第3話 幽霊には未練がある
玲二が話を続ける。
「次に目を覚ました時、俺は真っ白い空間にいた。この辺の記憶も曖昧だから詳しくは覚えてないんだけどな。そこには一人の男がいて、そいつは名乗らなかったけど今思えばあいつがいわゆる神ってやつだったのかもな。俺はそいつから、自分が死んだこと、そしてこれからのことを聞いたんだ」
「なんていうか作り物の世界の話みたいだな……。あまりにも現実的じゃなさすぎてやっぱ信じられそうにないよ」
太一は思わず首を横に振る。本棚をすり抜けたり花房にはその姿が見えなかったり、玲二が人間ではないことは納得したが、それでも太一には玲二の話が簡単には信じられなかった。
「まあそうだよな。実際、俺が死んで幽霊としてここにいるってこと、自分でも信じられねえし。けど、本当なんだよ。嘘みたいだがこれは本当に俺が体験したことなんだ」
玲二の顔は至って真面目で、話は嘘みたいだが、太一には玲二が嘘をついてるようには見えなかった。
「話を続けるぞ。その神の話曰く、普通の人間は死んでも幽霊になることはない。ただごく稀に生前に強い心残りがある場合、幽霊として現世に戻ることもあるらしい。そしてその場合その幽霊は心残りに関係する特定の場所にとらわれることが多いんだとさ。いわゆる地縛霊ってやつだな」
「てことは玲二も」
「そう、俺はこの学校から離れることはできないらしい。そう言われただけで出てみようとしたことはないから本当かは分からないけどな。――というか、俺が幽霊としてこの学校にいるのも今が初めてだし」
「じゃあ、死んでからの三年間はどこにいたんだ?」
「うーん、どこにいたかは自分でもよく分からんが、死んで神と会って話してからはずっと眠っていた感じだな。んで起きたのがさっきみたいな。幽霊ってルールが厳しいらしくてさ。存在をあまり人に知られてはいけないんだとさ。だから姿を見せられるのも一人だけだし、その相手も自分では選べない。普通は死んだらこの世には戻ってこれないし贅沢は言えないんだろうけどな」
玲二が空を見上げて、「こうやって青空をもう一度見れるだけでも幸せなんだろうなあ」とこぼす。
「やっぱり現世に未練があるのか?」
太一が玲二に聞く。
幽霊になると生前の世界に戻れるので嬉しいことなのかもしれないが、太一にはそれがあまりいいことのようには思えなかった。
「そうだなあ、まあ未練があるから幽霊になったんだろうからな。でも、この世に戻ってこれたからと言ってずっとここにいれるわけではないらしい。具体的な期限は言われなかったが早いうちに成仏できるように努力しろと言われた」
「で、未練ってのは何なんだ? 自分で分かっているのか?」
太一にそう聞かれて、玲二が黙りこむ。
「どうしたんだよ」
玲二が苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込んでいるので、太一は再び尋ねた。
「……分かってるけど、お前には言いたくない」
「はあ? どういうことだよ。そんなに人には言えないことなのかよ」
「別に言えないことでもないけど、なんとなくお前には言いたくねえ」
玲二は頑なに未練の内容を言うのを嫌がる。その態度はまるで意地を張った子供のようだった。
初めて弱っている玲二の姿を見て、自分の方が立場が上にいる状況に気付いた太一は少し態度を大きくした。
「別にいいけど、玲二の姿は俺にしか見えないんだろ? どんな未練か知らないけど俺の協力がないと難しいんじゃないのか?」
自分でもそう思っていたのだろう、玲二がさらに渋い顔をする。
少しの間悩んで、玲二が口を開いた。
「太一って、彼女いるのか?」
「え"っ?!」
予想外の質問に今度は太一が渋い顔をする。
「な、何でだよ? 今そんな話は関係ないだろ?」
太一が動揺を隠しながら答える。しかし、隠しきれていなかったらしい。
「関係がないこともないんだが。まあ聞かなくても分かったぞ、彼女はいないんだな」
太一が渋い顔になった代わりに、それまで渋い顔をしていた玲二がニヤニヤし始める。
「い、いないとは言ってないだろ?」
「じゃあいるのか?」
玲二がじっと太一の目を見つめる。
「……いないです」
見栄を張っても仕方ないので、太一は正直に告白した。
玲二がそれを聞いて笑う。
「よし分かった。俺も未練のこと話してやるよ。太一の言う通り、お前に協力してもらわないと俺一人じゃ何もできないしな」
玲二はふうと息を吐き出してから、口を開く。
「俺の未練っていうのは、青春を謳歌したかった、ってことだ。もっと端的に言うと、その、女の子とキスがしたかったんだ」
玲二が少し照れたような顔をする。
幽霊になるほどの未練というものだから何か大層な事情があるのではないかと考えていた太一は、玲二のその言葉を聞いて拍子抜けした。
「……え、本気で言ってる? 神にそう言われたのか?」
「いや、神には何も言われてない。神にお前は女の子とキスがしたすぎて幽霊になったんだなんて言われるのも嫌だけどな。ただ、この歳で人生が終わっちゃそりゃあ心残りなんか山ほどあるけど、その中で一番って考えたらそれだと思うんだよな」
玲二が、間違いないと言わんばかりに言う。
「へえ、ああそう……」
「なんだよ、悪いかよ」
「いや、悪くはないけど。なんか幽霊になるほどの未練がそれってどうなのかなと思って」
太一も確かに女の子といちゃいちゃしたいとは思うが、幽霊になるほどの感情なのだろうか。
しかし、次の玲二の言葉が太一の心に刺さる。
「だって高校生だったんだぜ? 高校生って言ったら、女子といちゃいちゃするだろ。文化祭とか体育祭とかで仲良くなったりして、夏には二人で花火を見に行ったりして、どきどきしながら手繋いだりするんだろ? お前もそういう、ザ・青春ってのに憧れたりしないのかよ」
それを聞いて、太一はなぜだか分からないが胸が跳ねたような気がした。
潜在的な欲求を刺激されたからだろうか。数時間前にも彼女が欲しいと嘆いていた太一にとっては潜在的ではないかもしれないが。
「玲二、それ、めっちゃ分かる」
太一がぶんぶんと首を縦に振る。
やはり自分も、もし今死んだら玲二と同じ原因で幽霊になってしまうのではないかと太一は思った。
「分かるか?! やっぱり女の子といちゃいちゃしたいと思うよな?!」
「うん、何か大事なことを思い出した気分だ。高校生と言えばそういうことをするもんだよな! 付き合ってない男女二対二で遊びに行ったりして、どっちがどっちのこと好きとか、実はもう一人も同じ人が好きとか、そういうのがあったりするもんだよな?!」
太一は自分の中の感情を共有できたような気がして、思わず声を大にして話す。
しかし太一の期待とは異なり、玲二は太一の突然の盛り上がりに対して少し引いていた。
「いや、さすがにそれはちょっと漫画っぽすぎるというかそこまでは考えてないというか。お前って意外と脳内お花畑なのな。まあ、『少女の初恋』って本を読もうとするくらいだもんな」
「な、裏切り者! 玲二なら分かってくれると思ったのに」
太一はこんな自分の奥底の理想を他の誰にも言ったことがなかったので、玲二に引かれて少しショックだった。仮に佳史あたりに話してみても、おそらく軽く馬鹿にされて終わっていただろうが。
太一のショックを感じ取ったのか、玲二が弁解する。
「いや、でも分かるぜ。流石にそこまでは考えてなかったが、女の子と青春したいっていう気持ちは同じだよ。やっぱ男なら一回くらい好きな子とキスくらいしてみたいと思うよな。実際俺はたぶんそれで幽霊になっちまったんだし」
玲二が太一もキスをしたことがないことを前提に話していることが気に障るが、実際したことはないから太一は何も言えない。
「だけど、俺にしか太一は見えないし触れないのに、どうやってキスするんだ? もしかして、俺とキスするしかないのか?」
「ざけんな。余計悔い残るわ」
玲二が表情一つ変えずにさらっと返す。
冗談なので肯定の返事が返ってきても困るが、バッサリ切られるとそれはそれで少し寂しいものだった。
「でも太一の言う通り、女の子からは見えも触れもしないのに俺はどうすれば女の子とキスできるんだろうな。キスどころか話すことすらできないのに」
ため息交じりに玲二はそうこぼす。そんな玲二に、太一は何を言えばいいか分からなかった。
そこで、学校のチャイムが鳴った。下校を促す夕方六時のチャイムである。
「と、もうこんな時間か。俺、そろそろ帰らないと」
グランドを駆け回っていた部活勢も練習を終えてグランド整備を始めていた。
「そうか。じゃあ俺は学校をぶらつきながら今後について考えてみっかな」
「玲二はまたあの本の中に戻るのか?」
太一は結局、図書室から出る時にあの本を本棚に戻してきていた。
「いや、それはねえな。おそらく眠くなったりもしない気がするけどなあ」
夜の学校に一人、眠くならないとなるとそれはそれで辛いものだろう。
「というか、結局玲二を見れるのはなんで俺だけなんだ? あの本を開いたから?」
「ああ。あの本を最初に開いた奴にだけ、俺の姿が見えるようになってたんだ。これも幽霊のルールってのに則ってのことらしい」
ほんとになんでお前が開くんだよ、と玲二がまたぼやきだす。
玲二の怒りがまた大きくならないうちに太一はその場を退散することにする。
「じゃあ、また明日……なのか?」
「太一に時間があるなら、明日も話し相手になってくれよ。俺のことはお前しか見えないんだし」
幸い太一は部活をやっていないので、放課後に玲二に付き合う時間はいくらでもあった。
「分かった。じゃあまた明日」
そう言って太一は屋上の出入り口へと向かう。ドアノブに手を伸ばして、玲二に一つ聞き忘れたことを思い出して振り返る。
「そういや玲二はなんで『少女の初恋』なんて本を選んだんだ?」
玲二はあの本を自分で選んだと言った。
たまたま今日、太一があの本を開いたから玲二はこの世界に戻ってきたが、誰がいつ開くかも分からないあの本を選んだのはどうしてなのか。事実、今日までの三年間、その本は誰にも開かれることはなかったのだ。
玲二は、太一をじっと見つめてから、ふいと視線を逸らして言った。
「――あの本なら、可愛い女の子が開いてくれると思った。ただそれだけだ」
その答えに、太一はどうも釈然としなかったが、なんとなくそれ以上追及することはできなかった。
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