第2話【目的】

 せいれいさまは せいねんのおこないをずっとみていたのです


 せかいをつかさどるせいれいさまは こころやさしきせいねんにちからをわけあたえました


 せいれいさまのちからをえたせいねんは ふたたびたたかいはじめました


 せいねんは もうよわくはありませんでした


 だれかのえがおをまもることができるようになっていました 


 そんなせいねんのもとには おおくのなかまがあつまりました


       ――『せいれいさまとゆうしゃのおはなし』より



   *     *     *     *    *     * 



 ――幼い頃、僕は身体が弱かった。


 季節の変わり目や雨に濡れたり、風邪気味の子の近くにいたり――そんなちょっとしたことですぐ熱を出すような子供だった。

 部屋で一人寝ていると、必ずと言っていいほど涼子が看病にやってきた。もっとも、それは看病のようなものだったけれど。

 タオルを額に乗せれば、水気を絞り切れておらず顔がべちゃべちゃになる。氷嚢ひょうのうを持ってくれば、口を閉じておらず布団が水浸し。おかゆを食べさせようとすれば、熱々のまま口に突っ込んできて火傷やけど

 まともに看病されたことよりも、そうやって失敗されたことの方が多かったように思う。それでも、そうやって涼子に看病された次の日には、不思議と体調は良くなっていた。

 寝込んでしまうのは遊べなくてつまらなかったけど、涼子が看病しにきてくれるのが当時の僕は嬉しくて、涼子が来てくれるのを心待ちにしていた。

 反対に、涼子は滅多に風邪なんて引かない子供だったのだけど、ある時熱を出して寝込んだことがあった。 

 仕返し――もとい、お礼に僕が看病しにいった時、涼子がそれはそれは嬉しそうな顔をしてくれたのを見て僕も嬉しくなったのを憶えている。涼子ももしかしたらこんな気持ちだったのかなと幼心に思った。


 ちなみに、次の日に立場が逆転したのは言うまでもない。


   *     *     *     *    *     * 


 目を覚ますと、目元が濡れていた。

 またか、と悠希は目元を拭う。涼子がいなくなってから、涼子との思い出ばかり夢に見る。その度に、起きた時に目元が濡れている。

 目を覚ました悠希が最初に見たのは、明らかに自分の部屋ではない見知らぬ低い天井だった。柱には少々曲がった原木ほぼそのままの木材が組み合わされていて、奥には屋根の骨組みと茅葺屋根の内部が見える。それほど広くはない屋内に二つある突上げの窓は閉じられていたが、その蓋の隙間から光が入ってきていて木材の壁に囲まれた室内を薄く照らしていた。

 少し堅い寝台に寝かされていた悠希が身を起こそうとしたところ、腹部に重量を感じて動きを止めた。首だけを動かして見ると、そこにはシズネと名乗った少女が恰好はそのままに(さすがに胸当ては外しているが)寝台に体重を預け、毛布の下にある悠希の腹と己の腕とを枕にして眠っていた。その傍らには木桶。額にタオルと思わしき物が載せられているのを鑑みるに、看病されていたようだ。もう乾いているそれを額から取って脇に置く。

 体調は良くなっていた。

 静かな寝息がシズネから聞こえてきて、悠希は身を起こすのを諦めた。天井をぼーっと眺めつつ、頭の中を整理する。

 まず、これまでの出来事が夢ではないこと。そして、ここは現代日本ではないらしいこと。自分がいた世界ではない、そうはっきり言われたことやこの目で見た化け物のことを思うに、これは明らかだろう。そして自分をこの世界に連れてきた――召喚と言ったか――のは目の前にいる少女だということ。その目的はわからないが、勇者様、と呼ばれたところからすると、ただただ召喚されたというわけではなくて、めんどくさいことに巻き込まれたのは確実だ。溜息が出る。

 と、ここまで頭の中に巡らせて、この状況に意外なほど冷静な自分がいることに、悠希は驚嘆していた。自分はこれほどまでに胆の据わった人間だっただろうか。未だ現実感が持てないせいなのか。それとも。


 それとも――この世界に涼子がいるかもしれないからか。


 突飛な考えではないと悠希は思う。神社の外れ同じ場所から、同じような雨の中、同じような光を見た。その後に自分がこの世界に飛ばされていることから、涼子の身にも起こっている可能性は大いにある。涼子は跡形もなく消え、一週間経っても手がかりすら見つからなかった。それはなぜか。あの日あの時、この世界に飛ばされたから――そう考えると辻褄が合う。

 いなくなってしまったと思っていた涼子がこの世界にいるかもしれない。そう思うだけで、この一週間でどん底に落ちていた生きる気力というものが沸いてくる。幼いころからずっと一緒にいた涼子と結ばれた今、涼子が傍にいない人生はもはや考えられない。まだこの世界に涼子がいると決まったわけではないが、あのまま現実世界にいるよりかは見つかる可能性がありそうで、今すぐにでも探しに行きたいという衝動に駆られる。しかし、あの化け物のことが頭に引っかかって、その衝動にブレーキが掛かる。さすがにあんな危険な生物がそこら辺をうろうろしてはいないだろうが、存在していることは確かなのだ。この世界について何の知識もなく、さらには当てもなく、涼子を探すのは危険かもしれない。自分一人ではあんな化け物に太刀打ちできない。死んでしまっては元も子もない。


 ――目的は、僕と涼子が二人とも無事で、元の世界へ帰ることだ。


 その為にはまずは情報収集から、と悠希が自分の目的とこれからするべきことを頭に思い浮かべていると、入り口の戸が控えめにノックされた。その後に声が続く。

「シズネさん、おはようございます。起きてますか?」

「しずね、あさだよ」

 戸に隔てられているため少し聞こえづらいが、悠希の耳に聞き覚えのある声が届く。その声に反応して、んん……、と艶めかしく掠れた声を漏らして、シズネがゆっくりと目を開けた。その様子を見ていた悠希と目が合う。

「……………………」

「……………………」

 戸の外から引き続き声が聞こえてくる中、二人の間に沈黙が流れる。眠そうに虚ろな目をしたシズネは、悠希をぼんやりと見つめた後――

「…………すー……」

 ――目を閉じた。あ、寝るんだ、と悠希は思わず呟く。どうやら朝に弱いらしい。その姿が誰かさんを彷彿とさせて、悠希は苦笑した。涼子を起こすのは大変だった。

 ノックの音は強く、声は大きくなっていく。しょうがない、自分が対応しよう、と綺麗な寝顔を見せるシズネを起こさないよう慎重に寝台から抜け出して、そこで悠希は気付いた。


 全裸だった。


 道理で寝具の感触がダイレクトに感じられるはずだ。衣服はずぶ濡れだったし、脱がされているのは納得しよう。問題はそれを誰が脱がせたか、である。ちらり、と悠希はシズネを見る。看病された形跡があったことから、やはりこの少女が最有力だろうか。

 ――み、見られた……?

 猛烈に恥ずかしくなってきて、悠希は慌てて手近にあった毛布で身体を覆おうとする。しかしシズネの下敷きになっている毛布はなかなか抜けない。見ればその手がこれは渡さんとばかりに、毛布を思いっきり握り締めている。

 そこへ外からこんな話し声が。

「せら、あかないね」

「シズネさん朝弱いですからね……しょうがないですね、入っちゃいましょうか」

「はいっちゃおう」

 ギィ、とドアが開く音。

 それは世界(悠希の)終わる(恥ずかしさで)音だった。

「……………………」

「……………………」

「おはよう」

 翅を生やした白いワンピースの小柄な緑髪の女の子だけが、何事も起きていないかのように挨拶した。ドアが開いたことにより光が屋内に入ってきており、悠希の姿が鮮明に映し出されている中、膝丈の青いチュニックを着て青髪を両おさげにした女性と、毛布を引き抜こうと躍起になっていた悠希(全裸)の視線が絡み合う。

 まだ救いだったのは、入り口からは大事な部分が見えない角度だったことだろうか。

 しかし悠希は今まさに、毛布からシズネの手を剥がさんとしており、見ようによっては全裸の少年が少女へと襲い掛かっているように見えなくもないのだった。

 そしてそう受け取った人物が一人いた。

「…………何を、してるんですか?」

 薄い笑みを顔に貼り付けて、あくまで平静さを帯びた口調で女性が言う。

「いや、あの……毛布を、ですね……?」

 ただ静かに接されているだけなのに、圧倒されてしまいそうなほどの迫力が醸し出されていて、首だけを入り口の方へ向けたままの悠希はついしどろもどろになってしまう。

 ――昨日の化け物よりも怖い。

「毛布を?」

「その……裸なので……せめて毛布にくるまろうとしたら、この女の子の手が、ですね……?」

「あぁ、なるほど。それは大変ですね、助けてあげましょう」

 女性が一歩屋内へと踏み出す。その手には等身大サイズの杖が握られている。

 待て、いつの間に出したんだそれ。というか助けるって何を、どうやって。

「えーっと……その杖で、ですか?」

「もちろん。わたくしの武器はこれですから」

「あの、大変申し上げにくいのですが、僕を助けるのに武器はいらないと思うんですが……」

「いえいえ、必要ですよ? だって」

 女性はそこで言葉を区切ると、それまで貼り付けていた表情をかなぐり捨て、完全に敵意を剥き出しにした形相で二の句を継ぐ。

 

わたくしが助けるのはあなたではなくて、シズネさんなのですから」


 女性が力強く二歩目を踏み締め、両手で持った杖の先を勢いよく悠希に向ける。悠希の目には、向けられた杖の先の周囲が歪んでいるように見える。突然の事態と向けられた敵意による恐怖に絡められた悠希の身体は動かない。

「――光よ、」

「もー……うるさいなぁ……何なの朝か、ら……?」

 女性が言葉を口にするのと、シズネが目を擦りながら起きたのとはほぼ同時だった。

 自分のすぐ近くから聞こえた声に、危機的状況も忘れ、悠希は思わずそちらを向く。そこには目を開けたシズネがいて、悠希の下腹部を凝視していた。

 見る間に赤くなるシズネの顔に、悠希の心の中に諦めにも似た感情が生まれた。

 そして。


「きゃ、」


 シズネの、耳をつんざくような悲鳴が響き渡ったのだった。

 

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