第4話 少女は少年に話しかける
図書室で男子高校生の幽霊と出会うという世にも奇妙な出来事を体験した次の日、太一の身には再び、普段なら起こらない非日常な出来事が起こっていた。
昼休みのことである。
いつも通り佳史と昼ご飯を食べ、大会前という理由で佳史が二日連続で部活のミーティングに行ってしまったので、太一は自分の席で本を読むことにした。
本の題名は『図書館の幽霊』。数日前に電車の広告で目にしたものだ。
昨日、本を借りに図書室に行ったのに玲二の出現でそれどころではなくなって結局借りれず仕舞いだった太一は、帰り道でその本のことを思い出して偶然にも幽霊繋がりだと、その足で近所の本屋へと向かって買ってきた。
高校生の懐事情では本の新刊を買うのはなかなかハードルが高いことだが、なんとなくこの本は買ってもいい気がした。幽霊とか関係なく、好きな作家の新刊なので買って失敗となることはないだろうというのも理由の一つだったが。
非日常な出来事が起こったのは、この本を読んでいた時のことだ。
「それって阿川コウの新刊?」
太一は初め自分が話しかけられていることに気付かず、近くから声がするなと思ったくらいだった。なんたって教室ではクラスの人数の半数くらい、二十人程度の人が複数人ずつ集まってお喋りをしている。
中には太一と同じように一人で過ごしている人もいるが。
その声も教室の誰かの会話の一部だと聞き流して、流した言葉の中の阿川コウという言葉が耳に引っ掛かった。
阿川コウはそれなりに人気のある作家だが、その名前が太一のクラスで行われる日常会話に出てくるとは思えない。
恐る恐る本から顔を上げて、太一は心臓が跳ね上がるのを感じた。
そこにいたのは、見るからにさらさらの髪を肩の高さで切り揃えた女の子であった。
「か、片桐?!」
少女の名前は
太一と同じクラスで女子テニス部に所属しており、くりくりとした大きな目の健康的美少女といった女の子である。
花に例えるとしたら、ひまわりといったところだろう。実は太一は、まひるに対して密かに好意を持っていた。
ただでさえ女子と話す機会の少ない太一が、ろくに話したこともないクラスの可愛い女子に話しかけられたのだから、心臓が跳ね上がってしまうのも無理がないことだろう。
「あ、ごめんね、読書中に話しかけちゃって」
まひるが少し申し訳なさそうな顔をする。
そんな顔さえも太一には可愛く見えた。
「いや、全然大丈夫」
太一は本を閉じて、改めてまひると向き合う。
「片桐、阿川コウ知ってるのか?」
「うん、私結構好きなんだよね。坂上くんが読んでる本の表紙、どこかで見たことあるなあと思ってさ。阿川コウの新作だって思い出して思わず声かけちゃった」
太一は普段、本にはブックカバーをする派の人間である。昨日はあんなことの後だったからか、店員とのやり取り中にぼーっとしていて気付けばブックカバーをつけずに本を受けとっていた。
その時は失敗したなと思っていたのだが、昨日の自分に感謝である。ブックカバーをつけてなくて、本当によかった。
「へえ、なんか意外。片桐もこういうの読むんだ」
何の気なしに太一はそう言ったが、まひるは少しほほを膨らませた。
「ええーひどいな坂上くん。私だって本を読みたくなる時くらいあるよ」
「あ、ごめん、そういうつもりじゃなくて! ただ、片桐が本を読んでるイメージなかったから。あ、別に読まなそうとか言ってるわけではなく」
話すほど太一は自分が何を言ってるのか分からなくなったが、幸いまひるは納得してくれたらしい。
「まあ確かに私、学校では本読んだりしないしね。そんなイメージないのも仕方ないかも」
「そうそう、どっちかっていうとアウトドアなイメージ。テニス部だし」
「あれ、私の部活を知ってくれてたの?」
「そりゃあ――」
当たり前だ、と言いかけて太一は必死にこらえる。
「まあ、たまたまだよ。クラスの人の部活なんて大体知ってるものだし」
なんて太一は言ったが、実のところそんなことはない。正直男子ですら怪しい人がいるくらいで、女子なんか半数くらいは何の部活に入っているのか曖昧だった。
しかしそんな太一の言葉をまひるは疑わなかった。
「そっかそっか。坂上くんは部活入ってないんだっけ?」
まひるのその言葉に、今度は太一が驚く。まさかまひるが、自分が部活をやっていないことを知っているとは思わなかったからだ。
「よく知ってたな」
「そりゃあクラスの人の部活なんて大体知ってるもの、でしょ?」
まひるが笑いながら太一の言葉を借りて言う。
そんなまひるにつられて太一も笑う。太一にとってはその場しのぎに言ったことだったが、なんとなくまひるなら本当にクラスみんなの部活を知っていそうだと思った。
「なんで部活しないの? あ、これ非難とかじゃなくて純粋に興味ね」
まひるにそう聞かれて、太一は少し言葉に詰まる。
「なんでって言われると難しいな。そんな大層な理由はないんだけど、なんというか、何がしたいのか決めかねてたらずるずるとここまで来てしまったって感じかな」
本当のところは、太一が部活をしていないのには一つの理由があった。
が、ここでまひるに話すような内容ではないだろうと思い、太一は茶を濁すような返事をする。
「そうなんだ。少しもったいない気もするね」
「え?」
まひるのその言葉にはやはり非難の色はなく、しかし、もったいないというその響きは太一の中でこだました。
まひるは部活をしていないことをどうしてもったいないと言ったのだろうか。
「じゃあ、私そろそろ戻るよ。その本の感想、また聞かせてね」
そう言ってまひるはにこっと笑うと友達の所へ戻っていく。
その後ろ姿を見送ってから太一は再び本を開いたが、本の内容は全く頭に入ってこない。
まひると少し言葉を交わしただけだが、太一は軽い多幸感に包まれていた。何度もつい先ほどのまひるとの会話を頭の中で反芻する。
女子と話すだけでこんなに幸せを感じるものなのだろうか。いや、これはきっと相手がまひるだったからという理由が大きいのかもしれない。
自分でも単純すぎて呆れてしまうほどだが、太一にはまひるのことが話す前よりも可愛く見えていた。
そんな太一の気持ちも知らずに、まひるは友達と輪になって話しては笑い合っている。
結局太一は午後の授業中、ずっとぼーっとしながら時折まひるを眺めるという行為を繰り返していた。
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