勝哉 道花


 小さな小さなヒビが入る。ピシッと音をたてて、ヒビが入る。


「何を見ているんだい?」と言われた。横を見ると、いつの間にか大好きなあの人の姿がある。

「卵を見ているのよ」と私は彼に言った。柔らかな巣の上、そこにいくつも並んでいる小さな卵達。

「私ね、この卵の中の子達がいつか飛ぶ日が楽しみなの。羽をはばたかせながら飛ぶ日のことを思うと、いつまでもこの卵のことを見ていられる。とてもとても幸せな気分になれるの」

 そう言って、目の前の外を眺める。どこまでも澄んだ青空。いつか、この卵の子達は広い空間へと旅立っていく。どこまでもどこまでも、高く遠くに飛び立っていく日が来る。

 それが寂しくないか、と言われると寂しくないわけではない。そうなるともうこの巣は用済みだし、彼らがここに帰ってくるということもない。この風景ともお別れしなければいけなくなる。

 けれど、それでも私にはとてもその日が楽しみだった。

 だって、それはつまり、この卵の子達が一人立ち出来る程に立派な鳥になったという証拠なのだ。この白い球体に頼らなければ成長できなかった彼らが、一人でだれの力もなく空へと飛びたてるようになる。

「私ね、空は夢の象徴だと思うの」

 ゆっくりと私は彼に語る。彼はそれに何も言わずに、ただ穏やかな表情で私の声に耳を傾むけてくれる。

「大空って広くってどこまで続いているかわからない。だから一度飛べば、止まれる場所なんてなくって、だからと言って逃げる場所もない。なんにもない、ただ空とつかめない雲だけが広がっている空間。でもね、何もないからこそ、そこに私たちは夢を見れるんだと思うの。夢は叶えることが難しい。どれだけ努力しても叶わない。それはわかってるのに皆、夢を見る。それは空を飛ぶことと同じ。危険があるとわかっているのに、鳥は翼をはためかせてしまう。一度飛んだら最後だとわかっていても、空へと飛んでいく。大空へと飛ばずにはいられない。そして、夢も同じ。私たちは皆、夢を見ずにはいられない。だから、私は、この卵の子達がいつか空を飛ぶ日を夢見てしまうの。寂しいとわかっていても、その日のすばらしさを夢にみてしまう」

 もちろん、それは遠い未来の話。それに生まれた小鳥の全てが必ずしも空を飛べるだなんて保証はどこにもない。

 自然は思っている以上に厳しい。その事実を知っているからこそ、この巣の中にいる子達が皆、無事に空を飛べる日を、私は思わず夢見てしまうのかもしれない。

 少し気が早かったかしら――そう、彼に告げる。少しだけ不確定な夢に不安げな気持ちになりながら。

 けれど、そんな私の不安を彼は馬鹿にしなかった。代わりに、「そうか」と私の頭を撫でてくれる。その手つきの優しさに、思わず目を細めてしまう。

 あぁ、幸せだな、いつまでもこの時間が続けばいいのに――……そんな考えが私の脳裏を横切った時、誰かが彼を呼ぶ。

 その瞬間、目の前の夢のような幸せな時間がはじけ飛び、現実がやってくる。

 それは小さな子供の声だった。それと同時に、彼の手が離れていく。「おう」とその呼びかけに返事をしながら「またな」という言葉と共に私から離れていく。

 ……わかっている。あの人が見ているものが、私とは真反対のものだなんてことは。

 私が抱いているものはあの人には届かない。先ほどの私のように、幸せそうに目を細めて、呼ばれた方へと歩いていく彼の姿を見ていれば、私の望むものは一生手に入らないとわかる。

 これこそ正に、本当の意味で『夢』だ。叶うことのない夢。でも思わず眺めてしまう夢。

 でも仕方がない。彼が幸せそうにしている姿を見れるのは悪くないと思ってしまうから。綺麗な青空が広がっていたら思わず眺めてしまう、そういうものだ。

 さあ、また卵を見なくては。いつ生まれてもいいように。生まれてきた子達が無事にこの巣を飛び出し、あの青空へ飛び立つ日が来るまで、私はこの卵達のことを見守り続けて居よう。

 ピシッ、と小さな音がする。

 間近に聞こえたようなその音に、思わず卵を見るが、割れた形跡はない。それでも、もしかしたら中で子供達が動いているのかもしれないと思うと、不思議と幸せな気持ちになる。

 幸せそうな彼の声が聞こえる。なにを言っているか、私にはわからない。

 ただそれでも、ひたすらにその相手と話すことが幸せなのだと伝えて来る声音に、ピシッ、と小さな音がまた私の近くで鳴る。


       **********


「ねぇ、パパ。なに見てたの?」

「あぁ、ピー子の卵をね」

「ピー子、たまご産んだの!? こども生まれるの!?」

「いや、あれは生まれないね。だってピー子には番がいないからな。鳥はね、相手がいなくても卵を産めるんだよ。でも相手のいない卵に命は宿らないようになってるんだ。つまりね、あの卵の中身はね、空っぽなんだよ」


 放置しておくわけにはいかないから、どこかで捨てないとなー。


 格子の向こう。幸せそうな彼とその子供の声に、ピシッと小さなヒビの音がまた聞こえる。どうしてかその音と共に痛む胸に首を傾げながらも、私は卵の上に乗り、この羽毛越しに体温を中の子達へ分け与える。

 大丈夫。大丈夫。私の夢は叶わなかったけど、このこの小さな『』が詰まった卵だけは、守り続ける。何があっても。あなた達の夢は、私が守るから。

 今度こそ、叶えてみせるから。

 そうして、銀色の格子の向こうに広がる青い空を見上げる。

 いつか、この子達が飛び立つ大空を眺めながら、私はただ静かに、この卵にヒビの入る日を待ち続ける。


                                     [ 【END】


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勝哉 道花 @1354chika

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