第5話
「はい?」
唐突な話題についていけず、首を傾げた。
「子どもですか」
思い返されたのは、彼が海外で教師をしていたという話だった。その時の生徒の話だろうか。
「そう。いつも教室の隅で、一人で本を読んでいた」
「安直にぼっちだと言われてますか、これは」
眉間にしわを寄せると、早見先生がくすくすと笑いながら、首を横に振った。
「違う違う。だって、その子供はそれを孤独だとは思ってなかったのだから」
「はあ」
「彼はね、頭がよかったんだ。そこが君と似ている点さ」
トントン、と早見先生が自分のこめかみを指で叩いた。
「読んでる本だって、子供が読むにしては難しい歴史書や政治の本ばかり。全て親に与えられたものだ。将来は有名大学に行くように言われていたし、彼も自分はそういう大学に行くべきなのだと思っていた。そんなある時、彼は教師にこう尋ねられた。『君は、この大学で何をするんだい?』って」
「何を、する?」
「当然な質問さ。大学ってのは、何かを学ぶ為の場所だからね。学ぶ事がなきゃ、行っても無駄にしかならないだろ?」
どきりと、心臓が鳴った。
何か冷たいものに掴まれたようなそんな感覚だった。
「実際、これは他の生徒達も当たり前に訊かれている質問だった。答えられない生徒もいた。勉学の為というよりも、遊ぶ時間を増やす為とか、そういう理由の者達だね。そんなのは理由に言えないだろ?」
「それ、は……、そうですね」
「そして、彼も答えられない側の者だった。いや、正確には、答えられる答えがない者だった」
早見先生が、その顔をすりガラスの方へ向けた。
ガラスから差し込む光と直に向き合ったからか、まぶしげに目が細められる。
「頭がさ、良すぎたんだよ。自分はどこに行ってもやれる人間だ。けどそれが出来てしまうが為に、特別にしたいと思うような事なんて、彼には何もなかった。その時、初めて彼は、自分が何をしたい者なのか、答えられない事に気がついた。親に言われるがまま大学に行く――、それだけが、当時の彼の『答え』だったんだ。それ以外のものは、彼には何もない。いくら考えてもわからなかった。
その結果、彼は思ったんだ。わからないならいっそのこと壊してしまおう。答えが出ないなら、答えなんて出ない程に全てを壊してしまえばいい。そうすれば全てなかった事になるから」
「……その彼は、今は」
「さあ? どうなったんだろうね。もう昔の事だから覚えてないな」
そう言葉を締めて、早見先生は黙ってしまった。唐突に始まった話は、こうして唐突に終わりを迎えた。
緩やかな湯気と珈琲の香り、店内に響く焙煎の激しい音。
それだけが、私達の間に広がった。
3日後。
早見先生は、行方をくらませた。
その前日、うちの学校の校長が麻薬所持で逮捕された。
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