第9話 オープンロック ユアハート
横山はごまかしようのないほど顔を真赤に染めていた。いや、酒のせいといえばそのとおりなのだが、ほろ酔いに留まる横山には嘘でやり過ごすような気骨を持たなかった。
「君、よくそんな恥ずかしいことを堂々と言えるね」
一言しゃべるだけでも喉が乾く。ぐびりとグラスを傾けると、テーブルの上には間もなく1つの空き瓶が残る。程よく甘辛く、生姜の風味がいかにも和膳的な、鯖の醤油煮がまったくもって酒に合うので、横山自身信じられない速度で酒が進んでしまった。
「横山さんが聞いたんじゃないですか。それに・・・その、俺は本気ですから」
「それはよくわかったけどさぁ・・・」
横山はテーブルに顎を乗せ、いじけた。目を伏せ、テーブルに指で「の」の字を書き連ねる。二重の意味で、聞かなければよかったと思ってしまった。
横山は飼主の気持ちのありかを、なんとなくだが把握した。飼主にあるのは執着心ではなく、ひたむきな憧憬であった。情熱が主成分の恋情と追随者のそれでは根本的な動機が違う。なので、いつの間にやら横山は彼に向けられる恋心に心地よさを感じはじめていた。押し負けているだけなのかも知れないが、それを理解していても、『ちょっと考えて』みるのも吝かではないと気持ちを改めそうになっていた。しかし、そう思うのを自分の有様が、最後の最後に踏みとどまらせた。
「飼主が思ってるほどの生き物じゃあないよ。ネガティブだし、歳だって。きっと・・・がっかりさせると思う」
「横山さんが俺の手のことを心配してくれたのを余計なお世話と言うなら、俺の余計なお世話を、貸しと思って許してください。」
そう言うと、ケイジは表情を変えた。横山の目を真っ直ぐ見て、眉を横一文字に据え、口の端をもそれに平行に引き絞った。打刀のような切れ味を瞳にも言葉にも宿らせて、横山に問いかけた。
「俺は横山さんのことまだ何も知りません。というか、この先だってわかんないものはわかんないと思います。横山さんのことわかるのはどこまで行っても横山さんだけだと思いますから。植物を土から引っこ抜いて、想像と1ミリのズレもない全く同じ根っこの形をしてると思いますか?自分にとってどれだけの水分量が必要で、どれだけ根を張り巡らせれば良いのかわかるのは、その植物だけでしょう?その植物の周りの環境からおおよそ想像はできても、水面下の努力は測れない。人間だって同じだとは思いませんか?」
飼主啓慈は人間、といった。横山のこの姿を見ても、あくまで他の人とも同じ基準で測ろうとしている証拠であった。
「他人のものさしの大きさなんて疎らです。ひょっとしたら拳より小さなじゃがいもをわざわざ一メートルのものさしで測る人だっているかも知れない。でもその芋だって、次は種芋にできるんです。そこから大きな芋になるかもしれない。俺からすれば何だって可能性です。俺もよく、自分の行いには悩みますけど・・・・がっかりしたままが嫌なら、枯れて死ぬまで見てみればいいんですよ。ほら、塞翁が馬って言いますし」
その話を聞いたとき、横山は心底思った。ああ、この男の人は自分を馬鹿だと思っているタイプのひとだ、と。根っこはネガティブで、でもそれにネガティブを掛けて、マイナスにマイナスを掛けてプラスにすることを考えるような思考回路をした人間だと考えた。だが、多角的なものの見方をできる人だと言うのを、横山は知っていた。婉曲というべきかもしれない。どちらにせよ、人を見る上で絶対に決めつけたり、先入観に振り回されたりしない人である。
誰の敵にもならないが、誰の味方にもならない。常に第三者で有り続け、一定の間隔を守り続ける。
横山は、ケイジは信用してもよい。そう思った。南京錠の外れるような感覚が自分の胸の内で感ぜられた。
気づけば横山は、口の端を緩めていた。
「飼主の例え方、面白いね」
「あ・・・すいません。大学の風習のせいですかね」
「いいよ。むしろ、もっと聞かせてくれない?」
「えっ・・・なにを、ですか?」
「飼主の話をだよ」
やはり、好きという感情とは程遠かった。興味が湧いたとも少し違っていた。ただ飼主の考えは、横山の正体や老体の脳にヒントになるのではないかという根拠のない直感があった。願望があった。
「お酒は飲める歳?」
「え、あ、はい。満二十歳です」
だから、まずは軽く飲み合ってお互いを知ることから始めてみよう。横山は、まんまと心を開かされたことに引けを取らず、まるで告白されたことへの反撃とばかりにぐいと押し入った。店員にチューハイを一つ注文し、それを飼主の手に押し付ける。
どうせ己を語らうならば、盃の一つも交わすべきだと思うのだ。自分語りとは即ち承認欲求。社会性に毒された横山はそれを恥ずべき行為と思っている。だが酒の席なら話は別だ。無礼講とはこれ文字通り。歳も立場も性別もあれこれ取っ払って、有る事無い事喋りたいことを喋れば良い。
口は
横山は空のグラスを持ち上げると前かがみになって腕を伸ばし、飼主の左手のグラスにカツンと縁を寄せた。
「あの、横山さん・・・なんか大胆です・・・」
「何が?」
「いやその、やっぱなんでもないです。」
テーブルに上体を肘で支えて預けて体重を掛けている。男からしてみれば挑発的で扇情的なポーズになっていることに横山は気づいていない。対して飼主は磁石が反発するみたいに頭だけを後ろに引いて視線を泳がせる。そのような格好のまま、横山は飼主自身のことについて尋ねた。
「ねえ、飼主。背はいくつ?」
「身長ですか?ええと、175cmです」
「お、オレと一緒。じゃあ血液型は?」
「A型です」
「一緒だ。誕生日は?もしかして9月だったりする?」
「あー・・・・・・惜しいです。5月なんですよ」
「あら、良いね5月生まれ。5月生まれは運が良いそうだよ」
「誕生石の石言葉ですか?」
「そうそう。話せるじゃん」
横山は他愛ない会話をした。世間話ほどの規模もない、小さなことを語り合った。何を憂うでもなく何に嬉々とするでもない、しょうもない雑談である。
今、稲垣玲子と同じ顔をしていると、横山には自覚がなかった。別段破顔しているという訳ではない。口数の少ない横山は表情の筋肉がかたまってしまったかのようにほとんど感情を顔に出さない方であるが、今の横山はとても楽しそうで、また、顎も軽そうであった。
飼主はそんな横山に魅入ってしまった。横山の何がわかったわけでもないが、横山の感情がスタッカートを刻むのを感じ取った。目には見えないが笑顔がそこにあるのを見たのだった。
「今日は良い日だ。うまい飯にありつけて、毒にも薬にもならないどーうでも良い話をして、そんでもって酒がうまい」
そうして、横山と飼主の夜は更けた。友達としてとも、恋人としてともつかず、曖昧なままの関係が築かれた。
ドラマ性の欠片もない、第三者から見れば魅力などなくつまらない出会いだろう。しかしそれを誰が咎めようか。人の出会いとはこういうものだ。他人に言い聞かせる物語ではない。
だが敢えて人に聞かせるために語るなら、このように表現すべきだろう。
『In one of the stars I shall be living.(ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ)
In one of them I shall be laughing.(その一つの星のなかで笑うんだ)
And so it will be as if all the stars will be laughing when you look at the sky at night.(だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。)』
人は人の悲劇を求むが、怠惰を求めない。人は人に自分以上を求むが、失敗談を求めない。
他人に結果のみを求めるのは、自分の努力ではないからだ。
だからこそ、語ろう。退屈を。故あれば、遺そう。無意味を。誰がどう思おうと、これは彼らのための物語であるからだ。
すすきの花 水屋七宝 @mizumari
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