エルフ郷 ―姉妹の克復―
倒れて動かないラフィーネに、シェキーナはゆっくりと近づいて行った。
ラフィーネが動かないのは当然の話で、身体を二分されてしまっては致命傷である事に疑いなど無いだろう。
それ以前に彼女は、死の精霊たる「不浄穢の精霊」を呼び出している。
これを呼び出すには、自らの命さえ供物として捧げなければならない。
ならば倒れているラフィーネに、余命など残されている訳が無かったのだ。
「……ラフィーネ」
ラフィーネの上半身に近づき膝を付いたシェキーナが、それまでとは打って変わった優しい声音でそう呼び掛けた。
その声に呼び起こされたのだろうか。
まるで死人のような顔色で、本当に死んでいるのと相違ない様に目を閉じていたラフィーネがゆっくりと……薄っすらとその眼を開けた。
「……姉さん……」
そしてか細い声で、彼女はシェキーナをそう呼んだのだった。
その声に、シェキーナは頷いて応えていた。
ラフィーネの声は、まるで憑き物が落ちたかのように穏やかであり……以前の声音を取り戻していた。
しかし元通りとなったのは……それだけであった。
目は落ちくぼみ、頬はこけ、髪は艶を失い、身体は痩せこけている。
それはまるで、一気に年を取り老婆と化している様な容貌であった。
ただその瞳に灯る色は……まるで子供の様に煌めいている。
「……強くなったわね……ラフィーネ」
そしてシェキーナの顔にも、もはや険など取れ穏やかと言って良い笑みが湛えられていた。
シェキーナの言葉に、ラフィーネは小さく弱く、ゆっくりと首を左右に振る。
「強く……なったんじゃないわ……姉さん。あれは……私以外の全てを恨んだ……下らない力……。あんなものは……本当の強さじゃあ……無い」
そしてそれを全否定する言葉を紡ぎ出す。
それは、戦闘中はその力で、ただシェキーナに追いつき追い越す事のみを求めた彼女の言葉とは思えないものだった。
「……聖霊ネネイに
言葉を途切れさせながらも、決して反論の余地を伺わせない強い言葉で語るラフィーネに、シェキーナは何も言わずに聞くだけであった。
「……コ……コフッ」
そして……吐血する。
下半身が切断されているのだ。彼女の命の灯火が、そう長く持つなどとは考えられ様も無く、だからこそシェキーナはその時間を大切にしてやろうと考えていたのだ。
「わ……私は……何処で……何処で間違ったのでしょうか……?」
いつしか涙を湛えているラフィーネは、まるでその答えを懇願する様にシェキーナへと問いかけた。
「お前は間違ってはいない。結果としては最悪を衝いたけれど、その決断はお前のもので、余人が口を挟む余地など無かったでしょう……。しかし敢えて……敢えて言うならば……」
その様に無垢な顔で望まれては、シェキーナとて答えないわけにはいかない。
彼女は優しく、まるで言い聞かせるように話しだしそして。
「……初めに、私に相談しなかったと言う事」
そう言い切り、シェキーナは再び優しい笑みをラフィーネへと向けたのだった。
それを聞いた彼女は目を見開き、何か天啓を受けたかのような表情のまま固まった。
「私とお前は……姉妹だった。この世で最も、強い絆で結ばれていた……筈だった。私の放蕩で郷を出たのだけれど、この絆……繋がりが途絶える事は無いと、私は本当に……思っていたわ。お前が困っているのならば、すぐに駆けつけようとも考えていた。しかしお前は……そうはしなかったわ。この世で最も濃い縁を持つ私に……頼らなかった。それがお前の……誤りだったのよ」
それは確かに間違いない事ではあるが、シェキーナの抱いていた望みであったのかもしれない。
真っ先に話してくれていれば、恐らく……いや、間違いなく結末は変わっていた。
シェキーナはラフィーネにそう答え、同時に悔いていたのだった。
「ああ……ああ……。そう……ですね……。私は……姉さんを羨むあまり……話すと言う事を……怠ってしまった……。頼ると言う行為に……嫌悪を抱いてしまっていたのね……。その結果私は……すべてを失ってしまった……」
彼女の澄んだ瞳から流れる涙は、まるで清流を流れる水の様に美しく煌めいていた。
後悔を口にするラフィーネであるが、それと同時に全てを達観し、その全部に納得している様でもあった。
「失ったのならば……また
そんな彼女に、シェキーナはゆっくりと説いて聞かせた。
予想もつかない言葉を投げ掛けられ、再びラフィーネの目が驚きに見開かれる。
「お前はこの世でたった1人の……このデルフィトス=シェキーナの妹なのよ。それは、何がどう変わっても……消せない事実なの。どうしようもない愚妹だけど、妹の不始末は姉が負うべき責任。だからラフィーネ……お前は何も心配せず、何ら未練を残す事無く……逝くが良いわ」
シェキーナの言い様は、何ともぶっきら棒であり乱暴であった。
しかしその話の後半は慈愛に満ち、真に姉妹愛に溢れている事はラフィーネでなくとも感じ取れるものだったのだ。
「ふ……うふふふ……。ね……姉さん……それはあんまりです……」
そんなシェキーナの言い様が可笑しかったのか、弱々しい声音で笑い出したラフィーネが、そう反論する。
それでもその顔は実に楽しそうであり……まるで幼き日に戻った様である。
先程シェキーナが言った通り、ラフィーネの取った行動とその結果は、どれほど足掻いても覆りはしない。
それと同様に、
その様な事は双方ともに理解している。
何よりもこの2人は、先程まで真剣に互いを殺そうと立ち会い、事実シェキーナはラフィーネに致命傷を負わせているのだ。
だが……いや、だからこそ、彼女達は新たに「絆」と言う糸を結び……紡いでいるのだ。
「なんだ、ラフィーネ。笑う事ではないでしょう」
そう返すシェキーナもまた、頬を赤らめ唇を尖らせた、普段では見る事の叶わない表情をしている。
以前のシェキーナは彼女の前でだけは、この様に素の顔を惜しげもなく晒していた。
今もまた彼女は、ラフィーネに当時の表情を見せていたのだった。
まるで、時を巻き戻しているかのように。
その場面だけ見れば、和やかだと言える風景。
しかしラフィーネの命が、その時間を長く続ける事を許さなかった。
「……ありがとう、姉さん……。妹として、今後の事は姉さんに任せて……いえ、押し付けて……逝きます。本当にゴメンね……そして……ありがとう」
その時間がやって来たのだろう、口を開くラフィーネの声音はどんどんと弱いものとなり、その瞳に灯っていた光も徐々に消え失せて行く。
「ああ……先に逝くが良いわ……我が妹、ラフィーネ。後の事はこの私……姉であるシェキーナに任せて、お前は何も心配する事は無いのよ」
最早声も出せないのか……いや、出そうとしても声にならないのだろう。
口をパクパクと開いたラフィーネだが、最後に小さく頷くとそのまま……動かなくなったのだった。
ラフィーネが息絶えた事を確認したシェキーナは、ゆっくりと彼女の眼を瞑らせ……その地にそっと横たわらせたのだった。
「母様―――っ!」
郷の入り口で待つエルナーシャは、遠方から歩いて来るシェキーナの姿を捉えてそう叫び走り出していた。
疲労の極みにあるエルナーシャはおぼつかない足取りであり、その速度は殆ど早足と違わない程度しか出ていないのだが、それでも彼女が足を前に出す事を止めたりはしなかった。
そして漸くシェキーナの元まで辿り着くと、彼女はそのままシェキーナに飛びつき抱き付いたのだった。
「……エルナ……心配をかけたかな?」
そんなエルナーシャを抱き止め頭を撫でながら、シェキーナが優しくそう問いかけた。
ただそれだけで。
普段よりも優しい声音だと察しただけで、エルナーシャはシェキーナの胸中を鑑み。
「……いいえ……いいえ……」
胸に顔をうずめたまま、涙声でそう返していたのだった。
足を止めたシェキーナとエルナーシャは暫しの間抱き合っていたのだが、やがてゆっくりとシェキーナがエルナーシャを引き離し。
「……帰ろうか……魔界へ」
エルナーシャの耳元で、シェキーナは優しくそう声を掛けた。
「……はい!」
その声に彼女は、努めて明るく元気な声でそう答えたのだった。
未だぐずるエルナーシャの肩を抱きながら歩を進めだしたシェキーナは、漸くレヴィア達が待つ場所まで戻って来た。
凄惨な作戦の直後だと言うのに、ジェルマ達に今は
「……お疲れさまでございました……シェキーナ様」
片膝を地面に付き臣下の礼を取るレヴィアは、シェキーナに恭しくそう告げた。
それに倣い、ジェルマやシルカにメルカ、そしてその場にいる親衛騎士団の面々も同様の姿勢を取る。
「……首尾は?」
それに頷いて応えたシェキーナは、ジェルマに対してそう問いかけ。
「はっ! 既に生存者の確認は殆どございません。作戦は……完了したと思われます!」
部下からの報告を受けていたジェルマは、その事をシェキーナへと伝えた。
それに対してもシェキーナは頷いて了承の意を示した。
「では、この地を燃やし尽くしてこの作戦を完遂したものとする。全部隊、撤収準備。今より
そして彼女は、威厳を以て戦いの終結を宣言する。
その命に、頭を垂れていた一同はそのまま返事を返し、即座に行動を開始しだしたのだった。
―――そして、半刻後……。
―――エルフ郷はシェキーナの作り出した壁に覆われたまま……。
―――その内側は悉く燃やし尽くされたのだった……。
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