最後の5分、俺たちは勇者だ
森 椋鳥
5分に全てをかけて生きる
小さな町の小さな印刷会社。
その社屋でカチッカチッ進む時計の秒針の音が響いていた。
全ての社員が心待ちにしている瞬間が、そろそろやってくる。
ドキドキと心臓の音が聞こえてくるようだ。
あと、10分……。
その時、プルルル!と部屋に鳴り響いたのは電話音だった。
「出たくない」全社員が心の底から思ったであろう言葉。
しかし、出ないわけにもいかない。
ガチャリと音を立ててとったのは、俺の後輩にあたる子だ。
「はい、はい」と相手の要件を聞いている声。嫌な予感しかしなかった。
全員の視線が後輩に向く。お願いだから、面倒事だけはやめてくれ。
話を終えた後輩が電話を切り、涙目になりながら先輩である俺、高柳を見てきた。
「……高柳先輩、先方に出した看板のデザイン原稿に複数文字修正が見つかりそれを今すぐに直してくれと。あと提出したデザインも前に出したものの方がいいので、それに差し替えをしてほしいと」
それを聞いてバッと時計を確認すると、あと5分になっていた。
そのクライアントは面倒で有名なものだった。
お客様のご要望だ、仕方ない。
俺はパソコンを目の前にし、最近腱鞘炎になりかけている右腕を動かした。
「窪田、直す箇所を教えてくれ俺がやる」
後輩の名前を出した瞬間、周囲にざわめきが走った。
無理もない、こんなギリギリの時間にやるなど無謀でしかない。
しかし、俺ならばできるかもしれないのだ。
「高柳先輩、すみません」
「お前が謝ることじゃない。俺の後ろに来て指示してくれ」
「わかりました」
そう言って窪田が指示を始めると同時に、俺はキーボードを打ち始めた。
カタカタ!と大きな音を社内に響かせる。
「見ろ!先輩のあの速さ!さすが、本気を出せば会社一を誇るスピードの持ち主!」
「マウスの動きが速すぎて見えないわ!」
「あれが、先輩の実力……!」
騒めく社員に耳を向けず、俺はひたすらに打ち込み、修正する。
そうだ、クライアントに完成品を送るメールの準備もしなくては。
「高柳、メールは準備しておくから作業に集中してろ」
聞こえて来たのは、同期の渡辺だ。
いつも影から俺をサポートしてくれてとても助かる。
これが今日の最後の戦いだ。油断して凡ミスなど許されない。
俺たちは、できる。やれるんだ!
仲間がいる、俺を支えてくれる仲間が!
最後の力を振り絞り全ての作業を終え、渡辺がメールを送り、そして窪田が先方に連絡をとり確認を終えた時、定時を知らせる音楽が社内に響いた。
わぁ!と歓喜の声が上がる。
定時までの残り5分間に、俺たちは本日の仕事を全て終わらせることができた。
緊張の糸が切れた俺は肩をなでおろした。
「高柳、最後の5分でよくやったな。勇者だよ、お前は。最高に輝いてたぜ」
「これが俺の本気ってもんよ」
会社の最後の5分は勝負の時間だ。
定時に上がれるか、否か。
ここで全てが左右される。
だから、俺たちは今日も残りの5分に全力をかけて生きるのだ。
「よし、帰って飯だ!」
最後の5分、俺たちは勇者だ 森 椋鳥 @mu-ku
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