31話 おはよー!

 エルア治療日の朝。

 ウィンとフィータは、病室のベッドに横たわるエルアを静かに見下ろしている。

 ウィンはドリュアデスのリューちゃんを握りながら不安そうに口を開いた。


「うまくいくでしょうか」

「考えうる限りの準備はした」

「ええ。 ドリュアデスも手元にありますし、魔力を提供してくれる人員も目処がつきましたし、治療の場も見繕った」

「そうね。あとは‥‥」


 不安を隠しきれないウィンの言葉に、フィータは足元に置いてある革袋の中からビンを取り出した。


「ほれ」

「‥‥なんですか? それ」

「ウインの血」


 事もなげに言い放ちフィータはウィンにビンを押し付けた。

 海に生息するウインという巨大な魔物の新鮮な血は、強力な精力剤として流通している。


 今回のエルア治療作戦は、ドリュアデスによって収束した膨大な魔力をウィンが使いこなせるかどうかに懸かっている。

 ウィンは、ウインの血で活を入れるというフィータの粋な計らいを理解したが、以前これを飲んだ際の、その味の強烈さを思い出して顔をしかめた。

 いつもならやんわりと突き放して断るのだが、今回はエルアの命がかかっている。


「‥‥ありがとうございます」


 渋々ビンを受け取って見つめるウィン。

 やがて、意を決するとビンの中の赤い液体を喉の奥に流し込んだ。

 ウィンの口の中に、どろりとした生臭さが流れ込む。


「よーし、その意気ね」


 フィータは、ウインの血を飲み干してふらふらと揺れているウィンを満足そうに見ると、革袋の中からウインの血の詰まったビンをさらに取り出した。


「全部買い占めてきたから。気合入れるよ」

「‥‥」


 ウィンの目が絶望に塗りつぶされた。






 約束の時刻になった。

 ウィンとフィータはエルアを抱きかかえると、レイナの召喚した竜に乗った。

 目指すは治療の場としてフィータが指定した、以前ヘルオスと戦闘を繰り広げた場所である。


「でも、なんであんな場所で治療すんの?」


 竜を操るレイナは、前を向いたまま疑問を口にした。

 レイナはウィンに尋ねたつもりで、ウィンもそれに答えようとしたがフィータが口を挟んだ。


「決まってるでしょ。魔力の提供者たちがエルアに殺到したら大変じゃない」

「‥‥なに言ってんの?」


 レイナは、ウィンとの会話を邪魔されたことと、フィータの言っていることが呑み込めずにやや邪険な言い方になった。




 彼女たちを乗せた竜が目的地に着いた。

 かつてヘルオスと戦ったその場所は、相変わらず堀のように深く抉られたままで、その中心のスペースは周りから隔離されている。

 そして、そこを上空から見下ろしたウィンから「はあ?」と間の抜けた声が発せられた。

 堀の外側をぐるりと囲むように大量の群衆が蠢いている。

 ヘルオスの作り出したホムンクルスがウィンの脳裏によぎったが、堀を埋め尽くしているのは紛れもなく人だった。

 そのほとんどが男で、冒険者のような装いの者もいれば、見るからに冒険者ではない者もいる。実に多種多様な男たちが集まっていた。


 それを見たレイナもまた、情報を整理するのに数秒を要し、言葉を発するのにさらに数秒を要した。


「え? え? え?」


 ようやく言葉を発するも意味は伴っていなかった。

 ひたすら困惑しているレイナの後ろで、なんとか情報を整理したウィンが口を開いた。


「えーっと‥‥、フィータ」

「なに?」

「この人たちは?」

「すごいよね」

「すごいとか、そういうものはとうに過ぎています! こんなに多いなんて聞いてない!」

「いやあ、あたしもまさかこんなに来るとは思わなかった」

「はあ!?」


 事前に白コブラ闘傑団を通して人を集めるよう手配をしていたフィータだったが、実際に集まった人数はフィータの想定をかなり上回っていた。


「なんて言って集めたんですか!?」

「『あなたの魔力をエルアの身体に入れるチャンス!』」

「ああもうバカ! ほんとバカ!」

「バカとはなによ。多いに越したことはないでしょ」


 フィータは集まっている人々を見回した。

 堀の周囲の大地だけ黒く塗りつぶされているように錯覚するほどの人だった。

 目を凝らすと、その群衆の中にちらほらと知っている顔が確認できた。

 厩の青年。精霊狩りの壮年の男。白ひげを蓄えた名匠。

 いずれも、かつてフィータがエルアの毛髪を売りさばいた者たちである。

 まさか、小遣い稼ぎのために築いたネットワークがエルアの命を救うことになるとは、フィータの思いも寄らない事態になっていた。



 レイナの操る竜が堀の中心の大地に降り立つと、堀の向こう側に待機している男たちから歓声が上がった。


 フィータは、ウィンが毛布を敷いた地面にエルアを寝かせた。

 そして、色めきだっている男たちをぐるりと見渡すと大きく息を吸った。


「みなさん! よくぞ集まってくれた!」


 フィータの大声が荒野に響く。


「これからあなたたちから貰い受ける魔力は! エルアの血となり肉となり、その魂が天に還るまで彼女を生かし続けることになる!」

「「うおおおおおおおおお!!!」」


 堀の外側に集まっている男たちから猛々しい返事を受け取ったフィータは、こっそりとウィンを窺った。

 準備が整ったウィンはリューちゃんを握って力強く頷いた。


「適当なところで魔力の収束を切っていいから、任せたわよ」

「当たり前です。まだ死にたくありません。だから、任せてください」


 フィータは顔を上げると、再び大きく息を吸いこんだ。


「みなさん! 今からエルアに魔力を集めます! あたしの合図に合わせてください! そして祈ってください! エルアの目覚めを!」


 フィータが腕を挙げて合図をすると、集まった男たちは静かに念じた。

 ウィンの持つドリュアデスに果てしない量の魔力が集まっていく。ウィンに膨大な魔力が注がれる。

 供給された魔力は一瞬でウィンの許容量を振り切った。


 血管が破裂するかのような痛みがウィンの全身に走る。

 先ほど飲んだウインの血が胃を蹴って喉を駆け上る。

 ウィンはとっさに口を手で押さえた。


「ペティ!」


 ウィンの悲痛な様子に、思わずレイナから声が漏れた。

 ウィンは一瞬レイナの目を見て小さく笑うと、すぐにエルアに視線を戻した。

 エルアにかざす手に力を込める。




 どれほどの時間が経ったのか。

 暴れ狂う量の魔力を制していたウィンにも、ひたすら祈っていたフィータにもそれは分からなかった。



 ウィンの全身から力が抜けた。強く握っていたドリュアデスが地面に転がる。


「ウィン‥‥?」


 フィータが緊張した面持ちでウィンに声をかける。

 ウィンはゆっくりとフィータを見上げると、大きく笑った。


「終わりました」

「そう、おつかれさま」


 フィータは小さく笑った。

 二人の拳がこつんとぶつかる。






 エルアがふと瞼を開けると、見慣れた緑色の髪の少女が目の前にいた。


「ウィンちゃん‥‥?」

「エルア!」


 ウィンが背を丸めてエルアに顔を近づける。

 エルアの頭はウィンの太ももに乗っていた。


「大丈夫ですか!? なんともないですか!?」

「え? うん」


 なぜ自分はウィンに膝枕をされているのか、なぜ自分は寝ていたのか。

 エルアは必死にこの状況を理解しようとしたがなかなか答えに辿り着かない。

 すると、フィータがウィンの上からエルアを覗き込んできた。


「エルア! よかった‥‥」

「フィーちゃん、あれ? 泣いてる?」

「そ、そんなわけないでしょ」


 目を赤くしたフィータはすぐに顔を上げると拳を力強く突き上げた。


「エルアが目覚めたぞおおおおおおお!!!」

「「うおおおおおおおおお!!!」」


 男たちの歓声が大地を揺らした。

 この場に集まった男たちは、生まれも育ちも職も年齢もバラバラだったが、今この瞬間だけは心を一つにして喜んでいた。


「ここでエルアから一言!」

「え? 一言って?」


 未だ状況が理解できていないエルアに、ウィンが呆れた顔でメモを渡す。


「エルア、これ読み上げてください」

「え? わかったー」


 メモ欄外の『可愛く、あざとく、愛想よく』と強調された一文をウィンに示されながらエルアは大きく息を吸った。


「みんなー! ありがとうねー! わたし、みんなから受け取った魔力と一緒に生きていきまーす!」

「「うおおおおおおおおお!!!」」






 アニシ村の空き地にて、ユキヒロが荒い呼吸をしながら大の字に倒れ込んでいた。

 白目を向きながら夕陽に照らされている彼の頭をなにかが軽くつついた。

 ユキヒロが目を向けると、フィータが立っていた。


「フィータさん‥‥エルアは‥‥?」


 たとえエルアの治療の日だろうとお構いなしに、フィータに非情にもトレーニングを課せられていたユキヒロが、半身を起き上がらせて弱々しく尋ねた。

 フィータが何も言わずに横にどくと、後ろからエルアがぴょこんと現れた。


「ユキくん! おはよー!」

「エルア!」


 エルアの笑顔を見てユキヒロの表情が緩んだ。しかし、すぐに彼の顔が強張る。


「エルア‥‥ごめんなさい。僕、怖くて動けなくて‥‥そのせ‥で‥‥ごけ‥‥った」

「んーん。ユキくんを守り切れなかったわたしにも責任はあるんだから気にしないで! それに、わたしが眠っている間ずっと特訓してたんでしょ? えらいよユキくん!」


 足に力が入らずに上半身を起き上がらせている体勢で話すユキヒロに、エルアは彼の目線に合わせてしゃがんで無邪気に笑った。

 それがなによりもユキヒロの心を救わせた。


 すると、フィータがユキヒロの元まで来て彼を冷たく見下ろした。


「あまり甘やかさないでエルア。未だに300周もロクに走り切れないんだから」


 初めの課題として、日暮れまでに空き地を300周するように言われていたユキヒロだったが、未だに達成できずにいた。

 ここのところ毎回途中で力尽き、その場で気を失い、日の変わる頃に目覚めてふらふらとギルドに戻る生活が続いていた。


「フィータさん」

「なに?」


 フィータに声をかけたユキヒロは弱々しく、しかし誇らしげに笑った。


「300周、走りました」


 ユキヒロは空き地の柵にかかっている記録用紙を指差した。

 それを手に取り、思わず目を見張るフィータ。

 そこには300周分のカウントと、本日の監督者であるムツラのサインが記されていた。


「すごい! ユキくん! ちゃんと走れたんだ!」

「おめでとう。これでやっと次に進めるわ」


 記録用紙を見たままユキヒロに声をかけたが返事が返ってこない。

 フィータが目を向けると、ユキヒロは上半身を起き上がらせたまま深く俯いていた。

 エルアが覗きこむ。


「眠っちゃったみたい」

「いろいろ肩の荷が降りたのかしらね」


 フィータはユキヒロを肩に抱えるとギルドへと歩き出した。

 へえ、と柵の外から眺めていたウィンが目を丸くする。


「珍しいこともあるもんですね」


 普段は空き地でユキヒロが力尽きて倒れていても興味を示さなかったフィータが、今日はユキヒロを宿まで運ぼうとしている。

 フィータは「別に」と、目を合わせずに歩を進めた。


「今日くらいはご褒美があってもいいと思っただけ」

「なんかこれ、ユキくんを呼び寄せた時みたいだねー!」


 エルアは笑いながら、白目を向いて眠っているユキヒロを覗き込んだ。

 ウィンが空を見上げると、ユキヒロを召喚した日のように満月がうっすらと姿を見せていた。


「さて、これからどうしたもんかね」


 フィータが、誰にというわけでもなくぽつりと声を発した。

 ウィンは満月を背にしてフィータを見た。


「決まっています。あのいけ好かない手品野郎をぶっ飛ばすんです」

「おーっ!」


 エルアが満月に向かって拳を突き上げた。

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オーセ -異世界召喚した勇者はお荷物- シエンロック @shienrock

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