はおろか太一以外の誰にも見えないという絶望的な状況にある。

 そんな状況を太一はどうにかする方法を考えなければいけない。


「というか、俺だってキスしたいっつーの」


 どうすれば女の子とキスができるかなんて、キスをしたことがない太一には考えられるわけがなかった。なんたって太一は恋人ができたことすらないのだ。

 仰向けになって、天井を見つめる。佳史や他の友達に彼女ができて、太一は自分も彼女が欲しいと嘆いた。実際にそう思っていた。

 しかし、具体的に何かを行動したわけではなかった。そしておそらく、玲二と出会わなかったら今も口だけで何もしていなかっただろう。

 

 玲二と出会ったのも何かの縁だし、これを機に本気で彼女を作ろうと太一はそう固く誓っていた。


(自分だって青春を謳歌するんだ。そして、願わくばそれが片桐のような子と……)


 

 夏の夜、地元の神社にたくさんの提灯が連なり、時折吹く風に揺られながら辺りをぼんやりと明るく照らす。

 普段はがらんとした境内にはカラフルな屋台が並んでおり、多くの人であふれかえり、中には浴衣を着た人もいて。

 地元の神社で行われる年に一度の夏祭り、俺はストローで作られたスプーンでかき氷を少しずつ口に運び、熱くなった体全体を冷やすようにゆっくりと口の中で溶かす。

 右側に目をやると、俺の体を熱くさせている主原因である、赤い浴衣を着た片桐が林檎飴を舐めながら俺の横を歩いている。

 その距離は近すぎず遠すぎず、手が触れそうで触れない、そんな距離に少しもどかしくて――。



 そこまで妄想して、太一は現実へと引き戻される。気付けば頬が緩んでいた。


 想像するだけで幸せな気分になれるなんて、なんと幸せ効率がいいのだろうか。そして、もしこれが現実になればどれほど幸せなのだろうか。


 太一をもってしても、それを想像することはできなかった。

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