エピローグ ―約束ー

 アコニータとて、郷を攻撃し近親の者達を殺したのが魔族である事は分かっている。

 しかし、シェキーナが魔王であり郷の攻撃を指揮した事をまだ知らない。

 何よりも、魔族ばかりの環境で同族に会う安心感は、言葉では言い表せないほどホッとするものだ。

 ましてや、アコニータは幼女である。

 頼れると思える大人を見つけ、その人物に素直になるのは至極当然だった。


「そうか、アコニータ。ここの暮らしはどうだ? 何か不自由していないか?」


 そんなアコニータに、シェキーナが続けてそう質問する。

 だがその問いに返答を洩らしたのは、シェキーナの目の前にいる幼女ではなく。


「シェキーナ様。お言葉ですが、彼女達の保護と世話の差配は完璧です。現状は虜囚と言う事で完全な自由は許しておりませんが、それ以外で不自由を感じるような事は無いと自負しています」


 彼女の後ろに控えていた秘書官、ムニミィであった。

 彼女は手に持つ資料に眼を落とし、掛けている眼鏡の蔓をクイッと持ち上げながら、自信を以てそう説明した。

 その様子が可笑しかったのか、シェキーナは小さく笑うとムニミィへ顔を向けた。


「違うんだ、ムニミィ。大人が万全だと思う事柄であっても、子供には不自由だと感じる事だってある。子供は大人の様に、即座の適応能力は高くないからな。お前の手配に不足があるなんて、私は僅かも疑ったりしていないよ」


 シェキーナの女神の如き笑みを向けられて、ムニミィは頬を赤らめ俯いて押し黙ってしまったのだった。

 シェキーナが固まってしまったムニミィから視線をアコニータに戻すと、そこには先程とは違い、思いつめたような顔が向けられていた。


「そ……それではシェキーナさま……。わたしを……わたしたちを、エルフの郷に帰してください!」


「それは出来ない」


 必死で絞り出したであろうアコニータの言葉に、シェキーナは即座に……冷たい声音で否を突きつけた。


「それにエルフ郷はもう……無い」


 絶句するアコニータに、シェキーナは更に冷酷な事実を話す。

 それが事実だと、彼女も理解したのだろう。

 アコニータの両目からは、大粒の涙が流れ出していた。

 それでも、声を上げて泣きじゃくると言う事は無く、今度は瞳に力を込めてシェキーナを見据えていた。

 それは見ようによっては、彼女を睨みつけている様にも見える。

 だが、そうではなかった。


「それなら、その人を……そこの魔族の人達を、わたしたちに近づけないでください」


 そしてアコニータは、エルナーシャを指差してそう口にしたのだった。

 それは断固たる思いがこもり、更には憎しみまで纏っている様な強い言葉だった。

 それを受けたエルナーシャの身体には力が籠められ、両手がグッと握りしめられる。


 惨劇の模様を目にしたアコニータの心情は、此処にいる誰もが分かる話であった。

 しかも周囲を、それをした魔族達に囲まれても尚、不遜と思える言葉を口に出来るこの幼女をその場の誰も諫める事など出来なかった。

 ましてやエルナーシャとレヴィアは、アコニータの眼前で彼女の知己を悉く血の海に沈めたのだ。

 より直接的に敵意を向けられても、それは仕方の無い事であった。


 そしてアコニータからその様な感情をもろにぶつけられて、エルナーシャの顔は蒼白となり、今にも倒れそうな雰囲気さえある。

 それを支える様に、両隣に控えていたレヴィアとアエッタがエルナーシャの握りしめられた拳を優しく包み込み。

 それに気付いたエルナーシャは、彼女達の浮かべた優しい笑みに我を取り戻したのだった。


「か……シェキーナ様。私達は一度、この部屋より退出した方が良いと思われますが」


 そしてエルナーシャは、アコニータの意見を聞く形でそうシェキーナに提案した。

 今のエルナーシャに、アコニータに掛ける言葉など持ち合わせがない。

 また、弁明するつもりなど無かったのも事実だ。

 どの様に言葉を並べても、事実は変わり様が無い。

 エルナーシャがアコニータにとってトラウマとなる行動を取った事は、覆しようの無い実正である。

 そして、アコニータの抱く感情が一朝一夕で解きほぐれない事も理解していた。

 それが分かる彼女だからこそ、自らこの場を去る決意をしたのだ。


「……そうか。ではすまないが、別室で控えていてくれ。他の者もその様に。……アエッタだけ、この場に残ってくれるか」


 シェキーナの指示に困惑した表情ながらも従うジェルマ達であったが、そんな中で最後に指名されたアエッタは意外そうな顔を浮かべていた。

 しかしそれは、少し考えれば分かる事であり、アエッタもすぐに合点がいったようであった。


「ここは魔界で、周囲は魔族ばかりだ。アコニータ……お前の要望を全て満たす事なんて出来やしない。だがこの娘は……人族だ。魔族じゃあない。それに、先の作戦にも参加していない。この娘となら……仲良くなれるんじゃあないか?」


 シェキーナの提案は、やや乱暴でもあり強引でもあった。

 例えアエッタが魔族では無いと言っても、彼女はこの魔界で暮らしており、シェキーナは勿論エルナーシャやレヴィア、それに他の魔族とも友好と言って良い関係を構築しているのだ。

 誰が聞いてもこじ付けであり、屁理屈と捉えられても仕方がない事なのであるが。


「……おねえちゃん……本当……?」


 どうやらシェキーナの理屈は、アコニータに通用した様である。

 この辺りは流石に……子供と言う処であろうか。


「……う……うん……」


 シェキーナの提案で急転直下、エルフ幼女の相手を申し渡され、当のアコニータには上目遣いにすがる様な眼を向けられては、アエッタとしては困惑するより他は無く、そんな状況では頷く以外に無かったのだった。

 何よりも目の前のエルフ幼女は、置いてきたはずの人界の生家にいるであろう妹達を彼女に思い起こさせていた。

 アエッタの父母は彼女にとって唾棄すべき存在ではあったが、弟妹たちとはその様な関係に無かった。

 そんな妹や弟の姿をアコニータから感じ取ってしまっては、アエッタにこの提案を拒否すると言う選択肢など無かった……のだが。


「……でも……シェキーナ様。この子達……全員……?」


 この部屋にいるエルフの子供は、何もアコニータだけでは無かった。

 未だ乳飲み子であったり、漸く離乳食になった子供であったり。

 まともに身体が効くのはアコニータだけであり、その他の7人からなる乳児たちは動く事はおろか、話す事さえ出来ないのだ。


「ふふふ……。アエッタ、何もこの子たちを全員育てろと言っているんじゃあない。時間がある時に仲良くしてくれるだけで良いんだ。基本的な世話は世話係と、乳母たちがする。それで良いだろう?」


 アエッタの質問がそれほど可笑しかったのか、シェキーナは微笑んで否定し彼女に期待している事を口にしたのだった。

 至極在り来たりで他愛もない事なのだが、孤立感を覚えているアコニータには、それだけで気持ちがほぐれると言うものだった。

 それに魔法使いである彼女と、生まれながらに精霊魔法の使い手であるエルフ達とでは、基本的な所で相性が良いのだ。


「そう言う事であれば……喜んでお受けします」


 やや頬を赤らめて、アエッタはシェキーナの案を快諾した。


「うわ―――っ! おねえちゃん、ありがとうっ! 私、アコニータッ! アコって呼んでねっ!」


 アエッタが頷くのを見て、アコニータがもう一度自分の名を告げてアエッタの腕を取り飛び跳ねて喜んだ。

 そんなアコニータに振り回されるような状態となったアエッタだが、その顔はどこか嬉しそうである。

 そんな、まるで姉妹のような2人の姿を、シェキーナは目を細めて眺めていたのだった。





 自室に戻ったシェキーナは、テラスに出て夕暮れの空気を感じていた。

 誰もいない今この時だけは、彼女が素に戻れる唯一の時間である。


「……ラフィーネ……。これは偶然かな……? それとも……天啓だろうか……?」


 燈色に染まる空を見上げながら、シェキーナは妹の名を呼びそう問いかける。

 答えは……当然、返っては来ない。

 そんな事は、シェキーナも十分に承知している筈である。

 彼女には死霊術師ネクロマンシーの技能など無いのだから。

 それでも中空を見上げる彼女の顔は、どこか清々しい。


「あの娘には、あなたの名前を……“デルフィトス”の名を継がせる事にするわ。そして時期が来れば、精霊界に再び郷を興させる」


 そしてもう一度、心の内を口にしたのだった。


 それは……ラフィーネとの約束でもある。


 ラフィーネの罪を全て消し去ったシェキーナが、改めて彼女の想いを構築する。

 シェキーナが考えた彼女なりの……妹の望みを実現する唯一の方法であった。


 そうした所で、失ったものが戻って来る事は無い。

 しかしその事にばかり囚われては、一向に前へと進める訳もないのだ。

 シェキーナは自ら刈り取った命を過去のものとして、それに代わる新たな世代の新しい郷を作り出そうと考えているのだった。

 それは何とも、都合の良い持論以外のなにものでもない。

 だが、他にエルフ郷を存続させる手立ても無いのだ。

 シェキーナにはもうエルフ郷など必要としていないのだが、アコニータたちにはいずれ必要となるエルフの住処であり。

 ラフィーネが愛した、エルフ達の拠り所でもある。


 しかし、彼女は気付いていない。


 いや……気付いていて気付かぬふりをしているのか。


 それは……その名は。


 郷を捨て、人界を捨て、実の妹と争ったシェキーナの名であり。


 郷を疎み、そこに住む者達を厭い、実の姉を憎んだラフィーネの名でもある。


 その事が、どの様な結果を齎すのか。


 だがシェキーナは、その事には一切の思考を割かなかった。


 ただ闇が深くなってゆく夕暮れの中に在り、自らもそこに溶け込んで行く様な錯覚に心地よさを感じていたのだった。

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闇堕ちのエルフ 綾部 響 @Kyousan

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