第4話


「模試A判定、おめでとう」


「お祝いの品だよ」と早見先生からそれを貰ったのは、季節もめぐり、冬になったあたりでの事である。


 場所はいつもの喫茶店で、座る席もやはりいつもと同じ場所だった。すりガラスから差し込んだ日の光が、すりガラス越しに、机上に乗せられたそれを照らし出していた。


「3日経ったら開いてくれ。そうすれば頃合いになるから。その後は、君の好きなようにしてくれていい」


 クラフト紙製の小さな包み。手に取ってみるとほんのりと暖かく、嗅ぎ慣れた香りがふんわりと漂ってきた。どうやら、中の物ができてからそう時間は経っていないようだ。


 お祝いの品なんて物が貰えるとは思っていなかったので、驚きでしばらく袋をジッと見つめてしまった。

「ありがとうございます」と小さくお礼を口にすれば、早見先生が目を細めながら笑った。


「もうすぐ冬休みだね」


 早見先生が、珈琲を飲みながら言った。


「宮田さんは冬休みも勉強かな? 冬期講習には行くのかい」


「そのつもりです。父に薦められた予備校で受けようかと」


 しかし、本音を言えば、受けなくてもいいなら受けたくなかった。

 受験本番が近づくこの時期の講習は、他の時期の講習以上に、本格的な受験対策が行われるようになる。そのため、この時期は、それを狙った同年代の受験生予備軍達が多く塾や予備校に通う傾向があった。


 それはとどのつまり、私を腫れ物扱いする同級生と出くわす機会が増えるということ。


 いくら慣れているとはいえ、そういった視線を向けられていい気持ちがする事はない。これからの事を考えると、それだけで心の中が憂鬱の2文字で支配されていく。


「そっか……。それじゃあ、しばらく会えなくなるね」


 早見先生の返しに、はい、と頷きかけて止まった。


 とどめを刺された気持ちだった。


 そうだ、忘れていた。冬期講習が始まれば、自然と私の居場所は塾になる。それはつまり、しばらくは彼と過ごすこの時間もなくなるという証だ。


 なんということだろう。

 どうやら私は、いつの間にかこの時間がある日々を、当たり前なものとして捉えていたようだ。最初はあんなに嫌がっていたくせに。一体、いつから、そんな風に思うようになっていたのだろう。


 ふと、考える。――この関係は、はたしていつまで続くのだろう。


 季節を2つ越え、私の手元の珈琲はアイスからホットになった。カップを握る手の先の腕を覆う袖は、短いものから長いものへ。小さな変化が、まるで間違い探しのように私と彼の間を彩る。


 それでも、私達の関係だけは変わらない。私は彼の生徒で、彼は私の教師。そしてここでは、相席をするだけのお客。同じ席で珈琲をすすり、同じ時間を過ごすだけの間柄。


 しかし、いつか終わりは来る。

 私達が、教師と生徒である限り。


 もし、私の方に『break』する生徒ものがなくなったら、そうしたら、その時、この関係はどうなるのだろう――、そう考えて、ハッと我に帰った。


 何を馬鹿げた事を考えているのだろうか。

 こんな抽象的なものの考え方、私らしくもない。こういうのは、どこぞのキザで格好つけな教師がすることだ。


「先生の方はどうなんです。どこかに出かけたりはしないのですか」


 話題を変えようと思い、早見先生に話を振った。


「たとえば、以前話してくれたような外国とか」


「どうだろうね。休みとは言っても、僕らの休みじゃないからなぁ」


 なるほど。言われてみればそうだ。


 彼等教師が、私達学生並みに仕事を休んでいたら、生活に窮してしまう羽目になるだろう。大人って大変だな、と思わず、月並みな感想が私の中に浮かぶ。


「ま、仕方ないさ。なんせ、『仕事中』だからね」


 早見先生がフッと目を伏せて言う。どこか諦めたように。


 確かに、仕事なら仕方がない。

 仕事をしないと生きてはいけない。それは当たり前の事だ。


 夢も目標もなくても、私が大学に行かなければいけないように。


 人はそうしないと生きていけない。


 だけど――、


「……今は、『早見一郎』じゃなかったのですか」


「ブレイク中でしょう?」そう続けながら、カップを掲げる。


 早見先生が、きょとんと目を瞬かせた。

 それから、小さく噴き出す。


「こりゃ一本取られたな」


 くつくつと、彼の顔に笑みが戻ってくる。


 それでいい。この男は、そうやって笑っている方がお似合いだ。

 胸中で頷きながら、私は手にしていたカップに口をつけ、珈琲を飲む。すると、そんな私をニコニコと眺めながら、早見先生が再び口を開いた。


「……昔、君に酷く似た子どもがいた」

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