最終話「未来で待っていたのは」

 平和な日常への、帰還。

 一日の始まりが、誰にも等しく訪れる……ここは平成という時代の日本だ。名無しの零号ゼロごうだった男は、その元号から平成太郎タイラセイタロウと名付けられて今を生きている。

 そう、まさにここは生きるに値する、守るべき平和な日本だった。

 例え危ういバランスの上で揺れる仮初かりそめの平和でも、成太郎には命を賭ける理由たりえる。成太郎が生まれた、造り出された灰色の時代に比べて、なんとまばゆく豊かなことか。


「これでよし、と」


 成太郎は朝から、校舎の中庭にある噴水の掃除をしていた。水瓶みずがめを抱えた女神像は、造られた当時の輝きを取り戻し、詰まり気味だった水もにごることなく水面を広げてゆく。

 ここはセントガブリエル&チャーチル女学院……通称、ガチ女。

 成太郎が校務員こうむいんとして住み込みで働く、いわゆる彼の表の顔をもたらしてくれた場所だ。

 ピカピカに磨き上げて水管も掃除し終え、成太郎はやれやれと池を出る。

 すぐに、見守っていた生徒達が押しかけてきた。


「ありがとうございますっ、校務員様っ! 助かりましたわ」

「やっぱり男手おとこでがあるって、頼もしいですわね……それに、なんだかわたくし」

「ああっ、いけませんわお姉様! で、でもっ、この胸の高鳴りは」

「だって、校務員様は……白い髪に色白で、華奢きゃしゃで、あおひとみがいつも凛々りりしくて」

「確か、平成太郎様とおっしゃいましたわね。皆様、これからもお頼りしましょう!」


 どういう訳か、一年生の御嬢様おじょうさまから三年生の御姉様おねえさままで、揃いも揃って成太郎に瞳を輝かせてくる。なにかと構ってくるし、時には仕事にさしつかえることもあった。

 凛々しい目元だと彼女達は言うが、成太郎は今日も眠くてしかたがない。

 欠伸あくびを噛み殺せば、自然とまなじりに涙が浮かんだ。

 相変わらずぼんやりとした表情で、彼は次の仕事にとりかかろうと道具を片付ける。

 女生徒達はそんな彼を取り巻き、我先にと詰め寄ってくるのだ。


「あー、その、なんだ。仕事が、ある。通してもらっても……いいか?」


 毎度のことで成太郎は困惑してしまう。

 古き良き良妻賢母りょうさいけんぼを育てる御嬢様学校、それがガチ女だ。そして、気品にあふれた未来の淑女レディが集っている、それはわかる。だが、この広大な敷地を誇るガチ女に男は成太郎だけだ。それぞれの教科を教えるシスター達も、事務員も全て女性ばかりである。

 成太郎なりに、自分が希少な珍獣扱いなのだと理解していた。

 だが、実際には花園はなぞのに舞い降りた王子様だと見られている。

 本人は無自覚だが、清らかな乙女達を夢見がちにする程度には、成太郎は美形だった。


「あ、あのっ! 成太郎様! わたくし、バレー部なんですけど……第三体育館の床が」

「ああ、見ておこう」

「わたくし、以前から茶道室のたたみが気になっておりましたの。随分痛んでますわ」

「わかった、業者に連絡を」

「つっ、次はわたくしですわ! あの……」


 きりがない。

 成太郎にとっては、憧れの眼差まなざしを向けてくる少女達は、この学校の生徒でしかない。そもそも、成太郎には恋愛という概念が欠落しているので、彼女達がどうして胸を高鳴らせているかがわからなかった。

 成太郎が知っているのは、親や保護者が決めた通りに結婚すること。

 男は外で働き扶持ぶちを稼いで、家長として家族を守る。

 女は家で家事育児に励んで、夫にかしずき家を守るのだ。

 それはもう、古い上に好ましくない価値観……しかし、成太郎はそれしか知らない。そして、彼にとって母であり姉、それ以上の存在だった女性は一人しかいない。


「さ、散った散った。もうすぐ始業のベルが鳴る。教室に戻ってくれ」


 ぶっきらぼうに成太郎が言い放つと同時に、荘厳そうごんかねの音が響き渡った。

 予鈴が鳴って、そぞろに少女達は散り散りに歩き出す。

 ようやく解放されて、やれやれと成太郎は肩をすくめる。こう見えても、校務員というのは適度に忙しいのだ。今までずっと外の業者がやっていた雑用を、一手に引き受けることになったからだ。

 ただ、敷地内の小さなボロ屋を与えられ、そこで寝泊まりできるのはありがたい。

 これでもう、だらしなくふしだらで破廉恥ハレンチな、卜部灘姫ウラベナダヒメと暮らさなくても済む。


「さて、次はプール掃除から片付けるか……ん?」


 仕事を片付けようと歩き出す成太郎は、ふと校門を振り返った。

 なにやら絶叫を響かせ、土煙をあげてなにかが爆走してくる。

 それは、徐々に制服姿の少女をかたどり始めた。真っ赤な髪をひるがえし、頭の上で一房ひとふさピョコピョコとアホ毛が揺れている。

 それは間違いなく、咲駆サキガケエルだった。

 何故なぜか口にパンをくわえたまま、成太郎の眼の前を通り過ぎる。

 そのまま急いで教室に向かえばいいのに、彼女は急ブレーキでUユーターンした。


「おっ、おはようございまひゅ! 指揮官ひゃん!」

「行儀が悪い、食べながら喋るんじゃない。遅刻するぞ? というか、もう遅刻だが」

「それがですね、えと、んぐ、もがが」


 エルはその場で、パンをぱくついて完全に食べてしまった。

 そして一心地つくと、早口で喋り始める。身を乗り出してくるので、やたらと顔が近い。いつもの調子でマイペース、そして相手を全く選ばず都合も考えないのだ。

 そういうエルのことをもう、成太郎はお馴染なじみだと感じる仲になっていた。

 自分を指揮官さんと呼ぶこの少女は、大事で大切な仲間だ。


「実はですね、超銃棄兵ちょうじゅうきへいガンダスターの続編発表会が昨夜あって! ネットで!」

「ねっと……あみ? 投網とあみか。ねっと……全く話が読めん」

「凄いんです、続編ではグレートガンダスターが出てきて、でも敵で! それでこう、盛り上がっちゃって! これは予習しなくちゃって、一気に夜通しガンダスター見てて」

「……お前はそれ、毎日見てないか?」

「当然ですっ! 全ての台詞せりふが効果音付きで言える程度には、見まくってます!」

「わ、わかったわかった。いいから教室へ行くんだ」


 エルは「そうでした!」と足踏みを初めて、そのまま駆け足で去ってゆく。

 だが、彼女は一度だけ振り向いて、手を振りながら成太郎へと叫んだ。


「指揮官さーん! あとで一緒に見ましょうっ! ガンダスター!」

「ああ、アニメか。俺はそういうのは」

「絶対に気に入ります。何故ならばっ! 指揮官さんも、正義の味方ガンダスターと一緒だからです! わたし、ガンダスターは大好きなんですっ!」


 それだけ言ってほおを赤らめると、ニシシと小さく笑ってエルは行ってしまった。

 なんのことやら訳がわからず、成太郎はその場に立ち尽くす。

 不思議と笑みが込み上げ、気付けば不思議とおかしくて笑った。自分がの光の下、声をあげて笑えるなどとは思ってもみなかった。ここはもう、閉じ込められた研究所でもないし、絶望的な戦争を継続し続ける愚かな時代でもない。

 平和をしたと書いて、平成なのだ。


「やれやれ、困ったやつだ。さて、仕事にとりかかろう。……ん?」


 成太郎の頭上に、突然なにかが現れた。

 突如飛来し、影を落とす物体……それを見上げて成太郎は絶句した。

 そこには、ほうきまたがった一人の少女が浮かんでいた。


「おはよう、零号。あら、どうしたのかしら? ふふ」


 そこには、ガチ女の制服を着たスカーレット・ブラッドベリが浮かんでいた。彼女はふわりと着地すると、今まで乗っていた箒をくるりと翻す。

 あまりにも無防備、そして自然体……突然のことで、成太郎は思わず腰に手を伸ばす。

 だが、当たり前だがそこに愛用のモ式大型拳銃はぶら下がっていない。

 あわてふためく成太郎を見て、スカーレットはにんまり目を細めて笑った。

 不思議と邪気は感じられないが、無邪気で無垢な敵意と憎悪だけは確かだ。


「私、転校してきたの。興味が湧いたわ……零号、あなたと、その下僕しもべたる魔女達にね」

「エル達は、下僕などではない。そして俺も零号ではない。俺は……俺の名は、平成太郎だ」

「そうなの? ふふ、別にどうでもいいけど」


 不意にスカーレットは「預かって頂戴ちょうだい」と、箒を投げてきた。思わず受け取ってしまったが、手にしてみると極々平凡な箒だ……今どきちょっと見ないような、古ぼけたものである。

 やはり、スカーレットにも魔力がある。

 それも、とても強い魔力が。


「じゃ、放課後にでもまたお話しましょう? ふふ、あの達にもまた会いたいわ」

「まっ、待て! スカーレット!」

「遅刻しちゃうわ。職員室に行かなきゃ……ああ、そうそう。言い忘れてたわ」


 玄関の前で、スカーレットは肩越しに振り返る。

 そして、まるで見下ろすように首をめぐらせニヤリと笑った。

 それは、彼女がD計画ディーけいかくを復活させた人間だと再確認するに相応ふさわしい、醜悪なまでに美しい笑顔だった。


「零号、貴方あなたが探しているレッドについて……一つだけ教えてあげる」

「なにっ! ……そんな言葉で惑わされる俺ではない」

「いいから聞きなさい」


 ビクリ! と成太郎の身体が震え、そして身動き一つできなくなる。

 完全にスカーレットに気圧され、これではまるでへびにらまれたかえるだ。


「戦後、D計画の痕跡を消すべく、あの女は世界中を飛び回った。出国記録も残さず、連合国も枢軸国も関係なくね。そして……とある男と血を残した。子供をもうけたの」


 衝撃の真実、それは全く理解不能。成太郎は最初、なにを言われたかわからなかった。だが、思い出されるレッドは今も、彼の脳裏で優しく微笑ほほえんでいる。

 だから成太郎は、愉快そうに下卑げびた笑みのスカーレットを真っ直ぐ見詰めた。


「……レッドは、子を……そうか」

「あはっ! ねえ、どんな気分かしら? その子はまた伴侶はんりょを得て、さらに……今、が全力で調べてるわ。そう、貴方の愛したレッドは、違う男と結ばれ、きっと幸せに暮らした! そして、子や孫に囲まれ死んだの! そこに零号、貴方の居場所はないわ!」

「そうか……

「……えっ?」


 成太郎は心の底からそう思った。

 あの人は戦後、D計画の痕跡と戦いながら……その呪縛から最後には解放されたのだ。そして、誰かと愛を結んで血を残した。それがわかっただけでも、成太郎は心の中で安堵あんどする。そして、心の底から祝福していた。


「この世界の何処どこかに、レッドの残した血筋が生きている。なら、俺はそれを守って戦おう」

「な、なによ……面白くないわね! ……フン! まあいいわ。最後に一つだけ教えてあげる。私は、私達の名は――」


 ――零国協商ゼロ・アンタント

 それが敵の名……D計画を地獄の底から解き放った、世界に戦火を広げんとする者達の名だ。その全容が語られずとも、成太郎は去ってゆくスカーレットを今は見送る。

 驚いてもいるし、動揺もした。

 だが、やることは変わらない。


「レッド、君はもう……なら、それでも構わん。俺は君がいた世界、君が残した全てを守る。フッ、驚くか? 俺には……君以外に、誇れる仲間が、守りたい連中ができたんだ」


 その声はもう、届かないだろう。誰にも聴かれることはない。それでも、自分自身に言い聞かせて、成太郎は今は日常へと戻ってゆく。

 再び戦う時……スカーレットと零国協商が、D計画と共に立ちはだかる時に備えて。

 不思議と怖くはないし、探し求めていた人の幸せを知ったら、自然と成太郎の気持ちは晴れやかな決意に満ちてゆくのだった。

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ブルームトルーパーズ!! ~鋼鉄の魔女達~ ながやん @nagamono

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