第6話


 校長の麻薬所持が発覚したのは、放課後の事だった。


 校長室で麻薬を使用していたところを、他の教師に見つかり、通報されたらしい。私は現場を知らないが、どうやら校長は自分を咎めてきた教師を殴ったという。その後、やってきた警察に対しても散々抵抗してはいつもの粛々とした態度からは考えられないぐらいに激昂した様子で、聞くに耐えない罵倒を口にしていたとか。

 まだ部活動中の時間だった事もあり、彼の行いは一部の生徒達の目にもつく事となった。


 翌日、学校へ登校すると、緊急で朝礼会が行われた後、私達生徒は帰宅を命じられた。しばらくは休校になるとの事で、詳しくは追って学校側から各家庭に連絡が入るという。


 ざわめく教室内の視線をかいくぐって学校を後にすると、私はいつも通りに喫茶店へ向かった。


 歩き慣れた道だったが、昼よりも早くにこの道を歩くのは、今日が初めてだ。なんとなく不思議な違和感を覚えながらも歩みを進めれば、見慣れた喫茶店が現れる。いつぞやに、「おかしな」と私が口にしたその名前を携えて。


 けれど、そこはもう、いつも通りのお店ではなくなっていた。

 黒字で『KEEP OUT』と書かれた黄色いテープ。店の前を囲うようにして張られた、と青いビニールの壁。それから、入り口を見張るようにして立つ、数人の警察達。


 いわゆる『事件現場』と化した喫茶店が、そこにはあった。


      ******


 早見先生が麻薬の売買人兼詐欺師だというニュースが報道されたのは、校長の事件が発覚して少ししての事だった。


 麻薬検査の結果、麻薬の使用を言い逃れ出来なくなった校長が漏らした情報らしい。

 他にも数人の売買人がおり、この喫茶店が彼らの隠れ家だと校長は語ったという。それを知った警察は急いでこの店に向かった。だが、その時にはもう、店はもぬけの殻となっていたそうだ。


 それでも、何かしらの痕跡はないかと一縷の望みをかけて、今も尚、警察達は店を漁っている。

 事件現場を見に来た野次馬だと思われぬよう、少し離れたところで足を止めた。物陰に隠れて事件現場喫茶店を眺めながら、私は考える。


 ――はたして、早見一郎は知っていたのだろうか、と。


 否、知っていた筈だ。


 あの校長おやじこそが、私の厳格で立場のある父であった事を。


 最初はきっと、たまたまだったのだろうと思う。私があの店に来たこと。それはただの偶然でしかない。


 だけど、その偶然が、彼にとっては嬉しい幸運だったのだろう。きっと、何かに使えると思った。だから、私にわざと近づいてきた。


 結果として、彼の企みは成功したのだろうと思う。

 私の推測が正しければ、彼は私を使って校長にメッセージを送っていたはずだ。


 なぜなら、彼らが使っていた麻薬は『LSD』だったから。


 非合法幻覚剤『LSD』

 正式名称は『リゼルグ酸ジエチルアミド』

 隠語――、『珈琲』


 知ったのは昨晩、事情聴取に警察が家まで来た後のこと。

 不穏な空気に不安がる下の子達をあやしながら、父が使っていた麻薬について携帯で調べた時に、その情報は出てきた。


 いつぞや、「隠語みたいだろう」と言って笑っていた彼の事が思い出された。あの時は、なにを馬鹿な事をと思ったが、今はわかる。あれは本当に隠語だったのだ。私宛ではなく、父宛だったというだけで、彼は本当の事を述べていたのだ。


 そうやって彼は、私が知らないところで、じわじわと父を壊してbreakしていった。


 私と一緒に休憩breakしていた、その傍らで。


「何が、聖人君子な職業よ」


 大大大犯罪者じゃないか。一体、どの口がほざいているのか。


 とにもかくにも、また新しい勉強場所を探さなければならない。

 父がこんな事になったとは言え、勉強はしなくてはいけない。いや、むしろこんな事になったからこそ、なんとかして世間の目を取り戻すため、娘の私が頑張らねばならない筈だ。


 それに、よかったじゃないか。もう彼の無駄な話を聞かなくていい。あんな珈琲臭い香りに包まれなくてよくなる。うるさい機械の音に顔をしかめなくて済む。


 そう思う、思っていた……――、はずだった。


 一体、いつからだろう。


 うるさかっただけの筈の焙煎が耳に馴染む音になっていたのは。

 毎日香るその香りに、ほのかな差があると知ったのは。


 この店で、あの席で、アナタと話すのを楽しみに思うようになっていたのは。


 ふぅ、と息を吐く。

 珈琲の湯気よりも濃い白が、空中で霧散する。


 警察の人達には申し訳ないが、きっと彼らの探し物は見つからない。なぜなら彼は頭が良いから。だからこそ、警察が来る前に逃げられたのだ。彼ならきっと、麻薬を誰にも見つからない所に隠すなんて事、簡単にできるだろう。


 たとえば、そう。こういう所に――、鞄の中に入れていた包み紙を取り出す。


『coffee』と見慣れた赤い字で書かれたクラフト紙製の袋を、私は胸に抱く。3日経ったら開けていいと言われたそれを、もうあの時に嗅いだ香りも温もりも失ったそれを抱きしめる。


 勉強をしよう。そう改めて思った。


 大学に入るためにではなく、学ぶために。世の中のいろいろな事を知るために。


 そして、追いかけよう。あの夢も目標も持てなかった少年を、全てを壊す事しかできなかった大人を探すのだ。


 私自身がなっていたかもしれない道を歩む彼に、その道を壊して貰えたように――。


 そして今度こそ、私の方からこう言うのだ。


『a coffee break?』

 一緒に、休憩しましょう? と。

 

 視界が少しだけ滲む。

 それを手で拭いながら、私はその場を離れたのだった。


【終】

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a coffee break? 勝哉 道花 @1354chika

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