第3話【僕には無理だよ】
そのころ せかいはじゃあくなまおうに しはいされていました
せいねんは だれかのえがおをまもるため まおうとたたかうことをきめました
おおくのなかまとともにたたかい ときにはつらいわかれをけいけんしながらも
せいねんは ついにまおうをふういんすることに せいこうしました
せかいには へいわがおとずれました
せいれいさまのちからをあやつり まおうにうちかったせいねんを
ひとびとは ゆうしゃとよびたたえましたとさ
――『せいれいさまとゆうしゃのおはなし』より
* * * * * *
「ほんとにごめんなさい」
「いや、あの、僕も悪かったし……」
机に額がつくほどシズネに頭を何度も下げられて、ようやく毛布で大事なモノを隠した悠希は、なんだかこちらの方が悪い気がしてきて慌てて頭を上げさせた。悠希の頬は赤くなっている。恥ずかしさによるものではなく、シズネのビンタをまともに喰らったことによるものだ。目の前に星が飛ぶほどの威力のビンタなんてこれまでの人生で喰らったことがなかった。
シズネの悲鳴に集まってきた集落の人々をシズネと女性が何でもないと追い返して、屋内にはようやく静けさが戻ってきていた。悠希にはその集まってきた人々のほとんどが、耳が長かったのが気にかかっている。
蓋が突上げられた窓からは、柔らかな光が差し込んできている。鳥のさえずりも遠く聞こえてくる。
板そのままの天板が載った腰程度の高さの机に、丸太を切ってできた椅子。その自然味溢れる四人掛けらしきテーブルセットに向かい合って、悠希とシズネは座っていた。青髪の女性は少し離れたところにある炊事場にいて、翅の女の子は悠希に肩車されていた。女の子は悠希のそこをどうやらいたく気に入ったらしく、シズネから降りなさいと注意されるも動かず。大して重くもなく暴れたりするようなこともなかったので、悠希が別にこのままでいいと言った結果、嬉々として悠希の肩に乗っていた。小さな女の子にそうして遊ばれるのは悪い気はしない。
ごほん、とシズネが咳払いをして場を仕切り直す。女の子が頭の上で可愛らしくそれを真似した。
「体調は大丈夫?」
「うん、おかげさまで」
「良かった。急に倒れたからびっくりしちゃった。あ、服は今乾かしてるから」
ありがとう、とお礼を言って悠希は頭を下げる。その動きで頭の上の女の子が落ちそうになったのか、わわわわ、と声を漏らした。
悠希の様子を見たシズネが意外そうな顔をして、
「……案外冷静だね? いきなり知らないところに連れてこられたんだし、もっと混乱して騒ぐものかと思ってたんだけど。私たちが実は悪者だったら、とか考えないの?」
「悪者だったら気を失ってる時にとっくに何かされてそうだけど、そんなこともないみたいだし。それにあの化け物と必死に戦ってるところ見ちゃったしね。あと、看病してくれたんでしょ?」
悠希のその言葉に、シズネはナニかを思い出したのか頬をうっすら赤く染める。掘り返して話の腰が折れるのが嫌で、悠希は構わず続ける。
「まぁ、目的があるっていうのが冷静を装えてる一番の理由かな」
「目的?」
訊かれて、答えてしまってもよいものか、と悠希は
「まぁ……色々とね」
「ふぅん。まっ、今はいいか。それより、」
歯切れの悪い悠希を追及せずにシズネは話を切り替えた。深く追及されずに済んでよかったと悠希は内心胸を撫でおろす。
「あなたに説明をしたいんだけど、まずは聞いてもらえる?」
悠希はシズネの言葉に頷く。現状把握には願ったり叶ったりだ。断るべくもない。
「まず、覚えてるとは思うけど、ここはあなたのいた世界ではないの。私が召喚――呼び出した。ここまではいい?」
「召喚した理由、それは魔王を討伐するための勇者になってもらうためなの。この世界は今、封印から蘇った魔王が配下の魔族を率いて暴威を振るっててね。少なくとも世界の半分はもう、魔王の手に落ちてしまっているの……」
勇者様と言われた時から嫌な予感がしていたが、大体想像していた通りの事を言われて、悠希は落胆した。なってもらう、というのが少々引っ掛かるが、自分にはそんな強大な力を持つであろう魔王と戦う力なんてあるはずもない。異世界に召喚された時になんか凄い力に目覚めました、なんて都合のいい展開にはなってない限りは。もっともその可能性は今のところなさそうだけど。
「人族だって手をこまねいていたわけじゃない。私たちもその一つだけど、魔族に抵抗している国や組織もある。けれどそれは今の状況をひっくり返せるほどの勢力じゃない。私たちだけでは力が足りないの。だから、」
そこまで言うとシズネはやおら立ち上がった。腰を直角に折り曲げ、頭を垂れる。さらさらとその長い髪の毛が流れ落ちた。
「勇者様お願いします、この世界を魔王の手から救ってください」
お願いします、というシズネのその声は真剣味を帯びていて、悠希にはそれが冗談で言っているようには聞こえない。だが、頭を下げられても困るのだ。自分にはそんな大層なことを為せる力なんてない。
「……僕には無理だよ。世界を救うなんて。ただの一般人だよ? そもそも、いきなり知らない世界に連れてこられて『世界を救うために魔王と戦ってください』って言われて頷くと思う?」
意地の悪い言い方だな、と自覚しながらも悠希はシズネのお願いに対して首を横に振る。
「無茶なことを言っているのはわかってます。全てが終わったら元の世界に戻すこともお約束します」
シズネは頭を下げたまま、その顔を上げようとはしない。
どれだけお願いされても無理なものは無理だ。戦う、ということはただ喧嘩をすればいいというわけではなく、それはきっと命の奪い合いが前提のことだろう。化け物との邂逅が悠希の脳裏に思い返される。あれだってきっと一歩間違えれば誰かの命が失われていた。
――怖い。
シンプルなその感情が、悠希を支配していた。自分は殴り合いの喧嘩すらしたことがない。そんな自分が戦いなんて。自分が死ぬかもしれないということも怖いが、たとえ世界を脅かしている魔王やその配下とやらが相手でも、その命を奪ってしまうかもしれないということも怖い。
悠希はその気持ちを素直に吐露する。
しかし。
「戦いの経験がなく、恐怖を感じるあなたにこんなことを頼むのは間違っているのかもしれません。それでも私たちはあなたに望みを託すしかないのです。できる限りのサポートはします。何なら私が盾にだって剣にだってなります。だから――」
シズネは頑なに諦めず、悠希に頭を下げ続ける。
頭を上げないシズネと、頷かない悠希。対照的な二人が双方黙ってしまい、このまま平行線で決着がつかないのではないか、と外野で固唾を飲んで見ていた女性が思い始めたその時。
ぐるるるるるる。
「おなか、すいた」
悠希の頭の上の女の子が、その可愛い外見から出たとは到底思えない、恐らく腹から鳴った轟音と共にそう呟いて、沈黙を破った。
「……とりあえず、朝ご飯食べませんか?」
女の子のその言葉をきっかけにして、女性が窺うように声を掛けた。それに対しシズネはようやく頭を上げ、そうだね、と頷く。
「ひとまずこの話は保留にしておくね。朝ご飯食べてから、他の話をしよっか。まだあなたの名前も聞いてないし」
そう言うとシズネは悠希の頭の上に目線を上げて、女の子に降りるように促した。よほどお腹が空いているのか、素直に従った女の子は悠希の隣の席へ座った……のだが、悠希にはその距離がやたら近いように思える。頭の上に陣取られていたことといい、何やら懐かれているような気がする。
シズネも意外そうに目を丸くして、
「さっきからどうしたの、ミュミュ」
座っても床に届かない足をぷらぷら、背中の翅をぱたぱたしていた女の子――ミュミュは、悠希の身体を覆う毛布をぎゅうっと掴みながら、
「せらとふぃるたすけてくれた。いいひと」
と綻んだ表情で悠希の顔を見て言った。悠希の脳裏に無我夢中でマグライトを投げた映像が浮かぶ。助けた、というほどのことをしていないような。
「そうね、さすが勇者様よね」
シズネがミュミュに向かって微笑む。そのまま悠希に顔を向けて、
「この子――ミュミュが初対面の人にこんなに懐くのなんて珍しいことなの。あなたは自分には何もないって言ったけど、きっと人一倍優しい心を持っているんだと思う。そうじゃなかったら、ミュミュがこんなにも懐かないもの。この子、人の悪意とか負の感情に対して敏感だから」
シズネに面と向かってそう言われて悠希は赤面した。しかし、幼く小柄でかわいい女の子に好かれて悪い気はしない。照れ隠しについ手元にあったミュミュの頭を撫でると、ミュミュがくすぐったそうに嬉しそうな声を漏らした。
「――昨日は助けていただいてありがとうございました。それと、さっきは武器を向けてしまって申し訳ございません」
炊事場から料理を運んできた女性が、悠希の前にそれを置いてから深々とお辞儀をした。それに恐縮した悠希が、別に自分は何もしていない、と慌てて頭を上げるように言うと、女性はゆっくりとした動作でそれに従った。青い髪の両おさげが揺れる。
そうして机の上に並べられた料理は、適当な大きさに切られた黒パン、きのこが入った湯気立つスープに、千切られた緑色の葉と赤色の実のサラダ。それぞれが木製の食器に盛られているからだろうか、素朴さを感じる食卓だった。
目の前に並んだ料理を見て、悠希の食欲が刺激される。そういえば家でそうめんを食べてから、何も食べていない。あれからどれくらい時間が経ったのかわからないが。
口の端から
「それじゃあ、食べましょう」
セラが言うが早いか、ミュミュがさっそくパンに手を伸ばす。それを横目に見ながら、悠希はいつもの癖で手を合わせていただきますをする。その様子をカップに口を付けようとしていたシズネが興味深そうに見て、
「へぇー、異世界ではご飯食べる時にそんなことするの? なんで?」
「なんでって……習慣みたいなものというか……。僕の国では食べる前にこうすることで、ご飯を作ってもらったことへの感謝とか食べ物の命に感謝するとか、そういったことを示しているらしいよ」
普段する時にそこまで考えてないけどね、と付け足しながら、小学生低学年の頃に聞いた気がする話を思い出し、悠希はシズネにそう説明する。シズネはうんうんと頷いて、手に持ったカップを机へと戻し、
「そうなんだ。なんかいいね、異文化って感じで。イタダキマス、だっけ。私もしてみよっと」
イタダキマス、と細く白い手を合わせてシズネがすると、セラもそれに
「イタダキマスっ!」
と元気よく声を上げたのだった。
異世界で勇者をするよりも、幼馴染を探したい。 高月麻澄 @takatsuki-masumi
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