第13話 忍び寄る不穏な影

 ごりごりごりごり。

 砂利を轢き潰すような音を立てながら、僕の目の前を巨大な木箱がゆっくりとした速度で動いている。

 木箱の大きさは一メートル四方くらいの立方体。船や馬車などの積み荷用によく用いられているオーソドックスな木の箱だ。

 それは太い縄で頑丈に括られており、縄の先端の一方は二メートルほどの余裕を持って残されている。

 その綱を両手で掴んで懸命に引っ張っているのは、ムツキ。


「ほら、もっと気合を入れて引きたまえ! 勇者殿、そんな有様では到底魔王を討ち果たす英雄の器だとは言えぬぞ!」


 木箱の上で仁王立ちをしたアグリス騎士団長が、ムツキを見下ろしながら大声で檄を飛ばしている。


「ぐぬぬぬぬぬぬ……」


 ムツキは食いしばった歯を唇の間から覗かせながら、全体重をかけて縄を引っ張っている。

 彼が渾身の力を出して縄を引いていることは、分かる。額は汗びっしょりだし、腕も傍目から見ていてはっきりと分かるくらいにぷるぷると震えているし。

 だが、悲しいかな腕力があまりにもなさ過ぎるせいで、アグリス騎士団長を乗せた木箱はナメクジよりも遅い速度でしか動こうとしないのだった。

 此処は、屋外に設けられた王国騎士団のための訓練場である。

 訓練場には屋外のものと屋内のものと二種類あって、前者は主に体力を付けるための訓練用や団体訓練用の場として、後者は主に個人の能力を磨くための場として利用されている。

 今ムツキがアグリス騎士団長の指導の下に行っている荷物引きは体力を磨くための基礎的な訓練のひとつで、入団したての新米兵士が取り組んでいる課題だ。

 本来はもう少し大きな木箱を利用して、その上に大柄な先輩兵士を重石代わりに乗せて行うものなのだが……

 ムツキの笑えないレベルの貧弱っぷりに、普段はまず使わないような小さな箱をわざわざ見繕ってきたらしい。

 とはいえ、巨躯な上に重量級の甲冑を纏ったアグリス騎士団長の体重は余裕で百キロを越える。木箱は空なので重量はほぼないものとして考えたとしても、ムツキの腕力で百キロ超の荷物を牽引するのは流石にきつかろう。

 僕も……流石にあの重さを引っ張るのは無理だ。


「……はぁっ、はぁっ、流石に、きつい……素のままじゃ重過ぎる」


 縄から手を離し、膝に手を付いて荒い息を吐きながらムツキが呟く。


「これは、魔法を使わないととてもじゃないけどクリアできないな。仕方ない」


 ぐっと顎の先に付いていた汗を掌で拭って呼吸を整えて、ムツキは目を閉じ、両手を前に突き出すポーズを取った。


「我が身に宿れ、鬼神の豪腕……全てを滅ぼす力を我に与えよ! エンチャント・ストレングス!」


 ぼこん!

 ムツキの叫びが呼び声となって、彼が突き出していた右腕が、一瞬にして筋肉質の豪腕へと変化した。

 無論、変化はそれだけに留まらない。左腕、右足、左足、胸、腹……彼の全身が、風船が膨らむように盛り上がって屈強な筋肉超人の肉体へと変わっていく。

 一瞬で、彼は身長二メートル近くの筋骨隆々の大男へと変貌を遂げた。

 頭の部分だけは変化がなく元のままなので、体との大きさの釣り合いが取れておらず何ともアンバランスな見た目だ。不自然すぎて、はっきり言って不気味な見てくれである。

 彼の特訓の様子を面白半分に見物していた兵士たちがどよめく。


「な、何だありゃ! 勇者様、いきなりゴリラになったぞ!」

「うっわ、何とも言えないくらいに不気味だな。中途半端な萌えキャラって感じで。あれが野郎の筋肉じゃなくてお姉ちゃんのナイスバディだったら多少は見られたかもしれないのになー」

「えー……元が野郎って分かってて興奮できんの? お前、趣味悪いな」

「うっさい、巨乳は正義だ! ロマンだ! 作り物って分かってても夢見るくらいいいじゃないかよっ!」


 不気味な筋肉ダルマになったムツキが、爽やかな笑顔を浮かべて堂々とアグリス騎士団長の方に振り返りながら、言う。


「さて……お待たせしました。これで大丈夫です。訓練を続けましょう」

「…………」


 ムツキの見た目の不気味さに掛ける言葉が見つからないのか、それとも別の理由で呆れているのか、アグリス騎士団長は口を中途半端に開いた微妙な表情でムツキのことを見つめている。

 僕は溜め息をつきながら二人の傍へと歩み寄り、ムツキに対してきっぱりと告げた。


「勇者さん。無意味な見せ筋はやめて下さい。気持ち悪いです」


 ムツキは明らかに落ち込んだ様子で自分に掛けた究極幻想パラノイドを解くと、再び呻き声を上げながら懸命に綱引きを再開したのだった。


 僕はムツキの専属講師で彼の面倒を見るという役目があるが、与えられている仕事はそれだけではない。

 城勤めの重臣としての務めを果たすことも、疎かにできない大切な役目なのである。

 自分の執務室で書類の整理をしていると、扉が控え目にノックされて、ゴルド大臣が入室してきた。

 手には、筒状に丸められた大きな羊皮紙が握られている。

 あれは……大きさからして書簡の類ではないな。何かの資料だろうか? 何だろう。


「レン様。ちょっと宜しいですかな」

「少々お待ち下さい。今、この書類だけ処理してしまいますから」


 僕は手元にあった書類に判を押してそれを机の脇に寄せてから、顔を上げた。


「すみません、お待たせしました。何でしょうか」

「実は……哨戒任務中の兵から上げられてきたばかりの報告なのですが」


 ゴルド大臣は人目を気にするように声を潜めてそう言うと、手にしていた羊皮紙を広げて机の上に置いた。

 それは、この国とその周辺地域の様子を記した地図だった。

 何処にでもあるようなありふれた地図で、雑貨屋に行けば一枚五リドル程度で購入できるような、そんな品だ。

 勇者時代には、僕もこの地図には何かと世話になったものだ。

 と、僕の過去の話はどうでも良いのだった。


「此処ら一帯の地図ですよね。これがどうかなさいましたか」

「ソルクル平野にて、未確認の魔物の目撃情報があったのです。兵の報告によると、それは外見的な特徴などからおそらくアンデッドの群れだろうとのことなのですが、明らかに普通のアンデッドとして考えるには不可解な点が幾つもあったらしいのです。何でも──」


 僕の目を見つめるゴルド大臣の眼差しは、未知なるものに対する恐怖で萎縮してしまったかのような、弱々しい光を讃えていた。


「そのアンデッド集団は、単なる亡者の群れにしては統率が取れすぎていた。明らかにあの中に群れを操っている傀儡師のような存在が紛れ込んでいる、明確な意思を持って作られた『軍隊』であったと……そう、言うのです」

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荒ぶるピーマンを勇者に育てる教育講座 高柳神羅 @blood5

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