彼女が告白に気付いてくれない

無月兄

第1話

 季節は春。三年生に進級したこの日、俺、森正敏もりまさとしはひとつの決意をしていた。


 放課後。軽音部の部室のドアを開くと、そこには米沢よねざわの姿があった。俺と同じく一年の頃から軽音部で、今となっては最後の部員の片割れ。そして俺がずっと好きだった人でもある。俺は今日、彼女に告白する。




             ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 告白を決意したとはいえ、いきなり言うのは抵抗がある。まずは普通に話をして、タイミングを見て行動に移そう。そんなことを考えていると、米沢が寂しそうに言った。


「軽音部も私達だけになっちゃったね」

「新入部員が入ってくれたら別だけどな」


 一年前の事を思い出す。数人の先輩はいたものの、あの時も部員の減少を嘆きながら新入部員獲得に勤しんだ。けどその結果が今ある二人だけの軽音部だ。当然今年も勧誘はするつもりだが、俺達は早くも諦めムードだ。


「ねえ、森は何で軽音部入ったの?初心者だったのにわざわざベースまで買ってさ」


 その言葉にドキリとする。俺がこの部活に入った理由、それは米沢がいたからだった。

 まだ一年生だったころ、新入生に向けての部活動紹介があり、軽音部の出番が回ってきた。当時は米沢ももちろん俺と同じ一年だったが、軽音部の先輩とはすでに知り合いで入部も決定していたため、人数が少ないこともあり奏者としてステージの上に立っていた。


 音楽には興味が無かったはずなのに、ステージでギターを引く米沢を見た瞬間、目を離せなくなくなっていた。早い話が一目惚れだ。

 なんとか彼女に近づきたくて、貯金をはたいてベースを購入し、二年間も音楽をやっているのだから我ながらよくやるなと思う。勿論このことは一度だって話したことは無い。

 だけどこれはチャンスかもしれない。上手くいけば俺が音楽を始めた理由と合わせて、米沢が好きだということも伝えられる。


「ねえ、何で音楽やろうと思ったの?」


 黙り込んでいた俺に、米沢が無邪気に聞いてくる。よし。俺は意を決して口を開いた。


「米沢がいたからだよ」


 その瞬間、今まで必死に抑えていた気持ちが一気に溢れ出した気がした。気持ちが言葉へと変わり、次々と口から飛び出していく。


「一年の頃、ステージに立つ米沢を見て、一目で好きになった。こう言ったら恥ずかしいけど、一目惚れってやつだ。軽音部は、米沢に少しでも近づきたくて入ったんだ。その気持ちは今でも変わってない」


 言った。言ってしまった。よほど驚いたのだろう。米沢は口を開けて硬直している。

 この後どんな返事が返って来るだろう。正直なところ怖くて逃げ出したくなる。けどここまで言ったのだからもう後戻りはできない。俺は静かに彼女の言葉を待った。


「嬉しい」


 一言、米沢が言った。


「嬉しいよ。森、そんな風に思っていたんだ」


 頬を僅かに染めながら、口元を綻ばせている。けど俺はそれ以上に顔が緩んでいたに違いない。何しろ二年越しの思いが実ったのだ。


 しかし次の瞬間、米沢は言った。


「私のギターに憧れて始めたなんて、音楽やる者として最高の褒め言葉だよ」


 えっ?ギターに憧れて?何かおかしい。確かに米沢のギターは見事だし、それに憧れている部分も少なからずある。けれど今俺が伝えたかったのはそれ以上に女性として米沢が好きだという気持ちだ。

 だけど俺の言葉を間違って受け取った米沢は完全にバンドマンとしてのスイッチが入ってしまったようだ。


「森、練習しよう。がんばって新入部員を獲得して…ううん、たとえ二人でも音楽はできるよ。これが最後の一年なんだし、悔いの残らないよう精一杯やらなきゃ」


 米沢の目に炎が見えた。もう完全に訂正できる雰囲気ではない。こうして俺の一世一代の告白は気づかれもせずに終わってしまった。




             ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 季節は夏。あの告白から数か月が過ぎた。あの後行われた部活動紹介は米沢が燃えていた事もあり中々の出来だったと自負しているが、残念なことに新入部員はこなかった。


 それでも俺達は二人で軽音部を続けてきたのだが、ここに来てその活動も今まで通りとはいかなくなった。三年の夏、俺たちの肩には受験という言葉が重く圧し掛かっていた。


「あーあ、受験したくないな」


 夏休みが間近に迫ったこの日。休み中の部の予定を話し合っている時に米沢はぼやいた。

 気持ちはわかる。予定では部活をする日もそれなりにあるが、去年までと比べると目に見えて減っていた。受験のため勉強時間を増やす分、それ以外が削られるのは当然だった。


 俺もできる事なら受験なんて忘れて遊んでいたいけど、そう言うわけにもいかない。米沢だって本当はわかっている。なのにそんな言葉が出てくるほど今の米沢は沈んでいた。


「森は第一志望だと地元離れるんだよね」

「……そうなるな」

「じゃあ、森と一緒に音楽やれるのも今年で最後か。もっとずっとやっていたかったな」


 予定を決める時、米沢はもっと多くの時間を部活に当てられないか言ってきた。だけど受験を考えるとこれ以上は無理がある。

 俺だって本当は米沢と同じ気持ちだ。好きな子が一緒にいたいと言ってくれるんだ。嬉しく無いわけが無い。それだけにどうにもならないこの状況にはモヤモヤしている。

 ふと、春の告白が頭をよぎった。あの時ちゃんと想いを伝えることができていたら、俺達は今頃どうしていただろう。例えやることは変わらなくても、部活仲間ではなく恋人と言う関係になっていたら、この状況ももっと違ったんじゃないか。そんな気がしてくる。

 夏休みに入ると米沢と機会は今より確実に少なくなるだろう。そう思うと、ずっと押し込めていた気持ちに再び火が付いた。


「なあ米沢、確かに、卒業したら今までみたいに一緒に音楽やることはできなくなるかもしれない。だけど、米沢との関係まで終わりにしたくない。つまり…何が言いたいかって言うと、俺は……米沢の事が好きだ」


 俺の声は震えていたかもしれない。緊張しすぎてそんな事さえも分からない。


「私も、森のこと好きだよ」


 米沢の言葉が俺の心臓をドクンと大きく鳴らした。だが次の瞬間。


「森は、大事な友達だから」


 え?友達?そうじゃないだろ。この状況で好きと言ったら恋愛的な意味でしかないだろう。だけど彼女は完全に意味を取り違えてしまったみたいだ。


「そうだよね。離れても、一緒に音楽ができなくなっても、森が友達だってことには変わりないよね。ごめんね。私、一人で勝手に不安になってた」


 さっきまでとは打って変わって活き活きとする米沢を見て、俺は何も言えなかった。




             ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 季節は秋。二度の告白に失敗した俺の心は完全に折れていた。このまま米沢とは何も進展することなく終わる。そんな気がした。

 だけど、今はそんなことを考えている場合ではなかった。体育館のステージの袖で待機する俺の耳には大勢の人の声が届いていた。


 今日は文化祭。そして軽音部にとって、俺達にとって最後のステージだった。

 隣では米沢がガチガチに緊張していた。ステージに立つと誰よりも輝くくせに、直前までこうなのは一年の頃から変わらない。最後という事もあっていつも以上かもしれない。

 そんな彼女の頭にポンと軽く手を置いた。


「酷い顔だな。それでステージに立つ気か?」

「うそ!そんなに酷い?」


 勿論実際は緊張しているものの決してそんなことは無い。むしろ俺から見ればそれすらも可愛く思える。だけど米沢はそれを本気にしたようでワタワタと慌てだした。


「嘘だよ」


 笑いながら言うと、米沢はむくれながら俺を睨む。けどそのおかげで、緊張も解けたようだ。そして、俺達の出番がやってくる。


「良いステージにしようぜ」

「うん」





   ……………………………………………………………………………………






「終わっちゃったね」


 最後のステージを終え、俺達は高揚したまま部室へと戻っていた。本当はこの後文化祭を回るつもりだったのだけどそんな気分にはなれず、どちらから言うでもなく、足は自然といつも二人でいた部室へと向かっていた。


「私、森と一緒に音楽やれて良かったよ」


 普段なら決して言われることの無い言葉にドキッとする。


「森がいなかったら軽音部は私一人になってたでしょ。そんなんじゃ絶対続けようって思えなかった。それだけじゃない。音楽以外にもバカなこと話して、進路の事一緒に悩んで、森に感謝したいことが沢山ある」


 どうやら米沢はステージでの興奮が抜けずにテンションがおかしくなっているようで、次々とにこやかな顔でそんな言葉を言い放つ。その一言一言が俺の胸を激しくかき鳴らした。


「森がいなかったら、こんな楽しい思いきっと出来なかったよ」


 米沢が俺に向ける好意はあくまで友達に対するそれだ。だと言うのに、そんな顔でそんな事を言われては勘違いしてしまいそうだ。

 人の気も知らないで。嬉しさと苛立ちという二つ相反する感情が入り混じる。


「ありがとう。私と友達になってくれて」


 だけどとうとう、『友達』と言う一言が出た瞬間、俺の心は一気に傾いた。


「え?」


 気が付いた時には俺は彼女の体を壁際まで追い詰め、逃げ場を奪うようにそのすぐ横に腕を突き立てていた。


「俺が友達だって言うなら、こんな気持ちにさせるなよ」


 何故こんなことをしたのだろう。もしかすると自分も米沢と同じように興奮してハイになっていたのかもしれない。観念した俺は思いのたけを米沢へとぶつけた。


「俺は、米沢とずっと友達だなんて嫌だ」


 その瞬間、二人の時が止まった。文化祭の喧騒も、どこか遠くに聞こえた。

 永遠とも思えた沈黙の後、時を動かしたのは米沢だった。急に瞳が潤んでいくのが見えた。ギョッとして壁についていた手を放す。


「そっ…それって……私と友達なんてやってられないって事?」


 ボロボロと涙を零し、えずきながら言う。


「えっ?」


 違う!俺が言いたいのは友達じゃなくそこから一歩進んだ関係になりたいってことだ。

 けど泣いている米沢を前にすると、取り繕うだけで精一杯だった。さっきまで力を借りていたステージでの高揚感も全て吹き飛んだ。


「ウソ。冗談だって!俺達ずっとと友達だよ」


 何で伝わらない。泣いている米沢をなだめながら、俺の方が泣いてしまいそうだった。




             ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 季節は冬。いや、もう春になった。今日俺は、この学校を卒業する。


 文化祭の後米沢とはしばらく微妙な関係が続いた。いくら否定しても、面と向かってあんな事を言ったのだからすぐには納得できなかったようだ。本当は告白だったのに。


 軽音部も正式に引退した後は顔を合わせる機会も少なくなったけど、その少ない機会を最大限に使い、俺たちは何とか関係に戻ることができた。つまりは友達のままだ。あれだけ苦労して、三回も告白した結果が、ただの友達。卒業式を前に涙が出てきそうだ。


 卒業式は滞りなく終わった。高校最後の行事をこんなあっさりと終わらせていいのかと思うが、俺にとってはこれさえもこの後の前座に過ぎない。今度こそ米沢に告白する。でないと高校生活を終わりになんてできない。

 無事第一志望の大学に合格した俺達は、今日を最後にいよいよ会うのが難しくなる。本当に、これが最後のチャンスだ。


 俺は最後のホームルームが終わると、名残惜しそうに教室に残るクラスメイトをよそに、一目散に米沢のクラスへと駆けて行った。

 米沢のクラスのホームルームはうちよりも早く終わったのか、既に仲の良い者同士が集まってこれからどうするか話し合っている。

 その中に米沢の姿を探すが見つからない。まさかもう帰ったのか。


 だけどその時、軽音部の部室が頭をよぎった。俺が、そして米沢がこの三年間過ごした場所。そこに顔を出すことなく帰るとは考えにくかった。再び駆け出し、息を切らせながら部室のドアを開く。


「やっぱり森も来たんだ」


 振り向いた米沢が笑っていた。


「この軽音部もとうとうお終いか。来年は誰か入ってくれるといいね」


 そう言って米沢は俺達のいない未来を見る。俺も軽音部がどうなるかは気になる。でも今はそれ以上に、米沢に伝えることがあった。

 呼吸を整えると、真っ直ぐに米沢を見る。


「米沢。俺、お前の事が好きだ」

「私も森の事好きだよ」


 米沢は照れたように言った。だけどその好きは俺の言っている好きとは違う。分かってる。こいつが信じられないくらいの鈍感だってことはこの一年で嫌と言うほど知った。

 だから俺はそこからさらに言葉を続けた。


「そうじゃない。俺が言っているのは恋愛としての好きだ。LIKEじゃなくてLOVEの方。彼氏彼女の関係になりたい。お前と付き合ったり、キスしたりしたい!」


 ムードも何もない告白だけど、これくらい言わないと米沢はわかってはくれない。この一年間で学んだことだ。今度こそ届いてくれ。そんな思いで一気にまくし立てると、米沢は信じられないと言った顔をしていた。


「ウソ。今まで一回だってそんなそぶり無かったじゃない」


 あったんだよ、お前が気づいてないだけで。告白だって三回もした。本当は怒ってもいい所だけど、ようやくちゃんと理解してくれた事に涙が出そうになる。


「本気だからな」


 念押しすると、米沢の顔はみるみる赤くなり、サッと俯いた。そして唇がわずかに動く。


「私、今まで森の事そんな風に考えたことなかったけど……どうしよう、すごく嬉しい」


 その声はか細く、今にも消え入りそうだ。初めて見るその表情がとても可愛く思えた。


「返事、聞かせてくれる?」


 米沢はますます顔を俯かせながら一言。


「……よろしくお願いします」


 俺の三年間の片思いと一年にわたる失敗が終わりを迎えた瞬間だった。

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