鬼とヒトの子

渚乃雫

鬼とヒトの子


「鬼はー外、福はー内」

「鬼はー外ー、福はー内」



「イッテッ。くっそ、何なんだよっ」


 久しぶりの現世に、ウキウキしながらこっちへ来てみれば、来て数分しか経っていないのにこのザマだ。

 何で今日、皆が現世に行きたがらなかったのか、何で俺は今日まで現世カレンダーを見ていなかったのか。

 絶え間なくパラパラと何処からともなく降ってくる豆に八つ当たりをしながらボヤく。


「鬼はー外!」

「だああああ!」


 バラバラバラバラバラバラ。

 まただ。また大量の豆が降ってきやがった。

 もう、いい。

 こんな日に現世行きを選んだことも、カレンダーをチェックしなかったことも、もう今更なことだ。

 現世と地獄を繋ぐ道が見つからぬよう、滅多に人が来ない公園を選んでおいたことだけは、自分を褒めてやりたい。


 ドスン、と何やら軽い倦怠感を覚えた身体を、公園にあったベンチに腰をおろし、ぐでぇ、と両手足を伸ばしていれば、ばさばさばさ、と空から灰色の軍団が降りてくる。


 くるっくー、くるっくー、と自己主張の激しいこの軍団たちは、どうやら俺に降ってくる豆を目当てにやってきたらしい。


「ああ、もう。食え食え。今日はお前たちを喰う気にもならねぇよ」


 はあ…と大きなため息を付けば、ぐん、と何やら首の後ろが重たく感じる。

 この様子だとパーカーのフードに溜まった豆を食っている奴でもいるのか。

 そう思い服を脱ごうとした時に、「鬼はー」と先ほどから何度も響いている声が聞こえ、「げっ」と声を漏らした直後、バラバラバラ……と嫌な音が聞こえてくる。


「もう、勘弁してく」


 れ、と言葉を続けようとした時、「危ないっ!」と誰かの声とともに、頭に衝撃が走った。




 俺は、鬼だ。

 地獄で働いている鬼だ。

 生前は人として生きたのかも知れないが、もう生前の記憶など殆どなく、鬼として生きている云百年の記憶のほうが色々な意味で濃ゆい。

 多少の痛みがあっても、基本的には死なないし、痛みと言っても、腕をもがれたり、とか、腹を抉られたりだとか、そういう傷になれば、流石に痛いと思うが、豆をぶつけられたりするくらいなら、別に痛いとは思わない。

 あ、でも、タンスの角に小指ぶつけるのは痛い。あれは痛い。


 じゃなくて、だから、別に今日、現世に来てからの豆攻撃は、別に痛いとは思っておらず、ただただ、ウザい。

 だが。


「お、お兄さん?!ちょ、大丈夫ですか?!!生きてますか?!!って何で豆?!いや、そうじゃなくてお兄さん!救急車?!え、それともこれって事件?!けーさつ?!」


 目を開けても、豆しか、見えない。

 多分、かろうじて外に出てるのは、帽子の部分だけだろう。

 肩にも、足にも、背中にも、豆、豆、豆。

 おそらく俺は今、豆の山に埋まっている。

 口元にある豆は邪魔だから、多少食べるにしても、こんなにはいらない。


 そして、その豆の山の外で、きゃんきゃん、と騒いでいる少し高い声が、自分の事でも無いのにものすごく慌てているのが、目に見えて分かる。あ、見えてないや、俺、今、豆の山の中だから。


「おにいさんっ?!」


 バラッ、と豆が動いた気がする。

 ばらばらと崩れていく豆たちを内側から「おお、スゲぇな」などとぼんやりと眺めていれば、グイッ、と何かが俺の腕を掴んだ。


 ぐん、と身体が引っ張られる。

 じゃらっと一気に崩れ去った豆の合間から見えたのは、冬の青空と、必死な顔をする、人間の顔。

 ドクンッ、と身体の中で、何かが大きく波打つ。


「生きてますか?!」


 そう言って、豆の山に埋もれた俺を助け出したのは、一人の、小さな人間だった。



 くるっくー、くるっくー。バサバサバサッ。


 公園に、たくさんの鳩や、鳥、その他に小動物など、たくさんの動物たちが集まっている。


 そんな中、ぽつん、とベンチに座るのは、鬼の俺と、人間の、子ども。子ども、と言っても、本人曰く、そろそろ成人を迎えるらしい。

 成人とはこんなに幼かったか?などと思ったが、「童顔なんです」と言った時に、ほんの少し頬を膨らませていたから、これ以上、そこに触れるのは止めた。


「お兄さん、本当に怪我してないんですか?」


 カップに入ったココアを飲みながら、じぃ、と俺を見るヒトの子の視線は、明らかな疑いを持っている。


「いや、俺、アレくらいじゃ怪我しねぇし」

「アレくらいって、結構な豆の山でしたよ?!ここら一体に広がってる豆、全部お兄さんを埋めてた豆ですよ?!」

「まぁ…そうだろうな」


 ズズ、と珈琲を飲みながら答えれば「お兄さん、何者…」とヒトの子が呆れた様子で呟く。


「いや、だから、鬼だってさっきから何度も言ってるだろ?」

「そんなん言われて、ハイ、そうですか、って信じるほど、幼くありません!」


 キッ、とこっちを見ながら言うヒトの子に、「いや、俺から比べたらなぁ」と返せば、うぐぐ、と何やら唸る声が聞こえる。


「お、鬼だって言うんだったら…そうだ!鬼さんと言えば、角!角があるはずです!角のひとつやふたつ、あるのならば、お兄さんが鬼だって信じ」

「あるぞ。ホラ」


 名案だ!と言わんばかりにキラキラとした表情を浮かべなら言ったヒトの子に、被っていた帽子を取り、自身に生えている額の2本の角を見せれば、「あ」とヒトの子は、声を出して固まる。


「え。本物?」

「いや、お前が見せろって言ったんだろうよ」

「え、だってっ」


 支離滅裂な奴だな、とヒトの子に呆れながらため息をつけば、目の前でまたアタフタと焦り始める。


「う、わぁ、本物。触ってもいいですか?」

「…何で」

「え、ダメ?」


 こてんと首を傾げながら聞くヒトの子に、どうしてだか断れなくて、「少しだけだぞ」と前髪をあげながら言えば、「はいっ!」と満面の笑みでヒトの子は頷く。


 ぴと、と角に触れた手は、生きているヒトの子にしてみれば、冷たい。

 ぺたぺたと触る手も、手首も、八重歯で噛めば、ぷつり、と直ぐに歯が通りそうに柔く見える。


「本当に本物なんですね」


 けれど、目の前で、楽しそうに、嬉しそうに笑うこやつの姿に『喰う』という鬼本来の本能は全く疼かず、「…別に、もうちょっと触っても、怒らないが」などと、普段の俺からは想像つかない言葉すら、出てくる。


「え、いいんですか!じゃあ」


 ぱああと明るい笑顔を浮かべたヒトの子の手が、俺の手に伸びる。


「わ、お兄さん、暖かいですね!」


 ぎゅむ、と握られる手は、さっきも思ったが、やはり、冷たい。


「お前は、随分と冷たいな」

「そりゃそうですよ。真冬ですから。ああ、暖かいですねぇ」


 触ってもいい、と自分で言ってみたものの、ぎゅむぎゅむと手を離すことの無い手に、どうしたものか、と空いている片方の手でたまりに溜まった豆をぼりぼりと食べながら考えていれば、「鬼はー」という例のあの声が聞こえてきて、思わず、バッ、とヒトの子に覆いかぶさる。


 その瞬間、バラバラバラバラ、と空からまた、豆の雨が降り、公園にまた、豆が増えた。


「すまない。大丈夫か」

「え、あ……」


 ベンチと俺で挟むようにしたヒトの子を見やれば、ヒトの子の頬が紅い。


「おい……お前、頬が紅いが」


 ペタリと頬に触れれば、ぶわっ、とさらに赤みが増していく。


「……ど、ど、ど、ど、ど」

「ど?ドド?」


 肩を震わせ、言葉を詰まらせたヒトの子に、何だ?と首を傾げて言葉を待てば、「どうしましょう!!」とヒトの子が両手で顔を覆いながら叫ぶ。


「おい、どうした」


 何があったのか、とヒトの子の腕を掴み声をかければ、「わ、わ、わたし…!」と蚊の泣くような小さな声が聞こえる。



「鬼さんに、恋、したかも、しれません……!!!」


 あわわわ、と不思議な声を出しながら、顔を隠すヒトの子に、興味がわき、グイ、と顔を覆う手を引けば、「あっ」と焦った声が聞こえる。


 頬と耳まで、赤く染め上げるヒトの子に、ドクン、と、また身体の中で何かが、大きな音を立てる。




「俺に惚れるとは、珍妙なやつだな」


 クツクツ、と笑えば、ヒトの子が、金魚の口のように、ぱくぱく、と声に出さずに口を動かす。



「俺が欲しいなら、落としてみろよ。ヒトの子よ」


 握ったままの、冷たい手のひらを、べろ、と舐めれば、「ヒャッ」と小さな悲鳴とともに、紅い色が、首もとにまで広がっていった。



 ヒトの子が、鬼に堕とされるまで、あと少し。


 ヒトの子に、鬼が恋するまで、あと少し。





 鬼と、ヒトの子。

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鬼とヒトの子 渚乃雫 @Shizuku_N

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