エルフ郷 ―遠征の終焉―

 シェキーナは、エルフ郷を僅か1日で殲滅した。

 これは、当初の作戦通りであった。

 そして、作戦通りに動いているのがもう一つ。

 人界の中央大陸北部「セーヴェル」を攻めていたベスティア=ソシオ率いる魔獣奇襲隊は、当初の予定通り守備隊を蹴散らす事に成功すると、そのまま街を攻撃する事に固執せず魔獣達を南下させていたのだった。

 これは、ベスティアが従えた魔獣達に命じた通りである。

 魔獣の疲れを知らない驚異的な移動速度は、ラヴニーナ平原で魔族軍と睨みあいを続けていた人界軍……その総司令官であるベベル=スタンフォードの肝を潰していたのだった。


「く……くそっ! シェキーナの奴……これを狙っての遅滞戦だったってのか!? 今の俺達に、二方面作戦を採る余裕なんて無いって―――のによ……っ!」


 そう毒づくベベルに普段のような飄々とした雰囲気など感じられず、側近であるヴァイゼも流石に声を掛ける事が出来ないでいた。

 眼前に展開している魔族軍を無視する事など、当然出来やしない。

 しかし後背を襲われては、軍の統率など望むべくも無いのだ。

 これにはベベルも、冗談抜きで追い詰められていたのだが。


「ほ……報告します! 魔族軍に動きあり!」


「な―――に―――っ!?」


 更なる凶報が、彼の元へと齎されたのだ。

 見事……と言って良いシェキーナによる挟撃作戦に、今はベベルも舌を巻くより他は無く、正しく打つ手なしの状況に追い込まれていた。


 もっとも……続けて齎された報告を聞くまでは……なのだが。


「続けて報告します! 魔族軍は整然と……撤退しております!」


「な―――に―――っ!?」


 これは正しく、今の彼にとっては僥倖と言って良い報告だった。

 挟撃の苦境から一転、まさかの魔族軍撤収報告である。

 これに何の策も組み込まれていなければ、人界軍は九死に一生、まさに助けられた事となる。

 それでも今の彼に、魔族軍の行動を鵜呑みにする事など出来ない。

 しかし、出来ればそのまま魔族軍には魔界へと返ってもらいたい心境なのだ。


「よ……よし! 軍を2つに分けるぞ! 第1軍はそのまま追撃態勢! 第2軍は、後方より迫る魔獣の群れの駆逐へ向かう! しかし、慎重に行動しろよ! 追撃部隊は決して戦闘するな! なんせこっちは、数でも質でも劣る事になるんだからなぁ! 第2軍の移動は、魔族軍が南極大陸へと差し掛かってからとする! 良いな!」


「わ……分かりました!」


 矢継ぎ早に繰り出されるベベルの命令に、ヴァイゼは何とか理解しそう返事をしていた。

 そんな彼に頷いて応え、ベベルはそのまま部屋を後にする。


「なに考えてやがんだよぉ……シェキーナめ……。ま―――ったく……分からん!」


 完全に手玉と取られた感が拭えず、ベベルはそう独り言ちて自室へと引っ込んだのだった。


 実際の処、混乱をしていたのは何も人界軍だけではない。

 撤退を開始した魔族軍の方でも、少なからず混迷状態にあった。

 それを抑え、宥め、命令を聞かせるのに、この軍を預かるレギオー=ユーラーレは一心不乱であったと言える。


「何故でありますかっ、レギオー殿っ! 物見の報告では、北方より我が魔獣奇襲部隊が南下しているとの事っ! なればこれに呼応して打って出るっ! 戦いの基本でありましょうっ!」


「う―――あ―――……。そんな事ぁ分かってるけんども、今は撤収してくんろ! これは、シェキーナ様の命令なんだかんな!」


 交戦を主張する幹部たちを、レギオーはシェキーナの名前を出して何度も従えようとする。

 だが、この遠征が始まって数日……すでにこの策も使い古されていた。

 フラストレーションが溜まり切っている交戦主張派は、もはやその様な事では退く素振りさえ見せなかった。


「戦とは、機を見るに敏っ! 臨機応変が何よりも寛容でありますっ! そして今は好機っ! シェキーナ様とて敵がこれ程の混乱を見せていると知れば、一気に攻勢に転じるよう指示をなさるはずっ! 我々は、打って出ますぞっ!」


 その判断は、ただ戦いだけ……欲求不満を晴らしたいだけと言うものでは無かった。

 少なくとも状況把握は出来ており、その判断にも間違いはない。

 それでも。


「……きゅっ……」


「俺ぁ……許可しないって言った筈なんだべなぁ……」


 勇ましくクルリと背を見せたその将兵に対し、レギオーは苛烈な罰を与えた。


 ―――頭頂から真っ直ぐ下に、体を左右に一刀両断せしめたのだ。


 不意に、しかも一瞬で体を2つに分断され、その将兵は僅かな声を上げるだけで絶命してしまったのだった。

 それを見ていた周囲の者たちは、声を出す事も出来ない。

 余りにも凄惨な光景と、レギオーの今まで見せた事の無い気迫が、近従の者たちから声を奪っていたのだ。


「……これ以上……他に異を唱える奴ぁ……おらんだべなぁ……?」


 低くくぐもった声で周囲にそう問いかけるレギオーに、一同は声を殺し誰も反論しなかった。


「んだば、このまま撤収を継続するだ。全軍、速やかに、んで整然と軍を退くだ。……こいつの事は、俺ぁと参謀連でシェキーナ様に報告するだ」


「……は……はっ!」


 レギオーの弁は、決して横暴と呼べるものでは無かった。

 それが分かる周囲の者たちは、これ以上彼を刺激しないよう、速やかに各軍の掌握へと向かった。

 こうして魔族軍は、、なんら問題なく人界を去る事に成功したのだった。


 因みに。


 この騒動で、魔族軍では唯一レギオーのみがストレスの解消をする事が出来たと言うのは……皮肉と言う以外に無かったのだが。





 シェキーナ達別動隊、ベスティア達奇襲部隊、そしてレギオーの率いていた魔族軍主力部隊。

 全軍が無事に魔界へと撤収を完了したのは、実に2ヶ月の刻を費やした。

 特に、少数部隊の撤退作業ならば兎も角、軍団単位の移動となると時間が掛かる事は否めず、寧ろ2ヶ月で済んだのは速やかだったと言って良いだろう。


 ―――総動員数……33,920人。


 ―――内、戦死者……85人。


 ―――負傷者……264人。


 ―――死傷者の殆どは親衛騎士団員であり、魔族軍本隊では10人にも満たなかった。


 そのような最中にあっては、エルフ郷より連れて来た子供達の処遇など後回しになるのは仕方の無い事であった。

 また、城へと戻ったシェキーナ、そしてエルナーシャが寝込み、回復には共に2週間ほど掛かったと言う事もある。

 そんな混乱をようやく収束させ、シェキーナ達は漸くエルフの子供達と面会していた。

 と言っても、まともに会話できるのはアコニータのみ。

 他は全員乳児なのだから、それは仕方の無い事であった。


 アコニータたちが軟禁されている部屋に入って来たのはシェキーナ、エルナーシャ、レヴィア、アエッタ、ジェルマ、シルカ、メルカ、セヘル、イラージュそしてアヴォー老と秘書のムニミィ……この11人。

 殆ど全員が魔族だと言う事に、最年長でもあるアコニータは身体を強張らせて警戒を露わとしていた。


「……緊張する事は無い。私達は、お前に危害を加えようとは考えていない」


 そんな彼女の気持ちを解きほぐす様に、シェキーナが優しいと言って良い声音でそう話しかけた。

 ただそれだけにも拘らず、アコニータの力は僅かに抜けていた。

 その理由も明快であり。


「……ラフィーネ……さま……?」


 彼女は、シェキーナをラフィーネと見間違えたからであった。

 シェキーナとラフィーネは共に神話の女神を模ったかのように美しく、随所の特徴がよく似ていた。

 アコニータがシェキーナをラフィーネと見紛うのも……仕方の無い事ではあるのだが。


「ふふ……私はラフィーネではない。……姉ではあったのだけれどね」


「お……ねえ……さま……?」


 シェキーナの回答で自身の考えが勘違いであったと知ったアコニータはそう呟くと、すぐに顔を赤らめた。


「ご……ごめんなさい……」


「いや……似ているとは以前から言われていた事だ。気にする事は無い」


 謝罪を口にし、シェキーナよりそう説明を受けたアコニータだったが、やはり興味深そうに彼女の顔を盗み見ていた。

 そんなアコニータの態度を不快に思うどころか、どこか微笑ましく感じたシェキーナの口元には優しい笑みが浮かんでいる。

 だからであろうか。


「私はシェキーナ。デルフィトス=シェキーナだ。よければ名前を聞いても良いかな?」


 シェキーナはアコニータに命じるではなく、本当に子供に接するような声音でそう問いかけた。


「ア……アコニータです! ペルシック=アコニータといいます、シェキーナさま!」


 そしてアコニータは、慌てた様にそう返答していたのだった。

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