第十回


 ココアと呼ばれた少女は、木下に踏みつけられて意識を失った。ビクン、ビクンと痙攣を起こすが、木下はココアを見向きもせずにミントとチョコを睨みつけた。後頭部を手で押さえながら、目は怒りで真ッ赤に充血していた。そしてミント達に近づく。ミントもチョコも怯えて二人抱き合った。木下はそんな二人を何度も蹴った。そして「次、一人でも同じことをやったら……全員ブチ殺すぞ!」と叫ぶと、床に落ちていたビデオカメラとスケッチブック、そしてフェルトペンを拾って部屋から出て行った。

 静まり返ってふと、二人がココアを見た。彼女の痙攣はすでに止まっていて、ピクリとも動かない。ミントが恐る恐るココアに近づいて体を揺らすが反応がなかった。

「死んだの?」とチョコだ。

「怖いこと言わないで」

 ミントが涙声で言った。ココアの口許に耳を近付けるが、なにも聞こえない。

「胸! 心臓は?!」

 チョコに言われて胸に耳を当てた。

「どうしよう! 心臓動いてない!」

「え? え? じ、人工呼吸? 心臓マッサージ?」

「そんなのやったことない!」

「あたしだって、やったことない!」

 互いに涙目涙声で動揺しながら言い合った。それでも朧気な記憶を頼りに、見様見真似でやってみる。だが、その努力はなんの成果も生まなかった。


 その日の夜だった。いつものように街をふら付いていた萩が、ふと久しぶりにココアを見掛けた。萩は何度かココアを目撃していたのもあって、今までは忘れていたが見るのと同時にいつかの不良少女だと思い出す。だが、以前と様子が違うのに気付いた。以前は人目に触れないように道の隅を歩いたりしていたが、今回は真ん中を歩いているし、ヨレヨレの服を着て、目は虚ろだった。萩とすれ違う。何気なく萩の視線はココアを追いかけた。脚を見る。ほかはハッキリ見えるのに、脚だけは朧気で見えない。

 そうか。この子、死んだんだ。

 死んだ奴には何度か会っている。話をした奴だけでも佐々木、小学生のチビ、太田に後藤の妻の桃子がいる。子供のチビはともかく、自分が死んだという認識がある奴は、生きている人間のように意識がハッキリしていた。だが、佐々木のように死を認識していない奴は、頭がボンヤリとした様子だった。この子は後者だろう。殺されたのか、不運な事故だったのかは分からない。だが、殺されたのならもしやと思った。声をかけてみようか。いや、少し様子を見てからにするか。そう考えながら萩はココアに付いていく。と、そこでココアが交番に戻ってきた警察官を見つけるなり、交番へと駆け寄った。

 やっぱり殺されたんだ。

 ココアが必死に警察官に叫びかけるが、当然ながら警察官にその声は聞こえない。あまりに居た堪れなくなり、萩は彼女に声をかけた。


 翌日の深夜に、教授宅に駆け込んだ萩が叫んだ。隣にはココアがいる。

「おい、教授! 犯人見つけたぞ!」

 椅子に座ってパソコンを操作していた教授が、きょとんとした様子で萩を見た。

「マジで?」

「ああ! 木下って奴だ。奴の家に行って確認してきた。間違いない。無駄にマッチョな図体も、あの忌々しい黒いドラゴンの入れ墨もあった。オレを殺した犯人だ!」

「そうか」と教授が、萩から目を逸らした。

「とうとう犯人を見つけたか。かった、好かった。あとはどうやってその犯人を警察に差し出すかだな。ところで、その子だれ?」と、今度はココアを見る。

「ああ。そのマッチョ・ザ・ゴキブリ=ゴリラに殺された、松村まつむらさくらさんだ」

 萩が紹介する。

「松村……桜です」と、ココアこと桜も名乗って軽くお辞儀する。

「サクラって名前、呼びやすいしなんか親近感が湧く」と佐倉萩だ。妙にヘラヘラ笑っている。

「下の名前はなんて言うの?」と続けて桜に尋ねたので、素直に「桜です」と答える。

「サクラ・サクラ。面白い名前だね。南ミナミさんとか、泉イズミさんみたいな感じで」

「いや、あの……苗字は松村です」

「その人、ふざけてるだけだから気にしないで」と、二人の間に教授が割り込んだ。

 教授が一息吐く。

「ところで、松村さん」

「桜でいいです」

「じゃあ、桜ちゃん」

「いやん。従弟に苗字にちゃん付けされた。気持ち悪うい」と、萩がふざけて割り込んだ。教授は「お前じゃない」と吐き捨てたので、萩はちょっとすねた。

 気を取り直して萩が言う。

「で! 本題に入るが、警察が木下さえ捕まえてくれれば、DNAだのなんだので、オレを殺した犯人だということも分かるから、あとは逮捕してもらうだけだ」

「匿名で警察に通報して調べてもらうか」と言った教授の提案に、萩は「それじゃダメだ」と言う。

「どうして?」

「あいつの家の地下室に、二人の女の子が監禁されているんだ」

「マジで? どうして?」

「変な動画に出演させてるらしい。だから変に木下を刺激したら、慌てて証拠隠滅を図って皆殺しにされるかも知れない。現に桜の、その……なんだ?」

「監禁されていた部屋には、桜ちゃんの友達二人だけになっていたんだな?」と教授。

「そうだ。だから刺激するのは危険なんだ」

「じゃあ、どうすればいいんだ」と教授は頭を抱えた。

 萩は言う。

「今日からオレと桜で、木下の生活習慣とかを見て作戦を練る。お前もなにかいい方法がないか考えてくれ。作家志望だから、筋書きを考えるのは得意だろ」

「作り話と現実は全くの別物なんだけど……。まあいい、分かった。そっちも何か使えそうな情報があったら教えてくれ」

 ああと萩は答えて、桜と共に外へ消えていった。


 萩たちが木下宅に侵入する。オバケなので侵入は容易だったし、木下勲にも一切気付かれる様子はなかった。勲は、テレビを見ながら食事を取っていた。煙草を吹かしながらコーヒーを飲んでのんびりとしている。殺人鬼のくせにいい気なものだと萩ははらわたが煮え繰り返った。その背後に隠れるようにして桜もいる。勲が動いた。ビデオカメラとスケッチブックにフェルトペンを持って地下室へ向かう。

「動画の撮影か」と、萩が桜に尋ねる。桜ははいと小さく頷いた。昨日、訪れたときは動画撮影はしなかった。すでに終わっていたのか、桜による木下の負傷のために休んだのかは分からない。萩は勲に付いていく。寄り添ってぼんやりしていたミントとチョコが、木下を見るなり怯えだして抱き合うように互いの片腕を組み合った。

「撮影するぞ」と勲が言った。二人ともそれに従い、設置されたビデオカメラの前に机を移動させる。そしてカメラに向かって目一杯の笑顔を作った。

 撮影が始まる。勲が命令をスケッチブックに書いて二人に見せる。それに従って二人が動画を進行させるのだが、ほとんど二人の即興に近かった。桜によると、心理テストなど問題が必要な話題が出る場面は、あらかじめ出題者にスケッチブックと色フェルトペンを渡して一通りの準備をさせるらしい。ほかにも勲が創作した物語に沿って撮影する場合は、本番中にスケッチブックに書かれたメモを読んで進行させるらしいが、それ以外は行き当たりばったりといった感じらしい。このときに勲が喋ることがあったらしいので、恐らくその場面は編集して消しているのだろう。

描写するに堪えない、見終われば何をしていたかなんて忘れてしまう茶番が延々と続いて、一時間ほど経ってようやく終わった。傍で見ていた萩と桜だが、ずっと見ていたはずのミントとチョコのさっきまでの話題がまるで思い出せない。取り合えず覚えているのは、勲が二人を事あるごとにイチャつかせていたのは覚えている。それほど下らないのだ。勲は持ち込んだ道具一式を持って「掃除しておけ」と二人に言い残して部屋から出て行った。それと同時に勲の恐怖から解放された二人の体が水揚げされたタコのようにグニャリとだれて大きく息を吐いた。

「いつもあんな感じだったのか?」

 萩の問いに、桜は「はい」と小さく答えた。

 萩たちが勲の許に行く。さっき撮影した動画の編集をしていた。それを見て、ようやく萩たちはミント達がしていた話題を思い出す。が、その場面が消えるとすぐに忘れる。やはり下らない動画だ。数時間かけて編集した動画を、勲はインターネットの動画サイトに上げた。ついでにほかの動画のアクセス回数を確認する。そこそこあるのだが、営利目的としては少ない。勲は視聴者のコメントも確認する。視聴回数そのものが少ないために、視聴者のコメントや感想といったものはほとんどない。まったく無いわけではないのだが、程度の知れた連中しか観ていないのだろう。ココアこと桜、ミント、チョコの中で誰が好みなのか書いたり、コスプレ衣装をしているために三人に特定のアニメのキャラクターのコスプレをさせろだの、もっとイチャつかせろだの、どこの無名のアイドルなのかだの、この程度ならまだいい。中には、匿名とはいえ人間としての最低限の品格や尊厳といったのを、どこかに捨てたのではないかと思えるほどに筆舌に絶えないコメントもあった。萩も桜も、正直こんな馬鹿に殺されたかと思うと、自分が嫌になってくる。自分が投稿した動画に関わる作業を終えた勲は、品の欠片もない動画を作っているだけあって、品の欠片もない動画を視聴し始めた。結局その日、勲が外出することはなかった。

 萩と桜の監視は続いた。翌日、例の撮影を終えた勲が外出したので付いていく。スーパーマーケットに入ったかと思えば、買い物しつつ防犯カメラの視線を掻い潜って万引きして帰ってきた。別の日はパチンコ店に行っては何時間も遊び続け、その翌日は競馬を買ってモニター越しに観戦しては激怒して馬券をその場に投げ捨ててパチンコ店へ向かう。さらにその翌日にも、空き巣をしたかと思えば帰りにまたパチンコ店へ向かった。三日連続のパチンコである。パチンコがよほど好きなのだろう。

 ある日、勲の自宅にパチンコ店に新台が登場するというチラシが届いた。しかもそれを見つけた勲は熱心にそのチラシを眺めていた。萩たちもチラシを覗いてみると、パチンコをやらない萩たちからすればよく分からないことだが、新台が登場してから数日は当たりやすくなるらしかった。恐らくこの期間中に、勲はこのパチンコ店に行くだろう。いい台を取りたいわけだから、朝早く行くはずだと考えた。その日は一週間後である。


 その日は萩たちの予想した通りに勲が朝早くに家を出た。萩のものだったショルダーバックを掛けて、そのまま徒歩で駅に向かう。駅の前には萩が待ち構えていた。勲を見付けた萩が、ホームに立っている桜に「来たぞ」と手を振って合図を送った。萩が勲を付けた状態で桜のいるホームに来ると、桜が萩に向かっていった。ホームには大勢の人が電車を来るのを待っていた。

「計画通りか?」と萩が尋ねる。

 大丈夫ですと桜は答えた。

 しばらく待つと電車が到着し、ホームに集まっていた人達が吸い寄せられる。勲の乗車を確認すると、萩と桜も電車に乗る。その瞬間に萩は、勲と同じ車輛に乗る黒尽くめの女の姿を見た。発車時刻が来たので電車は動き出す。

 電車の中は鮨詰めで息苦しかった。誰もなにも喋らないので、走行の雑音しか聞こえなかった。椅子に乗れなかった勲は、ぼんやりと天井広告を見つめていた。その隣には黒ずくめでサングラスをした女が立っている。萩と桜は勲を見ていた。

 曲がり道で電車が大きく揺れた。それと同時に黒ずくめの女がきゃあと変な声を出した。女はサングラスを取って勲を睨んだ。教授だ。女は女装をした教授だった。

「あなた、なにするの!」と声色を使って勲に言った。そして無理に低い声をして「この変態野郎! 痴漢するんじゃねえよ!」とまで言った。

 勲も周囲の乗客も突然のことできょとんする。教授は女の声色を使って「みなさーん。この人、痴漢でーす。痴漢でーす」と勲を指差して何度も叫んだ。呆気に取られたままの乗客もいれば、少し間をおいて笑いを漏らす乗客もいた。呆気に取られていた勲も、状況を把握するに連れて怒りの感情が込み上げ、顔も目も真ッ赤になる。

「てめえ! 気持ち悪い恰好して、訳わからないこと言いやがって! ブチ殺すぞ!」

 そう怒鳴ると、教授の胸倉を掴んだ。思わず本気で怯えて「わああ! ああ!」と声を出ながら萩たちを見る。が、二人は教授たちを注視するだけで何もできない。

「きゃ! きゃああ!」と教授は女の声色に戻して、再び悲鳴を上げた。

 妙な茶番のような事態に遭遇した乗客の男二人が止めに入る。一人はまあまあと普通になだめるが、もう一人は明らかに半笑いしつつ落ち着きましょうと言った。勲の手が胸倉から離れた教授は、すぐにズボンのポケットを確認して、やはり女の声色を使って言うのだ。

「無い! あたしの財布が無いわ! さてはあなた盗んだわね!」と勲を指差した。

「するかゴミ野郎!」と勲が怒鳴り返す。

「じゃ……じゃあ、荷物の確認させなさいよ!」

「おい、お前! 確認しろ」

 勲が隣にいた男に命令する。仲裁に入った男だ。男は勲の体に触れて衣服のポケットを確認する。ズボンになにか入っていたので取り出してみると財布が入っていた。それはオレの財布だと言って、勲が男から財布を分捕った。

「その鞄の中は!」と教授は、勲のショルダーバックを指差して言った。

「ある訳ないだろ! おい! 調べろ!」

 男がショルダーバックの中を調べると、ポケットからピンク色で花柄をした、女性ものの財布が出てきた。それを見るや否や、教授が「あー! あたしの財布!」と叫ぶ。勲の顔が蒼白にある。

「ち、違う! これは……。そうだ! これがお前の財布だって証拠があるのか!」

「中を確認して下さい! あたしの財布なら、あたしの写真があるはずです」

 男が財布の中を確認する。中には教授が、女性用の看護師や客室乗務員の制服を着た写真が入っていた。

「やっぱり、あたしの財布。最ッ低! この変態! 警察に言ってやるわ!」

 教授は携帯電話を取り出して操作し出すと、勲が殺すと漏らして教授に襲いかかる。だが、周囲の乗客たちに抑え込まれた。

「てめえ、マジで殺すからな! 覚えてろ、変態野郎!」

 そう耳が割れるほどの大声で、勲は怒鳴った。

 駅のホームについた勲は、乗り合わせた乗客らの協力もあって、駅員と警察官に連れて行かれた。その惨めな姿を、教授と萩、桜の三人は感無量といった心地で見ていた。

「ようやく捕まったな」

 萩が言った。

「あとは予定通りに行けばいいけど」と教授だ。

 萩は一息ついて言う。

「じゃあ、オレ達……もう行くわ」

「え?」と、思わず萩を見る。

「あいつが捕まったんなら、もうこっちにいる必要がないからな。それに悪かったな。変な恰好までさせて」

 桜も今までありがとう御座いましたと教授に深々と頭を下げた。

「じゃあな。しばらくはこっちに来るなよ」

 そう言い残すと、萩と桜は教授に背を向けて歩き出す。二人の体はゆっくりと透けていき、最後には消えて無くなる。教授は二人が去ったあともジッとそのあとを見つめた。


 警察署で取り調べを受けていた勲は激怒していた。机を挟んで向かい合っている刑事に「だから! オレは痴漢もスリもしてないって言ってるだろう」と怒鳴り散らして机を強く叩くが、相手の刑事は乱暴者に慣れているのか一切動じない。

「じゃあなんでお前の鞄に、被害者の財布が入っていたんだ? それに被害者は何度も触られたと証言しているぞ?」と刑事は言う。

「財布のことは知らん! それに男なんぞに興味は無い!」

「被害者が女装していたから、女性と間違えたんだろう?」

「それでもするか! 馬鹿が!」と再び机を強く叩いた。

 別の刑事が取調室に入ってきて、取り調べをしていた刑事に耳打ちする。それを訊いて本当かと訊き返した。やって来た刑事は頷いて部屋から出ていき、元からいた刑事は大きく息を吐いた。

「お前のうちから女性の悲鳴が聞こえると、通報があった」

 勲が茫然とする。

「それでお前のいえを調べたそうだ」

 沈黙していた勲だったが、事態を把握するのと同時に「はああ!」と叫んだ。思わず机に手をついて立ち上がった。

 つまり、こういう事だ。

 勲が駅に到着する少し前に、女装して駅前の電話ボックスに待機していた教授は、萩から桜に、そして教授へと勲が駅に到着したという合図を受け取る。そして公衆電話を使って警察に通報する。

「もしもし。木下さんってお宅から、女性の悲鳴が聞こえたんです。ええ。なんか『助けてー』とか『やめてー。殺さないでー』とか。ええ。大きな声ではありませんでした。なんか、家の奥から聞こえてくるような、消え入るって感じなんです。気のせいかなとも思ったんですが、以前近くを通ったとき、その家の人だと思うんですが、男の人が未成年らしき女の子を家に入れているのを偶然……何度か見たことがありまして、もしかしたらと思いまして……。ええ。なんか、今回はかなりヤバそうなので早く来て下さい。住所? 木下さんの? 住所はメモってあります。たしかー、ちょっと待って下さい」

 この通報後に、教授は急いで萩たちのいるホームへ向かった。教授は勲の顔を知らないが、萩と桜から大まかな見た目を聞いていたし、なにより萩らが勲の傍に立って指差したのですぐに特定できた。

 勲の乗る電車に乗って傍に寄る。息もできないほどの緊張の中で女物の財布をそっと勲の鞄に潜ませた。そして曲がり道で大きく揺れる瞬間を狙って、勲に痴漢容疑をかけたのだ。

 取調室に話を戻す。椅子に座ったまま刑事は勲を睨んでいる。

「お前の家の地下室で、二人の未成年の女性を保護したそうなんだが、どういうことなんだ?」

「な、なに訳のわからないことを……」

 勲の声は震えていた。刑事は立ち上がる。

「痴漢と窃盗、そして女性監禁の三つについて――」と勲の肩に手を載せた。

「どういうことか! こっちがしっかり説明してもらおうか。まず座れ」と刑事は迫った。

「べ、弁護士を呼べー!」と、動揺しつつ勲は叫んだ。


 翌日、教授は自宅でニュース番組を観ていた。勲による女性監禁事件についての報道がなされている。もし、昨日の通報でも警察が勲宅に突入しなければ、今頃も教授が同様の通報をしなければならなかった。当初に計画していた想定通りに事が運んで教授は安堵していた。なお、昨日の電車内での件について教授は被害届を出さなかった。萩と桜が安心して成仏させるための演技なので、役目を終えれば不要なことだと思っていたし、なによりも勲と不必要な関わりを持ちたくなかったのだ。テレビ画面には顔を隠している桜の母親が映っている。

「毎日、主人と妹と心配していて、毎日が息の詰まるような思いで過ごしていました。去年に受験に失敗して落ち込んでいて、あまりに可哀想でそっとしていたんですが、まさかあの子がこんな事になってしまうなんて信じられません。あの子は誰からも愛される、とってもいい子で、私たち家族からすれば何よりも代えがたい大切な宝物で――」とカメラの前で言っていた。

 画面がスタジオに変わって女性アナウンサーが言う。

「木下容疑者はこの女性監禁事件のほかにも、昨年三月に発生した強盗殺人事件など、いくつかの事件にも関与していると思われ、警察では捜査が続けられています」

 ここからニュース番組に出演しているコメンテーター達が好き勝手にこの事件について語りだす。

「木下って、元教員らしいぜ」

 教授の背後から聞き慣れた声がした。――マジで?――と事もなげに反応した教授だったが、ゆっくりと背後に顔を向ける。萩が座っていた。

「マジで!」と教授が叫んだ。

「ああ。あっちで会った子から聞いた」

「そっちじゃない! ……おまえ成仏したんじゃないのか?」

「ああ。あっちに行ったんだけど、裁判の結果が気になって戻ってきた」

「裁判って。まだ起訴もされてないのに」

「問題はそこなんだよ。不起訴になったら死んでも死にきれない。だから心配になって戻ってきた」

「そういう訳です」

 教授が声のしたベッドを見る。桜が座っていた。

「桜ちゃんまで……」

「まあ、そういう訳だから。裁判が終わるまで宜しく」と萩は笑った。

「宜しくって、最高裁が終わるまで何年も掛かるんじゃ?」

「そうかもなー」

「結果が出たら墓前に報告するから、成仏してくれない?」

「えー。自分で見たい。あと自分の墓の場所を知らない。そういう訳だから、これからも宜しく」と萩が笑い、桜も「宜しくお願いします」と頼んだ。

「頼むから成仏してくれ……」

 教授は机に肘をつけて、文字通りに頭を抱えた。

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サクラと教授の奇譚録 黒龍刺青(Killer Hunt) 枯尾花 @0653509

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