2人のガーディアン
路傍の石
前編
「おー。見えた見えた」
街道途中にある丘の上。
その一番高い場所に佇む若い男女の二人組。
その青年の方が額に右手をあてて、遠くを見るような仕草をしながら感嘆の声を漏らす。
二人の視界に映るのは小さな町並み。
まだ距離が離れている為、その詳細まで見ることは出来なかったが、そこが二人の目指していた町だということはすぐにわかった。
だからだろう。
青年は心底ホッとしたような表情を浮かべながら、その喜びを分かち合おうと傍で佇んでいる少女に視線を向ける。
青年より少し年下であろう、まだ幼さを残したその少女も、やはりその風景を眺めてはいる。
しかし、その表情には青年のような明るさは全く感じられなかった。
それどころか、少々不機嫌気味に眉を寄せていたりした。
それでも、青年は気にした様子も見せずに尚も嬉しそうに語りかける。
「なあ、早く行こうぜ。ここまで歩き詰めだったから俺疲れちまったよ。楽しみだな。あそこって『あの』リグレットの生まれ故郷なんだろ? いろんな話が聞けるかもしれないぞ」
満面の笑みを浮かべて話しかける青年。
しかし、それでも少女の顔に光は宿らない。
むしろ、その暗い色が濃くなるばかりだった。
「そうだ。確か生家跡とかも残っているんだよな? 明日にでも行って……」
「……どうして……」
少女の呟きに青年の言葉が止まる。
いや、呟きにしては大きすぎる声。
明らかに不機嫌さを隠そうともしない彼女の心の声だった。
「どうして、そんなに楽しそうなの。嬉しそうなの。この旅がどんな意味を持っているかわからない訳ではないでしょう……!」
少女の言葉に青年の顔から笑顔が消える。
しかし、それは暗いものではなく、仕方ないな、といった表情に変わったというだけの話だが。
「どんな意味かはわかってる。でも、わかってるからこそ、楽しくいたいじゃないか。綺麗な思い出にしたいじゃないか」
青年は少女の肩に手を乗せると、続けておちゃらけた様に肩をすくめる。
「やっぱり、お前の分の荷物を俺が持ったのは失敗だったかな? 疲れてないからそんな詰まんない事考えるんだよ。お前は」
そう言った青年の両肩には大きめのザックが二つ背負われている。
更に胸には金属製の鎧、腰には長剣。
長旅には負担となるのが一目見てわかる格好だった。
対する少女は手荷物は一切持ってはいない。
ただ、青年とは違い、良質の旅装束に、腰には立派な長剣が下げられていた。
その高価な装備は、彼女の家柄による物。
少女がただの一度も望んだ事のない、しがらみという名の……鎖。
「行こう。伝説の女騎士の生まれ故郷を歩けば、多少は気がまぎれるよ」
そう言うと、青年は少女の手を取り歩き出す。
ここまでの旅で疲労は溜まっていはいたが、下りになった街道は二人の歩を早めるのに少しは役立ってくれた。
それでも右手にかかる抵抗に青年はこっそり溜息をつくと、目指すべき町へと繰り出した。
夕焼けに染まって色づき始めたその場所へ。
◇◇◇
町に着いたときは既に辺りは暗くなり始めていた。
城壁も何もない町と外との境界は、申し訳程度に建てられた粗末な木で出来た柵のみ。
町の出入り口にも衛兵の姿はなかった。
入ってすぐに目に付くのは殆ど手入れのされていない畑。
先にある町並みもひっそりと静まり返り、少し見た感じでは人の気配は殆どなかった。
「活気ねえなあ……」
ぐるりと町の中を見渡しながら青年が呟く。
人がいないわけではない。
しかし、雨戸までしっかりと閉じられてしまっている為、家の中の明かりが外に殆ど漏れていないのだ。
英雄の生まれ故郷だというから、もっと活気があると思っていた青年は拍子抜けしたように嘆息した。
まるで死んでしまったかのような雰囲気を漂わせた町の入り口に立って、青年は自分の望みが絶たれたことを悟った。
その望みを。
青年は首を後ろに回して目を向ける。
そこにいるのは、死んだ町よりも更に暗い一人の少女。
青年に手を引かれたまま、ただそこに立っていた。
いつでも傍にいた存在。
その少女が泣き出したときは、いつだって青年が元気付けてきた。
少女が危険に晒されれば、我が身を投げ打ってでも守って見せた。
それが青年の役目だったから。
王国の名門の武家の一人娘である彼女を守る為のガーディアン。
時には友として、時には兄として接しなければならなかった唯一人の守り手。
そう。
彼女が……騎士として叙任されるまでの間の……。
その叙任式ももう目前に迫っていた。
もうすぐ少女は騎士になり、二人の時間は終わりを告げる。
だから、これは……二人にとってのお別れの旅。
生まれ故郷へと帰って行く青年を国境の町まで送るという別れの為の旅路。
それは、少女が父親に対してした、最初で最後の我侭だった。
どうしても離れなければいけないのなら、せめて国境まで見送りたい……と。
父親は頷いてくれた。
渋々ながらも、それで納得できるなら、と。
少女は納得できると思っていた。
しかし、旅が続くに連れて、感情が抑えられなくなってしまっていた。
とても納得など出来なくなってしまっていた。
そんな中途半端な気持ちで、とうとう最後の町まで来てしまったのだ。
笑顔なんて見せられるわけはなかった。
「行くぞ」
青年は手を引く。
今までだったら何の抵抗もなく引く事の出来た小さな手。
しかし、今ではその手を引く為には力を込めなければならなかった。
「クリス」
青年は少女の名を呼ぶ。
それは、もっとしっかりしろという青年なりの叱咤激励。
その声に、ようやく少女は、クリスは足を前へと動かす。
一歩一歩、縮まってしまう距離を惜しむように。
それを確認した後、青年はようやく歩き出す事が出来た。
そして、暗くなってしまった街中を、宿を探して進むのだった。
宿を探すのには想像以上に骨が折れた。
なにしろ、どこの家も厳重に戸締りをしてしまっていた為、どの家屋が宿屋などかもわからなかったからだ。
それでも、ようやくそれらしいつくりの建物にたどり着いた時には、もう、完全に夜になってしまっていた。
宿についた後、二人はそれぞれの部屋に荷物を運び込むと、一階にある食堂で合流した。
昼食から随分立ってしまったいたこともあり、青年は激しい空腹感に襲われていたから、簡単なものでも出してくれるという主人の言葉に心の底から安堵する。
もっとも、クリスだけは出された食事に手をつけようとしなかった。
「おい。しっかり食え。お前はこの後また王都まで戻るんだぞ? 最後なのに、俺に心配の種を残すんじゃない」
そう言って青年は少女に食事を促す。
しかし、それでもクリスは俯くばかりでフォークに手をつけようともしなかった。
「おい……」
「そう思うんだったら……」
呆れたように続けようとした青年の言葉を少女の声が遮る。
「帰らないで、一緒にいてくれればいいじゃない」
顔を上げ、懇願するような瞳で。
青年はそれに答えることが出来ない。
代わりにいえるのはどうしようもない現実だけだ。
「……我侭言うな」
その言葉に、クリスはハッキリと落胆の色を見せた。
言って欲しい言葉はそれではないと、その両目が語っていた。
だから、青年は口を閉ざした。
それ以上何か喋れば、クリスの攻撃の材料になると思っていたからだ。
二人の間に沈黙が支配する。
いつしか青年も食事の手を止め、難しそうな表情で腕を組むだけになってしまっていた。
そんな二人の空気を破ったのは、先ほどの宿屋の主人の生気のない声だった。
「あのぉ……」
恐る恐るといった声。
もしも、この時二人が話をしていたならば聞き逃していたほどの声量だったろう。
しかし、正直どうしようか迷っていたせいか、その声に青年はすぐに反応した。
「はい。なんでしょうか?」
「あ、いえ……。お二人は旅の剣士様かなんかで?」
その言葉に、青年はちらりとクリスの方に視線を向けた後、
「ええ、私は。彼女は違いますけどね」
「そうですか」
そう答えた青年の言葉に、主人の表情が少しだけ明るくなる。
恐らく、宿に入った時の格好を見ていたのだろう。
そして、この流れは何か仕事を頼みたいのだろうと青年はすぐに悟った。
「何かお困りごとでもおありですか?」
「ええ。実は……」
青年の言葉に促されるように、主人はことのしだいを打ち明けた。
それは、英雄リグレットの生家跡に最近住み着いたある異能者による略奪に困っているという話だった。
「異能者?」
「はい。指先から炎を飛ばしたり、空中で自在に動く石を飛ばしてきたりとそれはもう……」
「ちょ、ちょっと待った!」
主人の言葉を青年が慌てたように遮る。
右手を前に出して、左手を額に当てて何かを考えるようなそぶりを見せて。
「そんな魔法みたいな……そんなことが出来る人間がこの世にいるってんですか?」
「はい。信じられないでしょうが、事実なのです」
主人は嘘を言っているようには見えなかった。
だからこそ、青年も呆然とするしかなかった。
火を飛ばし、石を操る。
そんな人間離れした存在が、英雄の生家跡にいるという。
それを自分達に退治してきて欲しい。そうこの主人は言いたいのだ。
青年は険しい顔をすると、クリスを見る。
しかし、少女は青年しか見ていなかった。
その目に映っているのも青年の姿だけだっただろう。
当然、話も聞いていまい。
「その話……」
青年は振り向かずに。
「返事は明日の朝まで待っていただけませんか?」
そう答えるのがやっとだった。
その様子から、主人も二人の様子がおかしいことにようやく気付いたようで、一礼をして戻っていった。
主人が去って、しばらくはクリスを眺めていた青年だったが、大きな溜息を付くと目の前に置かれたスープを一口すする。
すっかり冷えてしまったそれは、温かった時に感じた旨みを忘れさせてしまうほどに味気ないものだった……。
あれから随分待ったが、結局クリスは何も口にはしなかった。
仕方なく、青年は主人に食事を残した事をわびると、二階の自分達の部屋に戻る為にクリスの手を引いていった。
しかし、直前になってクリスが一人になることを激しく嫌がった。
だから、青年は仕方なくクリスを自分の部屋に招き入れると、備え付けてあった椅子へと座らせた。
眠くなるまで。
クリスが眠くなるようだったら、力ずくでも部屋に連れ戻す覚悟を決めて、自身はベッドに腰を下ろす。
クリスは相変わらず無表情だった。
その目には青年しか映っていない。
青年は今日何度目とも知れない溜息を付く。
この町が近づくに連れて、クリスはすっかり変わってしまった。
本来は前向きで、とても強い少女なのだ。
剣の腕という意味ではない。
その心が。
名門の武家の子として、その重責をずっと背負ってきた。
男子が生まれなかった事から、その跡取りとして、小さな頃からずっと武家社会の中で生きてきたのだ。
その少女を慰める為に付けられたのが、当時まだ幼かった青年だった。
十年前の集落間の小競り合いに巻き込まれた移動民族のたった一人の生き残り。
それを引き取ったのが、当時その部隊の部隊長だったクリスの父親だったのだ。
ただ、その事をクリスの父親は軍の上層部には伝えなかった。
伝えずに娘の遊び相手にと使用人の子として青年を育てた。
その時に、青年は『ベルド』という名前をもらった。
それまでの名前では王国民ではないとばれてしまう為だ。
だから、今の青年の名はベルドだった。
本当の親からもらった名を捨て、新たに名前を名乗る事になった。
そういう意味では、クリスの父親は、ベルドの父親という意味にもなるのかもしれない。
でも……。
その『父親』に、ベルドは捨てられる事になってしまった。
それは初めから決まっていた事だったのかもしれない。
自分ひとりで生きていく事が出来る日までの父親代わりのつもりだったのかもしれない。
だから、ベルドは思うのだ。
それがクリスの叙任までの間に伸びたのは、父親なりの迷いがあったからなのではないかと。
少なくともベルドはそう思いたかった。
「この町を助けよう」
だから、ベルドは決意する。
「そうすることが、本当の意味で騎士になることだと思う」
自分に出来る最後の仕事。
自分の『妹』を立派に一人立ちさせる為に。
「……何のこと。何のことだかわからない」
ベルドの思ったとおりクリスは先ほどの話を全く聞いていなかったらしい。
だから、ベルドは順を追って説明した。
この町の人間がいかに困っているかもしっかり添えて。
しかし……
「……関係ないよ。私には」
「どうして」
ベルドは落胆する。
強い心を持っていたはずの少女。
誰よりも平和を愛していたはずだったのに……。
「私は騎士にならない。そうなる事でベルドが離れていくのなら、私は騎士になんかならない」
少女は……誰よりも弱くなってしまっていた。
困っている人を助ける事が出来ないくらい、自分のことで精一杯になってしまっていた。
けれど、ベルドは気付いていなかった。
強かった少女。
その少女が強くいられたのは、いつも守ってくれる青年がいたからだということに。
「……それを、ライゼル様が聞いたらなんと言われるか」
「関係ない。お父様は関係ない。私とベルドの事をどうしても許してくれないというのなら、二人でどこかに逃げればいい」
ベルドは頭を抱えるしかなかった。
そんな事の為に、クリスをこの旅に同行させたわけじゃない。
最後の思い出作り。
本当にそれだけでよかったのだ。
クリスだって初めはそのつもりだった筈なのだ。
それが……どこかで狂ってしまった。
こんな事になるのなら、最後まで黙っていればよかった。
何も言わずに屋敷を出て行ってしまえばよかった。
でも、どんなに後悔しても後の祭り。
クリスは弱くなった。
いや、本来の自分に戻ってしまった。
クリスが弱くなったとき、それを支えてきたのはベルドだ。
いつだってそうしてきた。
だから、今でもそうしてやりたい。
でも、これからはクリスは一人で生きていかなければならないのだ。
叙任すれば父親とも今までどおりは接する事が出来なくなるだろう。
領地を与えられれば、家族とも会えない日々が続くだろう。
そんな場所に、今のクリスを放り込む事はベルドには出来なかった。
「わかった」
だから。
「だったら、俺がこの町を救う。盗賊だか異能者だか知らないが、そんな奴俺が追っ払ってやる」
ベルドは賭けた。
少女の中にあるはずの、平和を愛する本当の強さを。
「お前はここにいていい。騎士にならないって話も、その時にだったら聞いてやる。俺と一緒に逃げるって話も前向きに検討してやるさ」
立ち上がり、少女の前に歩いていくと、上から見下ろすように言い放つ。
そんなベルドの態度を見て、少女の顔がクシャッと崩れる。
両目からポロポロと涙が零れる。
それでも、ベルドはそれを拭ってやる事はしなかった。
今この場に優しさなど不要だと、グッと堪えた。
声を出さずに泣いている。
ベルドを見たまま涙を流しているクリス。
それは、ベルドに涙を拭ってもらうのを待っている子供そのままで……。
「今日はもう遅い。それに疲れただろう。もう寝ろ」
そう言ってベルドは背を向けると、さっきまで自身が座っていたベッドまで歩く。
泣き声は聞えない。
きっと、ベルドが胸に抱き寄せてくれるまで泣き声は取っておくつもりなのだろう。
それをわかっていながら、ベルドは何も言わずにベッドの中にもぐりこむ。
背を向け、しばらくたったその部屋に 。
少女の悲痛な泣き声が響き渡った……。
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