後編

 小鳥のさえずりと差し込む朝日で、ベルドは目を覚ました。

 最初に感じたのは、随分体が重いなということだった。

 次に確認したのは、前日にクリスが座っていた椅子。


 横になった状態で目を向けたそこには、共に生きてきた少女の姿はなくなっていた。

 それを見て、ちゃんと自分の部屋に戻ったのだろうと結論付けたベルドだったが、覚醒してきた脳の呼びかけに反応する。


 この体の重さは何の為だと。


 視線を落とす。

 そこには、ベルドにしがみつく様に眠っているクリスの姿があった。


 少女は。

 立ち直る事が出来なかった。


 その現実に、ベルドは少なからず落胆する。

 思い出されるのは昨日のやり取り。

 昨晩ベルドは、長いクリスとの生活の中で、初めて彼女を突き放した。

 それは一人で立ち上がってくれると信じた行為。

 でも、その想いに少女は答えてはくれなかった。


「……最後に……心配の種を残しやがって……馬鹿が……」


 寝息を立てているクリスの髪を梳きながらベルドは呟く。

 きっと昨日は遅くまで泣いていたのだろう。

 ならば、当分は目覚めないはずだ。


 ベルドはクリスを起こさないようにそっとベッドから這い出ると、黙々と出発の準備に取り掛かった。

 この後はリグレットの生家跡に行くつもりでいる。

 でも、もうこの町に戻ってくるつもりはベルドにはなかった。


 だから、きっとこれが少女との別れ。


 ベルドは身支度を完全に整えると、最後にザックを背負ってクリスを見る。

 苦しそうな表情で眠っている少女の頬には、まだ涙の跡がくっきりと残っていた。


「本当だったら、二人笑ってさよならしたかったんだぜ? まったく、最後までしょうがない奴だよ。お前は」


 言いながらそっとクリスの顔を拭いてやると、体に毛布をかけてやる。

 こんな事をするのもこれが最後。

 もうこれからは少女は一人で立ち向かわなければならないのだ。


「さよならだ、クリス。お前と共に過ごした時間。俺はきっと忘れないからな」


 最後にそう告げると、ベルドは立ち上がり少女の眠る部屋を後にした。




◇◇◇




 宿屋の主人に依頼を受ける事を伝えると、ベルドは早速リグレットの生家跡に向かう。

 報酬は宿代にしてもらった。

 ベルドの言葉に意外そうな表情を見せた主人だったが、部屋にまだ連れがいる事を告げると、すぐに理解してくれた。


 だから、ベルドは安心して生家跡までの道を歩く。

 かつてこの町はもっと大きかったそうで、その町外れにリグレットは住んでいたらしい。

 だから、生家跡も現在の町からは少し距離があるということだ。


 今では風化してしまって残骸のみとなっているかつての町外れ。

 その中で、その屋敷だけは当時の面影を残したままで建っていた。

 当然、町の人達が手入れをしていたのだろう。

 改修の手も入っているかもしれない。


 それでも、目の前に聳え立つ館は飾り気が少ないながらも雄雄しくて。

 ベルドは、あらためて英雄と呼ばれた人間の存在を強く感じた。

 王国史上最強といわれた騎士。


 現在の王国があるのは彼女のおかげだと言う人もいる。


 その歴史そのものが脚色されたものだと言う人もいる。


 しかし、館を前にして目を閉じたベルドの目にはハッキリと映った。

 絶対的不利な状況を、たった一人でひっくり返してしまう純白の鎧を纏った女騎士の姿が……。


「行くか」


 ベルドは瞳を開けると、ザックを下ろし、腰から下げた長剣に右手を添える。

 いつかクリスもそんな存在になって欲しい。

 それは、どんな時でも変わらない、ベルドのたった一つの望みだった。




◇◇◇




「ベルドっ!」


 クリスは目を覚ますと勢いよく体を起こし、周りを見渡す。

 寝るつもりなどなかったはずなのに、いつの間にか寝てしまったらしい。

 だから、起きた時に握っていたはずのベルドの体がないことにもすぐに気がついた。

 案の定、ベルドの姿は部屋のどこにもなかった。


「う、嘘だっ!」


 クリスは転がるようにベッドから降りると、部屋の中を見て回る。

 しかし、ベルドの姿はもちろん、持ってきていた荷物さえなくなってしまっていた。


「そんな……どうして、ベルド……」


 いつでも傍にいた存在。

 決して離れたくなかった存在。

 そのことに気がついてしまったから、クリスは昨日ベルドにお願いをした。

 ずっと一緒にいて欲しいと頼んだ。

 しかし、そのベルドがこの場にいない。

 それは、自分の願いを拒絶したことに他ならなかった。


「どうして……」


 自然と涙がこぼれた。

 昨日あれほど泣いたのに、まだ尽きる事が無いというのだろうか?

 望んだ未来は空に散り、受け入れがたい現実だけが無常に残る。

 それを受け入れろと、ベルドが最後にそう言ったのだと思った。

 それはわかっていたのに……。


「私は泣くばかりで……ベルドの想いに答えられなかったんだ」


 悔しかった。

 いつまで経っても弱いままの自分が許せなかった。

 ベルドがいなくなった今ならわかる。


 クリスがベルドを求めたのは、常に背中を守ってくれる存在が欲しかっただけだ。

 甘えられる存在に傍にいて欲しかっただけだ。

 それをベルドは、そして恐らく父親も、見抜いていた。

 そう感じた。


 顔を上げる。

 クリスの視線の先には窓がある。

 そして、その彼方に一件の古びた洋館が建っているのが見えた。


「この町を救うって、ベルドは言った」


 立ち上がる。

 両目から流れる涙を乱暴に拭って。


「それが騎士の役目だといった」


 ベルドは騎士じゃない。

 つまり、あれはクリスに言った言葉だった。


「それが私の役目なんだ」


 部屋を飛び出す。

 目指すのは荷物を置いた自分の部屋。

 そこにあるのは、これから自分が飛び込む世界に必要なもの。

 沢山の人たちを守る為に必要なもの。


「だって私は……」


 部屋に飛び込み、ベルドが背負ってきてくれた荷物の口をあける。

 そこにあるのは純白の鎧。

 叙任に備えて父親が用意してくれたもの。

 大切な人の背中を守る為に必要なもの。


「騎士なんだから!」


 鎧を素早く身に纏うと、壁に立てかけてあった長剣を掴んで、クリスは宿屋を飛び出した。

 その姿を見た宿屋の主人が止めようと腕を伸ばしかけたが、その表情を見て伸ばした腕を引っ込めた。

 その表情は曇りなく、その瞳にはもう迷いはなかったから。




◇◇◇




 屋敷の中は、外の雰囲気とは異なり陰鬱な空気が漂っていた。

 それは印象の問題かもしれないとベルドは思う。

 この館に異能者が住んでいるという先入観が、そのまま屋敷の印象に繋がっているのだろう。


 入る前に英雄の館だという先入観があったようにだ。

 ベルドは入ってすぐに広がっているロビーを抜けると、正面に存在する階段を一段ずつ昇っていく。

 ぎしぎしと音を立てた足音が、静かな洋館に響き渡る。


 ひょっとしたら相手に知られるかもしれないとも思ったが、今更どうしようもないと苦笑する。

 だから、いつでも戦闘に入れるようにベルドは腰の長剣を抜き払った。

 暗い場所でも確かな存在感を示すその長剣は、クリスの父親が与えてくれたものだ。


 それほど高価なものではないだろう。

 それでも、ベルドにとってもっとも使い慣れた相棒だった。

 二階にたどり着くと左右に長い廊下が続いていた。


 ベルドは一瞬どっちに行こうか迷ったが、すぐに館の構造を思い出す。

 恐らくこの廊下はぐるりと一周しているだけだ。

 ならばどちらから行っても大差はないはず。

 そう考えると、ベルドはゆっくりと右側の道を進みだした。


 突き当りまで歩き、そこから左に体を向ける。

 すると、先の突き当たりでも左に折れているのが見て取れた。

 自分の予想が当たっていた事に満足すると、ベルドは慎重に廊下を突き当たりに向かって歩いていった。


 その間、左手側に並ぶドアの様子に気を配るのも忘れない。

 恐らく、異能者はどこかの部屋に潜んでいるはずだ。

 だから、物音一つ聞き漏らさないように、ベルドは耳に神経を集中した。


 コツコツと聞えるのは自分の歩く廊下の音。

 階段は木造だったようだが、基本的な構造は石畳だ。

 だから、あまり大きな音がするというわけでもない。


 だから、ひょっとしたら部屋にいても気付かないかもしれないと思ったが、取り敢えずは一周してから考えようと、ベルドは深く考えずに突き当たりに到達する。


 これで半分。


 後半分で二階の廊下は一周した事になる。

 そこでベルドは左手側に体を向けると、歩行を開始する。

 ……が。


 すぐに視界に入った『おかしな物』の存在に気付き足を止めた。

 ちょっと見たら、石にしか見えない。

 しかし、考えるまでもなく、それがただの石じゃない事はわかった。


 なぜなら、『浮いている』のだから。


 だから、ベルドは近寄らずにその動向を見守る。

 そんなベルドの行動に痺れを切らしたか、それとも、それが仕様だったのか……。

 その石は一瞬ぶれたような動きを見せた途端、とんでもない速さでベルドに向かって飛んできた。


「!!」


 考えるより先に飛びのくベルド。

 顔の横を空気の壁を突き破って通過する石らしきもの。

 それはそのままベルドの後ろの壁に向かって進むと……。

 そのまま館の壁をぶち抜いた。


「なっ!?」


 しかし、危機的状況は終わらない。

 突然背中に奔った悪寒に反応するように先ほど石が浮いていた地点に目を向けると、そこには火の玉が二つ浮いていた。


「あれが、親父さんが言ってた火の玉か!」


 叫ぶとベルドは長剣を構えると火の玉に向かって走る。

 ただの火の塊だったら両断できると考えたからだ。


 しかし。


 ごうっ!

 突然の轟音にベルドは肩口に後ろを振り返る。

 そこにあったのは……。

 ベルドに襲い掛かってくる壊れた壁の残骸……だった。


「ちィっ!」


 ベルドは足を止め振り向くと、飛んでくる石を一つずつかわす。

 その中でもかわせない物は剣で弾いた。

 しかし、方向を逸らしただけであるにも拘らず、ベルドの両腕がジンとしびれる。

 そこで動きを止めてしまったのがまずかった。

 そんなベルドの背中に、先ほどの火の玉が直撃した。


「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 その衝撃に廊下を転がるベルド。

 弾けてあたりに散った為、服に炎が燃え移らなかったのだけが救いだった。

 しかし、何とか体を起こしたベルドの先にある光景は、まるで悪夢のようであった。

 無数の石と火の玉。そして、その後ろに立つ一人の男。


「お前が……町を荒らしている異能者か……!」

「荒らしているかは別にして、お前が探している相手には違いないだろうな」


 ジンジンと痛み出した背中に顔をしかめながらも発した言葉に、男は不敵に返してきた。

 それは絶対に負けはないという自身の現われだったに違いない。


「その力、どこで、どうやって手に入れた?」

「知ってどうする?」


 ベルドはようやく立ち上がると、男に向かって問いかける。

 しかし、男は不気味に笑うだけでまともに答える気などなさそうだった。

 そんな男に対して、ベルドは一歩踏み出すと、剣を腰ダメに構えて、忌々しげに呟いた。


「……イグアス族を『喰った』んだな?」

「……何?」


 ベルドの言葉に、初めて男の表情に変化が生まれた。

 それは驚愕。

 そして、それはじきに嘲笑へと変わった。


「何で知ってる? と、聞くまでもないな。それを知っているということは……貴様も同類か!?」


 叫びと同時に再び襲い来る石あられ。

 一撃でもくらえば戦う事は出来なくなる。

 ベルドは火の玉に気を配りながらも必死で避けた。


「かかかっ! どうした同類! 死にたくなかったらお前も使ってみろ! その上でお前を殺し! お前の力ごと俺が喰ってやる!」


 避ければ避けた分だけ壁をぶち抜き石弾は増える。

 ここにきてベルドはハッキリ悟っていた。

 ここはこの男のテリトリー。

 こちらに優位な点など何一つないことに。


 それでも……。


「ふざけるな……。ふざけるなふざけるなふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 後方から襲い来る石弾は無視して男に向かって突っ込むベルド。


 左右のステップで前方の石弾を辛うじてかわすと、後一歩でベルドの間合いというところまで飛び込んだ。


 だが──。


「惜しかったな。そーら。残念賞だ!」


 突然、目の前に現れる火の玉。

 顔面に飛び込んできたそれを、両腕を閉じて何とか防ぐ。

 しかし、その衝撃までは防ぎきれず、後方に吹き飛ぶベルド。

 剣も飛ばされ、もんどりうちながら壁際まで飛ばされる。

 しかも、飛ばされたその場所は、石弾が飛び交う危険地帯。


「ぐあぁぁぁぁァぁぁぁぁ!」


 とっさに気付いて体を捻ったベルドだったが、拳大ほどの石弾が、ベルドの側頭部に直撃した。

 揺れる視界。消失する力。極限に達した全身の痛み。

 その先に見えるのは……死だった。


「はははっ! 力を使わぬまま死ぬ、か。それもまたいい! お前を喰った後にどんな力だったか試してやるよ!」


 叫んだ男の先に飛び出すのは巨大な炎の塊。


(これまでか……)


 ぶれた視界に映る炎を見ながらベルドは僅かな抵抗も止める。

 逆らったところでどうしようもないものもこの世にはある。

 どんなに一緒にいたくても別れなければならなかった二人のように……。


 炎が近づいてくる。


 死ぬ直前の光景はまるでスローモーションのように見えるというが、本当だなとベルドは思った。


「……本当は俺だってずっと一緒にいたかったんだ。馬鹿クリス」

「それ本当?」

「えっ!?」


 突然聞えてきた穏やかな声。

 それと同時にベルドの前に純白の鎧が立ちはだかった。

 そして、煌くのはクリスの愛刀フリーズブレイド。


 抜き放たれた真っ白な刃は、頭上から一直線に振り下ろされて迫っていた炎を真っ二つに切り裂いた。

 同時に二人の左右で舞い上がる炎の嵐。

 そして、絶対的不利な状況に現れた純白の鎧を纏った女騎士    。

 その火の粉に照らされて、振り向いた少女は笑顔だった。

 ここ数日、見ることの出来なかったクリスの本当の顔。


「意地っ張り」

「……ほっとけ」


 そんなクリスの言葉に、ベルドはふて腐れたような表情を浮かべる。

 だが、そんな二人の時間はすぐに無粋な輩に邪魔された。


「新手か!? ふんっ、俺には関係ないわ!」


 声と同時に今度は前後から石弾が襲う。

 タイミング的にもかわし様もない攻撃だった。


 しかし。


「水に……変われぇぇぇぇぇぇ!」


 ベルドの叫び。

 それと同時に二人の周りに強烈な上昇気流が巻き起こった。

 炎によって熱せられた空間に、大量の水蒸気が発生した事により急激に温度が下がった為だ。


「水……いや、水蒸気使いか!」


 その上昇気流によって、石弾は目標をそれて明後日の方向に飛んでいく。

 そして、発生した水蒸気は濃霧となって男の視界をゼロにした。


「くそっ! 見失ったか」


 二人がいたであろう場所まで走り、不在である事を確かめ舌打ちする男。

 しかし、すぐに笑みを浮かべて舌なめずりをすると、


「ふん。まあいい。奴らはどうせここからは出まい。ならば今度こそしとめて、その力俺のものにしてやるぞ」


 そう呟き館の探索に入っていった。




◇◇◇




「ぐっ……」

「大丈夫?」

「あまり大丈夫じゃないな」


 二階にある部屋の一角に運ばれたベルドは、正直にそう答えた。

 背中、腕、それに頭のダメージ。

 特に頭は酷く、流れ出る血で顔半分が赤く染まっていた。


「武器もない。折角お前が来てくれたのに、どうしようもないかもな」

「私には武器がある。あんな奴私が倒してみせる」

「無理だ」


 ベルドの手当てをしながら意気込むクリスにベルドが即答する。

 それは実際に手を合わせたからこそわかる言葉だったが、クリスは納得しなかった。


「無理じゃない。あいつが使うのが炎なら、私はその全てを切り払える。気をつけるのが石弾だけなら私は勝てる」

「その石弾が厄介なんだ。さっきだって俺のサポートがなかったら全滅してた」


 いかに特殊金属製のフリーズブレイドといえども、高速で飛んでくる石には勝てない。

 弾かれて集中砲火が関の山だ。

 しかし、そんなベルドの言葉を聞いても、クリスの瞳の色は変わらなかった。

 真っ直ぐにベルドを射抜き、立ち向かう事を主張している。


(……どうやら……自分を取り戻したな)


 こんな絶体絶命の状態であるに関わらず、安心してしまう自分が可笑しかった。

 だから決めた。

 絶対にこの少女は死なせないと。

 たとえこの先に待つのが別れでも……。


「聞け。クリス」


 ベルドは震える右手をクリスの肩に乗せると、その目を見据えて語りだす。


「この状況を打破する方法はある。あんな奴物の数に入らないくらいの圧倒的な力を得る方法だ……あの……リグレットのように」


 クリスと同じように女の身でありながら全てを凌駕した最強の騎士。

 そのリグレットと同じように。

 そう、ある意味では本当に同じ力    。


「それを今から……」

「嫌」


 しかし、クリスはベルドの手をしっかりと握ると、ハッキリと言い切った。


「私は『イグアスの悲劇』は繰り返さない。あんな男と同じ力なんて私はいらない」

「クリス……お前……どうしてそれを……」


 クリスの言葉にベルドは驚く。


 『イグアスの悲劇』


 それは十年前の集落間の小競り合いの真実。

 実際に起きたのは小競り合いなどではなく、王国が行ったイグアス族の『狩り』の事。

 『人間』が『人間』を『食べる』為にした決して知られてはいけない悪魔の所業。


 古代人の血を引くといわれ、その血統に異能の血を宿した部族イグアス。

 いつしか、その血肉を喰らう事でその能力を手にいれることが出来るということが判明した。

 そのきっかけは、伝説の英雄の残した生前の日記。


 あの伝説の英雄こそが──史上初めてイグアスの力を手に入れた存在だったのだ。


「お父様から聞いた。ベルドもそのイグアスの生き残りだって。それを話すことで、お父様は私を諦めさせようとしたのかもしれない。でも、それでも私は……」


 握った手に力が篭る。

 それでも少女は一緒にいたいと言ってくれた。

 その身を張って炎の中に飛び込んでくれた。

 沢山のイグアス族の血を吸ったその魔剣を使って……。


「クリス」


 ベルドは柔らかく微笑むと、クリスの頬に手を添える。


「お前の──いや、他のみんなが知っていることが全てじゃないんだ。俺たちイグアス族には伝承の為の決して知られてはいけない方法がもう一つある」


 それは、ある意味で自分の存在を否定する為の方法。


「その方法を使えば、無理やり力を奪い取った奴なんかよりもはるかに強大な力を得ることが出来る。その元になったイグアス族も死なない。これは知られていないけど、実はリグレットもその方法で力を手に入れた」


 沢山の国民を守った偉大な英雄。

 彼女は決して非人道的な方法で強くなったわけではなかった。


「必要なのは覚悟と絆。そして……約束」

「約束?」

「ああ」


 そっと顔を寄せてくるクリスに微笑みながら、ベルドは答える。

 それは今まで自分がしてきた事とは反対の……。


「その方法で力を渡したイグアス族は、持っていた能力を全て失う。だから代わりに約束するんだ。その渡した相手に」


 近づいてきたクリスの額に額をつけて、ベルドはそっと呟いた。


「これからはずっと自分を守って欲しいと」

「それは……言われるまでもなく、私の望みそのものだよ」


 クリスは笑う。

 握っていた手をいつの間にかベルドの背に回して、寄り添いながら。


「ならば渡そう。その約束を契約として、我がフィリアーズ・イグアラスの力、クリスチーナ・カイゼルに託す」


 その言葉を祝詞にして──。


 ベルドから溢れ出た光はクリスに移り、膨大な光量となり部屋全体を真っ白に染め上げた。






「ここか」


 部屋から漏れ出る光に男は二人の居場所を特定するに至った。

 そこは、二人が消えた場所からは一番近い部屋。

 まさか本当にそんな近くに逃げ込んでいるとは思わなかったので、確認が遅れてしまったのだ。


「しかし、さっきの光は……ふん。ひょっとしたらあの男、死んだのかもしれんな。そして、あの時の女が肉を食って力を得た……か。それならそれで構わん。喰らう相手が男から女に代わっただけだ」


 男はそう独り語ちると、右手をドアに向かってかざす。

 それに合わせて、無数の石弾と火球が四つ現れた。


「苦しみも何もない。こいつで全て終わらせてやろう」


 その言葉を引き金にして、現れていた石弾と火球がドアを破壊し、部屋の中に殺到する。

 業火と衝撃に包まれた部屋は、凄まじい奔流となって吹き荒れた。


「ははははっははっはー!」


 しかし    。


「はっはっは……は?」


 その石弾が。


 その火球が。


 部屋の中の『何か』に当たって吹き飛ばされた。


 その衝撃波は部屋の外にいた男の体さえ吹き飛ばす。

 廊下の壁に叩きつけられ、辛うじて上げた視線の先に──。


 彼女はいた。


 立ち込める濃霧に手にした魔剣。

 それにより発生したダイヤモンドダストの中に佇む純白の鎧に身を包んだ女騎士──。


「な……何……?」


 ありえない威力だった。

 たかが水蒸気。

 それも、先ほど男が発生させたものとは比べ物にならないほどの総量。


 それが。


 になって自分に襲い掛かってきたのだ。


 腕を見る。

 そこには避けそこなった氷の破片が突き刺さっていた。


「そんな馬鹿な……」


 男はふらふらと立ち上がる。

 そして、その目で確かに見た。

 女騎士の後ろに座ってこちらを見ているさっきまでの能力者の姿を。


「そんな馬鹿なーーー!」


 男は半狂乱になって石や火球を無数に浮かべる。

 しかし、それが発動される事はなかった。

 驚愕の表情で後ろを振り向いた男の顔が絶望に染まる。

 炎は凍りつき、石弾は氷で出来た蜘蛛の巣に貫かれ、その動きを封じられていた。


 そして、男も。


「ぅぎょううぁぁっ!」


 その身に無数の氷線が走る。

 それはアッという間に蜘蛛の巣状に形どると、男の動きを完全に封じた。

 指先一つ。

 瞬き一つすることが出来ない。

 館全体に広がってるのではないかと思えるほどの凄まじい冷気が男の体を、心を、完全に凍りつかせていた。


 その元凶となる騎士が一歩、また一歩と男に近づく。

 その表情は氷のように冷たく、少女の冷たい心がそのままこの館の温度に繋がっているようだった。

 しかも、掲げた左手の先に現れたのは──。


「じょ、冗談ではない……っ!」


 氷で出来た巨大な尖塔    。


「よせーーーーー!!」


 その叫びと、少女が尖塔を男に向かって飛ばすのは同時だった。

 唸りを上げた氷柱は、男に当たる直前まで更に成長していき、


「ぐぎょおぉぉぉ…………!!!」


 元々そこには何もなかったかのように、男と壁をやすやす貫き上空に向かって駆け上る。


 そして、館の頭上で砕けて、あたり一面に氷の粉を舞い散らせた。

 舞い落ちる氷は太陽の光を反射してキラキラと輝き幻想的な景色を作り出す。

 その光景と、少女の背中を瞼に捕らえ、


「終わったな。……そして、これからが……始まりだ」


 力尽きたようにベルドは呟く。

 自分は命とも言うべき力を少女に差し出してしまった。

 そして、少女もあの力のせいで様々な人間から狙われる事になるだろう。


 それでも……。


「俺達は負けない。そうだろ、クリス」


 そのベルドの言葉に。

 クリスは振り向き、とても温かな笑顔を見せた。

 全てを凍らせたこの館を溶かすくらいの、とてもとても温かな……。




◇◇◇




「お、おっと」

「ちょっと。大丈夫?」


 王都までの帰り道。

 その途中でふらりとよろけたベルドの肩を、クリスが慌てて支える。


「ああ、平気だ。ちょっと足が縺れただけだ」

「やっぱり、もう少し休んでいた方が……」


 まだ怪我が完治していないベルドを気遣い、クリスが表情を曇らせる。

 しかし、ベルドはそんなクリスの頭を乱暴に撫でると、出発前から繰り返している言葉をかける。


「駄目だ。それじゃ、お前の叙任式に間に合わない」


 そもそもギリギリの日程だったのだ。

 一日でも長く共にいたいが為に伸ばし続けていた時間。

 それがこんな所に影響してくるとは自業自得だとベルドは笑った。


「でも……」

 

 それでも、クリスは表情を曇らせたままで力なく呟く。


「お父様は許してくれるかしら」

「多分大丈夫だろ。


 その言葉にクリスは顔を上げると、ベルドを見た。


「問題なのは俺よりもお前だ。イグアスの力を失った俺はもう普通の人間と変わりないからな。雑用でも何でもやるって言えば置いてくれるとは思う。でも、お前は違う。その力を手にしてしまった以上、あの男みたいな連中が手を出してくるはずだ」


 そもそも、国王がイグアス狩りを指示していたのだ。

 力があるとわかれば、何をされるかわからなかった。


「だから、お前はライゼル様以外には決して口外しない事だ。使用人にもだ」

「うん」


 クリスは頷く。

 それを確認した後に、ベルドもゆっくり歩き出した。

 行く時はベルドが手を引いて歩いていた。

 でも、今ではクリスが手を引いて歩いている。

 これはあの時の約束を守ってのことだけではないだろう。


「まあ、なんかあった時には……」


 はるか遠くに陽炎のように見える王都の姿を視界に映しながら。


「俺がお前を守るから。今までそうしてきたように」


 そうベルドは呟く。

 しかし、それに答えるクリスはどこまでも無邪気に……。


「それは契約違反だよ。ベルドを守るのは私。これから先、いつまでも……」


 これから先、きっと想像を絶する困難が二人に降りかかることだろう。

 それでも、きっと耐えていける。

 かつての英雄リグレットと同じ力を持って、大勢の人々を守るのではなく、二人それぞれのガーディアンとなって……

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2人のガーディアン 路傍の石 @syatakiti

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