後編

「ラスト!」


 男の叫びとともに、最後の獣が黒い煙と変わる。

 結局、村に入り込んでいた獣の数は三十を軽く超えていた。

 それを全て一人で始末したにも拘らず、男は息一つ乱してはいなかった。

 その事に驚きを感じながらも、少女は全てが終わった安堵感から男に近づくと、マントを差し出す。

 しかし、男はそれを右手で制すると、左手で一枚の魔道具を引き抜いた。


「まだ、最後の締めが残ってる」


 そういって男が向かった先には、不気味な煙を吐き出す黒い穴のようなものがぽっかり空いていた。

 何も無い空間に……である。


「……なに、この穴……」

「へぇ。見えんの?」


 そう答えながら、男は札をくるくると回すと、弾くように穴に向かって放り投げた。

 すると、その穴がある辺りで札は何かに張り付くように止まると、ぼんやりと発光する。


「消滅しろ」


 その言葉に合わせて、今まであった穴はギュッと握られるようにその場から消えた。

 それと同時にすっかり無地になった紙切れがヒラヒラと地面に舞い落ちた。

 その一部始終を見ていた少女は、男の背に向かって静かに問いかける。


「その穴が……さっきの獣達と関係があるの?」

「関係と言うより元凶だな」


 振り向きながら答える男は少女に向かって微笑む。

 しかし、それは安らぎとは程遠い笑顔だった。


「元凶……という事は、昼間の騎士様たちはそれを放っておいたから獣がいなくならなかったのね」

「半分正解」

「半分?」

「ああ」


 男は辺りに散らばっている効力の無くなった魔道具を拾い集めながら少女の質問に答える。


「放っておいたんじゃなくて、知らなかったのさ。そもそも、あの穴を見る事が出来る人間の数が少ないからな。だから、この国に住む殆どの人が知らない。この混沌の真の原因である……『魔素』の存在をな」

「魔素……」


 少女の呟きに男は頷く。

 すっかり静けさを取り戻した集落に、男の声が嫌にハッキリと響いた。


「殆どの人が見る事が出来ない魔の元。それを吸い込んじまったら、獣だろうが人間だろうが自分をなくす。混沌が始まったとたんに減った人間のその後はどうなったと思う?」

「……」


 男の問いかけに少女は押し黙る。

 何となく嫌な予感がしたからだが、その予感は的中した。


「この国に現れた『魔物』達。それが魔素に犯された人間の成れの果てだ。行方不明になったんじゃない。化け物になって人間を襲って……同じ人間に殺されていたのさ。……笑えるだろ?」


 自嘲気味に笑いながら話す男を少女は悲しげな顔で見つめる。

 それだけで分ってしまったからだ。

 魔物を人間の成れの果てだと分っているこの男は、一体どんな思いでその魔物を打ち倒しているのだろうか。

 それはきっと、少女が考えるよりもずっとつらい事なのだろう。


「だから……お譲ちゃんはもう家に帰りな。……これから起こる事を見たら悪夢にうなされるぜ?」

「……え?」


 そう言った後、立ち止まった男の視線を追う。

 そこにいたのは崩れかけた肉を纏わせた魔物だった。

 言われてみれば……確かに人に見えない事も無かった。


「……ったく。あれほど言ったのに、遮断帯を身に着けていなかった人間がいたらしい」

「……えっ!? それじゃあ、あれは……」

「この村の人間の成れの果て……だ」

「……そんな……」


 ズチャ、ズチャっと音を立てながら近づいてくる魔物を見ながら、絶句する少女。

 そんな少女を後ろに押しのけながら、男は残酷な事実を告げる。


「ああなっちまったらもう元には戻れない。魔物としてこれからは一生人を襲い続けるだろう。だから、この場で……」


 そして、腰に下げていた長剣を抜き去り、ぞっとするほど冷たい声で呟いた。


「終わらせる」


 そして、一気に魔物との距離を縮める男の動きに合わせるように、魔物はあたりに肉片を飛ばした。

 弾丸のように飛ばされたそれを男はかわすと、通り過ぎざまに魔物の胴体を剣で凪ぐ。


「離れてろ!」


 そして、叫びながら大きく後ろに跳び退る。

 それと同時に先ほどまで男がいた所に魔物の腕が振り下ろされた。

 どうやら、まったく効いていないらしい。


「チッ!」


 男は一つ舌打ちをした後、次々と攻撃を叩き込んでいく。

 動きは遅いが、攻撃自体の速度は速く、何より多彩な魔物の攻撃をあの至近距離でかわしながら切り付けている男の動きは、昼間の騎士のそれを凌駕していた。


「……すごい……」


 思わず漏れる呟き。

 少女は恥じた。

 もちろん、自分が男に対していった事に関してだ。

 確かに、一般的には剣士にも魔術師にもなれなかった人間が魔道士になるのが普通だ。


 しかし、男の剣技は少女の目から見ても一流である事が分った。

 混沌の獣なんかよりも遥かに手ごわい魔物に対して、剣技のみで対抗しているのだから。

 なぜ、男が魔道を使わないのかは分らない。

 それでも少女には男が剣を振るいながら苦しんでいるように見えてならなかった。


「……くそ、くそ、早く……早く倒れろよ! もう、俺の顔は覚えたろ!? お前に苦しみを与えたのは俺だ! だから倒れろ! そうしたら……すぐにでも楽にしてやるから!」


 その言葉を言い終わるが早いか、魔物の攻撃が男の肩に食い込む。

 思わず叫びそうになってしまった少女だったが、魔物の背中から飛び出している切っ先を見て、思いとどまった。

 そして、きらめく光。

 それと同時にボロボロと纏わり付いた肉片が崩れ落ち、中から変わり果てた村人の姿が浮かび上がった。


「……モンド……兄さん……」


 でも、それも一瞬で……

 そのままボロボロと崩れ落ち、黒い煙となって上空に舞い上がる。

 その煙はやがてぼやけて見えなくなる。

 自分が泣いている為にそうなってしまったのだが、少女はそうとも気付かずに空を見上げ続けた。

 そんな少女に視線も向けずに、男は自らの剣を見下ろしながら、


「せめて、逝く時は人として……すみません。俺にはこれくらいしか出来ない」


 自らの腰に剣を戻す。

 魔物を相手にするときしか使わないその刃は、自分に対する戒めだった。

 男は傷ついた肩を気にするでもなく地面に落とされたマントを拾うと、泣き続ける少女を背にしてその場を離れた。


 少女の恨みも怒りも。

 全て自分で受ける覚悟を決めながら。

 今までそうしてきたように……





「これでよし、と」


 少女は荷物を詰め込んだ袋をポンッと叩くと、部屋の中を見回す。

 生まれてから十六年の間住み続けてきた家は、そうとは思えないくらいにきちんと整理されていた。

 両親は既に無く、兄と二人だけで暮らしていたからと言うのもあるが、いつか都会に出てやろうと思い私物をあまり置かなかった少女の行動による事が多かったかもしれない。


 しかし、その兄ももういない。


 魔道士の男に貰った札を身に着けていなかったせいで、魔物となり死んでしまった。

 それでも、外に出なければ魔物になる事は無かったんじゃないかと思う。

 あの時兄が外に出てしまったのは……


「……私が外に出てしまったからだ」


 結局、兄妹してあの男の言う事を聞いていなかった為に起こってしまった事だ。

 そのことに対して後悔していないわけではないが、いつまでも立ち止まっている訳にもいかない。


 だから、少女は決意した。


 あの男が言ったように、自分がこの国でも数少ない才能の持ち主ならば……

 少女は袋を背負うと、ヨシッと気合を入れて外に出た。

 朝日に照らされた集落は、いつもどおり変わらぬ風景で、昨日の夜の騒動の跡などまるで無かった。


 少女はその様子を悲しげに見ると、昨日札を配り歩いていたサウジおじさんの家に向かって歩く。

 大体の事情は読めていたし、あの男がどういう行動を起こすか分っていたからの行動だった。

 だから、


「黒い人か? あの人なら今朝早く発ったよ」


 そんなサウジの言葉にもさして驚く事は無かった。

 だから、代わりに聞くのは別のこと。


「そう。それじゃあ、何か言っているような事は無かった? たとえば、これからの行動とか……」

「ああ、そう言えば……」


 少女の言葉にサウジはポンッと両手を打つと、思い出すように言葉を続ける。


「何でも、自分は勇者ご一行のストーカーだって言ってたなぁ……。言われてみれば騎士様たちが来た日にここに来たしな。あんな男が追っかけじゃあ、騎士様たちも大変だな」

「そうね」


 そう言って二人で笑う。

 もっとも、その理由は二人違うものだったが。

 少女にとってのそれは、男の覚悟に対する事だった。


(つまりは、お前も追って来いって。そういう事ね)


 そこで少女はサウジに別れを告げると背を向ける。

 すると、少女が背負う袋に気付いたのだろう。

 サウジは少女の背に向かって声をかける。


「マナ。その荷物は何だ?」

「これ?」


 その問いかけに答えるように、少女──マナは袋を指差しながら答える。


「ちょっと、王都にでも行こうかと思って。知ってるでしょ? 私がいつか王都に行きたいって言ってた事」

「そりゃ知ってるが……モンドは知ってるのか?」


 その言葉に……マナは少しだけ悲しい顔をしたが、すぐに笑顔になるとサウジに向かって元気に答える。


「もちろん。と言うより、兄さんはもう村を出ちゃってるの。私はここにいた黒い人に道案内でも頼もうかと残っただけで」

「何だ、そうだったのか」

「うん」


 そして、今度こそ本当に別れを告げて、マナは出口に向かって歩き出す。


「気が済んだら帰ってこいよー」


 そんなサウジの言葉を背中に受けながら……


(そうね。いつか事が終わったら……それがいつの事になるか分からないけど……)


 そうして、まだ遠くには行っていないであろう、魔道士に思いを馳せる。


(あなたは兄の敵。だから、私を強くする義務があるのよ。全てが終わった後に自分が手にかけた人の関係者に討たれるのが望みなんでしょう? ……ストーカーさん)


 だから、それまでは一緒に戦ってあげると心に誓う。

 自らが馬鹿にした魔道士となって……






「ビィィィィィィックショオン! ああ、こんにゃろう」


 眼下が見渡せる小高い丘で小休止をしていた黒い男は汚らしいくしゃみと共に立ち上がる。

 向かう先には小さな集落が見えた。

 恐らく、目的の一行はそこにいるに違いなかった。

 もっとも、そんな事には大して意味は無いのか、大きなあくびをしながら眼前の景色をゆっくり眺める。


「誰か俺の事噂してんのか? 俺は追いかけられるよりも追いかける側だからあまり嬉しくは無いが」


 そういいながら、ちらりと後ろを見る男。

 そして、フッと息を吐くと、再び眼下に見える集落を見る。


「まあ、俺の場合は追いつく必要は無いけどな。ようはあいつらの尻拭いをするのが仕事ってだけで。騒動の数だけは勇者級だからなぁ。ナイツ君は」


 会った事もない相手の名前を勝手につけて、うんうんと頷く男。

 しばらくそうしていたが、最後にもう一度だけ後ろを振り向いた後、ゆっくり丘を降りていく。


「追いつく必要の無い俺と、追いつかなきゃならないどっかの誰か。どちらと出会うかは考えるまでも無いか」


 そう呟き、あくまでのんびりしたペースで歩く男の顔にはいつしか笑みが浮かんでいた。


 安らぎとは程遠いその笑顔が。


 いつか本当に笑えるときが来るのだろうか。


 その鍵を握る少女とこの男が再会するのは、この二日後の事だった。


 その後どうなったかは……また、別の物語。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ストーキングヒーロー 路傍の石 @syatakiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ