第30話「エピローグ」

「やっと起きたか。君は相変わらず寝起きが悪いな」


「れ……?あ…あれ?所長っ、あたし…寝ちゃったんですね」


ここは空調のよく効いたホテルの一室。

れむはベッドから勢いよく飛び降り、窓際のロッキングチェアで本を読んでいる双葉のところまで歩み寄る。

本を読む時だけ眼鏡をかけている双葉はいつもと印象が違って見えて、ほんの少しだけれむの心を落ち着かなくさせる。


窓の外はすっかり日が落ち、南国の空には無数の星が輝いている。

その下でビジネス書を読んでいる双葉の髪はシャワーを使ったのか、しっとり濡れているようだ。

れむは双葉のバスローブの襟元から覗く白い肌を直視しないようにして言葉を紡ぐ。


「もう夜なんですね。あ~ぁ。観光もっとしたかったなぁ」


「まったくだな」


パタンと本を閉じ、双葉は首の凝りを解すように首や肩を回した。


「あ……あたし、ちょっと汗臭いですよね。シャワー浴びてきます」


「元気だね。君は」


息を漏らすような笑みを浮かべる双葉の言葉と同時に勢いよく駆け出そうとしたれむの身に鈍痛が走る。

そこでれむは昨夜の出来事を思い出し、頬を熱くした。


「どうした?立ち上がれないのか」


まだ面白そうにれむを観察する双葉の様子にれむは軽い憤りを感じた。


「むっ。所長がそれを言いますか?」


「ふむ。ではどうして欲しい?」


意地の悪い、苛めっ子の目で双葉はれむに問う。


「…………所長、意地悪ですよ。すぐそうやってからかうし…」


「意地悪ねぇ。昨日からの私は君に際限なく優しくしたつもりだが?」


そう言って双葉はれむの頬に手を当てる。

その行為が先程の彼の言葉に真実を与える。


「………ずるい所長。あたしまだ所長から告白の返事もらってないですよ。それなのに……その」


「返事?そんなものが必要なのか?それにあれが果たして「告白」のつもりなのか」


双葉の飴色の瞳にれむが映り込む。

思わずれむは俯く。


「そうか。それではシャワーに行こうか?」


「はい?」


改めて双葉の顔を見上げると、彼には再び意地の悪い笑みが浮かんでいた。


「シ…シャワーって、行こうって……あの…それはどういう意味でしょうか」


思わず揉み手で双葉を見上げるが、双葉は楽しそうな笑みを浮かべ、れむを軽々と抱き上げてしまう。


「ちょっ…あたし、一人で大丈夫ですから。立てますから」


「何、遠慮する事はない。いつも図々しい君らしくないぞ?それに一人で立ち上がれないんだろう?今日の私はとても親切だ。全て私に委ねて構わないぞ」


「うわっ、いいです。謹んで辞退させていただきますっ!」


抱きかかえられたままジタバタともがくれむだが、双葉は全く動じない。


「何故今更恥ずかしがる?もう既に全部見ているのに」


「わーわーわーわーわー聞こえないっ、聞こえない!」


「おかしな奴だな。君は」


そう言うと双葉は大人しくれむを床に下した。

今度はしっかりと立つ事が出来た。

離れると少しだけその温もりが寂しい気がする。


「あの……所長?」


おそるおそる問いかけるれむに無言の双葉が恐ろしい。

れむは昨夜の出来事を思い出す。

巳波邸で理恵や行方不明となった者たちの遺骨が出て来て、それを見たれむは不覚にも意識を失った。


そして再び目覚めると、そこは宿泊先のホテルだった。

腕には点滴の長いチューブが伸びている。

その傍には双葉がいて、心配そうにこちらを見ていた。


「所長?」


掠れた声で彼の名を呼ぶ。


「ん…?気づいたのか。春日君」


双葉は安心したようにれむの頬に手を伸ばしてきた。


「あたし、どうしちゃったんですか?ここは……」


「君はあの後、倒れてすぐに他の高校生たちと病院へ行った。と全員心因性のストレスと単純な肉体的な疲労だと診断されてすぐに自宅へ帰された。私はこうして君をここまで運んできたというわけだ」


「そ……そうだったんですか。それはご迷惑かけて済みませんでした。あっ、黒ちゃんたちはどうしたんですか?」


部屋を見渡すが、彼らの姿は見えない。

すると双葉は眉を顰めてため息を吐く。


「黒崎さんは警察の事情聴取。稜葉は巳波さんへの報告でここにはいない。巳波さんはあの家を引き払う事を正式に決めたそうだ。だが、沖縄への移住の夢は必ず果たすと言っていた。その為にも家族を説得して新築する為の資金を貯める為に頑張ると言っていたそうだ」


「……そうだったんですか。巳波さん、こんな事があってもまだ沖縄に住みたいって思ったんですね」


少し安心したとれむは笑った。


「ああ。それよりもう身体の方はいいのか?」


「ええ。もう平気です」


「………そうか。ならば今日はもうこのまま寝なさい。まだ疲れているだろうから」


そう言って双葉は席を立つ。


「あ……あの…、所長」


「どうした?何か欲しいものでもあるのか」


思わず呼び止めてしまったが、後に続く言葉が見つからない。

だが双葉は静かに待っている。


「……いえ。あの…今まで本当に済みませんでした」


「それはどういう意味の謝罪かな?」


「えっ?」


双葉の瞳からは何の感情も読み取る事は出来ない。

れむは更に困惑し、ブランケットをぎゅっと握る。

その手に双葉の手が優しく重ねられる。


「まぁ、君が何を言いたいのかくらいは大体わかる。だから私に謝罪は必要ない。あれは全て私の意志で行った事。君が心を痛める必要はない」


「所長……」


双葉は言葉を続ける。


「今はあまり君の心を刺激したくない。恐らく君が聞きたい「あの後」の私がどうなったのかはまた今度必ず話すと約束する。だから今は何も考えずこのままで…」


そして視界が閉ざされ、何も考えられなくなっていった。



「……………」


「どうした春日君」


「へっ?」


思考の渦をぐるぐるさ迷っていたれむは、双葉の呼びかけで再び現実に引き戻された。


「ぼんやりしてるんじゃない」


「あ…いえ。そんな…。でもやっぱりいいです。シャワーは自分一人で浴びますから」


れむは自分自身を守るように自分の身体を抱きしめた。


「ふむ。そうか。では君も好きなだけ見ればいいだろう?」


「はいいいいっ?」


そう言うと双葉は何を思ったのか突然自らのバスローブの紐に手をかけた。

一瞬でその行動が意味するところを察知したれむは顔色を変えた。


「ぎゃーっ!何する気ですかっ。いいです。もうシャワーはいいですっ」


れむは必死の形相で双葉のバスローブの前をきっちり合わせ、二度と解けないくらいしっかり紐を結ぶ。

すると双葉は形の良い眉を顰める。


「では一体どうして欲しいんだ?」


「今日はこのまま寝ます」


「………なるほど。そうか。本当に元気だな。君は」


そう言うと、双葉は再びれむを抱いてベッドに向って歩き出した。


「へっ?いやいやいやいやいや、違ーうーっ!誰か助けてっ」


「遠慮するなんて春日君らしくないぞ。熱でもあるのかな?」


何だかわからない体育会系なノリの二人の甘い?夜は更けていきましたとさ。



                 ◆◆◆◆◆◆◆◆



朝からジリジリと肌を焦がすような日差しが燦燦と窓から降り注いでいる。

そのあまりの眩しさにれむはようやくベッドからのそのそと這い出してきた。


隣で眠っていた双葉の姿はもうない。


「う~っ、もう朝?なんだかちっとも寝てない気がするのは何故?」


れむが半ば気を失うようにして眠りについたのは、もう日の出が近い朝方だった。つまりあれからいくらも寝ていない事になる。


緩慢な動作で手早く身支度を済ませると、れむは階下のラウンジに出た。

その窓辺には見知った顔があった。


「あっ、黒ちゃん。夜斗くん、稜葉さん。おはようございます」


「やぁ、おはよう。春日君」


席には希州、夜斗、稜葉が座っている。

その横では一人実に爽やかな顔で双葉が真っ先に声をかけてきた。

上品な麻のブランドスーツに身を包んだ双葉は、何故かあれ程の事件があったというのに肌艶もよく、ここへ来た当初からは比べ物にならないくらい充実しているように見える。


半面、れむのコンディションは最悪もいいところだ。

身体のあちこちが熱を持ったように痛み、肌も声も疲れと寝不足のせいでガサガサだった。


「ん?れむちゃん、相当お疲れのようだな。後でいい薬あげようか?」


希州が何故かニヤニヤ笑いでれむに席をすすめる。


「座れそうですか?なんなら手をお貸ししましょうか、れむさん」


「うむ。無理はよくないぞ。れむよ」


口々に一同はニヤニヤ笑いを浮かべている。


「ちょっ……何なんですか、皆さんのその態度っ!」


顔を真っ赤にしながられむは双葉を真っ先に睨んだ。


「さぁ。私は別に何も言ってないが?」


「そうですよ。僕たちは何も聞いてませんよ。れむさん。もしかして兄さんと何かあったんですか?」


「白々しいですよ。稜葉さん」


半分涙目になりながられむは、冷たいアイスティーを頼む。

今は飲み物くらいしか口に出来そうもない。

しかしそのれむの前に双葉が食器のトレーをさりげなく置く。


「げっ、何ですかコレ。こんなボリュームたっぷりのご飯……」


おもわず顔を顰めるれむに双葉は意外そうな顔をする。


「何って君の朝食さ。君、前の調査で私に言っていたじやないか。朝食は一日の基本だって。しっかり食べないとならないんだろう?そんな君の為にこれを用意して待っていたのだよ」


トレーの上にはパスタやピザ等の炭水化物のオンパレード。

山盛りのフライドポテトにドリアが鬼のように盛り付けられていた。


「所長……あの時の事、ずっと根に持っていたんですね」


以前、ある旅館で怪異の調査に来ていた時、そこでれむは朝に食欲がないという双葉に同じ事をしたのだ。


まさか双葉がまだそれを根に持っていたとは。

れむは再び泣きそうな目で双葉を睨む。


「れむちゃん、頑張れ。愛の為に」


呑気な皆の掛け声にれむは頭を抱える。


「そんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」



                 ◆◆◆◆◆◆◆



「それじゃあ兄さん、今回は色々あったけど、どうもありがとう」


「いや、私も色々と勉強になった。また今度は東京でな」


空港の前で一旦稜葉とはお別れになった。

彼はまだ後始末が残っているらしい。


「では我々も行くとしようか。夜斗、帰ったら実家に報告だ」


「了解した」


希州は黒の開襟シャツにブラックジーンズというラフなスタイルで人型をとった夜斗と一緒にタラップへ向かう。

乗り物が大好きな夜斗は、移動の時によく人型を取る。


「じゃあれむさん、また是非沖縄へ寄ってください。こちらには妻の実家があるのでいつでも歓迎しますよ」



「ありがとうございます。稜葉さん。じゃあ今度は東京ででしたね?」


「ええ。戻ったら兄さんの事務所に伺いますから」


稜葉が牧師を務める教会は都内にあるので、行き来は簡単だった。

最後に搭乗手続きを終えたれむたちが乗り込む。


「それじゃあ、また」


「ええ。楽しかったですよ」


いつまでも手を振る稜葉だったが、ふと何かを思い出したようにその手を止めた。


「れむさん、今度お会いする時は結婚式の予約のお話をすすめましょうね」


「ちょ……稜葉さん?」


公衆の面前で堂々と発言する稜葉に思わずれむはぎょっとなったが、気付いた時にはもう稜葉の姿はなかった。


「何なんだろう……。稜葉さんって」


「まったくだ…だがあれでも可愛い弟なんだ。大目に見てやってくれ」


「ふふふ。わかりました」


飛行機は一路、東京へ向けて滑走路を飛び立つ。

後三時間も経てば東京に着くだろう。



◆完◆


next…幻想ディストーション(仮)

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天空の風水「非合法アルゴリズム」 涼月一那 @ryozukiichina

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