Second Life小説■満月の下で…
結城あや
第1話
「Second Life」の夜空にある月はいつも満月だ。太陽がそうであるように、この満月も繰り返し昇っては沈んでいく。現実世界のように満ち欠けがあれば、と思いもするけれど…。
月の魔力という言葉がある。満月の夜には事故が多かったり、出産が増えたりするらしい。潮の干満のように、人の身体や精神も月の影響を受けていることのようだが、いつも満月の仮想空間では、アバターはどんな影響を受けているのだろうか…。
ふとそんなことを考えたのも、今日が現実世界で満月だからだろう。
もっとも、満月だからといっていつもと違ったこともなく、わたしはいつものようにログインすると、これもいつものように自分のバーのカウンターに立っている。
しばらくひとりで音楽を聴きながら待っていると、入口付近にテレポートしてきた人影があった。「いらっしゃいませ」と声をかける。
人影がハッキリした姿になると、獣人アバターだった。SLでは一般にファーリーと呼ばれ、日本人ユーザーの間ではケモナーとも呼ばれるアバターだ。
獣人アバター自体の種類は割とあって、狼人間、犬人間、猫人間その他さまざまな獣人アバターがある。もちろん性別もあって、セクシーな女性の獣人もいる。
「こんばんは。ここはファーリーでも大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ。奥へどうぞ」
「ありがとう」
獣人アバターの場合、わりとそんな会話が店にやってきたときのお約束になっている。というのも、日本人ユーザーのカフェやバーの中には、人間の大人アバターに限定して、子供アバターや獣人アバターの入店を拒否しているところがあるため、獣人アバターのユーザーはまず確認するのが習慣になっているらしい。
わたし自身は遭遇したことはないのだけれど、獣人アバターは悪ふざけをするというイメージが日本人ユーザーには広まっていて、まずアバターの外見で来店者を篩にかけているようだ。確かにそういうユーザーもいるだろうが、人間の大人アバターが悪ふざけをしないかといえば、するユーザーも少なからずいるし、外見で判断はできないと、わたしは思っている。
「狼男さんですね。今日は満月だし、なんかいい感じです」
「あ、今夜は満月でしたか…。気づいてなかった」
カウンターの近くまで歩いてきて、その人は言った。
「SLの中ではいつも満月ですしねえ」
「そう、いつでも狼に変身しっぱなしですよ」
そう言って相手が笑ったので、わたしもつられて笑っていた。
「こちらのお店には初めて来ました。よろしくお願いします」
イスに腰掛けてから狼男が言った。
「はい、こちらこそ。よろしくです」
「あ、床に波が…。面白いですね」
「ええ、海辺に建っているので。別に水没しているということではないんですけど」
「うんうん。なんていうか…SLらしいというのとは違うんですが、ユニークな建物ですね。四方がガラス張りで見渡せるお店は初めてです」
「そうですよね。いつもここにいるので、外が見えるようにと、こういう形に…」
「おお! ご自分でつくられたのですか? すごい」
「自作は自作ですが…。SL建築家さんたちのようには上手く作れてないです」
「いえいえ、綺麗ですよ。自分、物造りとか一切できないんで、尊敬します」
「いえ、本当にたいしたものではないですから…。プリムの積み木細工みたいなもので」
もちろん謙遜もしているのだけれど、実際わたしのSL内の物造りは遊びの範疇で、商品として売り出せるレベルではないのも事実だ。また逆に言えばその程度のことであれば誰にでも物造りができる世界であると言うこともできる。
プリムというオブジェクトを編集して大きさを変えたり形を変えたり、テクスチャーを張り替えたり…夢中になるといつのまにか時間が経ってしまっていたりする。
SLの世界はそのようにユーザーが作ったもので構成されている。
「この足元の波も自作?」
「いえ、これは買ってきました」
「そうなんですね。波の音がして心地いいです」
「うんうん。眠くなるってよく言われますけどね」
「あはは、なるほど。そうかもしれません」
深夜などはこの波の音とジャズのBGMで眠くなると、親しい友人によく言われている。
「SLは海が綺麗ですよね。始めたころ、そこが気に入りました。ここも海が見えていいです」
「SLを始めたの、2011年なんですね」わたしは狼男のプロフィールを開いてSLを始めた時期を確認してから答えた。「ウィンドライトが実装されたあとですから、水面の反射も綺麗になってましたね」
「そうですね。ログインして海の見える場所でボーっと眺めてたりしましたよ。当時は」
「そうなんですね」
「もう、その場所もなくなってしまいましたが」
「あら。SIMがですか?」
「いえ。メインランドなんですが、土地のオーナーが変わったらしく、海沿いに建物が建ってしまって…」
「なるほど」
「SIMもずいぶんなくなりましたね。よく行っていた場所もいくつか消えました」
「そうですね。個人所有のSIMは維持も大変でしょうから仕方ないんでしょうけど」
「はい」
SLはアメリカの運営会社が管理しているので、円/ドルのレートによってSIMの維持費の金額も変わる。円安になると個人所有のSIMが減るのは、これまでも何度か見てきた。よく知られたSIMが消失すると、どうしても「過疎」のイメージがわいてしまうのは仕方がないところだろう。それでも新たにSIMを所有するユーザーもいて、新陳代謝が行われているのかもしれない。
「今夜は満月って言ってましたけど、ご覧になったんですか?」
「あ、はい。さっき…ログインする前にコンビニに買い物に行ったときに少し」
「なるほど」
「ちょっと雲が出てましたけどよく見えましたよ」
「おお、そうですか。うちのほうでも見えるかな」
「夕方の天気予報では、全国的に晴れると言ってましたから見えると思います」
「なるほど。では寝る前にちょっと月を見てみます」そう言うと狼男は立ち上がった。「チップジャーは?」
「カウンターの端のレジにお願いします」
「はい」
チップジャーに入金があったのを確認して「ありがとうございます」と礼を言う。
「お邪魔しました。また来ます。おやすみなさい」
「おやすみなさい。またです」
狼男の姿が消える。テレポートしたようだ。
わたしは、SLでも改めて月を見てみようと店の外に出てみた。
店の前庭は、いまススキの原になっている。カメラを操作して空を見上げる。ちょっと東寄りに満月がかかっている。
雲が流れて月を隠し、また顔を出す。夜の海には月の光がきらめいている。
「こんばんは。珍しいですね、外にいるなんて」
背後から声をかけられて、振り返ると、親しい友人が来ていた。
「こんばんは。いらっしゃい」わたしはそう言ってから、言い訳のように付け加えていた。「リアルが満月だから、SLでもお月見」
「そう言えば満月でしたね。わたしもさっき見ました」
そう言って彼女はわたしの隣に歩み寄ると、同じように月を見上げた。
「『月下の一群』て堀口大学でしたね」
「吉野朔美のマンガもあるね」とわたしは答えた。
「そういえば、ありましたね」
「『ムーン・プール』というSFは?」
「メリット、ですか。タイトルは知ってますけど、読んでません」と今度は彼女が答える。「『ムーンチャイルド』という映画もありましたけど。吸血鬼の」
「うん、それは前に観たよ」
「でも、月といったらやっぱり『かぐや姫』でしょうかね…」
「『かぐや姫』ときたら、つい星野之宣の『月夢』を思いだしてしまうわ」
「またマニアックな…。こんな話し、あなたとわたしくらいしか通じないですよ」
「いいじゃない? あなたとわたしでわかっていれば」
「…そうですね」
わたしは店の方に数歩歩いてから彼女に言った。
「続きは中でゆっくり。どう?」
「ええ、そうしましょう」
満月の下、今夜もSLの夜が更けていく。
〔了〕
2015年9月29日~10月9日
Second Life小説■満月の下で… 結城あや @YOUKI-Aya
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