僕たちのカヌー革命 白衣病棟(番外編)

夏海惺(広瀬勝郎)

第1話 僕たちのカヌー戦争


 白衣病棟(番外編)


 鹿児島市にユニークな大病院がある。

 病院の玄関口には「私たちは、すべて病を持つ患者である」と言う大きな記念碑が建ち、白い玄関ロビーの壁には大きな額が収められ飾られている。、人は皆、多かれ少なかれ病んだ部分を持つという院長の独特な人間観に基づくらしい。その記念碑の言葉を具現すべき医師や看護師だけでなく老若男女の患者に至るまで白衣を身に着けているのである。残念ながら病院名が明らかにできない。あえて「白衣病棟」という刈りの病院名で紹介する。

病院を訪問する見舞客や私たちボランティアが困るだろうと言うことで患者用の白衣の両袖の端にだけ黒い細い布が数本、縫い付けられている。線の本数に違いはあるが、白衣の古い新しいの管理のための印のようである。

 鹿児島市の中央を流れる川沿いに面しており、周囲には高級マンションやホテルが集中し、鹿児島県の玄関口と言える鹿児島中央駅があり、西鄕南州生誕地や大久保利通成長の地にも近く、観光地としても価値がある。大久保利通像や、駅から繁華街へ向かう電車が走る高見橋には水遊びをする少年達の像、川下にはそれを見守る母親像が建立されている。その川下には南州橋という木橋が甲突川を跨ぎ鹿児島中央駅から南州翁生家跡へと観光客を誘っている。晴れた日には南州橋からは山肌を露わにする桜島が屏風のように立っている。この風景は150年前に明治維新を起こす原動力となった多くの偉人達を育み育てることに無縁ではなかった実感できる気色でもある、川上の大久保利通公銅像や高見橋欄干の水遊びをする少年達像、川下で見守る婦人像もそのような歴史を語るために

建立された銅像であるはずです。

 いきなり奇異なことを言うが、この病院の姿は見えないし、存在しないと主張する者もいることも最初に断っておく。

 この話の紹介者は定年を迎えた老人である。彼は、ときおり患者達に様々な世間の話題を伝えるボランティアとして訪問している。今後は私という一人称で称さして頂く。

 以下、老人の体験談である。


 つい最近のことです。

 梅雨入り宣言があった直後の大雨の後に、私はいつものとおり白衣病棟を訪れました。甲突川の水量も増え、水は茶褐色に濁り、その日の変事を予想しているような日でした。

 玄関に入り入り口のロビーに入るいつもように子供たちが私を待ち受けていました。彼らは私から市井の話を聞くことを楽しみにしているのです。

「今日は二人か」と胸の中で呟きました。

 もちろん、いつものように監視役の若い看護師が一人、控えています。彼女の役目はボランティアが私が子供の治療や成長に悪影響を及ぼさないように監視をするためだと気付いていました。彼女の意に沿わないボランティアは病院に立ち入ることを禁止されます。ボランティアは私一人ではありません。他に数名いて、中には英語や数学などと言う教科も教える方もおられたようですが、出入りを禁止され、また新たに出入りを許された方もいらっしゃるようでした。


 外は小雨で鬱陶しさを感じていたのですが、いつものように目を輝かせ私の訪問を楽しみにしている子供の輝く瞳に触れて生き返ったように気分に気になりました。実は出入りを許されるボランティアの数だけでなく、子供の数には増減がありました。私の場合も、最近では二人だけを担当していましたが、以前は五,六名も担当しておりした。

 最近は中学高学年ほどの車いすに頼り生活するオカッパ頭のお嬢さんと小学校3年生か4年生の年頃だと思われる男の二人だけになってしまいました。

 少女は授業中に大けがをして脊髄を損傷し車椅子生活を強いらているということです。また少年の方は言葉はうまく喋れません。耳は聞こえるようです。それ以外の異常はないように思えました。それだけで入院など必要としないはずです。しかし逆に入院をしている以上、私たち素人では解らない何らかの病を背負っているはずだと思います。ボランティアを始めて、はっきりと悟ったことは他人のブラックの中には深入りしてはいけないと言うことです。あえて病のこと家族のこと、心境のことなど微に入り細に入り把握しても何もできないのです。無駄なことです。ブラックボックスの中身には触らないことです

 病院ですから入退院する患者はいます。私が担当する子供にも何ら挨拶もなく突然、姿を現さなくなった子供もいます。看護師は、「退院しました」と、機械的に説明しますが、信用はしていません。子供の表情に暗い陰りから、姿を消した子供は小さな棺桶の収められ、病院の裏口から運び出されたに違いないのです。ブラックスボックスは子供達の内側にあるだけでなく、病院そのものにあると思うようになっていたのです。

 私は二人に世間話をするボランティアです。

 ボランティアの中でも一番、難易度の低いボランティアであり、中には歴史や英語等々を教える専門的なボランティアも通い続けているのです。私の話す内容は昔話であったり、本や新聞で読んだ話、テレビで見た事を話すこともありました。週一の割合です。一回につき一時間程の内容です。もちろん一方的な話す訳ではなく、少女の質問に答えたりすることもあります。彼女んお感想に耳を傾けることもありました。しかし言葉が喋れない少年の方は聞き役が多くならざる得ません。それでもたまに手話で言葉の喋れない少年も少女を通じ質問をしたり、話に割り込んでくることはありました。最近では何となく二人が交わす手話の意味が完全ではありませんが、分かるようになっていました。

 私たちが交流を続ける間、監視役の看護師は能面を被ったような表情で唇を堅く結び、白い病院の壁を背景に座っているのが常でした。

 町の喫茶店で耳にした話をしよ他うと心に決めていました。

 実は甲突川を挟んで目と鼻の先に、ふるさと維新記念館という西郷南州たち偉人を語り継ぐ市の記念館があるのですが、その軒先のテラスの喫茶店があります。白衣病棟に立ち寄る時には、そこに立ち寄ることを日課にしていたのです。そこで、ここ最近、耳にした話を子供たちにしようと思っていたのです。

 実は甲突川の水面を利用し、教育事業や観光事業に活用したいと運動を続ける奇特な老人の話を耳にする機会があったのです。その老人は自分と同じぐらいの年齢だと思いました。私より十歳ほど若い喫茶店のマスターに、彼はいつも同じ話しており、好まなくとも彼の主張を聞かされていたのです。病棟の隣を流れる川にまつわる話であり、子供達も関心を持ってくれるはずだと自信を持っていました。

「二人に身近な話をしようと思います」と切り出しました。

 聞き手の二人の子供の瞳が輝きました。

 実は、この語り出しが難しいのです。もちろん何度か失敗をしたこともあります。

「良し」と、心の中で両手を叩きました。

「今日は甲突川の話だ。ここに来る前にいつも立ち寄る。その喫茶店で聞いた話だ」

 子供たちは顔を見合わせました。互いに意志疎通をしたように見えました。もちろんどのような意志を疎通したか分かりません。

 少年が胸元にぶら下げる双眼鏡を視線を落とすのを見て取りました。少年は、いつも体の大きさの割には大きな双眼鏡を胸元にぶら下げていたんのです。もちろんその双眼鏡を使用する様子を見たこともありません、単なる無意味なこだわりかアクセサリぐらいに思っていました。もちろん気になり聞いたことがあったのですが、答えてもらえず、最近では気にもしなくなっていました。

「この甲突川で障害者だけで観光事業や教育事業を始めようとする運動をしている人がいる」と得意気に告げた。 

 この言葉で、再び二人は顔を見合わせた。明らかに我が意を得たりという顔をした。私は、オヤと思いながら、「どうかしたのか」と漠然という質問をした。

「この小父さんのことは知っているよ。三階の食堂からよく見かけるよね」と少女は少年に同意を求めた。

 少年は微かに肯いた。

「スポーツ刈りの頭にはハットを被り、上はTシャツ、下は体操服のジャジー、いつも運動靴を履き、町歩きだというのに山歩き用のステッキーを持つ小父さでしょう」と少女は続けた。

 正確な描写である。私は頷くしかなかった。

 少年は手話で年長の少女年に話しかけている。

「大丈夫、信用して良いよ」と少女は少年に応えた。二人の間の内緒話のつもりであろうが、私にも理解できる手話であった。

「それなら話を聞いてみたい」と少年は手話で応えた。

 実は後で知ったのですが、この少年は読唇術と読心術が出来るらしい。胸もとにぶら下げている双眼鏡は遠くの人が話す言葉の内容や表情を読み取るために使うものようである。二人は三階の食堂から甲突川のはさみ営業する喫茶店に出入りする客たちの会話を盗み聞き、この場合は盗み見していたらしい。しかし、それを行う少年は必ずしも絶対に正確に読み取っているという自信はなく、確認のために私の話を聞いてみたいと思ったようである。このことは大事なことであり、物語の筋からは逸脱してしまうが、理解を得るために事前に説明しておく。

「その年寄りは、ここ2、3年の間、観光事業や教育事業に甲突川を活用できれば良いと考え、カヌーなら水深が浅く、湾の潮位を観察することで可能だと気付いた。都合の良いことに市は海水浴場に使用されないカヌーを保有していることも付いた。そのカヌーを、あの川に移動すれば、ことは簡単だと思い付き、市役所に働きかけたり、市民の提言というコーナーに繰り返し書き送ったりしていた」

 少女は頷いた。

 その反応は、すでに聞いている話という不思議な素振を感じたが、私は彼らにとって初耳の話だと思い、話をした。

 少年は無表情である。まるで話が聞こえないような素振りである。しかし少年の障害は、完全な聾ではない。聞こえる時と聞こえない時があるようであるが、完全な聞こえない訳ではないから注意するように指示を受けている。ただ話が出来ず、今は発声の練習を続けていると言う。比較的、軽い症状と言って良いようであるが、長期の入院を続けている理由は他にあるように感じていた。しかし少年の症状に関して、これ以上のことはブラックボックスである。

 私自身、後悔を残す愚かな人生を歩んだ。それでも長く時を重ねてきた結果、悟ったことがある。他人のことを完全に知ることは不可能だし、知る必要もない。知ることもできない。多くはブラックボックスのとして放置して追及しないことである。また深い事情を、

もし知りえたとしても何も出来ないのである。特に満足に自分のことすら出来ない自分には何も出来ないのである。目の前の少年と少女のことだけではない。二人に付き添う若い女性の看護師のことも何も知らないと言って良い。名前も、既婚、独身も、年齢さえもである。いつも無表情でいすの背もたれにもたれるように座っている女性であるが、まるでブラックボックスの塊そのものであると言っても過言ではない。能面や人形など面であれ、感情を感じさせる仕組みがあり、感情を波動を感じることができるが、まったく無表情であり生きている気配さえ感じさせない物体のように見えることがある。まるで白い病院の壁に掛かる平面的な絵画のようである。

 その彼女は私の問題とないと解釈したのか中座した。勤務が忙しいせいもあるのであろう。そのことは普通の病院と同じである。

 彼女の中座を見届けても、私は変わることなく話し続けた。 

「その年よりが、何度、市役所職員を訪れて説明しても、変化は一切なし。意地悪にもカヌーの使用実績を確認しても誠実な回答を寄越しているとは思えない。担当者は愛想良く対応をしてくれるが、まるで年寄りのカウンセラーの役を担っているようにさえ見えた。いたずらに時間は過ぎるばかりである」

 私の言葉を遮るように少年と少女がせわしく手話で会話を交わした。看護師が戻る前に少女に話すように促していると私は直観した。

 直観とおりであっあ。

 すぐに少女は両手を広げて、私の言葉を遮り、声を潜めて話した。 

「色々な手段を講じたが無駄であると気付いた。政治活動に傾倒するしかないと判断した。間近に迫る県知事選挙選挙運動に荷担しようと年寄りは思った。もともと甲突川にカヌーを浮かべるという願いは小さなものである。しかし、それは大きな野心の出発点に過ぎないと年寄りは年甲斐もなく思い込んでいる。やがて東京オリンピックに便乗し、南西諸島を舞台にする大海洋レースを開催し、イギリス式ブックメーカなどをも開催し世界的な大賞金レースを開催する。もちろん世界中から男女を問わず、命知らずの冒険家を集めて行うレースである。世界中の人々の耳目が東シナ海に集中するに違いない。東シナ海の安定と平和のためにも役に立つ。カヌー愛好家だけではない。ドランボートレースの延長線上のレースである。ドランボート本場の中国からレース参加者だけでなく、ブックメーカーには大富豪だけでなく庶民も参加するに違いない。

 ブックメーカーで稼いだ資金は海洋環境保全や南シナ海を囲む国々でマリーンスポーツを中心とする冬のオリンピックを開催するための資金としても活用できる。もちろん東シナ海や南シナ海の平和維持のためにも役立つはずである。その夢の実現の第一歩が甲突川にカヌーを浮かべることであった。明治維新150年を迎えようとする直前のことであり、明治維新行事の活況にも貢献するはずである。先述したとおり中国を巻き込むことで海洋生物や海洋資源保護の環境運動の啓蒙活動にも役にたつ。中国人民解放軍の軍事力による海上進出という危険な火遊びをも諌めることができる。しかもブックメーカーで賭をする賞金レースであると年寄りの妄想は暴走する一方である」と。

 まるで私が言おうとした言葉を私に代わり少女が発しているようである。

 開いた口を閉ざすことも忘れて聞き入ってしまった。

 まだ、あどけなさが残る少女が諳んずるように語るのであるが、まるで彼女自身も正気を失ったように表情をしている。その隣には少年の目が不思議な輝きを発している。少年が少女女を操ているのではないかと思った。私の視線に気付いたのか、彼は慌てて双眼鏡を目にかざして対岸の喫茶店をに目を向けた。

 その瞬間に少女は正気を取り戻した。

 少女は驚く私に打ち明けてくれた。

 すべて彼の言葉よと、少年を眼差しで示して言葉を続けた。

「あのようにして喫茶店に出入りしている大人達の会話を観察し、私だけに教えてくれるの。このことについては小父さん以上に知っているかも知れない。そして彼には私を操る力もあるのではないかと最近、思うの」と打ち明けてくれた。最後に、あの看護師には内緒にしてねと念を押した。

 小父さんとは私のことである。

「そのお年寄りの試み、すべてうまくいかなかった。明治維新150年に関連づけて夢の実現をと思った。何しろ甲突川と言えば明治維新で活躍した偉人達を育てた川であると言っても過言ではない。その川を基点として考えることは過言ではない。ところが予想に反し、市役所の職員の反応は冷淡だった。それだけでない。明治維新150年と言う節目の意味さえ理解していない様子である。その瞬間、一職員の問題ではないと小父さんは思った。彼の周囲や上司、市役所全体の雰囲気、それを司る市長の責任だと思い込んだ。すべてうまくいかなかった。前後する話もあるが、その根本は鹿児島県知事選挙や鹿児島市長選に関係していると思った。県知事は年寄りの願ったとおり新人候補が激しい選挙戦を制した。その半年後の市長選挙が問題である」

 女の声は小さい。他人に聞こえるのを憚っているようでもある。

 窓際に立っていたはずの少年が、忍び寄るように少女の背後に立っていた。そして、あろうことが、背後から少女の胸に手を伸ばし、乳房をもんだのである。もちろん子供とは言え、度の過ぎる行為である。

 瞬時を置かず、少女は悲鳴を上げ。少年の鷲掴みにし車椅子の自分の正面に引きづり、鋭い平手打ちで少年の頬を与えた。

 直後には少女はやり過ぎたと気付き、少年に手を合わせて誤っていた。

 しかし少年は無言だった。平手打ちを受けた少年は号泣するのかと思ったが、無表情のままあった。もちろん無言である。悲鳴でも発すれば奇跡的なことが起きたと大騒動になっていたかも知れない。

 異変に気付き看護師がナースステーションから駆け戻ってきたが、少女も少年も慌てず、何もなかったように素知らぬ甲突川を見詰めていた。

 看護師は問い質すこともなく相変わらずの無言無表情で立ち去った。彼女の姿が壁に陰に隠れると、少女は一層、声を潜めて続けた。

「大事なことを恥じらって省くなということね」と少女が言うと、少年は黙って頷いた。

「県知事選と市長選挙に関係すること。こんなことが起きて大騒動になったらしいのよ。実が、その年寄りは西郷某の市長選への立候補を期待していた。西鄕南州の御子孫に当たる方よ。もちろん御子孫とは言え西郷隆盛とは別人であることぐらい理解している。しかし別人でも、その御子孫が立候補すれば、県外でも話題になり多くの国民も明治維新や明治維新150年について知ることになる。考える機会にもなる。もちろん選挙であり、勝敗は分からない。他人だから言えることかも知れなということもお年寄りは理解していた。とにかく一生懸命に思いね。翌々の明治維新150年や大河ドラマ西郷どんのことも話題になる。西郷某もこのような好機はないと明言していた。しかし彼は新人である。当選した県知事の事務所や後援会組織をそのまま申し受けて市長選挙に立候補しようとしているのではと感じた。しかしお年寄りには支援をする力はない。それまでは聞くのも憚っていたが、それでも10月には西郷某の明言を聴くことができた。しかし、どうしようもない立場であることには変わらない。西鄕某の言葉によると後援会が分裂してしまった言う。事務所に詰めていた後援会のメンバーの住所も名前も知らないのである。ところが11月に再び、当選した県知事を招いて再び、後援会が開催された。先述したように翌々年に明治維新150周年を控えている。政府も10月には「明治維新150年」を国家にとって特別な節目だと認識すると宣言している。8月末にには現職市長が4期目の市長職を狙い立候補を宣言していた。

 NHKの大河ドラマも「西鄕どう」だと決まっている。鹿児島市にとって絶好の機会だと、これも10月の西郷某の言葉であった。その時に、同時に後援会が分裂していると。後援会が一つになれば立候補したいと言葉とともに耳にしていたのである。しかし分裂した理由については西鄕某も知らない様子だった。そのお年寄りは自らの家庭の事情もあり、梅雨時期から10月まで鹿児島を離れていたから、一切の事情は知らなかったのよ。ところが11月の正式の後援会でその事情を知ることになった。あろうことか七十代に近い老人のセクハラが原因で後援会が二つに分裂したということです。信じられない話です。しかし今、巷を賑わせているのはこの種の話ばかりです。理由を県知事選挙期間中の事務所の騒動にあった。些細なことでもとても大事なこと。特に女性にとってはひどく大事なこと。」

 少女は羞恥心に頬を赤らめていた。

 驚かされる内容であった。私が聞いていない出来事であり、困惑した。少女は戸惑う私を冷やかした。

「小父さんも気を付けることね。最近は厳しいからね。この話を聞くまでは私たちも楽しみにしていたのよ。私たち障害者が活躍出来ると場が増えると思ってね。あのお年寄りはパラリンピックを目指した者や、選手を招聘して、あの川で観光事業や教育事業を軌道に乗せようとも考えていたのよ。障害者の私たちが、そのようなことを担当してすれば、健常者も自信を持って水辺に集い、海にも親しむようになると信じていたのよ。すべての始まりは明治維新で活躍した偉人たちが育った、あの川から始まることは単なる偶然ではないと考えて一人で妄想に酔いしれることもあったのよ。私たちも内心、楽しみにしていたのよ。でもこの話で、すべてがお仕舞い」


 双眼鏡で甲突川の対岸にある喫茶店で覗いていた少年の表情が動き、双眼鏡を外して、少女に激しい手話で語りかけた。私には読み取れない速度である。ある意味、二人の手話は健常者が言葉を通じて行う会話より的確に迅速に意志の疎通を可能にしているのかも知れない。

「実況中継をしろと彼は言っているは」と、少女は最後の部分だけ面白そうに微笑み教えてくれた。

「今、対岸の喫茶店に来ている方は警察の方々よ。昨年のあの南州橋という橋の工事について聞いているみたい。喫茶店のマスターが事情を説明しているところよ」

「市長選挙とも関係するのよ」と少女が説明した。

 驚いた。何も知らなかったのである。

「警察は市長選挙前の資金集めのことで関心を持って調べているのよ。マスコミでも問題になったけど市長選挙前に大がかりな選挙を予想し、日頃、便宜を図る業者から多額の資金を集めた。ところが選挙戦は低調に終わり、現職市長側の楽勝。結果、集めた資金を返すことになった。それが問題になった。でも違法行為ではないと市長自ら説明をしていた。ところが市長側は選挙前に多くの土木工事を発注していた。慌てて発注したために無理な発注もあったのでしょう。予定工期が大幅に遅れる工事も出てきた。川沿いの祭りなどを楽しみ生計を維持する小さな店は大きな損害を受ける結果になった。そのことより、今は市長側が西郷某立候補の噂を聞きつけ、西鄕某の立候補を封ずるためにセクハラ行為の強要や教唆がなかったか客観的な事情を調べているみたい。叩けば色々なことが出てくるかも。融着や利権、学閥、自治労も関係しているかも。でも市民のためには必要なことよ」

 少年が手話でサインを送る。

「大きな問題は選挙妨害に抵触する行為はなかったかどうかだと言っているわ」

 選挙妨害という行為は有権者に対する裏切り行為である。大事な選挙権を奪うことである。

「警察は選挙制度そのものを潰しかね犯罪行為はなかたっかどうかという視点でも調べている。立候補をしたいと思う人物の意思を卑怯な手段で奪い去ることも選挙妨害になるのではないかということよ。結果論かも知れないが、一昨年の活況に欠ける選挙が仕組まれた選挙であり、その結果が今年の明治維新150年事業の低迷に繋がっているのではないかと市民からの声が大きいのよ。市民にとっては死活問題に関わる選挙だったのよ。それを妨害されたとなったら黙っておれない。西鄕某のがいつ頃から真剣に鹿児島市長選挙を意識し始めたかも調べている。落選した県知事側からの新人候補陣営への攻撃や働きかけに犯罪性はなかったか。いつセクハラが発生し、県知事陣営がどのような事態についても関心を持っている。セクハラ行為に本当に裏がなかったかと言う一言に尽きるかも知れない」

 私の想像を超える世界である。

 目の前の二人の子供の言動に驚くしかなかった。

 まるで現実の世界ではなく、夢の中を彷徨うような感覚である。

 もちろん二人の話は喫茶店のマスターも知らないはずである。また聞き取りに来ている警官が話すはずはないことぐらい想像できる。と言うことは、少年は唇の動きで会話を把握する読唇術ではなく、表情などから相手の心や事情を把握する読心術を駆使しているに違いない。

 選挙というものが。どういうものか理解できる。この年になれば多くの者が関わりを持ちたくない理由も聞き知っている。相手陣営を揺さぶるためには脅迫や教唆、裏切り行為などの誘惑は日常茶飯事に行われているはずである。西鄕某の立候補を妨害するためにセクハラを行っても静穏な政治環境を長く維持することを目標とする戦略を練る策士が存在してもおかしくない。あるいは西郷某の立候補で明治維新という歴史的な結節が盛大に注目を集めることを嫌う政治団体や集団が画策したかも知れない。現実に、未だ明治維新という歴史的な結節を否定的に見ている政治団体や集団、個人が存在することを信じたくないが、存在するのである。

 もちろん警察は工事や選挙資金の返金にも関心を持っている。本格的な対抗馬となる西鄕某が立候補しても打ち破るために集めた資金に違いない。予定にもない工事業者の票を取り纏めるために工事を急遽、発注したことも票の取りまとめのために違いない。これは現職首長が採用する常套手段であることぐらい噂に聞いている。ところが西鄕某は期待をしていた県知事陣営の後援会の内部分裂により、出馬を断念せざる得なくなった。肩すかしを食う結果になった。結果、集めた選挙資金は使う必要性もなく、選挙資金として集めたお金を返すという珍事まで起きたのではないのか。これは少女の言葉を聞きながらの私の想像に過ぎないことだろうか。

 ここまで深く世間社会のことを理解している二人の子供の正体を疑ううちに、時が過ぎるの忘れた。また周囲の変化に気付かなかった。

 目の前の白い壁の前で茶色の書籍らしき物が浮遊しているように見えた。視線を上げていくと例の看護師の無表情な顔が白い壁の前に映っている。まるで壁の平面の一部である。白い化粧のせいではない。黒い眼だけ見えた。顔の輪郭が区別できなかった。ところが次第に輪郭が認識できるようになっていくのである。あたかもカメレオンが変色を解いていくように顔の輪郭を明らかになっていく。目の錯覚だとも思った。高齢で目の機能が衰えている可能性もあるとも思った。

 白い顔が壁の中に浮かびあがり、茶色の物体は分厚い本だと分かった。

 その頃になると指や腕の輪郭も確認できた。

 二人の子供も背後の変化に気付いていなかった。私の驚く気配で初めて背後の看護師の存在に気付き、二人は怯えた。初めて子供らしい動揺を見た。それでも取り乱すことはなかった。

 看護師は、「そういうことだったのね」と、ほのかに紅を引いた薄い唇を開きと言ったが、二人を責める様子はなかった。もちろん質問もしなかった。実は少年の読唇術も読心術の能力も病院には隠し事だったのであるが、この瞬間に看護師に知られ、院長にも報告をされることとなったのである。

 看護師は携えていた本を机に置き、少年に目で促した。少年は無言で椅子に腰かけるとページをめくった。五センチの厚さをあろうかという本である。しかもハードカバーの難しそうな本である。少年は読む気配はなく、ページを捲っているだけという具合である。五センチもある分厚い本もめくり終わるのに数分とかからなかった。私にはページを捲ることは無意味な子供の悪戯にしか見えない。だが看護師は、「読み終わったのか」と真面目に質問したのである。少年は黙って頷いたが、彼が同年代の子供と比較し、世間や社会のことを深く理解しているのは、この速度というにも早すぎる読書術があったのだと想像するしかなかった。本を携え背を向けて去る看護師の行く先の壁には「私たちはすべて病を持つ患者である」という額が掛かっている。

 その日は、これで終わった。病院を玄関をくぐり、「人はすべて病を持つ患者である」と言う石碑の前を通り過ぎて振り返ると、病院は消えマンションに変わっていた。

 軽い眠りから覚めたような快い覚醒を覚えた。  



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