アルヴェンセの思い出
秀田ごんぞう
アルヴェンセの思い出
「アルヴェンセの思い出」
今より遥か昔のこと、地上彼方の天空に島があった。
そこには人々が住んでいて、現在ではおよそ及びもつかないほどの高度な文明を持っていた。島はアルヴェンセと名付けられ、世界中の空を旅していた。
――アルヴェンセ文明。失われた古代のオーバーテクノロジーである。
今となってはオカルト信者たちの妄想の一言で片づけられているが、歴史上アルヴェンセが存在しないことを証明できた者は誰一人としていない。
だから、思うのだ。
今もこの空のどこかで、アルヴェンセは旅をしているんじゃないか――と。
「……どうどう、この書き出し! 私ってば今までの最高傑作書きだしちゃうかも!」
原稿用紙に書かれた短い文章を見つめて、少女は一人ガッツポーズをとる。
彼女の名前は琴引あかね。ポエムが趣味の女子高生である。
今は期末試験の勉強中で、例によって勉強から逃れることを口実に、机の引き出しから引っ張り出した原稿用紙に自作の詩を執筆していた。あかねは好きなことに関してのみ言えば、人並み外れた集中力を持っていて、ポエムを書いている今も、明日の試験のことなどは頭の中にはすっかりなくなっている。それで明日どうなるか……賢人は未来を予期して行動をするものだが、あいにくあかねはあれこれ考えて行動するタイプではない。
くどくど何を言いたいのかと言えば……ぎしぎしと階段を上ってくるお母さんの足音に、あかねはまるで気づいていなかったのである。
「~あかねっ! 勉強してると思ったらアンタ! いい加減になさいよ!」
「うぇっ、お母さん!? なんでいるの?」
「なんでいるの? じゃないわよ、ったく! 小腹がすくだろうと思っておにぎりを持ってきてあげたんだけど、この分だと必要ないわね!」
「あっ、食べる! 食べるよぉ!」
だが無常かな、お母さんはあかねの言葉にはとりあわず、「今度赤点取ったら……あんた、わかってるわね?」とやたら凄みのある声で言い捨てて、階下に戻っていった。
突然の来客に興がそがれたのか、あかねは「はぁ~あ」とため息をついてうなだれる。
勉強かぁ……。なんで勉強しないといけないんだろ。べつに将来エラい博士になりたいわけじゃないし。かといって特別やりたいこともないから、とりあえず学校の勉強はがんばらないと……なんだけど。うぅ~む……頭ではわかってる。頭ではわかってるんだよ、私だって! けどなぁ……勉強したくないなぁ。めんどくさいなぁ。
こうして彼女にとっては試験前恒例の無駄な思考ループが始まった。
「いっそホントに天空の島とかあればいいのになぁ」
ぽつり、とつぶやく。
「そのへんの鳥が飛んでもたどり着けないような天空に浮かぶ島。そんな島があったら、行ってみたいし、冒険してみたい。……私ってば冒険家とか向いてるのかな? いやいや、ないない。アマゾンの奥地とか死んでもヤだし。そういうんじゃなくて、こう……ああああああ言葉にできなくてもどかしい!」
こうしてあかねは再び、試験勉強をしたくない言い訳をあれこれ考え始めるのだった。
毎度毎度こうして傍で見ていると不憫で仕方ない。
ちょっとばかし掟を破ることになってしまうだろうが、あの島を見れば、彼女の気持ちもちょっとばかし明日のテスト勉強に向くかもしれない。
それくらいの手助けはいいんじゃないだろうか。かくいう私も暇してたわけだし。
……ん、私? ああ、そういえば自分語りをすっかり忘れていたね。
とはいえ……私のことはどうか気にしないでくれたまえ。そうさな、あえて言うならば、この物語の語り部とでも言っておこうか。
「あの……ちょっといいかな?」
「へ……あーはいはいよ、と。…………ってギャーッ! だ、だだだだだだ誰ですかアンタ!?」
あかねの反応は予想の範疇だったから、さして驚くそぶりもなく私は言った。
「まぁ落ち着き給えよ。……と、君にとっては動転するのも当たり前だったか」
「おかーさーん! 不審者! 不審者だよぉ! 娘が殺されちゃうよぉ!」
「ちょ、黙れ! 私は不審者ではない!」
全く……いきなりお母さんを呼ぶとは。フィールドを張るのが一瞬遅れていたらちょっとまずかったかもな。
「この部屋は今私がフィールドを構築したから、君の声は部屋の外には届かない。もちろん私の声もな」
丁寧な私の説明を聞いて余計に青ざめたあかねは恐る恐る言う。
「か、勘弁してくださいよ! 私をどうするつもりですか!?」
「別にどうしようということもない。ただ君が呼んだから顔を見せた……それだけのことに過ぎない」
「私、あなたみたいな背デカイ人会ったこともないし! よく見たらなんか羽生えてるしぃっ! 一体、なんななんですかもう~っ!」
察しが悪いというのはこういう時に不便だな。私は苦笑交じりにつぶやいた。
「琴引あかね。君はさっき言っていただろう? 浮遊帝国アルヴェンセを一目見てみたい、とな」
「な、なな、なんで私の名前知ってるんですか? それにいつ私のポエムを読んだんですか!? 恥ずかしいなぁもう!」
「……口で言ってもわかってはもらえないか。ならば」
少々手荒だが、納得してもらうにはこれが一番早い。
私は怯える彼女の額にそっと手を伸ばし指先をふれた。瞬間、『装置』を起動させて思念波を直接脳に送り込む。
あかねの目の前には大空に雄大と佇む浮遊帝国アルヴェンセの姿がありありと見えているはずだ。これはアルヴェンセの『装置』で私のような者なら誰でも当たり前のように使えるのだが、こちらの言葉を用いてその仕組みや原理、理屈を説明するのはちょっと困難だ。
しかし、人は一度見たものに強烈な信頼を得ずにはいられない。あかねは今この瞬間、文字通り自分の目で存在するはずもない伝説の浮遊帝国アルヴェンセを目の当たりにしたのである。
先程まで恐怖一色に染まっていたあかねの表情は、今や未知の発見を前にした興奮でいっぱいになっていた。
「きれいでかっこよくて……こんな光景、私、見たことない。ホントに島が空に浮かんでる。これが……浮遊帝国……アルヴェンセ……」
「そうだ。そして私はかつてそこで暮らしていた、君達の言葉で言えば天界人とでも言えば言うべきかな」
「天界……人…………。う……嘘よ、そんなの……」
「……だが、君は見たんだろう……アルヴェンセの浮島を」
「で、でも!」
「……まぁ信じるも信じないも君の勝手にするといいさ。一応説明しておくと、私はこの『装置』を使って君の脳に直接イメージを送りこんだのだ」
そう言って私は『装置』を見せる。あかねにもわかるように言えば、『装置』はビー玉ほどの大きさで、ていうかむしろビー玉そのものと言っていい。この『装置』を握り、反対の指先で相手の額に触れる。すると、『装置』を持っていた者が抱いていたイメージを接触者に直接送ることができるのだ。アルヴェンセではそれほど珍しくない『装置』だが、この手のモノはこちらではほとんど見かけない。
あかねは私が見せた『装置』に興味をひかれたようで、恐ろしさを滲ませつつも、手に取ってじろじろ見たり、つっついたりしていた。
「気になるなら使ってみるか?」
「え、いいの?」
「ああ、構わない。使い方はさっき教えた通りだ」
あかねは早速『装置』を握りしめ、私の額に指先を触れた。
途端にイメージが頭に流れ込む。
見えたのは……机と椅子がたくさんある光景……おそらく学校の教室だ。教室の前方には教師風の男性……たぶん担任の先生だろうか、黒板を背にして教室中を見渡している。制服を着た生徒たちは机の上でペンをカリカリと動かしている。中にはすっかり眠りの世界に誘われてしまった者もいるようだが。
「何が……見えた?」
「……これはおそらくテストの光景だ。窓の外の光景からして、たぶん前回のテストの様子じゃないだろうか。君はわざわざテストのことをイメージしたのか?」
「ええ!? 違うよ!? 私がイメージしたのはすっごく美味しいパンケーキのお店! こないだテレビでやっててアッコ達と一緒に行こうと思ってたとこ。おかしいな~。この『装置』壊れているんじゃないの?」
「それはない。君の送りたかったイメージと私が見たイメージが違うならば、君の想像力が弱かったということだ。つまり、君はパンケーキのお店よりテストの方が深層心理的には気になっていたと、そういうわけだな」
「えぇ~そんなバカな~」
「でもこれで信じてもらえただろうか、私が天界人であることを」
「……とりあえずそれは信じておくよ。天界人っていうのがどういうことか、私の頭の中ではまだうまく整理できてないけど……。でもでも! それ以前に、あなたはどうして私のことを知っているわけ?」
「それは簡単な話だ。そもそも私は、君が生まれる前から君のことを知っている」
「は? 何よそれ? どういうことですか?」
一々予想通りの反応を返すあかねを見て、私はくすりと微笑する。
「それにはまず天界人について話さなくてはなるまい。天界人は君達とは異なる時間の流れで生きている。だから、私は君が生まれるずっと前からここにいたのだ。それこそずっとずっと昔からな。どちらかといえば、私がいた場所に君たちがやって来た……そういう言い方の方が近い」
アルヴェンセが彼の地へ到達して任を終えた後、私はこの地にやって来た。人間の暦で数えるなら、今からおよそ…………考えるだけ、無駄か。
「ふんふん。えぇ~と……そーいえばまだ名前聞いてなかったね」
「名前か。私には名乗る名などない。必要がないからな。好きに呼ぶといい」
「そっか。じゃあでっかいからノッポ!」
「う……まあ、いいんじゃないか…………」
「私、ノッポの言ってることよくわかんないけど、ノッポは要するに神様みたいなもんってことでいい?」
神……人間が信仰し崇める空想の祖か。まぁ私にしても似たようなもんだろう。私はあかねの言葉にこくりと頷いた。
「うわぁ~ホントに! じゃあさじゃあさ! 神の力で明日の数学百点にして!」
私はとても悲しいものを見る目であかねを見た。
「ダメだ」
「え~なんでよ、いいでしょケチ! 神様のくせに、ノッポのケチ!」
「テストは己の実力を試すものだろう? 私が手を貸しても意味はない」
「そんな先生みたいなこと仰らずに! ほら、このと~りっ!」
「そんな、ドラマのサラリーマンみたいな頼み方をしてもダメなものはダメだ」
「ちっ、使えない神様だね、ノッポは」
「私は自ら神と名乗った覚えはない。君が勝手にそう解釈しただけだ」
すると、あかねはようやく諦める決心がついたらしい。
「融通効かないというかなんというか……う~ん、もういい! で、ノッポはわざわざわざ私なんかの前に出てきて結局何をしたかったのさ?」
「君が望んだから、私は君の前に姿を現した。浮遊帝国アルヴェンセを見てみたい、と言っただろう?」
「だけど……あれは私が書いたポエムで……でも、さっきこの目で見ちゃったしなあ、浮島……」
彼女は以前からアルヴェンセの存在を知っていたわけではない。だからこそ、私は驚いたのだ。今は亡き浮遊帝国の存在に気が付いた、彼女の第六感とでもいうべき才能に。
「驚いたのはむしろ私の方だ。君はどうやってアルヴェンセの存在へ思い至ったのだ?」
すると、あかねは虚を突かれたようにきょとんとした顔をしてぽつぽつとつぶやいた。
「……ふと、思いついたものを綴っただけなんだけどなぁ……深く考えてないし」
「それが驚きなのだ。超直感と言ってもいい。君も見たように、今となっては伝説の浮島アルヴェンセはこの星にかつて存在した」
「ノッポはアルヴェンセがどうなったか知ってるの?」
「知ってるさ。私はかつてあの島で暮らしていたのだから」
在りし日の暮らしを思い出す。かつてあの島には全てがあった。
楽園……その言葉通りの場所だった。人々はいつも笑い、歌い、踊っていた。
どこまでも続く空は美しく、哀しく、雄大だった。
あの空はもう、戻ってはこない。
「知りたいか? アルヴェンセのことを?」
あかねは少し悩んでから、にっと笑って言った。
「……いや、いい」
「どうしてだ? あれほど気にしていたじゃないか?」
「そりゃあノッポから話を聞くのは楽だけどさ。自分でどんなだったか、想像してみるのも楽しいかなって。大体、今は私にもやるべきことがあるしね」
「……明日の試験対策か」
「ご名答。さすがにまた赤点とっちゃうとまずいしね~」
「ははは。それは確かにそうだな」
これ以上あかねが連続で赤点を取ってしまったら、お母さんの怒りはまさにフルスロットル。私でも抑えられるか、どうか。
彼女の選択はとても賢明な選択だったと私は思った。
「……折角だ。一つだけアドバイスするならば、迷った時は自分を信じろ。あかね、そのための武器を君はもうすでに持っているはずだ」
「え? ノッポ? どういうこと? どっか行っちゃうの?」
私はあかねの質問には答えず、ただにこりと笑って姿を消した。
私にできるのはここまでだ。大分過干渉だったかもしれないが、今更言っても仕方ない。
アルヴェンセの加護があかねにありますように…………。
私は彼の地にある浮島を思い、手を合わせた。
◇
…………。
………………ん?
ここは……と、いてて。背中がすっかり固まってずっしりとした痛みを感じる。
どうやら机に突っ伏してそのまま寝てしまっていたらしい。机の上の時計を見ると、三十分ほど時間が経っていた。
「あれ……ノッポが、いない…………?」
自らを天界人と名乗るノッポは、忽然と姿を消していた。ついさっきまで目の前にいたはずなのに。
あれは夢だったのだろうか?
まぁ夢だろうなぁ。夢の中だからこそ、ノッポにだって出会えたし、私が想い描いた空想の浮遊大陸アルヴェンセをこの目にすることだってできたのだ。
「とりあえず、勉強しますか」
そうそう。一夜漬けでも何でもいいから勉強しないと。ノーベンではさすがに明日の数学は乗り切れない。今度の試験の結果が悪いと、アッコたちとパンケーキを食べに行く予定もパーになってしまう。それだけは避けなくては。
机の上に無造作に転がっているシャープペンを手に取りながら、ふと思う。
そーいえば……ノッポ、私がテストを乗り切るための武器をもう持ってるって言ってたっけな。あれ、どういうことだったんだろう?
そのとき、ふと、机の上に見慣れない鉛筆が転がっているのに気がついた。
「私、こんな鉛筆持ってたっけ……?」
手に取ってみると、何のことはないごく普通のHBの鉛筆だ。ちょっとだけ違うのは、上の消しゴムが付いてる少し下あたりに何やら文字が書いてあった。鉛筆の面に従って、Ⅰ~Ⅵとギリシャ数字で書いてある。
いつの間にこんなの作ったんだ……?
と、数字の入った鉛筆を見ていると、私はノッポのアドバイスの意味がようやく分かった。なろほどなるほど、確かにこの鉛筆は明日のテストを乗り切るための大いなる武器になるであろう。
「そうか……私にはアルヴェンセの加護が付いてるんだ!」
あの時の会話は本当に夢だったのだろうか? この鉛筆はひょっとするとノッポが私を案じて置いていってくれたのかもしれない。いや、考えてもホントのところはわからない。
とにかく大事なことは、今、この大いなる神器(数字付き鉛筆)を私が手にしていること。
確信があった。この鉛筆を持っていれば、コンピューターペンシルよろしく、私は大丈夫だという確信が。ノッポだって今頃どこかで私のことを見守ってくれているはずだ。
私はまるで何かに勝利したかのように高らかに笑った。
それから布団に寝っ転がって、本棚から取り出した漫画を読み始めた。
――試験の結果は言うまでもない。
アルヴェンセの思い出 秀田ごんぞう @syuta_gonzo
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