35話:人形のような

 髪を下ろしカーディガンを羽織って、二人がけのソファの真ん中に座っているのは涼香だ。

 月明かりに照らされる灰色の髪は、より白く、青みがかっているようにも見えて、月夜の雪景色を思わせた。


「如月?」


 控えめに声をかけてみたが反応は無く、不審に思って回り込むとその両目は閉じられていた。日光の下でも白い肌が、月光の下では青白く見えてぞっとする。

 まるで、生きていない、みたいな。


「ッ!!」


 腕の中で冷たくなっていく姉を思い出して、慌てて脈を測ろうと手を伸ばす。ベールのように首に掛かる灰色の髪をかき分け、首の脈を慎重に探る。トクントクンと指先に確かな動きを感じたことで、気付かず詰めていた息をそっと吐いた。落ち着けば呼吸音もしっかり聞こえている。

 安心して手を離そうとして、明澄人は触れた手からわずかに魔力が吸われていることに気付いた。


(……疲れてるのか?)


 アザワースで生まれた人間は大まかに、魔力を持つか、持たないかで分かれる。

 大抵が持たない人間。また、魔力はあっても魔法を使うための魔術回路が無い人間の方が多い。魔術回路があっても道具に頼らず生活魔法を発動させられる程度で、魔術師として色々な魔法を発動させられるのはごく限られた人間だ。

 もっとも、回路自体は修行すれば増やせるので、魔力さえあるならば努力次第でどんな魔術師にもなれる。

 問題は魔力である。魔力を持つ人間は、持たない人間に比べると一つ臓器が多い。魔力生成の臓器、通称・魔臓まぞうは人によって場所が異なっており、大きさもまちまちだ。ただ、その大きさによって自分自身で生成できる魔力量が変わる。

 魔臓は他臓器と同じように成長と共に大きくなり、使うほどに鍛えられて生成量が増えていく器官ではあるが、内臓ゆえに大きくなる限界がある。回路は魔力を貯蔵するので、回路に対して魔臓が小さいと魔力の不足を補おうと周囲から吸収する。


 涼香の魔臓がどこでどんな大きさかはわからないが、中級魔法を使えるほどの魔力を作れるのだから小さくは無いだろう。今日は生活魔法ぐらいしか発動させていなかったので、魔力が不足するほどの魔法は発動していないはず。

 ならば慣れない環境に身を置いた緊張と疲れから、魔臓が上手く生成出来なくなったと考える方が自然だ。

 初対面で喧嘩を売ってくるし、遠慮はしないし、喋ると口喧嘩になる可愛くない子だが、緊張から気が立っていたのかもしれないと思い直した。一番噛みつきやすかったのが明澄人なのだろう。一日見ていたが、しいなやソフィーヤ、子供たちには笑顔を見せるほど優しく楽しそうに接していたし。狐やサイラスにも一歩引いてはいたが、無駄に喧嘩を売るような態度は取っていなかった。


(親しみやすかった、ってこと、だよな? なめられてるわけじゃ……なめられてるのかも)


 チビと言われたことを思い出し、首に手を当てて魔力を与えながら寝顔をじっと見下ろす。こうして黙ってじっとしていれば人形のように綺麗な美少女なのに。

 青白かった肌が少し色を取り戻したことに気付いて手を肩に移動させて揺する。


「おい、如月。こんなとこで寝るな」

「……。」


 ぼんやりと眠そうに瞼が持ち上がる。顔が上に動き、明澄人に気付くと瞬きを二度。覚醒したようで驚いた顔と共に背筋が伸びた。


「え、寝てた?」

「寝てた」


 涼香は落ち着き無く周囲を見回し、月を見上げて、あー。と唸った。どうやら記憶より月が傾いていたらしい。恥ずかしそうにカーディガンを胸元で握りしめて立ち上がると、明澄人に苦笑を向けた。


「起こしてくれてありがとう」

「どういたしまして。月光浴でもしてたのか?」

「ええ。ちょっと疲れちゃって」


 月明かりには魔力を回復する力がある。光が、というよりも月自体に魔力があるのだろう。明澄人も疲れるとよくここで月光浴をして魔力を回復させていた。

 寝てしまうのもよくわかるので、ほどほどにしとけよと忠告をしておく。


「そうね。気をつけるわ。じゃあ、おやすみなさい」

「おう、おやすみ」


 彼女がちゃんと女子部屋に入ったのを確認して、明澄人も部屋に戻った。




 翌日。

 朝のルーチンを終わらせて、洗濯物も終わらせて、昼食の仕込みも終わった。あまりに順調にすべてが終わったので不思議になったが、いつもなら邪魔になる子供たちが新入り二人にくっついて回ってるので邪魔にならなかったことと、サイラスがいることが要因だった。人手が増えるとこんなにも楽になるのかと愕然とする。

 自由時間を持て余し自室の掃除なんてしてみるがすぐに終わる。衣替えもしたばかりだし、やることが無くなった。

 いつもより早い時間だが支部で訓練でもしようと決め、自分の武器を持って、サイラスとしいなに一言声をかけて支部に向かった。


 勝手知ったる支部の中。顔なじみの隊員達と挨拶を交わしながら屋外訓練所に進む。

 すでに派手な魔法の音は聞こえており、誰かが訓練中らしい。


「おはよーございま、ッ!?」


 ドゴォォォォ!!


 炎の塊が飛んできて、咄嗟に右に跳んで逃げた。受け身を取りながら転がって立ち上がり、出入り口を確認すると、障壁に阻まれて無事だった。そういえば出入り口の半径1メートル以内は障壁で守られていることを思い出す。避ける必要は無かった。

 飛んできた方に顔を向けると、涼香と狐が対峙していた。肩で息を吐き、狐を近づけまいと魔法を放つ涼香に対し、狐は精霊魔法を纏わせた刀で魔法の進行方向をずらし、少しずつ前に進む。ずらした魔法が運悪く出入り口に飛んできたようだ。


「宗太郎さーん」

「お、来たか明澄人」

「おはようございます。何やってんですか、あれ」

「同世代での訓練、と言う名目の度胸試しだな」

「あー。俺としいながやらされたあれですか」


 少し辺りを見て近くにいた隊員、東城宗太郎に声をかける。二人の監督官なのだろう、明澄人には視線を一瞬向けただけですぐに二人に戻す。

 事情を聞いて明澄人はうんざりとした。魔法使い希望は剣士の隊員と、剣士志望は魔法使いの隊員とこうやって対峙させられる。対人訓練の一つで、攻撃に怯まない度胸を身につけさせるものだ。


「うむ。これが出来ねば、隊員としては役に立たんからな」

「俺と如月はともかく、しいなと狐は隊員じゃ無いんですけどね」

「冒険者になっても必要だろう。

 しかし、如月君は魔力量に対して使っている魔法が偏っているな。支援も強化も使えない回路なのか?」

「わかんないです。まだ覚えてないだけかも。独学であそこまで学んだって言ってました」

「ふむ、指導者がいなかったのか。ではレルヴァ……だと攻撃特化になってしまうな。マリアーヌあたりに頼むとするか」


 レルヴァは攻撃に、マリアーヌは支援や回復に特化した魔法使いだ。二人とも明澄人の魔法の師匠である。家を焼いてしまってからすっかり攻撃魔法が苦手になった明澄人にレルヴァは「苦手意識があるものこそよく知り、制御できるようになれば、支援時の加減もわかってくるものだ!」と半ば無理矢理、攻撃魔法を教え込み、マリアーヌは「支援は相手の魔法に寄り添うことが必要なの。色んな人を支援して、経験を積みなさい」とさまざまな隊員の支援をさせた。

 制御装置が完成するまではなるべく魔力を消費した方が良かったので、毎日訓練に参加し続けた。すると、それなら多少体術も使えた方が良いだろう。と誰かが言い始め、いや親が剣聖なのだから刀を、いやいや剣を。弓だって侮るなよ。バカ言え銃の格好良さも。ナイフ二刀流や投げナイフに興味はないかい? あっこのやろ抜け駆けはよくねーぞ! などなど。隊員たちがこぞって自分の得意武器を教えていき、気付けば明澄人はほとんどの武器の基本を覚えさせられた。覚えていないのは身長と筋力が足りずに扱いきれなかった槍と斧ぐらいだ。


「俺が支援するんで、攻撃特化になってくれても良いですけどね」


 女の子だから無いとは思うのだが、自分と同じようにあれやこれやと武器の扱いを教えられて、器用貧乏になったら困る。そう思っての発言だったのだが、宗太郎は驚いたように明澄人を見ていた。目が細く、いつも開いているのか閉じているのかわからない強面が、珍しく瞳の色がわかるくらい目を見開いているのだから、かなり驚いたのだろう。


「おかしな事、言いました?」

「いや。お前が支援してやるのかと驚いてな。一人で行動するのが好きだろう、お前」


 指摘されて、確かにそうだと思い出した。別に一人でいるのが好きなわけではないが、一人でいる方が気が楽な時は多い。


「俺みたいに色々教えられて、器用貧乏になったら困るなって思っただけですよ」

「そうか。困る、か」


 何か含みがある言い方をされた上に楽しそうに口角を上げられたが、明澄人には意味がわからない。宗太郎も特に説明することはせず、狐と涼香に視線を戻した。

 釈然としない物を抱えつつ、明澄人も二人の戦いに視線を戻した。もうすぐ狐が涼香に届く。彼女が魔力切れを起こした瞬間が終わりだ。

 そして、その瞬間はすぐに来た。


「そこまで!」


 すかさず宗太郎が止めに入る。

 涼香がその場にへたり込み、狐も刀をしまうと疲れたように座り込み、目を押さえた。酷使しすぎたらしい。


「ちょうど良い。明澄人、回復魔法を」

「あ、はい」


 声をかけられて二人に駆け寄り、まずは状態を確認する陣を二人の下に描く。外傷は特に無い。内臓がダメージを受けている可能性もあるので確認し、ついでに二人の魔臓の位置も確認して、明澄人は思わず声を上げそうになるのを堪えた。

 魔力が不足しているので、何事も無かったかのように魔力回復の陣に描き直して二人に魔力を与える。


「……相変わらず、バカみたいな魔力量だな」

「パス繋いでやろうか? 精霊魔法使いたい放題だぞ」

「やめてくれ。目の方が壊れる」


 カラカラと軽口をたたき合いながら、狐の方は治療を終える。陣を縮めながらそこを退けと狐に向かって手を振れば、彼は猫かよと笑って文句を言いながら陣から退いた。

 涼香の方はじっと陣を見ており、どうやら覚えようとしているようだった。明澄人は声をかける余裕も無く慎重に魔力を与える。

 彼女の魔臓は、心臓の位置にあった。心臓の周辺にあるわけではなく、心臓の中にあるわけでも無く、心臓そのものが魔臓。そんな人間、いるはずが無い。心臓が魔臓なのは魔導によって作られた生物だけだ。


 先生は知っているのだろうか。涼香がホムンクルスだと。


「よし、こんなもんかな」


 あくまで平静に。いつも通りを演じるのは昔から得意だ。笑って陣を閉じる。

 胸元を抑えていた涼香は一つ息を吐き、額に滲む汗を手の甲で拭いながら顔を上げた。


「ありがとう。こんな陣もあるのね」

「これは回復魔法の一種だ。他にも自身を強化する強化魔法、他の魔法使いを助ける支援魔法ってのがある」

「……本当に、魔法っていっぱいあるのね」


 感嘆の息を漏らす彼女に手を差し出せば、彼女はそのまま手を乗せてくる。引っ張って立たせてやり、頬に張り付いている髪を払ってやると後ろから口笛が聞こえた。不思議に思って振り返ると、ニヤニヤと笑っている男二人。わけがわからず首を捻る。

 すると男どもは途端に怪訝な表情になった。


「お前、今の気付いてないのか?」

「何が?」

「女の子の髪に触っただろ」

「それで? 髪が長いと汗で張り付きやすいんだよな」


 言いたいことの意味がわからないので放置し、涼香に視線を戻す。張り付く髪の感触はあるがどこかはわかっていない様子で顔を触っている彼女が、まるで毛繕いをしている猫に見えて、思わず笑いながらそっと剥がしてやった。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 同じ長髪として明澄人も経験がある。顔に張り付くと意外と不快な感触なのだ。

 涼香も気にした様子は無く微笑んで礼を言うので、後ろで眺めていた狐は自分がおかしいのだろうかと首を捻るのだった。

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剣士になりたい竜の賢者 結崎ゆうと @tanukiti_yu-zaki

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