30話 愚かね

 ザッジという小さな町。

 そこでひっそりと営まれている静かなバー。


 その地下倉庫の扉がけたたましく蹴破られた。


「やっほー、元気してる?」


 ずかずかと倉庫に足を踏み入れたフィータは、とっさに武器を構えているジグールとその部下たちに手を振った。

 ジグールがフィータを睨みつける。


「またお前か」


 白コブラ闘傑団。

 郵便から暗殺まで、金さえ払えばどんなことでもする集団である。

 その団長であるジグールは、ミザハでの一件以来、どんなに拠点を変えても必ず突き止めてくるフィータに辟易していた。


「なんの用だ」

「いやー、何してるのかなーって思って」

「なんの用だ」


 短剣を構えたまま臨戦態勢を崩さないジグールを見て、おしゃべりをするムードではないことを悟ったフィータはテーブルに革袋を置いた。

 ゴトン、と重い音が短く響く。

 フィータがその中から取り出したのは、黄金に輝く矢である。


「仕事の依頼よ」






 ジグールとの会談を終え、バーから出てきたフィータは町の傍を流れる川に向かった。

 そこには、川に釣り糸を垂らしている男と、それを見守る黄色い竜がいる。

 男がフィータに気づいた。


「終わったか」

「おまたせ」


 フィータがイクシオの元に来ると、ちょうどウキが水中に引きずり込まれた。

 イクシオが竿を上げると、魚がかかっている。

 イクシオは魚を手に取ると、木の棒を魚の口から差し込み、地面に差して立たせた。

 木桶から、既に釣った魚をもう一匹取って同様に差し込む。


「せっかくだ。食べていかないか」

「それじゃ、お言葉に甘えて」


 時刻は昼を過ぎた頃。少々遅めの昼食である。

 フィータはイクシオの向かいに腰を下ろした。

 イクシオは荷物から取り出した小瓶を魚の上から振った。白い粉が魚にかかる。


「なにかけたの?」

「これか? ジズの塩だ」

「ジズ?」

「空を覆うほど巨大な鳥でな、塩をまき散らしながら砂漠を飛ぶんだ」

「へえ」


 塩をかけた魚を火に当てたイクシオは立ち上がると、背後の木桶を手に取った。

 まだ魚が残っている。

 イクシオは木桶をカースの元まで持って行った。

 カースは声を発することなく目を細めると、がっつくようにぺろりと魚を平らげた。

 満足そうに鼻から息を吐き出したカースは身体を器用に丸めて眠り始めた。


 フィータの向かいに腰を下ろすイクシオ。

 特に話題のない2人は、しばらく川の流れる音に耳を澄ませる。


 やがてイクシオが口を開いた。


「交渉はうまくいったのか」

「まあ、ボチボチね」

「これで、あの子の治療の目処がついたんだな」


 ええ。と頷くフィータ。


「あとはウィンの気合い次第ね」

「そうか」


 魚を裏返すイクシオ。


「エルア‥‥さんの治療が成功したらパーティ・トランシスターズはどうするんだ」

「どうする‥‥って今後の方針のこと?」


 こくりと頷くイクシオ。

 フィータは眉を上げて肩をすくめると、さあね。と軽く返した。


「そんなこと聞いてどうするの」

「実は、あなたたちにレイナさんを任せたいんだ」


 魚の焼けた香りが2人の間にふんわりと広がっていく。


「せっかくの紅一点を手放してしまっていいの?」

「‥‥レイナさんのことは?」

「ウィン大好きっ子ということだけ」

「その節は迷惑をかけている」

「ウィンを追いかけて冒険者になったんだって?」

「故郷で唯一仲良くしてくれていたらしい」

「エルアは違うの?」

「レイナさん曰く、良くも悪くも積極的だから苦手。だそうだ」

「ああ‥‥」


 エルアの軽はずみな言動にはフィータにも思い当たる節がいくつかある。

 イクシオは魚を刺している棒を地面から抜くと、一本をフィータに差し出した。

 どうも。と軽く頭を下げたフィータはそれを受け取る。


「まだ世間知らずなところもあるが、あの子は天才なんだ。人一倍想像力がある。こと、竜やドラゴンに関しては誰にも思いつかないようなものを作り上げる。もはや創造の域だ」

「あら羨ましい。うちの子にも見習ってほしいものね」

「しかし、俺たちには女性の扱い方が分からない」

「なんて切実な悩み」

「レクイエムにいる限りレイナさんは子供扱いのままだ」

「まるでお姫様のように持ち上げていたわね」


 イクシオは、痛い所を突かれたように表情を引きつらせた。


「否定できない。ちやほやすれば喜んでくれるから俺たちはそうしてしまうんだ」

「愚かね」

「愚かだな」


 フィータは魚にかじり付いた。

 塩によって引き立てられた身の甘みが口の中に広がる。


「おいしい」

「そうだろう」



 舌鼓を打つフィータに、イクシオはかつて自身が聞いたレイナの過去をぽつりぽつりと話し出した。




 レイナは幼いころは今のような端正な顔ではなく、同年代の男子からは心無い言葉を何度も投げつけられたという。

 次第に自分の顔にコンプレックスを抱いて引きこもるようになり、スケッチブックに絵をひたすら描いて架空の世界に閉じこもっていた。

 村で唯一仲良くしていたウィンが冒険者になるべく村を出ると、レイナも後を追うように村を出た。

 冒険者の基礎訓練をなにもしていない上に、長期の引きこもりが原因で他人とのコミュニケーションもロクにできない、さらには自身がコンプレックスを抱くほどの顔をしたレイナを迎え入れるパーティなど、当然いなかった。

 方々のパーティから断られ続けたたレイナはやがてイクシオたちのパーティにも訪ねてきた。

 それまで女性とは無縁の冒険者生活をしてきたイクシオたちにとってレイナの申し入れは願ってもないことだった。

 レイナはパーティ・レクイエムとして活動しながらイクシオから冒険者の基礎を学んだ。

 やがてレイナは、召喚士としての腕を磨く傍ら、独学で美容の魔法や薬草、果てはオリジナルの薬品を自分で作り出してみるみる顔が整っていった。

 まるで別人のように綺麗になったレイナの元には、他のパーティからのスカウトが殺到した。

 その中には、以前レイナを門前払いしたパーティがいくつもあったという。




「ハッピーエンド」


 アニシ村へと帰るカースの背の上で静かに昔話を聞いていたフィータは、意地悪な笑みを浮かべて呟いた。

 カースを操りながら進路に顔を向けているイクシオは前を向いたまま「バカいえ」と短く吐き捨てた。


「たとえベートに裂かれた傷は消えても、心の傷が癒えることはない。外部から接してくる見知らぬ男はレイナさんの目には全て、幼いころのいじめっ子に見えている」

「まるで呪いね」

「レイナさんは、まだスケッチブックの世界から足を踏み出してはいない」

「それで? ウィンと一緒にさせてめでたしめでたしってわけ?」


 やや棘のあるフィータの物言いにイクシオは食い気味に「そういうつもりではない」と反論した。


「ただ、最近ウィンさんと一緒にいるレイナさんを見て、果たしてあの子は我々と一緒にいて楽しいのだろうかと疑問に思っただけだ」


 眼前にアニシ村が見えてきた。

 日は落ちて辺りはすっかり暗くなっている。

 イクシオが、先日飛び立った地点にカースを着陸させようとすると、そこに人影があるのに気づいた。

 レイナがしきりに周囲を見回しながら立っている。

降りてくるカースに気づくと、イクシオを恨めしそうに睨みつけた。


「なんだかお怒りのようね」

「遅くなってしまったからな」

「一緒にいて楽しいと思っていなかったら見送りもしないし、帰りも待っていないんじゃない?」


 フィータはくすりと笑うとイクシオの耳元にそっと近づいた。


「押し倒せばいけるところまでいけるんじゃない?」

「え!?」


 思わぬ言葉にカースを操る手が乱れた。

 着陸の寸前で体勢を崩した竜は、背に乗っている二人を振り落としながら空に飛び上がった。

 慌てて飛び降りるイクシオ。落ち着いて着地するフィータ。

 不機嫌そうに舞い降りるカース。

 急いで駆け寄ってくるレイナを見たフィータは、イクシオの背を押しやりながら口を開けた。


「さっきの話だけど」


 どの話か判断がつかないイクシオは何事かと振り返った。


「一度拾った子は必ず最後まで面倒をみるのがうちの隊訓なの」


 フィータの言葉を聞いたイクシオは目を伏せて「そうか」と小さく返した。

 イクシオが前に向き直ると、ちょうどレイナが来た。


「おそい!」

「すいませんレイナさん。思ったより時間がかかってしまいまして」


 魚を食べていて遅れてしまったとは口が裂けても言えない。

 背後から意地悪な視線を感じたイクシオはそそくさとレイナの背を押して歩き出した。


「こんな暗い中一人でいると危ないですよ」

「イクシオのせいだから」


 怒っているのか安堵しているのか分からない小娘の小言に、大の男の背中が何度も小さく丸まる様子を眺めていたフィータは、先ほど口にした隊訓を頭の中でもう一度繰り返すと、少し距離を開けながら二人の後を追った。

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